雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

「みとり」の時間と最期の挨拶

2010年05月02日 | 時には泣きたいこともある。
入院から4週目に入った25日の日曜日、帰り際に
「じゃあ、お父さん、私もう帰るね。また水曜日に来るから」と
声をかけたのに対し、父が
「ああ、ご苦労さん、気をつけてな」
と答えたのを最期に、父との会話はできなくなりました。

水曜日に私が再び病室を訪ねたときには、もはや
流動食はおろか水分すらも口にできなくなり、
一日中うつらうつらして、意識がはっきりしないまま
うめいたり、うわごとを言うだけになっていました。

そんなに弱っていてさえ、腕に刺さった点滴や体についた
チューブを気にして、半ば無意識のうちに
むしり取ってしまうので、面会が可能な時間帯はずっと
家族がついていて欲しい、と病院側から申し入れがありました。

最初にお医者さんに言われたよりはだいぶ長くもったけれど、
もう父が半分あちらの世界に行ってしまっていることは
目をそらしようのない現実として私たちの前に突きつけられて
いるのでした。

それなのに、母はその日、さくらもちを持ってきていました。
月曜日に、父の意識が少しの間はっきりしたときに
「おかあさん、ちょっとでいいから、あんこ
 食べさせてください。お願いします」と
言ったのだそうです。

「好きなものなら、食べられるかもしれませんね」
父の大好きな小豆餡を、看護師さんが少しスプーンで
口に入れてくれると、父の表情が変わりました。
「おいしい?」と尋ねると、かすかにではありますが
うなずいて、口元をほころばせました。
「本当に好きなんだね、笑ってるよ」と
みんなで言って笑いました。

ゴールデンウイークに入ると、弟も帰省して毎日病院に
つめてくれるようになりました。連休には私も
実家に泊まって、弟や母と交代で父を見守りました。

5月2日、ずっとうなされていた父が、ふと我にかえったように、
「あんた、やさしいなあ」とつぶやきました。
「あんたって誰?」
「おかあさん」
母が「おかあさん、って私のこと?」と訊くと
「うん、おかあさんはやさしいなあ。ありがとう」と
はっきり口にしました。

「おお、すごい。おとうさん、大サービスやんか」
母と弟と私が大笑いすると、父は満足そうに、
「はい。行ってきます」と行ってかすかに手をふりました。
「はい、行ってらっしゃい、って、どこ行くねん」
その日ものり突っ込みで笑いが起きました。

夕方一度自宅にもどった私のところへ
急変の知らせがあったのは、その夜の11時すぎのことでした。
心臓の機能自体が最も重い状態なので、呼吸が止まっても
蘇生措置はしないことになっていましたから、
もう間に合わないことは私にもわかっていました。

深夜のがら空きの高速を飛ばして病院へ向かいながら
ハンドルを握っている間、不思議に涙は出ませんでした。
ドクターの予言に反してもった1か月のこの時間は
父自身ではなく、父を見送らねばならない私たちに
与えられた「みとり」の時間だったのだろうと思います。

母に最期に「ありがとう」の言葉を残した父の
「行ってきます」はきっと私たちへの
旅立ちの挨拶だったのでしょう。

理屈ではいつかは誰にも来る、とわかっているけれど、
自分と自分の家族にだけには来ないような気がどこかでしていた
私にとって初めての、身近な命の旅立ちでした。