昨日(2月12日)は、辺野古に寄った後、本部葬祭場で行われた本部町島ぐるみ会議・Mさんの告別式に参列した。
2018年以来、辺野古埋立土砂が海上搬送されている本部塩川港では、本部町島ぐるみ会議を中心とした抗議行動が続いている。港に入ってくる土砂を満載したダンプトラックの前をゆっくりと横断する牛歩行動だ。
本部塩川港は木陰等もなく、夏の炎天下や冬の強風下での行動はきわめて厳しい。2020年12月には、やはり本部町島ぐるみ会議の高垣さんが、抗議行動の直後、急逝されたばかりだ(2020.12.4 のブログ参照)。
Mさんも数年もの間、連日のように、本部塩川港での抗議行動を続けておられた。昨年末、体調を崩されてしばらく療養されていた。年が明けてなんとか回復してきたというので、また牛歩行動に参加されるようになったが、皆、体調を心配して「無理をしないで」と気をくばっていたという。
Mさんは2月7日、牛歩行動に参加した後、8日はお連れあいと休んでおられたが、夜、急逝された。高垣さんに続き、また、辺野古新基地建設反対運動・本部塩川港の抗議行動での犠牲者がでたのだ。
享年76歳。残念でならない。
Mさんの遺影の両側には、「本部町島ぐるみ会議」と「あつまれ辺野古」の供花だけが並べられていた。本部塩川港の抗議行動に倒れたMさんらしい祭壇だった。
告別式には、共に運動を闘ってきた多くの仲間たちがかけつけた。