KAZZさん衣装シリーズもあとわずか。
結構描くの大変だったけどアップするとすぐやなあ~・・・
とて、1983年の続きは「きめてやる今夜」です。
略称「きめコン」。
ジュリーのセトリ話の巻でも書きましたが
もともとこの歌はジュリーが内田裕也さんに書いたもの。
それをこの年ケンさんが曲を書き直してリリースしたのでしたが、
折しもジュリーは1984年のNHK大河ドラマに出演することに。
この大河ドラマとは、ずっと時代劇だった大河では初の現代劇。
タイトルは「山河燃ゆ」で原作は山崎豊子さんの「二つの祖国」。
昭和前半から終戦時に掛けての戦争の時代の、日系米国人二世が主人公の物語。
主役は松本幸四郎さんで、ジュリーはその学生時代からの友人役でした。
アメリカのハイスクール時代から物語がスタートするため
話の初めの方は”一応”高校生の設定で・・・・
前回の記事じゃないけどIVYルックでスポーツ刈りつかGI刈り?的な
ジュリーが登場して・・・当時の評判は・・・
今の言葉で言えば「あのジュリー達のハイスクール生はかなりイタイ」と
相当芳しくなかったものがありました。
せらせやで~、いくら何でも35歳にハイスクールはないわ。
バックトゥザフューチャーⅢのマイケルはいささかの無理で済んでたけど
ジュリーのこれはいささかやない。これはマジでなかったわ~。
ハイスクール時代は描かれる時間も短いんやから
なんとなく雰囲気の似てる若い俳優さんにさしたらええやん?
そして面長のジュリーに刈り上げは似合わんぞ。
そして・・・何でカズさんまで刈り上げなならんのや??
そうですよ、別に言われたわけではないと思うけど(確証はない)
何故にカズさんまで刈り上げやってたのだろう?
というわけで。
当時萩本欽一さんの「欽ちゃんのドコまでやるの」
略称「欽ドコ」という番組がありまして。
それにジュリーがゲスト出演した時、
ステージに上がって来たEXOTICSの面々に
欽ちゃん達レギュラーメンバーが軽くインタビューする場面があったのですが
欽ちゃん、カズさんを見て一言「うわ~!! とんがらし!!」
このカットはその時の照れ笑いをしているカズさんです。
そして年またぎの曲が「どん底」。
ゴーリキーの著名な戯曲「どん底」とは全く関係ないですが・・・。
関係ないけど読んだわ、関係ないけど。
ジュリーが言うには、
このところずっと一等賞とってへん、と。
このちょっと前にも「慣れたらあかんぞ!
みんな慣れたらあかんぞ、一等賞取らへんの慣れたらあかんからね!」などと
いつもながら一等賞取ることにすごく執着心持ってたけど
ましてやこの頃、ベストテンにも入らなくなってました。
TBS「ザ・ベストテン」は、1982年の秋、
「背中まで45分」で8位くらいまで行ったのを最後に
ランクインしなくなって1年余。
焦りもあったのでしょうが、この「どん底」リリースで
「開き直りやね、どん底を楽しもうという歌です」と
開き直りからの起死回生を目指していたみたいでした。
偶然なのか裏事情があったのかは定かではないし
今更どうっちゅうこともないんですが
その1982年夏ごろ、渡辺プロダクションは
吉川晃司さんを華々しくデビューさせ、彼を主力タレントに位置付けて
全面的に売りだしを図りました。
まあ、今現在も吉川晃司といえばビッグタレントですから
その才を見込んだのは正解だったと思いますが
まさに全精力をつぎ込む目論見があったのかどうか
ジュリーのチーフマネジャー初め主力級のスタッフがその時みな吉川サイドに移ったのですね。
また、ジュリー自身はその後の独立を目指してたためなのかどうか
その頃からセルフプロデュースし始めたということだった・・・らしい。
とにかく表に見える部分から言えば
セルフプロデュースし始めたその頃から売れなくなってしまったという状況でした。
売れない原因がどこにあったかはようわかりません。
プロデュースの方法が下手だったのか根回しができなかったのか
逆に誰かが意図的に邪魔をしたのか(そんなことはなかったと思いたいけど)
・・・・それともホンマにつまらんのでウケへんかっただけなのか
まあ、とにかく「売れへん」という現実があったわけです。
で、「どん底」と・・・。
KAZZさんの衣装話がとんだ暗い事情話になりましたが
ともかくその「どん底」の衣装です。
市松、チェックに見えるけどチェックではない。
片方の襟だけが真っピンクなのはすべてそこスパンコール。
実は別にこのジャケットと同じ柄のズボンがあって
当初はその上下同じ派手なチェックっぽいスーツを着ていたのですが
よく見るとその上下同柄のスーツの時はこれとは違う方の襟がスパンコール。
つまりよく似てるけど違うセットの衣装が2着あったということです。細か!!
1984年の2月を過ぎて突然ギターのやっさんこと安田尚哉さんが抜けまして
EXOTICSは4人になってしまいました。
これって・・・・案外知られてないんですかね?
もちろんずっとファンの方はご存知でしょうが
後追いFANの方はひょっとしてあまりご存知ない?
抜けた理由は不明です。ジュリーはひとことも触れなかったと思うし、
当時のFCの会報にも事実の報告さえ一切載ってなかったと思います。
少なくとも私は何も知り得ませんでした。
で・・・・説明が長い、すんまへんな~
何の話になるかというと、
やっさんはこの曲の時、カズさんと同じようなチェックっぽい柄の、
ただしピンクではなく白いラメ系のジャケットに
下は黒い細身のズボン姿だったのですが
そのやっさんがやめてから、カズさんの衣装は上下チェックっぽいスーツと
カットのような下は黒い細身のズボンと着分けるようになったと、
それが言いたかった。
しょうむないことに観察眼を光らせたちゃちゃであった。
ヒマ人か。
結構描くの大変だったけどアップするとすぐやなあ~・・・
とて、1983年の続きは「きめてやる今夜」です。
略称「きめコン」。
ジュリーのセトリ話の巻でも書きましたが
もともとこの歌はジュリーが内田裕也さんに書いたもの。
それをこの年ケンさんが曲を書き直してリリースしたのでしたが、
折しもジュリーは1984年のNHK大河ドラマに出演することに。
この大河ドラマとは、ずっと時代劇だった大河では初の現代劇。
タイトルは「山河燃ゆ」で原作は山崎豊子さんの「二つの祖国」。
昭和前半から終戦時に掛けての戦争の時代の、日系米国人二世が主人公の物語。
主役は松本幸四郎さんで、ジュリーはその学生時代からの友人役でした。
アメリカのハイスクール時代から物語がスタートするため
話の初めの方は”一応”高校生の設定で・・・・
前回の記事じゃないけどIVYルックでスポーツ刈りつかGI刈り?的な
ジュリーが登場して・・・当時の評判は・・・
今の言葉で言えば「あのジュリー達のハイスクール生はかなりイタイ」と
相当芳しくなかったものがありました。
せらせやで~、いくら何でも35歳にハイスクールはないわ。
バックトゥザフューチャーⅢのマイケルはいささかの無理で済んでたけど
ジュリーのこれはいささかやない。これはマジでなかったわ~。
ハイスクール時代は描かれる時間も短いんやから
なんとなく雰囲気の似てる若い俳優さんにさしたらええやん?
そして面長のジュリーに刈り上げは似合わんぞ。
そして・・・何でカズさんまで刈り上げなならんのや??
そうですよ、別に言われたわけではないと思うけど(確証はない)
何故にカズさんまで刈り上げやってたのだろう?
というわけで。
当時萩本欽一さんの「欽ちゃんのドコまでやるの」
略称「欽ドコ」という番組がありまして。
それにジュリーがゲスト出演した時、
ステージに上がって来たEXOTICSの面々に
欽ちゃん達レギュラーメンバーが軽くインタビューする場面があったのですが
欽ちゃん、カズさんを見て一言「うわ~!! とんがらし!!」
このカットはその時の照れ笑いをしているカズさんです。
そして年またぎの曲が「どん底」。
ゴーリキーの著名な戯曲「どん底」とは全く関係ないですが・・・。
関係ないけど読んだわ、関係ないけど。
ジュリーが言うには、
このところずっと一等賞とってへん、と。
このちょっと前にも「慣れたらあかんぞ!
みんな慣れたらあかんぞ、一等賞取らへんの慣れたらあかんからね!」などと
いつもながら一等賞取ることにすごく執着心持ってたけど
ましてやこの頃、ベストテンにも入らなくなってました。
TBS「ザ・ベストテン」は、1982年の秋、
「背中まで45分」で8位くらいまで行ったのを最後に
ランクインしなくなって1年余。
焦りもあったのでしょうが、この「どん底」リリースで
「開き直りやね、どん底を楽しもうという歌です」と
開き直りからの起死回生を目指していたみたいでした。
偶然なのか裏事情があったのかは定かではないし
今更どうっちゅうこともないんですが
その1982年夏ごろ、渡辺プロダクションは
吉川晃司さんを華々しくデビューさせ、彼を主力タレントに位置付けて
全面的に売りだしを図りました。
まあ、今現在も吉川晃司といえばビッグタレントですから
その才を見込んだのは正解だったと思いますが
まさに全精力をつぎ込む目論見があったのかどうか
ジュリーのチーフマネジャー初め主力級のスタッフがその時みな吉川サイドに移ったのですね。
また、ジュリー自身はその後の独立を目指してたためなのかどうか
その頃からセルフプロデュースし始めたということだった・・・らしい。
とにかく表に見える部分から言えば
セルフプロデュースし始めたその頃から売れなくなってしまったという状況でした。
売れない原因がどこにあったかはようわかりません。
プロデュースの方法が下手だったのか根回しができなかったのか
逆に誰かが意図的に邪魔をしたのか(そんなことはなかったと思いたいけど)
・・・・それともホンマにつまらんのでウケへんかっただけなのか
まあ、とにかく「売れへん」という現実があったわけです。
で、「どん底」と・・・。
KAZZさんの衣装話がとんだ暗い事情話になりましたが
ともかくその「どん底」の衣装です。
市松、チェックに見えるけどチェックではない。
片方の襟だけが真っピンクなのはすべてそこスパンコール。
実は別にこのジャケットと同じ柄のズボンがあって
当初はその上下同じ派手なチェックっぽいスーツを着ていたのですが
よく見るとその上下同柄のスーツの時はこれとは違う方の襟がスパンコール。
つまりよく似てるけど違うセットの衣装が2着あったということです。細か!!
1984年の2月を過ぎて突然ギターのやっさんこと安田尚哉さんが抜けまして
EXOTICSは4人になってしまいました。
これって・・・・案外知られてないんですかね?
もちろんずっとファンの方はご存知でしょうが
後追いFANの方はひょっとしてあまりご存知ない?
抜けた理由は不明です。ジュリーはひとことも触れなかったと思うし、
当時のFCの会報にも事実の報告さえ一切載ってなかったと思います。
少なくとも私は何も知り得ませんでした。
で・・・・説明が長い、すんまへんな~
何の話になるかというと、
やっさんはこの曲の時、カズさんと同じようなチェックっぽい柄の、
ただしピンクではなく白いラメ系のジャケットに
下は黒い細身のズボン姿だったのですが
そのやっさんがやめてから、カズさんの衣装は上下チェックっぽいスーツと
カットのような下は黒い細身のズボンと着分けるようになったと、
それが言いたかった。
しょうむないことに観察眼を光らせたちゃちゃであった。
ヒマ人か。