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まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

足りないものはなんだ?

2015-03-02 20:16:14 | 読書
会社の昼休み、娘とごはん。

今日ねー、マンガ買って帰るんだー。

と云ったら、娘きょとん。

そもそも、私、マンガって買わない。
対する娘は、いかに安く早く確実に
目当てのマンガを買おうか
日々戦っているような奴。

何買うの?なんで買うの?
と聞かれ、ちょっと照れて、
ないしょー。ジャケ買い。中身知らない。
って云ったら

そんなの本屋で定価で買うの?!
社会人め!
そーいうのはブックオフ案件だよ!

と、なぜか怒られた。

実は本屋でもなく、コンビニだったんだけどね。

そこのコンビニ、店頭に安かろう悪かろうな野菜も並べてて
にんじんやレタス、菓子パンなんかと
一緒にささっとマンガをかごに入れた。

なのにレジでおじさんたら
ただいまコミックスお買い上げで
クーポン券さしあげてますけど
お作りいたしますか?だって。

いらない、いらないから
とっとと袋にいれてくれ!

丁寧にビニールはがして
スリップまで抜きやがりました。

やっとおうちに帰り
土鍋に米と水をざぶっと汲んで
火にかけ、さて、読書タイム。
てか、マンガに対して
読書って言葉はアレだな。

中学2年生の女の子の話。
お勉強苦手。ガマン苦手。
本能のままに生きてます。
友達に助けてもらうこと多し。
でも、ちゃんとそれを知ってて
感謝もしてて
どうにかお返しもしたいなあと
思ってる。

マンガのタイトルは
「ちーちゃんはちょっと足りない」
って言います。
表紙のちーちゃんの表情にやられた。
それと、私も「ちーちゃん」って
呼ばれることもあるからね。
親近感というか、不安感というか。

ちーちゃんにはほしいものが
たくさんある。いつも満たされない。
まわりのひとにはあるのに
自分にだけないのはおかしい、と
憤る。悲しむ。だからよく泣きます。

でも、満たされてないのは彼女だけじゃない。むしろ、周りの子のほうが
その思いは強いのかもしれません。
ちーちゃんのように無分別に
泣きわめいたりはしないけど
がまんしてる分うっ積するものが多い。

そんな、自分も耐えてる子が
ちーちゃんに云うのです。
もうすぐ、大人になれる、
そしたらなんでも、ほしいものが
手に入る、って。
それを楽しみにしようって。

私は大人で、ほしいものは
たくさんあるけど、ぜんぶはとても
手に入りません。
というか、ほしいものぜんぶ持ってる、
っていう大人なんかいないんじゃない?

学生時代の友達で、たいそうなお金持ちがいて(親がね)
みんなで、宝くじもし一億あたったら
どうする?!使いきれないね!とか
いってる時に

え?ぜーんぜん足りないんだけど。
だってワインセラー地下に作るのに
いくらでしょ、そこに保管しとく
どこそこのあれとこれとそれ、
買ったらもう無いよねー

ってのたまって、
悪気ないぶんなんかもうどーしよーも
ないなこいつ!って雰囲気になりました。

人の欲は底抜けです。
悪いことばかりでもない。
ほしいものがあるから
なりたい自分があるから
私は今をがんばろうという
気持ちになるんです。

だから、マンガのなかの台詞を
少し読み替えるんなら

大人になれば、ほしいものを
どうやって手に入れたらよいか
探せるようになる
そもそも、じぶんにとって
本当にほしいものは
なんなのか、きちんと
考えられるようになる

それを楽しみに
どうにかがんばって
過酷な中学時代を
生き延びてほしいのです。









真夜中のパン屋さん

2013-01-10 21:31:54 | 読書
いつだったか忘れたくらい前に、ブックオフで買い、
そのままどこかにしまいこみ、最近やっと見つかったので読んだ本

そもそも、買う必要がなかったんじゃないか、と
思いながらページをめくった

装丁といい、文章といい、おそらくは10代ターゲット
なんとなく鼻先で笑いながら読み進めたのに
途中から、ちょっと本気になって読んでしまった

ほとんどの登場人物に共通しているのは
家族との関係が希薄だということだ

深夜営業のパン屋に集まってくるのは
どこかしらひねくれた、ぶっとんだひとたちで
極めつけは高校生の女の子、希実ちゃん

なにしろ、ある朝起きたら、
シングルマザーの母親から置き手紙で
「実はあなたにはハラチガイのお姉ちゃんがいる。
ハハは旅にでるから、明日からはお姉ちゃんと暮らしてね。住所は・・・」
と告げられるのである

希実はじぶんを「カッコウのムスメ」だと思っている
つまりはうんとちいさいときから、ありとあらゆる家庭に預けられて
育っているのだ
他人にじぶんの子を育てさせるという習性は
イキモノとしていかがなものかと思うが、ヤツはそういう鳥なのだ
なので、そんな手紙を見つけても、泣き喚いたり打ちひしがれたりせず
「カッコウの集大成だな」と感心するんである

こどもを産めば、どうしたって、そちらに時間もキモチも体力もとられる
もちろん、かわいいから、ではあるけれど
そうしなきゃこの命は消えちゃうんだ、という強迫観念からでもある
ちゃんと育てなければ、という義務感でもある
時間には限りがあるのだから、
睡眠やメイクやスキンケアやツメを磨いてた時間を
削ってそれらにあてるしかない

だから、今、駅のホームなんかで
完璧なスタイルとファッションとメイクで
ネイルアートてんこ盛りのツメで
ベビーカーを押している女の子を見ると心底驚く
ぎゃんぎゃん泣いているこどもに一瞥もくれず
スマホをいじっていたりする

希実はハハのようにはゼッタイならない、とココロに決め
同じようにだめなハハを持つ小さい男の子が
おかあさんのために、とあれこれするのにいらついている
パン屋のオーナーの「どんなオヤであれ、こどもは、オヤを
好きで好きでしょうがないんだ」という言葉に
幼い日、預け先に迎えにきたハハに喜んで抱きついたことを
思い出す

でも、そうはいっても、
今度じぶんがオヤになったときには、
じぶんがされたようにしかできないのが子育てなんじゃないか
と、心配になる
「育児さくさくアプリ」なんてもん、ないだろうし

そんなわけで、ハハはダメだったが、預け先のパン屋のオーナーと
そこに集まる人たちは、希実をあれこれ気にかけてくれる
よい大人たちである
多少、へんてこだけど

その、気にかけてくれてるあれこれのなかに、
登場するのが「フルーツサンド」



どうやら希実本人も忘れている記憶にまつわる食べ物らしいのだけど
続き(4冊目)が出ないとはっきりしない・・・

分離寸前まで泡立てたクリームを塗ったパンに
いちごとキウイを(本では、みかんも)はさむ

ショートケーキよりは気さくで
ハムサンドよりはおしゃれな
わくわくするサンドイッチ

「こどものおなかをいっぱいにするのは、全大人の務めです」
という台詞、とても好き

通年はらぺこを訴えているムスメに
作って食べさせたら大喜び

3時間4時間かけて作るケーキを食べてるのと
遜色ないウケなのがちょっと不満だが
こんなに喜んでくれるんなら
また作ろうかな
4冊目を読んだら






記憶のねつ造

2012-05-01 21:56:40 | 読書
こどものころ入り浸っていた
近所のちいさな児童図書館で
何度も手に取っては眺めていた本がアル

イラストが毒々しいのと
主人公がイケてないのが
とても印象的だった
好きだったか、と聞かれると
好きじゃなかった
ただ、どうしようもない引力を持っていた

なんとなく、自宅に借り出して持ち帰るのが
はばかられ
館内の片隅でひっそり読んでいた

先日、なにかの拍子にふと思い出し
もう一度読んでみたいと思ったが
タイトルも作者も覚えておらず
断片的ストーリィと、主人公の名前だけが
記憶に残っているのみ

こんなんじゃ探せないよな、と諦め半分で
ネットをふらふらしていたら
連想検索、というサイトに突き当たった

ええい、だめもとだ

「フトシ」「おねしょ」「人形」
単語を3つ並べて 検索ボタンをクリック

・・・・あ。
これだ・・・!!

タイトル「ドコカの国にようこそ!」
作者「大海 赫」

ついで、アマゾンで検索
残念ながら新書はすでに販売されておらず
中古品を注文

こうして、30年以上の空白を経て
再会を果たしたのだった
本の扉を開けるとき、こんなにどきどきするのは
いったいいつ以来のことだろうか

作者の大海さんはとても変わった経歴の持ち主で
ダイガクで心理学を学んだ後
学習塾を営むかたわらイラストレーターの仕事をし
ついでに児童書を書き始めたのだそうだ
わたしが「毒々しい」とこどものころに感じた絵は
今みるととてもスタイリッシュでサイケデリック
特に「吐き気がするほど汚い人形」だと記憶していた
アヤのデザインは、ちょっとパンクっぽいけれど
とてもかっこいい

ストーリィも覚えていたのとだいぶ違うし
もっとも違っていたのはエンディング
(いったいなにを読んでいたのだろう?)

いちばん困ったのは、文章がまったく古びておらず
ノスタルジイにひたる隙もないこと
ただ、不思議だなあ、、、、と
そわそわする思いで読み終えた

こどものわたしが読みたいように読んだストーリィ
それはそれでよかったのだけど
大人になっておなじ本を
まったく違う印象で読むことができるのは
なんだかおもしろくてちょっとだけこわい

のぼうの城

2012-03-09 07:31:58 | 読書
のぼう、とは、でくのぼうの略である。

・木偶の坊

1 人形。あやつり人形。でく。

2 役に立たない人。気のきかない人。人のいいなりになっている人。また、そのような人をののしっていう語。「この―め」

(デジタル大辞泉より)

武州忍(おし)城 成田家の跡取り息子長親(ながちか)は
領民から「のぼう様」と呼ばれている。
それも、めんとむかって、である。

言われた本人は怒るでも嘆くでもなく
えへらえへらとしている。

かわりに怒っているのは友であり腹心でもある男。
言っている領民に対してというよりはむしろ
言われて言われっぱなしの長親に対しての怒りである。
ただでさえいまいましいのに、
城が攻め込まれるという噂が、噂でなくなってきている
この大事なときに・・・
男が声に出さずに罵る「馬鹿」の文字で
ページが埋め尽くされている。

敵は石田三成、差し向けたのは天下の秀吉。
軍勢を比較したって、勝てるわけはない。
城内では降伏路線で話がまとまった、はずが、
のぼう様だけはまとめられてくれなかった。
折悪しく城主が急逝し、いまやあるじとなった彼が
敵も味方もひっくるめ、すべての人を仰天させる
決断を下す。

「戦いまする。」

三成は大喜びする。潰し甲斐のない相手を踏みつけても
面白くもなんともない。
さらには、憧れの秀吉の真似をして
ど派手な演出の戦法を実践してやろう、と思いつく。

応戦の旨を聞かされた領民は怒号するが
決めたのが、われらがのぼう様だと知ると
一転協力体制に入る。
あいつはなんにもできない、おれたちが助けてやらなきゃ。

自分の意思でやろうと決めたことと
ひとに(とりわけ上の立場から)言われてやらなければならないことは
おなじことでも成果がまるで違う。
それを狙ってわざとそう持っていくリーダーもいるが
のぼう様の場合は素で天然である。
彼はこころから領土を愛し、領民の気持ちに寄り添い
一方では武士の誇りを器いっぱいなみなみとたたえている。
なにかを謀ったわけではない、クライマックス以外では。

いかに相手の裏をかくか、いかに相手を騙すか、
野心こそが価値であり生きるたのみだった戦国の時代に
人間の中身で周囲を惹きつけ勝利した長親の
ひとつひとつの台詞、行動になんだかふっと気持ちが緩み
気づけばわたしものぼう様に逢いたくなっていた。



蜩ノ記

2012-02-17 07:02:20 | 読書
ありもしない罪をかぶり
命の期限をきられて過ごすのは
どんなキモチがするものなのだろう
ましてやそれが10年では

読む前にはてっきり
主人公は当の本人だと思っていたのだが
そうではなく
彼が確実に死ぬことを
知り得た主の家の秘密をあの世まで持ってゆくことを
見届けるように言いつけられた男だった

信頼する ということは難しい

そのひとがどんなに自分を思ってくれているか知っていても
そのひとがどんなにまっすぐに生きているかわかっていても
「もしかしたら」というキモチがよぎってしまう

死を命じられた男は
疑われたことをみずからの責任だと考えている
だからこそ黙ってその罪を負う

わたしは妻だし娘だから
男は立派だけれどエゴイストだ と思う
じわりじわりと近づいてくる「その日」まで
ともに暮らすこと そのあと遺されること
家族にとってはたまらない

監視役の男は
その家族や村の住民と過ごすうちに
じぶんの生き方を見出してゆく
終盤クライマックスでは
やりすぎ感も否めないけれど
ひとと出会うことで変わることができる というのは
ニンゲンの特筆すべき美点だと思う

縁(えにし)

この世のすべてのひとと持てるわけではないからこそ
繋がることができたひとの存在が
生きていく支えになる、と
男と罪を一緒にかぶった女が話す

聞かせている相手は完全に間違っているけれど
彼女のこのコトバはわたしは好きだ
感情のままに語れることは素敵だし
隙だらけでかわいらしい

葉室さんの文章は さらさらとした手触りで
でこぼこもなく躓くこともなく読める
情景や空気がすうっと伝わってくるのが心地よい

最終章 蜩の声に父を思い
決意をあらたにするこどもたちの姿に泣けた