ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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京都~♪大原、三千院♪

2014-07-07 13:32:35 | ぶらり・・・旅
恋に破れるか破れないとか全く無縁な女の二人旅。
7月6日、情緒あふれる大原に行ってまいりました。

今回は「三千院に行きたい!」とゆーN田たっての希望により実現。
オイラも長らく行っていないし、数珠巡礼のお寺の一つでもありますので即OKだった訳けです。

先ずは、平家縁のお寺。寂光院

壇ノ浦で救い出された建礼門院徳子が、仏門に下り、安徳帝と高倉上皇、そして平家の菩提を弔ったお寺です。


創建は古く、推古帝の御代に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝わります。
ちなみに写真は書院の欄干。ちょっとくるくるしてて可愛いのだ。


本堂は平成12年に放火に会い、全焼したのです。
山の動物がセンサーにあまりにも引っかかるので、防犯のセンサーを切っていた時に起きた事件なのだとか。犯人は未逮捕なんだとか。犯人は一体何を考えているんでしょう。許せません。きっと仏様がさとしに行かれていることでしょう。
ちなみに焼ける前の本堂は、豊臣秀頼公の母・淀殿が平家物語を好きだったことから再興された桃山建築だったそうです。扁額にもそう書いてありました。


豊臣秀頼公が寄贈した雪見灯籠。
灯篭の近くに、「花子とアン」で今脚光を浴びている蓮子様(白蓮)のお母様の歌が刻まれた石碑がありました。ちょっとタイムリーな発見(笑)


放火によって枯れてしまった千年姫小松。
徳子がいた時代からある唯一のものだったそうです。あ、あと地面も当時のままって(笑)
後白河法皇が徳子を訪ねてきた折に、この松の辺りを昔話をしながらお二人が歩かれたそうです。


沙羅双樹がぽとぽとと落ちております。
大原の里には沙羅双樹がたくさん植わっているんですね。
盛者必衰の理をあらわしているのでしょうか。


これも秀頼公からの手水鉢。
紫陽花が飾られてて、とても可愛い~♪


徳子がいた庵の跡地。
今は苔むしてひっそりとしております。すぐ横に井戸があるのですが、水は今もこんこんと湧いているそうです。(近くに行っては見れません。残念)
跡地の奥には、焼けたご本尊様が納められたお堂があり、春秋の2回御開帳されるそうです。

一旦寂光院から出て、となりにある徳子の御陵をお参り。


昔は寂光院の敷地内に徳子の陵墓はあったらしいけれど、明治以降宮内庁の管轄となり寂光院とは分離されたんですって。

この時点でオイラ達、のんびり拝観するもんだから、気づけばすでに12時を回っております。
急ぎお昼を予定しているお店へ。

沙羅双樹に見送られながら(笑)



さて、お昼は事前に調べておいた来隣さんへ。
来隣さんは、大原のお野菜をふんだんに使った料理を出してくれるお店なのだ。
N田はアラビアータ(\1,000-)を、オイラは大原プレート(\1,500-)を。


最初に出てきたのは盛り盛りのサラダ。
ズッキーニやかぼちゃを生で食べたのは初めて!
ドレッシングが激ウマでGETしちゃいました(笑)
最初のサラダからボリューム満点。通常のランチについてるサラダの倍以上はあったと思います。


オイラのプレート。
地野菜(ナス・ズッキーニ・豆・ピーマン)と地鶏のソテー、トマトのチーズ焼き、コロッケ、卯の花、万願寺とナスの煮浸し、きゅうりの浅漬け(?)、オムレツ、コーンスープのフワフワ(?)、お漬物、古代米、キャベツのお味噌汁
ものすごいボリュームです!大食いのオイラでも満腹でしたから、多分男性でも満足いくボリュームではないでしょうか。


N田のアラビアータ。
ザックリ大きく切ったパンが二つにトマトとズッキーニとゾーセージのアラビアータもガッツリたくさん盛られています。
大食いのN田でも大満足だったアラビアータも、男性でも満足いくボリュームだと思う。

っちゅーことで、来隣さん、ボリューム満点すぎるので、少食の女性や男性は注文時にちょっと気をつけてくださいませ(笑)

スイーツもあったので、次回はスイーツを食べたいなぁ。


ゆっくりお昼を食べていたら、雨が降りだしてました。

三千院には紫陽花園と苔のお庭があるので、この時期を選んだんです。
雨で足元は悪くとも、苔や紫陽花は情緒万点♪


但し、雨降りだと写メを取らないとうことが判明(苦笑)
そんな訳で、後半の三千院の写真が入口のみなのでありました。

客殿から宸殿までユルユルとお参りし、お薬師さんにもご挨拶♪
で、往生極楽殿へと行ったらば。。。。この日のご説明は終わっちゃってました^^;
15:30までには行かないといけないですね。
オイラは以前に聞いたことがあったので、怪しいオイラの記憶をN田に説明(笑)
勢至菩薩様と観音菩薩様がちょっと腰を上げた前かがみなのはなぜですか?とお坊様に聞くと「よっこいしょのよの姿勢だよ」と、教えてくださいました。
阿弥陀様の光背は江戸時代の作だそうです。
この日仕入れた知識は、仏様はそれぞれの仏様によって、決まった決まりごとを反映して仏師によって作られているけれど、光背は作り手のオリジナルを盛り込むことができるんだそうです。

紫陽花園、金色不動堂、観音堂、石仏(めっちゃお顔が好みでした♪)を経て円融蔵に来る頃には雨はダダ降り状態で・・・。
16:30を過ぎようかという時間だったので、音無の滝を次回に回し帰路に着いたのでした。


オイラ達ってのんびりお参りするもんで、2ヶ寺じかお参りできませんでした(笑)








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