ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

KAIGO.介護 巻の三十九 VS腎機能低下&脱走?タッグ?

2010年08月21日 08時54分56秒 | 介護な日々
2008年11月2日(土)~上旬

ちい兄が父に面会・・・更にまたまたT先生から長い講義・・・。
「基本的に状態に変化はありません。
低レベルでの小康状態を保ってはいますが、回復してきません。
低栄養で腎臓の機能が更に落ちてきています。
そうなると心臓にもよくありません。
(腎機能が低下すると体内の老廃物が排出されない上、
余分な水分も溜まってしまうので胸水や腹水がたまり、
心臓を圧迫してよくないということらしい)
そのために腎機能を上げる薬というのを使っているんですが
目だった効果は表れていません。
この薬はかなり高価な薬で、保険が効くのは月に10日までなんです。
自費になると何10万も掛かってしまう上、
貴重な薬ですので他の患者さんへの公平性を期すためにも、
ひとりの患者さんにばかり使うわけにはいかないんです。
それを、ぎりぎりの月10日分まで入れて、
後は腸内に栄養を送ることを並行したいと思います。
また、膀胱炎も起こしてはりますが、
この原因菌がMRSAだとちょっとやっかいです。
これまで心臓・腎臓・肺・胃と問題があったので
回復力が極端に低下しています。
ですので回復してもおそらく寝たきりになる可能性が高いでしょう。
介助してポータブルトイレに行ければ上出来と言ったところです。
順調に回復したとして、退院は12月中旬になると思います。
低栄養・合併症・感染症を克服するには・・・
・・・・正直、祈るしかないです。」

ドクターとしてはやれるだけのことはやっている。
使える手段はすべて試した。
人事尽くして天命を待つ。

T先生のおっしゃったのは、要するにそういうことでした。

祈るしかない・・・。

祈ってますよ、ずっと。

医者ならぬ身のわれわれに出来る、そしてもっとも大きなことは祈ること。
ある本の受け売りですが・・・

「祈ることしか出来ないのではありません。
私たちは、まだ祈ることができるんです。」


父は声があまり出ませんので、会話は文字盤が中心になりました。
でも、文字盤であっても対話をするうちに元気が出てきて
やがて声も出やすくなってくるのです。
続けて話をしているとだんだん言葉がはっきりして、
そのうちなんとか喋って話が出来る様になってきます。
どんな形であれ、コミュニケーションをとることは大切なのですね。
ですので、ご近所のMさん、ヘルパーKさん、
それから教会の若会長さんらにお見舞いをお願いすることにしました。
・・・嬉しいことに、Kさんは仕事とは関係なく、こちらが声をかけるより前に
ご近所さんとして、ご主人様を伴って来てくださいました。
聞けば母のほうも時々のぞいてくださっているとのこと。
Mさんとも連絡をとって(おうちがほぼお向かいでいらっしゃるので)
みなさんで様子を見てくださっていました。
ご近所の底力、近くの他人とは本当によく言ったものです。
もちろん、ケアマネTさんも退院後の生活についていろいろ考え、
アドバイスをしてくださっています。
本当に、いろいろな方のお世話になっています・・・感謝、感謝!!


2008年11月11日(火)

尿測の袋を見ると・・・う?! 血尿?!
うわあ・・・と思って病院側にお尋ねしましたら
「尿管挿入時の傷なので心配いらない」のお答え・・・。
本人も大丈夫なのか心配していましたが、
そういうことでほっと一安心。
・・・心臓に悪いわ、ホンマ、こっちも・・・。

全身の状態は良くはないけれど、
悪いなりに小康状態を保っているとのことでした。
まだ、絶食のままです・・・。


2008年11月14日(金)

母。




2008年11月15日(土)

ケアマネTさんが面会に行ってくださいました。
一時よりずっと元気な様子で、声も出ていて、
「今回はえらい目におうたわ」と言っていたとか。
ただ、発熱があり、脈も速くてなんと120前後あったそうで・・・。
Tさん曰く、Tさんも心臓の持病があるそうなのですが
120くらいの脈拍数でも、本人は意外にしんどないそうなのです。

そうは言っても・・・

ドクターのおっしゃる「祈るしかない」状況が長く続いています。
危機に陥ることもなければ、ぐっと回復するでもない。
一時のひどく心配な状態は脱したようですが、足踏み状態です。
腎機能も決して良くはないけれど、低レベルで横ばい状態のままでした。


2008年11月20日(木)頃

母はこの少し前、一般病棟から療養病棟に移りました。
違いはよくはわからないのですが・・・↓たぶんこんな感じ?

一般病棟はごく普通の入院治療をする病棟。
療養病棟は、投薬や点滴などの治療などは必要だが
病状が安定期に入っていて、さりとて退院するには不安がある程度の状態・・・
で、療養病棟には介護士さんがいて、
オムツ交換や食事の介助をしてくださいます。
(一般病棟では看護師さんの仕事です)

また、この療養病棟には食堂があり、
少なくとも昼食は他の患者さんも一緒に食べます。
また、レクリエーションの時間やおやつの時間があって、
可能な人は3時にまた食堂に集まっておやつをいただいたり
また、毎月一度お誕生会があって、
男性介護士さんが中心になって歌を歌ったり手足の運動をしたりします。
あくまでこのIC病院での話ですが。

母も療養病棟に移るとこういったいろいろな”イベント”があって
ちょっと楽しくなったようでした。
でも、どうにも母はマイペースというか、認知症のせいかもしれませんが
楽しそうな顔はしているのですが、一緒に歌ったり手を打ったりはほとんどせず、
介護士さんや他の患者さんの様子を観察していろいろ感想を述べたり、
または傍の廊下を通る看護師さんがずっと気になって
レクリエーションには全然気が行ってないこともしばしば・・・。

とにかくマイペースでそれなりに元気、
夜になったらベッドの柵をはずして”脱走”しては
当直の介護士さんを困らせていたようです。
本人には自覚がなかったらしく、翌朝には覚えていない状態。

まあ、脱走は前々から、IC病院でもOS病院でもやってましたが・・・。
足腰がいよいよ衰え、危険度が上がっているため
紐状のもので柵をベッドに固定されてしまいました・・・。
(一応家族の了解が要るそうで、了承のサインをいたしましたが・・・。)


そんなこんなで、それなりに落ち着いたかなという時期があり、
それからまた・・・・
キターーーーー!! T先生からのお電話です~!

・・・今度の相手は何なのよ・・・
コメント
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