まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

13歳の受難 30days blog♪day 16

2020-10-24 09:26:00 | 日記

本を読むのと歌を歌うのしか興味ない小学生女子、中学生になって当然のように文化系部に入ろうと思っていたのだが、「中学時代に体鍛えなくてどうするの。」という母の一声で、軟式テニス部に入部するという暴挙に出てしまった。

入って半年は筋トレと素振りと走り込みとボール拾い。雨の日が一番嫌で、薄白いボールが泥まみれになったのは見えにくいし、タオル持ってても拭くのに間に合わず、しまいには自分の素手でゴシゴシやって先輩に渡す。拾うまでの体勢が中腰っていうのもしんどい。筋トレはコンクリの上で腹筋が辛かった。尾骶骨の上が擦りむけるのをみんなどうしてるんだろうと思ったら、「え?別に擦りむけないけど。」と言われ、人よりしっぽが長いことに初めて気づいた。進化し切れていないだなんて、傷つく13歳。

でも一番の思い出は鬼のようだった3年生の先輩が引退して、優しく楽しい2年生の先輩らと心晴れ晴れテニスに明け暮れてたら、鬼に呼び出されたこと。「あんたたち。あれだけ世話になっておいて、ありがとうの一言もないの。」マセガキだったわたしは吹き出しそうになって必死に下を向いた。お礼の強要て。かっこわる。一列になって深々頭を下げた私達。先頭の2年の新部長の首がほんのわずか傾いていたこと、鬼は気づくまい。生まれたのがたかだか2年早いだけで、なぜあんなに偉かったんだろうか。

そういえば小学生時代毎日一緒に学校に登校してた隣のお家の晴子ちゃんと同じ中学に入ったので、ある日彼女の教室に行って戸口から「晴子ちゃ〜ん」って呼んだら、そこにいる40人が全員ザッとこちらを睨んだことがあった。な、何よ、って怯んでいたら晴子ちゃんがそっと寄ってきて「中学になったら上級生を呼ぶ時は先輩ってつけるんだよ。」と教えてくれた。

同僚さんは地元山口で、全国大会に出場するような強豪ハンドボール部に所属していたのだそうだ。ある日先輩から部室に呼び出されてぐるりと囲まれ「なんでさっき無視したのか。」と怒られ、全く身に覚えがなかったのだが、それは1組から10組までがストレートに並ぶ廊下の、1組の前あたりにいた彼女が、6組の前あたりにいた先輩が視界に入っておらず、挨拶しそびれたというものだった。仕方がないじゃないか、見えなかったんだから、なんて言い訳は通用するはずもなく、ひたすら謝りまくって許してもらったんだと。

別の同僚さんはやはり全国大会に出場するような吹奏楽部で、理不尽な思いは数知れず。でも彼女は、「そういう目に一度は遭った方がいいですよね。」という。例えば先輩が会議室のセッティングや片付けしてるとき、若手が談笑してると彼女はいらっとする。会話のはしばしに、後輩が先輩に対して「そうなのー。」などとタメ口になるのも。わたしもそれは少しわかる。重たい荷物を運んだり、ちまちま袋詰めしたりしてるときに、「やります。」って飛んでくる元体育会系と、気づくこともなくうちわ片手にモニターみてる元帰宅部系だと、前者のほうが可愛い。周囲に注意を払って、煩雑な仕事や体力使う仕事を率先して拾うことは、別にそういうところにいなくてもやれるひとはやれるけど、10代のはじめに細胞に叩き込まれてると考えるより先に動く体になっている。

でもこれは軍隊の思想だな、と思う。そうやって統制とって全国民いちがんとなって自分を滅して同じ目標に向かってがしがし進む時代の。今もそうなのか知らないけど、大学で応援団にいると就職するとき引く手あまただったのは、会社が組織で動くときそういう弾は扱いやすくて楽だから。働く側としても、上司の言うこと聞いて会社に尽くしてれば、食い扶持を保証してくれたし、その額や立ち位置が年々上がっていった。今やそんな保証はない。

働き方は自分で考えて見つけなきゃ、しあわせになれない。生まれたのが先とか、入社したのが先とか、そんな思考にとらわれない関わりあい方をする必要がある。両手泥だらけの13歳のわたしが「そうだよねえ。」って苦笑してる気がする。

写真は反動で入った大学のテニサー合宿でのひとこま。先輩のみならず後輩にも「ちかちゃん」と呼ばれてた。同期は呼び捨てね。


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