ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

MDなあ・・・な日々

2016年09月25日 19時33分02秒 | 徒然雑記&連絡帳
スマホを持たないガラケー派のちゃちゃはウォークマン愛好家でもあります。
それは初代のカセットテープ時代からなのですが・・・
未だにMDウォークマンも現役です。
一時カセットが衰退した際全部MDに落としました。
そしたらMDはスゴイ速さで衰退してしまいましたな、チクショウ。

レコードからの録音は今はたいがいCD化されてるので
欲しいものはCDで買い直しせばまあなんとか、なんですが
困るのはTVやラジオから録音したものですよ・・・
それからCD化されなかったレコードやミュージックテープのもの。
全部MDには落としたのですが、これをCD化するのがとても厄介。

PCに取り込むためのツールは持っていますが
なにしろアナログ音源と言うのは取り込むのに時間がかかる。
CDを取り込むのは元々音源がデジタルだから一枚数分でできるけど
アナログは演奏時間まんまかかります。一時間を取り込むには一時間かかるってこと。

ああ、めんどくさい・・・・。

カセットテープは衰退はしたけど結構生き残りましたよね。
ハードも今でも売ってるし、ファンも多いらしいし。
MDは何だったのよ・・・もう生産していないし売ってへんやん!
こんなことならテープのままおいときゃよかったかも。

もっともCDに焼こうとしたらどのみちPCに取り込むんで
MDのCD化と同じ手間はかかるんやけど。

ジュリーのTVやラジオからの録音がかなりあります。
CD化されてないレコードも結構・・・・・・・

だから未だにMDウォークマンも現役なわけで。
MDCDラジカセも現役なわけで。

まあ、CDはもっぱらPCに取り込んだのを聴いてますが。
PC触りながら聴くことが多いから。

それにしても膨大にあるこのMD達・・・・
少しずつCDに落として行ってますが、まだ100枚はあるなあ・・・

一日一枚焼いても100日か。毎日は無理なので週一で焼いて2年か・・・

間違えてほかしてしもたことにしよかなどと思ってしまう今日この頃。

イヤイヤイヤ!! 結構貴重な物もあるしな~・・・・・

ああ、めんどくさい~~~~~!!

MDなあ・・・・・・・・
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あの頃のKAZZ~セトリあれこれ①

2016年09月22日 14時53分53秒 | KAZZあれやこれや
出たで~! 全国1000万(イミフ)柴山和彦さんフリークの皆様、
お待たせしました・・・・か?(知らん!)

カズさんの、ジュリー以外の人のコンサートセトリもこの際アップしてみようの巻です。

期間としては1985年~1988年ごろですか、ほん短い時間ですが
ジュリーのバックを中抜け(結果的に、ですが)していた時期、
カズさんはどこで何をしていたか??
他のみなさんのライブのバックをつとめてはりました。

前にもチラと紹介しましたが、多くは大沢誉志幸さん。
そして鈴木さえ子さん、松尾清憲さん・・・あたりですね、
ちゃちゃが頑張って行ったライブは。

すでに散逸したものも多いので記録もわずかしかないけれど、
こんなんやってはってんで~、なセトリをご紹介しようかな、と。

手始めはやっぱり大沢誉志幸さんですかね・・・かなり行ったんですけどな・・・
なんか、ほとんど資料が残ってなくて・・・あやつはコンサートパンフもなかったしな。
一応FCにも入ったんですが、その会報ももう手元にござらん。
あればセトリ載ってたんですけどね・・・・

とて、ジュリーと同じく当時のちゃちゃめもがわずかに残っておりますんで
それを元にいたしませう。

てなわけで、初回はやはり自称誉っちゃん(よっちゃん)、大沢誉志幸さんから。


カズさんが大沢さんのバックをしてたのは1983年デビュー当初の
ライブハウスでのミニコンサートの時が最初、
少し間をおいてEXOTICSが活動停止した1984年暮れ~1985年ごろから
1989年ごろまでは確実にやってましたが
ジュリーのバックに復帰した1988年あたりから順次ジュリーサイドにシフトしたみたいで
気がつきゃ大沢くんはいつのまにやら「歌手生活は引退」していた・・・
まあ、その後また復活して最近また歌手活動して、まれにゲストでカズさんも参加してますが。

まずはラジオで放送されたものから。
出典不明ですが、1984年1月15日放送のTBSラジオで
バックバンドというほどではないが演奏したメンバーはその名を「オージンズ」といい
ベース;吉田建、ギター;柴山和彦 ドラム;上原豊
・・・EXOやん・・・・でも後は違う、
キーボード;大村雅朗!! スゴイ人がやってたんだ~! 
名作曲家でしたがなんと46歳で早逝されました。残念すぎる・・・
コンピュータプログラマー;松武秀樹!!! あの富田勲さんの直弟子ともいわれる天才のお一人。
YMOのMは一説にこの人のイニシャルだと言われています。都市伝説だけど。
(ちなみにYは矢野顕子さん、Oは大村・・・雅朗さんではなく憲司さん。
この人も49歳の若さで亡くなりはったな・・・合掌)

とにかく初期のライブのバック、豪華すぎ?!


で、放送されたセトリは以下の通りです。

1.彼女には判らない(Why don’t You know)
これがデビュー曲ですよ。「そして僕は途方に暮れる」ではないよ。
2.ハートブレイク・ノイローゼ
3枚目のシングル
3.I Loved You・・・
2枚目のアルバム「SCOOP」より。
4.Check Please
出典不明
5.サディスティックCafe
ファーストアルバム「まずいリズムでベルが鳴る」より
6.Jokeでシェイク
同上。


その後カズさんが本格的に参戦したのは1985年夏のコンサートツアーから。
題して「ARABLE(アラブル) Ⅲ」から。
ARABLEてのは「荒ぶる神々」的に使われる「荒ぶる」からとったそうです。
大沢くんは決まったバックバンドはなくて、
その都度集まったセッションメンバーにテケトーなバンド名をつけてて
だからメンツもそのたびに若干変わっておりました。
最終的に一番長くいたのは結果的にカズさんだったようです。
セッションバンド名は「MOOCHIE BOOMIE(ムーチーブーミー)」
メンツは単独でバンド活動していた「PINK」のメンバー中心、プラスカズさん。


で、記録のあるのはこの後の1985年冬のライブツアー。
「ARABLE SPECIAL」です。
ちゃちゃの行ったのは1985年12月14日 AT大阪フェスティバルホール。
さっそくセトリアップしませう。

1.e-Escape
2.キッスはそこまで
3.SCOOP
4.レプリカモデル
5.サディスティックCafe
6.I Loved You・・・
7.スロウダンス
8.その気×××(mistake)
4枚目のシングルで資生堂サマーキャンペーンテーマソングでした。
「太陽にほえろ!」のスポンサーだったのでよく聞いたわ~
9.盗まれた週末
10.ウーレイ
11.ガラス越しに消えた夏
ラッツ&スターの鈴木雅之さんに提供した曲。
12.in―Fin―ity
13.ラ・ヴィアンローズ
吉川晃司さんに提供した曲をアコギバージョンで。
14.そして僕は途方に暮れる
5枚目のシングルで大沢くんの代表曲。日清食品カップヌードルCMソングっすね。
15.彼女はfuture-rhythm
16.CONFUSION
17.ジュークボックスは傷ついてる
18.Jokeでシェイク
19.Lady Vanish
20.彼女には判らない(Why don’t You know)

出典は1、2、5、18、20が1STアルバム「まずいリズムでベルが鳴る」

3、6、7、17、が2NDアルバム「SCOOP」

8、10、14、16が3RDアルバム「CONFUSION」

4、9、12、15、19が4THアルバム「in―Fin―ity」

・・・というように、均等に網羅しているという気配りの選曲??

意味不明のタイトルが多いけれど、安心してください、歌詞を見てもイミフですwww

大沢くん曰く「歌詞はメロディーを歌うためのものなので、意味はいらない」んだそうで。
半分くらいは銀色夏生さんの作詞で、後は本人作、作曲は全部本人かな。
そして本人曰く自分はソウル歌手なんだそうな。
確かにめちゃめちゃソウル大好きでしたもんね、大沢くんて。
そしてカズさんも負けず劣らずソウル大好き人間だったことがここで判明した。

セッションメンバーは
ギター;柴山和彦 ベース;メッケンこと荻原基文(もとふみ)
ドラム;伊藤真規 キーボード;コタちゃんこと小滝満
サックス;;ぐっちゃんこと矢口博康 そしてコンピュータ;松武秀樹

セッションバンド名も一応ありました、その名も「ダンドリーズ」・・・なんやそら・・・。
ラメ入りの消防服みたいなロングコート姿のユニフォームで全員おそろだったのを
おぼろげに覚えております。
当時大沢くんは渡辺プロ系の事務所所属でしたので
その辺でジュリーに楽曲を提供し、その縁でカズさんと繋がったみたい。
ナベプロはジュリーの独立もあって社運を吉川晃司さんに全面に賭けてたので
大沢くんの方へはあまり資金提供がなくセルフプロデュース中心だったようです。
だからバンドメンバーも伝手を辿って集めていた様子。
頑張ってたんやね~。FCもほぼ私設応援団みたいな手弁当手作り感アリアリで
でもその分大沢くんやメンバーとファンとの距離は短く
会報にはカズさんの記事がてんこもりてした。ジュリーではありえない近さ!
初期の会報はワープロ打ちの記事をモノクロ印刷して同人誌みたいだったわ。

ちなみにちゃちゃは結構盛んに投稿して、結構載りましたww
イラストや自作のパズルも何回か載ったな~。なんもくれへんかったけど。
文通コーナーにも載ってけもらって、
ネットのない時代、そうやってファン友達を作ったもんでした。
イマドキ文通コーナーなんてありえへんね、個人情報だだ漏れ。
そんなんで悪さする人もいなかった平和な良き時代でしたわ・・・。


おおっとなんか長くなったので今回これまで。

大沢くんセトリはまだあるので次回に続きます。
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ジュリー・ラテライブ・ランダム再生③

2016年09月19日 16時11分50秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
続きまして・・・今回はセトリと言うよりは
こんな歌、コンサートだけでなくラジオテレビでライブでも歌ったのよ、なお話。

時のシングルリリース曲とは別にミニライブコーナー的なアレで
こんなの歌ったのね、的な。の、前半戦、1970年代、井上堯之バンド時代行ってみよっか、的な。

いっちゃん古い記憶としてあるのが金曜日の午後8時にフジテレビ系でやってた
「ゴールデン歌謡速報」という番組。

司会者は若干変動がありましたがよく見ていたのは小林大輔さん、由紀さおりさん、井上順さん3人の時。
順ちゃんがいたのでジュリーにマチャアキさんもしくはムッシュかまやつさんがゲスト出演すると
井上堯之さんがアコギを抱え、ジュリーと順ちゃんともう一人の計4人が座って
GS時代の話やロックの名曲を歌ったりしてました。
そこでよく歌ってた記憶があるのが「朝日のあたる家」ですね。
あと、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」も歌った気がする・・・。
それから「哀しみのアンジー」。これはストーンズですっけ。
当時裏番組が「太陽にほえろ!」で、普段はそっち観てたんですが
ジュリーが出るときはこっち観てました。ビデオがなかった時代だもん。



ミュージックフェア’73では「うつろな愛」という歌を原語のままカバー。
アメリカのシンガーソングラーター、カーリー・サイモンという人の歌だそうな。
ミシェル・ポルナレフの「忘れ路のグローリア」なんかも。

ミュージックフェアは純粋な音楽番組だったので3曲くらいは毎回やりましたね。
同’76ではフランスでリリースした「ELLE」

スタンダードロックナンバー「ルート66」
ドイツでリリースの「WHEN THE LIGHT WENT OUT」などの披露も。
ギャラリーがいないため拍手やざわめきが一切なく、いい音源でした・・・モノラルだけど。
どっかでフランスでリリースした「JULIE LOVE」もやったはず・・・。

同じくミュージックフェア’77では「愛の出帆」や
別の回でオリジナルアレンジによる「SATISFACTION」も。
ローリングストーンズの名曲ですな。この辺は全部原曲まま。
「スピード違反のお嬢さん」という歌も一回歌ってますね。
これって誰の歌だ?? オリジナルっぽいんですが不明。

’78ではユーミンこと松任谷由実さんと共演して
「ダイアナ」「ルイジアナ・ママ」「オーキャロル」「ロックンロールミュージック」をなんとデュエット!
これって結構レア? ミュージックフェアはたいていゲスト二人呼んでたので実現。
今も尚クオリティー高い良質音楽番組ですよね~。
この当時は長門裕之さん&南田洋子さんでしたかしらね・・・。
同年、内田裕也さんとも出演、裕也さんが出てくればもうスタンダードロックンメドレーです。
その前に「グッバイマリア」は時のアルバム「今度は華麗な宴にどうぞ」より。

「I SAW HER STANDING THERE」
「LIES」「MISS YOU」「ジョニー・B・グッド」・・・
裕也さん好みのセトリでしょうか??


あとは番組名不明・・・テレビかラジオかもはっきりしませんが・・・
1973年から78年頃にかけて、いろんな番組でいろんな歌を歌ってました。

1974年ごろ、オリジナル曲でよく歌ったのが「お前は魔法使い」。
スタンドマイクを蹴り上げながら派手なアクションで歌うのがカッケーかった。
これ以来スタンドマイクで歌って欲しいとずっと思ってました。
1977年「勝手にしやがれ」で叶って以降ジュリーと言えばスタンドマイクになりましたね。
それは何と1984年の「渡り鳥はぐれ鳥」でハンドマイクに戻るまで続いた。

同じ頃、どっかの番組で前述通り「ある青春」も結構歌ってました。
めっちゃ泣きの演技を入れてお子様ちゃちゃはすっかり騙された。
ミュージックフェアだったような気はするんですが・・・不明

たまに歌った「ラブ・ソング」はアルバム「JULIE Ⅳ」から自身の作詞作曲。
「GIVE PIECE A CHANCE」はコンサートでもお馴染み。

1975年はコンサート用の楽曲「残された時間」をテレビでもやりました。
セルフカバーと言うべきか75年バージョン「花・太陽・雨」も。
同じく「グッドナイト・ウイーン」も歌ってますが
これでレコード化もされた「比叡山フリーコンサート」では歌詞を間違えていたことが発覚!!

4コーラス目は1コーラス目と同じ歌詞だと思われていたけれど
実は違ったのだよ・・・・。
「朝まで町をフラフラ 行く宛もなくブラブラ
どうしようかとひと言 するとお前がグッバイ、じゃあね~」
・・・てのが正しかったらしい。ありゃりゃん。
それからもう全然出典不明ですが「瞳の面影」も歌ってます。

1978年、これも番組名不明でスンマセン、
ロッド・スチュワートの「胸につのる想い」、これも日本語。


で、79年はと言うと・・・。

何とこの年はミュージックフェアにも出演していないみたいで、
CMソングはそこそこ出してんですが、ミニライブは一部除いて全然でてなかったりした。
「題名のない音楽会」で「OH!ギャル」←時のシングル「 モナリザの微笑」
時のアルバム「思いきり気障な人生」より「ラム酒入りのオレンジ」と
タイトル曲「思いきり気障な人生」を歌ったくらい。

映画「太陽を盗んだ男」で忙しかったとか??


他、NHKの音楽番組「ビッグショー」及び「2人のビッグショー」は
そこそこ長い時間とって数曲歌っておりますので
また改めてアップしたいと思ひます。



てなところで今回はこれまで・・・お粗末~!!






コメント (4)
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ジュリー・ラテライブ・ランダム再生②

2016年09月18日 16時12分38秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
例によってお久しぶりなジュリーのセトリ紹介、ラジオテレビバージョンです。
今回は懐かしのFMラジオ番組でのスタジオライブのお話をば。

かつてFM東京―FM大阪の番組に「パイオニア・サウンドアプローチ」というのがありました。
ひと月単位でゲスト=マンスリーゲストを呼んでライブとトークを展開するというメニュー。
ゲストにより4週間の構成はいろいろでしたが
ジュリーがマンスリーゲストで出演した際は1・2週目にスタジオライブ、
3・4周目はジュリーゆかりのゲストを呼んでのトークバラエティーでした。

放送されたのは1977年4月。
すなわち4月3日と10日がライブで17日と24日がトーク。
記憶があやふやですが、17日はゲストが加瀬さんと井上さんでした。多分。
当時加瀬さん(加瀬さんの奥さんだったかも)は何故かお好み焼き屋を経営していて
そのお店で何故かジュリーがお好み焼きを焼き、二人が食べながら、いろんな話を展開すると言うノリで
しかもジュリー本人は焼く方に専念していてほとんど喋らなかったと言う・・・。
24日は加瀬さん始めいろんな人がゲストだったみたいですが詳細は今となっては不明。
調べたら『「鳥元」にて』という記録が見つかりました。焼き鳥屋かな?

いずれも記憶違いが結構ありそうな気がします。間違ってたらごめん。


では、その1・2週目のセトリを挙げてみたいと思います・・・

まず4月3日。

1.MY LOVE IS YOUR LOVE
この頃ライブでよく歌われていたナンバー・・・けどのっけから解説難易度タケーの来た。
当時ファンであった人ならお馴染みのナンバーなんですが
出典不明・・・ググればオリジナルは「ホイットニーヒューストン」との記述がありますが
これは間違いですね。彼女の同名の歌とは全く別物です。だいたいそれ、1990年代やし。
1977年の冬に発売された5枚組LP「沢田研二 大全集」には
1976年12月23日公演・武道館でのライブ録音が収録されまして

その後1984年シングル「AMAPOLA」の4曲入りミュージックテープが出た折
スタジオ録音盤が収録されてた・・・ような気がする。
ファンとしてはお馴染みなのに正体がわからないという謎の名曲。
2.ママとドキドキ
1975年発売のアルバム「JUWEL JULIE」から。

ジュリーの作詞・大野さんの作曲でした。マザコンの歌??
3.時の過ぎゆくままに
今更言うことナシ!
4.片腕の賭博師
これは珍しい選曲です。1976年リリース「チャコールグレイの肖像」から。

これはすべてジュリーが作曲したアルバムで歌詞はいろんな人が書いてますが、
中でもこれは珍品?? なんと荒木一郎さんの作詞です!
荒木さんと言えば1975年のドラマ「悪魔のようなあいつ」で共演してて、その縁なのでしょう。
言わずと知れたシンガーソングライターのハシリで俳優(文学座!)で著述家で・・・と非常に多彩な方です。
♪そらに~ほしが~ある~よ~うに~
5.さよならをいう気もない
時のシングルリリース曲。この後が一世風靡の「勝手にしやがれ」だから
地味な印象があるけど・・・。うん、地味な歌でしたね。でも結構好きな人も多い。

6.悪夢
また難易度タッケーの来たよ・・・。ナンダコレ。
おそらくフランスの人気歌手、ミシェル・サルドゥのカバー
彼女が浮気する夢(悪夢)にうなされていたところその彼女に起こされ
彼女を愛する気持ちに気づいた・・・てな内容の歌。ナンダソレ。
ミシェルの楽曲はかなり多い上、ジュリーが歌う時は
原曲と違うタイトルや歌詞をつけているので、どれが原曲かわかりません。
7.愛の出帆
これはもうお馴染みの曲。お馴染み過ぎてアレ、オリジナルなんだっけ?
あ、紹介したことなかった!! なんと・・・お馴染みだと思って端折ってました、失礼。
原曲は「恋のやまい LA MARADIE D’AMOUR」といい
やはりミシェル・サルドゥーのカバーです。訳詞は竜真知子さん。
8.ある青春
これもライブではリリース当時しか歌われなかったけど名曲ですよ。
何度か登場しましたが1973年「JULIE Ⅵ」から

山上路夫さん作詞、森田公一さん作曲のアルバムタイトル曲。
なかなかに渋い選曲でしたね~。

というところで、3日はこれまで。では続いて10日のセトリをご紹介。

1.WHEN THE LINGHT WENT OUT
イギリスでリリースしたシングル、「愛の逃亡者 THE FUGITEIVE」
(イギリスでのタイトルは「FUGITIVE KIND」)に次ぐ2枚目のシングル。
フランスでは7枚ほどシングル出たんですが、イギリスではこれでおしまいだった。
結構好きですけどね。当初別の曲でいくつもりだったみたいですが
結局それはドイツ(当時は西ドイツ)での1枚目のそれもB面になった。オトナの事情?
余談ですが、ドイツの3枚目のシングルのB面は「勝手にしやがれ」の英語版でした!
タイトルは「ONE MAN AND A BAND」一人の男とバンド・・・????
サビラストの「でていってくれ~」のところが「ワンマンアンダバア~ン」となる
・・てゆうことだけ覚えてるわ。あああ~あああ~あああ あ~あ~あああ~
2.ロ・メロメロ
これも1976年リリース「チャコールグレイの肖像」から。
このスタジオライブではアレンジを変えての登場。
3.コバルトの季節の中で
もう何度も紹介しましたね、1976年リリースのシングル曲です。
4.危険なふたり
同じく~。1973年のビッグヒット。
5.夜汽車の中で
原曲はやっぱしミシェル・サルドゥの「告発 JACUUSE」という歌。
夜汽車の中でふと思う、自分はこれからも歌い続けるんだと
うたた寝をしていたら夢の中でも歌っていた、てな内容。たぶん竜真知子さん訳詞。
ジュリーはミシェル・サルドゥやジョニーアリディの歌をたくさんカバーしていますが
そして懇意にしている作詞家にフランス語バイリンガルの安井かずみさんがいましたが
何故か訳詞は安井さんではなく竜さんの方が多いのですな。
てか、ミシェルやアリディは全部竜さんだったと思います。
そしてフランスで発売した「巴里にひとり」の日本語版は山上路夫さんの訳。
まあ、訳詞と言ってもゼンブ原曲とは全然内容が違ったりしてるんですが、どれも。
6.暁のレクイエム
これもミシェル・サルドゥ。だからきっと竜さんの訳詞だろう・・・多分。
7.いくつかの場面。
これももはや言うことなしでしょ。以前の記事もご参照ください。


以上でっす。そんなこんなで今回これまで。
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昭和な朝顔とウルトラセブンの「狙われた街」

2016年09月12日 17時24分38秒 | 徒然雑記&連絡帳
旧友の奥さんでありフェイスブック友達でもあるMeiさんと言う方に
朝顔のタネをしこたま頂戴しました。

咲いた、咲いた、朝顔の花が~

遅咲きで、8月中はチラホラだったのが
このところ一斉開花!!



にしても、なんと昭和っぽい光景ではないかと思う。

うちの家は築最低でも60年、ヘタすりゃ80年は超えるであろう年代物。

改築部分があるのでキッチンや部屋は洋室もあったりするけど
おおむね古い日本家屋です。
床の間あり違い棚あり天袋ありの書院造、もちろん濡れ縁あり
ちょうどキンチョー虫コナーズのCMみたいな家。

だからこの裏口あたりの光景もめちゃ昭和。

朝顔は小振りで青い色一色。
日が当たるとだんだん赤くなり、しぼみ始める昼頃には紫色に変わります。

朝顔と言えば子どもの頃色水作ったりしませんでしたか?
何に使うとかそういうのないんだけど。


これは別の場所に植えた物。

後ろのトタンの波板塀が何とも古めかしい。
家ごと博物館に入れたいような昭和の原風景な家です。

そして物干し台から見下ろした朝顔の乱れ咲き。


昭和っぽい風景、特に空を含んだ昭和っぽい景色を見ると
何故かいつも「ウルトラセブン」の「狙われた街」を思い出す・・・・

傑作と言われたウルトラセブンの中でも最高傑作と呼ばれる回です。
名作ぞろいの実相寺昭雄監督作品の中でも際立って素晴らしい秀作。

未見の方はぜひDVD借りて見てください!!!!

その中で最も印象深くて好きなシーンがこれです。

怪しい人物を追ってモロボシ・ダンがアパートへ入って行く、
連絡係として外に残ったアンヌ隊員をローアングルからカメラがとらえ、
そのバックに昭和の風景が空とともに映り込む。
BGM代わりに流れるプロ野球中継のラジオ放送・・・

コアすぎて画像は見つかりませんわ><;



この後は語り草になっている最も有名なあのシーンです。
メトロン星人とダンが畳の部屋でちゃぶ台を挟んで論戦を交わす!


地球人は信頼しあっている、これが地球征服のカギだと考えたメトロン星人は
地球人同士の信頼を壊して互いに攻撃しあうよう仕向け
自滅に追い込もうとしているとダンに話します。

ラストシーンでのナレーションも有名です。

「メトロン星人の地球侵略計画はこうして終わったのです。
人間同士の信頼感を利用するとは恐るべき宇宙人です。
でもご安心下さい、このお話は遠い遠い未来の物語なのです…。
え、何故ですって?…我々人類は今、宇宙人に狙われるほど、お互いを信頼してはいませんから…」

・・・・うーむ。深い。

でも実際はウルトラセブンで語られたこの頃より、今の方がよほど信じ合っていませんよね・・・。



とにかく・・・こんな昭和の原風景を見るたびに
野球中継の流れる中、佇むアンヌを思い出すちゃちゃであります。ナンヤソラ。
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