先週木曜日(20日)のこと。
学校から帰ってきた息子が、私の顔を見るなりこう言いました。
「おかあさん、きょうね。ぼくのくつに、がびょうが
はいってたんだよ~。あぶないね~」
靴に画鋲?慌てて、息子に問い直します。
「ちびくまくんの靴に画鋲が入ってたの?それ、いつ?
朝学校へ行ったとき?それともお家へ帰ってくるとき?」
「かえるとき~」
「画鋲を見つけたとき、誰か先生と一緒だった?」
「えーとね、F先生~」
「じゃあ、F先生はちびくまくんのお靴に画鋲が入ってたの、知ってる?」
「しってるよ~」
頭の中が真っ白になりました。とりあえず、すぐ障担の携帯にメールします。
「今日、帰宅するなり『今日、僕の靴に画鋲が入ってたんだよ』との
報告、ドキッとしています。本人の言では事情がよくわかりませんが
介助のF先生がその場におられたとのこと、詳しい事情がわかるようでしたら
お知らせください」
しばらくして、障担から返信がありました。
これまで携帯メールを使っていなかった障担、わざわざ自宅へ一度帰って
PCでメールを送ってくれたのです。
息子の靴の両方に1つずつが画鋲が入っていたことと、
その他の子の靴には1個も入っていなかったことが
わかりました。
息子の靴には名前が書いてありますから、誰かと間違えて、と
いうことではないだろうと思いました。
息子を狙って、誰かが画鋲を入れたのです。
障担のメールからは、学校側は交流級の誰かがやったものだろうと
考えていることが読み取れました。
下足箱はクラスごとに位置が決まっていますが、個々の名前はなく、
出席番号順に入れるところが決まっています。他の学年やクラスでは
誰かの靴を探すというのはかなり骨がおれることだからです。
画鋲という凶器を使われていた点からも重大な事件だと考えて
いること、すぐに交流担が交流級の子どもたちに問いかけをするほか、
全校的に対応を検討することも知らされました。
ここに何度も書いているように、これまで、息子の交流級の子どもたちは
もう低学年のころのようにべたべたするわけでも一緒に遊ぶわけでも
ないけれども、息子が困っているときにはさりげなく手助けしてくれたり
息子が頑張ったときにはすかさず褒め言葉をかけてくれたり
とても優しくおおらかに息子の存在を認めてくれていると思っていました。
その中に、息子を痛い目にあわせてやろうと考える子どもがいたことが
私にはとてもショックでした。
「どうして?どうして?息子が何をしたというの?
なんでこんな陰湿な嫌がらせをするの?」
息子は、「靴に画鋲」がどんな意味を持つのか知りません。
「ねえ、おかあさん、どうしてがびょうがはいったのかな~。
がびょうがはいってたらあぶないから、これからは
がびょうがはいらないようにきをつけないとねえ~」
ニコニコしながらのんびりと言う息子がかわいそうで、
涙があふれてとまりませんでした。
学校から帰ってきた息子が、私の顔を見るなりこう言いました。
「おかあさん、きょうね。ぼくのくつに、がびょうが
はいってたんだよ~。あぶないね~」
靴に画鋲?慌てて、息子に問い直します。
「ちびくまくんの靴に画鋲が入ってたの?それ、いつ?
朝学校へ行ったとき?それともお家へ帰ってくるとき?」
「かえるとき~」
「画鋲を見つけたとき、誰か先生と一緒だった?」
「えーとね、F先生~」
「じゃあ、F先生はちびくまくんのお靴に画鋲が入ってたの、知ってる?」
「しってるよ~」
頭の中が真っ白になりました。とりあえず、すぐ障担の携帯にメールします。
「今日、帰宅するなり『今日、僕の靴に画鋲が入ってたんだよ』との
報告、ドキッとしています。本人の言では事情がよくわかりませんが
介助のF先生がその場におられたとのこと、詳しい事情がわかるようでしたら
お知らせください」
しばらくして、障担から返信がありました。
これまで携帯メールを使っていなかった障担、わざわざ自宅へ一度帰って
PCでメールを送ってくれたのです。
息子の靴の両方に1つずつが画鋲が入っていたことと、
その他の子の靴には1個も入っていなかったことが
わかりました。
息子の靴には名前が書いてありますから、誰かと間違えて、と
いうことではないだろうと思いました。
息子を狙って、誰かが画鋲を入れたのです。
障担のメールからは、学校側は交流級の誰かがやったものだろうと
考えていることが読み取れました。
下足箱はクラスごとに位置が決まっていますが、個々の名前はなく、
出席番号順に入れるところが決まっています。他の学年やクラスでは
誰かの靴を探すというのはかなり骨がおれることだからです。
画鋲という凶器を使われていた点からも重大な事件だと考えて
いること、すぐに交流担が交流級の子どもたちに問いかけをするほか、
全校的に対応を検討することも知らされました。
ここに何度も書いているように、これまで、息子の交流級の子どもたちは
もう低学年のころのようにべたべたするわけでも一緒に遊ぶわけでも
ないけれども、息子が困っているときにはさりげなく手助けしてくれたり
息子が頑張ったときにはすかさず褒め言葉をかけてくれたり
とても優しくおおらかに息子の存在を認めてくれていると思っていました。
その中に、息子を痛い目にあわせてやろうと考える子どもがいたことが
私にはとてもショックでした。
「どうして?どうして?息子が何をしたというの?
なんでこんな陰湿な嫌がらせをするの?」
息子は、「靴に画鋲」がどんな意味を持つのか知りません。
「ねえ、おかあさん、どうしてがびょうがはいったのかな~。
がびょうがはいってたらあぶないから、これからは
がびょうがはいらないようにきをつけないとねえ~」
ニコニコしながらのんびりと言う息子がかわいそうで、
涙があふれてとまりませんでした。
その後のちびくまママさんの対応には「さすが!」とうなりました。ちびくまくんは本当に幸せなお子さんですね。そして、そんなちびくまくんを産んだちびくまママさんも幸せですね!
気がついていない息子を抱きしめて、
私も去年、何度も泣きました。
小学校へ入るまでは、そんなこと全くない環境だったので(いつも大人が近くにいた)、
本当に辛かったです。
そんな気持ちなんてあること、知らないままに大きくなるなんて、やっぱり、無理なんでしょうか。
息子も少しはそういうことに気がつき始めています。
ちびくままママさんの気持ちを考えると、
胸が締め付けられる思いです。
2度とこんなことがありませんように。
犯人が反省できるようにきちんと事の意味を考えさせる事は大事な事だと思いますが、直接にちびくま君に悪意が向けられたという事ではないのではないかと思いますし、そう願います。
昔はいじめられっこだった 映也の父
とても危険であるのと同じように
悪意を感じ取れないことは深刻だと思っています。
結果的に攻撃から身をかわすことが難しくなるわけだから。。。
うちの少年も
集団にはいることそのものが「挑戦」なのですが
そういうリスクについては
私はイメージするだけでなかなか実感はできません。
でも、彼自身はもうわかっているみたい。。。