ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

KAZZ in ファッションショー⑧

2016年01月25日 06時06分35秒 | KAZZあれやこれや
KAZZさん衣装シリーズもあとわずか。
結構描くの大変だったけどアップするとすぐやなあ~・・・

とて、1983年の続きは「きめてやる今夜」です。
略称「きめコン」。

ジュリーのセトリ話の巻でも書きましたが
もともとこの歌はジュリーが内田裕也さんに書いたもの。
それをこの年ケンさんが曲を書き直してリリースしたのでしたが、
折しもジュリーは1984年のNHK大河ドラマに出演することに。

この大河ドラマとは、ずっと時代劇だった大河では初の現代劇。
タイトルは「山河燃ゆ」で原作は山崎豊子さんの「二つの祖国」。
昭和前半から終戦時に掛けての戦争の時代の、日系米国人二世が主人公の物語。
主役は松本幸四郎さんで、ジュリーはその学生時代からの友人役でした。
アメリカのハイスクール時代から物語がスタートするため
話の初めの方は”一応”高校生の設定で・・・・
前回の記事じゃないけどIVYルックでスポーツ刈りつかGI刈り?的な
ジュリーが登場して・・・当時の評判は・・・
今の言葉で言えば「あのジュリー達のハイスクール生はかなりイタイ」と
相当芳しくなかったものがありました。
せらせやで~、いくら何でも35歳にハイスクールはないわ。
バックトゥザフューチャーⅢのマイケルはいささかの無理で済んでたけど
ジュリーのこれはいささかやない。これはマジでなかったわ~。
ハイスクール時代は描かれる時間も短いんやから
なんとなく雰囲気の似てる若い俳優さんにさしたらええやん?
そして面長のジュリーに刈り上げは似合わんぞ。

そして・・・何でカズさんまで刈り上げなならんのや??

そうですよ、別に言われたわけではないと思うけど(確証はない)
何故にカズさんまで刈り上げやってたのだろう?

というわけで。




当時萩本欽一さんの「欽ちゃんのドコまでやるの」
略称「欽ドコ」という番組がありまして。
それにジュリーがゲスト出演した時、
ステージに上がって来たEXOTICSの面々に
欽ちゃん達レギュラーメンバーが軽くインタビューする場面があったのですが
欽ちゃん、カズさんを見て一言「うわ~!! とんがらし!!」

このカットはその時の照れ笑いをしているカズさんです。

そして年またぎの曲が「どん底」。
ゴーリキーの著名な戯曲「どん底」とは全く関係ないですが・・・。

関係ないけど読んだわ、関係ないけど。

ジュリーが言うには、
このところずっと一等賞とってへん、と。
このちょっと前にも「慣れたらあかんぞ!
みんな慣れたらあかんぞ、一等賞取らへんの慣れたらあかんからね!」などと
いつもながら一等賞取ることにすごく執着心持ってたけど
ましてやこの頃、ベストテンにも入らなくなってました。
TBS「ザ・ベストテン」は、1982年の秋、
「背中まで45分」で8位くらいまで行ったのを最後に
ランクインしなくなって1年余。
焦りもあったのでしょうが、この「どん底」リリースで
「開き直りやね、どん底を楽しもうという歌です」と
開き直りからの起死回生を目指していたみたいでした。

偶然なのか裏事情があったのかは定かではないし
今更どうっちゅうこともないんですが
その1982年夏ごろ、渡辺プロダクションは
吉川晃司さんを華々しくデビューさせ、彼を主力タレントに位置付けて
全面的に売りだしを図りました。
まあ、今現在も吉川晃司といえばビッグタレントですから
その才を見込んだのは正解だったと思いますが
まさに全精力をつぎ込む目論見があったのかどうか
ジュリーのチーフマネジャー初め主力級のスタッフがその時みな吉川サイドに移ったのですね。
また、ジュリー自身はその後の独立を目指してたためなのかどうか
その頃からセルフプロデュースし始めたということだった・・・らしい。
とにかく表に見える部分から言えば
セルフプロデュースし始めたその頃から売れなくなってしまったという状況でした。
売れない原因がどこにあったかはようわかりません。
プロデュースの方法が下手だったのか根回しができなかったのか
逆に誰かが意図的に邪魔をしたのか(そんなことはなかったと思いたいけど)
・・・・それともホンマにつまらんのでウケへんかっただけなのか

まあ、とにかく「売れへん」という現実があったわけです。

で、「どん底」と・・・。

KAZZさんの衣装話がとんだ暗い事情話になりましたが
ともかくその「どん底」の衣装です。

市松、チェックに見えるけどチェックではない。
片方の襟だけが真っピンクなのはすべてそこスパンコール。

実は別にこのジャケットと同じ柄のズボンがあって
当初はその上下同じ派手なチェックっぽいスーツを着ていたのですが
よく見るとその上下同柄のスーツの時はこれとは違う方の襟がスパンコール。
つまりよく似てるけど違うセットの衣装が2着あったということです。細か!!


1984年の2月を過ぎて突然ギターのやっさんこと安田尚哉さんが抜けまして
EXOTICSは4人になってしまいました。
これって・・・・案外知られてないんですかね?
もちろんずっとファンの方はご存知でしょうが
後追いFANの方はひょっとしてあまりご存知ない?

抜けた理由は不明です。ジュリーはひとことも触れなかったと思うし、
当時のFCの会報にも事実の報告さえ一切載ってなかったと思います。
少なくとも私は何も知り得ませんでした。

で・・・・説明が長い、すんまへんな~

何の話になるかというと、
やっさんはこの曲の時、カズさんと同じようなチェックっぽい柄の、
ただしピンクではなく白いラメ系のジャケットに
下は黒い細身のズボン姿だったのですが
そのやっさんがやめてから、カズさんの衣装は上下チェックっぽいスーツと
カットのような下は黒い細身のズボンと着分けるようになったと、
それが言いたかった。

しょうむないことに観察眼を光らせたちゃちゃであった。
ヒマ人か。
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カチコチな日々

2016年01月24日 14時00分43秒 | 徒然雑記&連絡帳
数年ぶり、数十年ぶり?の寒波が押し寄せる昨今、
凍りつくような寒い日々、カチコチでありますね。

例によって肩も首も凝りに凝りまくってカチコチです。
イヤイヤ、ここは寒さもあってか更にガッチガチで・・・・
でも指先の動きがもたもたしてしまうのは寒さのせいだけではない。
凝りのせいだけでもない。

これは・・・・トシか・・!!!!

指の動きどころか体全体がもたもたもたついて、
筋力が落ちまくっているせいでしょうか、凝りがより酷いのは。

もう、荷物は重たいし階段はしんどいし、
高いところに手が伸びないし、ちょっと高いところから飛び降りるなんてとんでもない!
もはや50センチほどの高さからでも飛び降りると衝撃がモロに響きます。

これは・・・・やばい。


その上、キモチもカチンコチン。。。。。。


最近少しずつ仕事が増えて・・・ある意味喜ばしいことではあるはずなんですが
当然目や肩や気分的に負担が増えます。
も~、トシやねんからあまりあれこれやらしたらいかんぜよ。

若い頃のような機動力や瞬発力はありませんわ、正直。

増してや専業主婦歴の長かった人間に
ずっと会社勤め数十年続けてきた人と同じスペックを求めても
そりゃ無理ってもんでさあ。キャリアちゃうやん。
ブランクのある人間と同じなら逆にその人のキャリアは何なのだよ。て、なりません?

「イマドキ仕事に年は関係ありませんよ」
て、イヤイヤイヤ・・・・体力や気力は明らかに関係ありますよ。
九重親方の引退時の名言
「体力の限界、気力も衰え・・・」
あれだけの偉業をなした方でもそうなんですよね。ましてや。

根性論をこのトシの人間に突きつけるのはきつすぎるっしょ。

自分のことだけやってればすむ若いもんとは違うのよ~。
家族背負ってるなら余計頑張らなあかんやろ、て? それはそうだが
だからって仕事一辺倒で家庭を支える昭和のお父さんと同じにはできない。
家計すべてをも背負うお母さんは物理的に会社人間にはなれないのだよ~。

でも、やれと言われたら断らずとにかくやってみます
頼まれたらとりあえず引き受けます、できる限り頑張ってます
いろんなこと引き受けてるうちにやればできるもんやな
できるようになったこと増えたな、とか思って自信が出てきたかなとか思ったら
・・・・そしたら「仕事に追われている、それではいけない」とか
「言われたことをやってるだけ、自分からもっと進んでやれ」とか
「目の前のことしかできていない」とかいろんなダメだしを喰らった。

何よ、もう~・・・もはや叱咤でやる気出るほど若くないわ~。

デキル人の欠点・・・頑張ってもできない人や失敗する人の気持ちがわからない。
それは全部気持ちが入ってないとか覚悟が足りないとかの精神論で片付けようとする。
デキナイ人すべてが怠け者なわけじゃないのに。
もちろんデキルに越したことはないし、できないままでいいとは申しません。
だけど極端な成果論の行き着く先は人に全然優しくない。

ストレスのたまる社会はストレスを要求し、受けたストレスを次は他人に要求する。
分かっていてもこの悪循環を断てない日本はストレスのスパイラルにいます。

とか考え始めるとますますカチコチになって行くので
ていうか、考えても仕方のない部分が大半を占めるので
ちょっと頭の隅に置いとくのは置いといて

イヤ、捨ててもええのか、そんなもん。

・・・・なんしかちょっとゲンナリしております。

とにかくますます寒い日が続きそうです。
みなさんもカチコチには気をつけましょう。

それにしてもさぶいわ~~~~~


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KAZZ in ファッションショー⑦

2016年01月06日 06時16分09秒 | KAZZあれやこれや
リリース曲に合わせてのコスチューム紹介はちょっと置いて
1983年放送されたTBS「沢田研二ショー」に出演した時の
コスチュームとまいりましょう。

沢田研二ショーについては別に記事を上げていますので詳細はコチラでご確認あれ。
第1回目
第2回目
第3回目
第4回目
第5回目

EXOTICSもちょいちょい出演してまして
それも演奏だけじゃなくドラマ出演とかもありました。

その中でまずはこれ。


つーん。

これは第13回&14回・・・ミュージシャンズドラマ「愛と拳銃のロッカバラード」前・後編
役どころはジュリー扮する主人公のへっぽこ刑事・東(あずま)刑事の後輩5人組。
後編の前回ストーリーダイジェストの中では
東刑事のモノローグで「後輩には追い抜かれ」と言われているので
優秀かと思いきや・・・結構そうでもなかったりする。
雨が降ってきて傘がないという理由で5人でサウナに行ったり
寺内タケシさん扮する上司の部長だか警部だかの叱責をシカトして
5人で出前のラーメンをすすっていたり??

この衣装は紺色の、でもちょっとラメの入ったスーツだったのですが
・・・他のメンバーもラメ入りの違う色のスーツだったのですが
・・・こんな派手なスーツ着た警察官なんていねーよ!!

で・・・彼女に振られそうになっていた東刑事は
張り込みをそこそこに電話ボックスからこっそり彼女に
仕事でデートにまた行けないと言い訳の電話を掛けるのですが
ぶち切られてしょんぼりして出てきたところへ真正面から睨み付ける5人・・・

口々に後輩に説教された東刑事、頭を掻いて苦笑で誤魔化そうとしますが
その時いきなり物音がして、すわ、犯人が現れたか!!ととっさに影に隠れます・・・
・・・が、それは実際は誤魔化すための小芝居。
それを見た5人は「もうこんな先輩はほっといて行こうぜ」な態度を取るのですが
その時のカズのポース。ぷいっと顔を背けるの巻でした。


さて次は・・・


フラフープに興じるこの格好!
第12回・・・’60年代ポップスの巻です。
ザ・ワイルドワンズ&ジュリー・EXOTICSで「サウンド・オブ・サイレンス」を演奏。
その後のエンディングの場面でMCをする糸居五郎さんとジュリーの後方で
出演者一同フラフープに興じていたのでありました。
60年代だからですね、この回限りのIVY(アイビー)ルック・カズさん。
IVYちゅうたらVネックのセーター、ブルージーンズ、ボタンダウンですわね。
あっとそれからコインローファーかな~。ストライプタイとか。
VANですね、石津健介さん!! エンブレム付きのブレザー着てたら完璧なんですが。
まあ、今の中高生の制服もバリバリIVYなので懐かしくもあり懐かしくもなし、か。
うちの息子も中高生の時は着てましたし~。
この縁の分厚いでかいメガネは「良い子悪い子普通の子」の山口良一さんを思い出させる。
めったに見られないと言うより後にも先にもこの回限りの
IVYカズちゃんでありました。

ちゃんちゃん。
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あの頃のジュリー・・・セトリあれこれミニ・ちょっと番外。

2016年01月04日 06時46分15秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
前回の続きっちゃあ続きですが、今回は番外編として
1983年全国縦断コンサートの合間と、その後のちょと変わったライブのセトリをご紹介。

まず合間にあったコンサートと言うのは
おそらくセトリそのものはミスキャストコンサートと同じだったのではないかと思います。
ただ、全国縦断とは一応切り離されてました。
と言うのも、これはサントリーがスポンサーについて
観客全員が招待されたものだったのです。
名付けて「サントリー・バレンタイン・コンサート」
そう、無料ご招待の200組のカップルが観客であったと言う、
ジュリーにとっても「ちょっと勝手が違いましたね」なライブでした。
何しろ観客の半分が男性です。普段はジュリー曰く「多くて3割くらいですかね」
カップルの二人ともがジュリーの大ファンならまず問題ないけど
カレシは”まあまあ”でカノジョは”大ファン”だったらなんかややこしくなりそう・・・
カノジョも普段は大声で「ジュリーーーーー!!」と声援を送っていても
カレシの前では少々叫びにくかろうもんね。

セトリは多分全国縦断と同じなので略しますが
開催当日の夜に収録された録音からピックアップされた数曲がFM東京系で放送されましたので
そのセトリを挙げておきましょう。

1.デモンストレーションAir Line
2.News
3.次のデイト
4.勝手にしやがれ(フラメンコバージョン)
5.背中まで45分
6.6番目のユ・ウ・ウ・ツ
7.How Many ”Good Bye”
8.ジャストフィット
9.ミスキャスト
10.ALL YOU NEED IS LOVE


それから、なんでこのセトリ資料がちゃちゃの手元にあるのか今となってはわからない、
入手経路不明なのですが、同年の秋の「学園祭」コンサートシリーズのセトリを紹介しませう。
83年10月28日、何と国立神戸大学の学園祭、神大大倉山祭に出演した時のセトリです。
この年は学園祭にちょいちょい出ていたみたいです。

1.ス・ト・リ・ッ・パ・-
2.おまえにチェックイン
3.カサブランカ・ダンディー
4.勝手にしやがれ
5.サムライ
6.チャイニーズ・フード
7.ミスキャスト
8.TOKIO
9.危険なふたり
10.時の過ぎゆくままに
11.きめてやる今夜
12.6番目のユ・ウ・ウ・ツ
13.気になるお前
14.晴れのちBLUE BOY
15.THE VANITY FACTORY
16.STOP WEDDING BELL
17.How Many ”Good Bye”

学園祭のコンサートなら、普段からコンサートを見に来ているファンよりも
「うわ、ジュリー来るんか?! 見に行こ!」と言うようなヒトが多いであろうからか
わりと一般的に知られている歌を中心に構成されていたようです。

このように1983年はその前後から見て少々変わったスケジューリングの一年でした。
この後も年明けライブではなく年末ライブで締めましたし・・・それは次回で。


さてさて、長々続けたこのセトリ紹介もあと少しになりました。
83年ファイナル、84年全国縦断の後はちょっと飛びまして90年頃になります。
でもって、この後は放送された番組内のミニコンサートライブのセトリを
順次紹介しよか、とか思っております。
またぐっとさかのぼって井上バンド時代のFMスタジオライブとか
伝説のセブンスターショーとか・・・・。
他、まだ予定でしかないけどKAZZあれやこれやカテでは
ジュリー以外のバックをカズさんがやった時のセトリなんかもあげてみようかなと。
鈴木さえちゃん、大沢君、松尾清憲君などのセトリ資料がありますので
・・・カズさんファンの方もあまりご存知ない曲ばかりかもしれませんが。

とにかくまた資料を漁らねば・・・て、考古学者か?!

考古学者が発掘するべきは遺跡ではなく資料である。とか何とか。

・・・・考古学・・・・。

では30年以上前の資料を発掘しますかな。
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KAIGO.介護 りたーんず 巻の百八十一 年末年始は会いに行こう

2016年01月03日 19時40分54秒 | 介護な日々
同年代の友達連中が相次いで介護生活に突入されてます。
私は皆様ご存知の通りダブル介護済んで有余年。
私は両親が年行ってからの子だったので
同年代のみんなよりも十年は早く介護生活を経験しました。

介護真っ最中のみんなは年末年始もバタバタでお過ごしと思います。
同居の方も施設入居の方も。
うちは2009年のお正月を両親のダブル入院で迎えました。
ある意味病院でお世話になっている分安心なところもまあありましたが

とはいえおとんは点滴だけで生きている状態3か月目、
おかんはそれなりに元気だけど肝がんと認知症で老人病院に
しかもいつまで入院しなくてはならないかわからない状況・・・
・・・・かと言って自宅で介護はとても無理な状況ではあったのですが・・・

介護する方もあまりおめでたいとは言いにくいのがお正月でありますが
しかし入院・入所している方はもっとおめでたくない気持ちだと思います。

やっぱお正月は家族と過ごしたいもんやん?
まあねえ、若い人らはスキーとか海外とか行って家族とともに過ごさへんゆうこともありまっしゃろが
うちかて去年はねえ、二日から次女のこんこんがフランスへ行ってしもて
一人おらんだけでもなんやめっちゃ寂しくなったもんです。

でもまあね、いてへんメンツが元気やったらそれはそれでええんです、
一緒には過ごせんかったかて、元気やったらね。
けどそやのうて入院とかね、そら寂しいの質がちゃいますわ。

認知症とか要介護とかあらはると家で迎えさしたかっても
現実は難しい、ゆうことはありますで。うちもそうでしたからねえ。
ゆうても、ホンマ今から考えたらおとんは無理からでも連れて帰ったらよかったと
後悔するとこもけっこありますねん。
それは置いといても、やっぱり単純に侘しいもんでしょ。
入院とかしてる本人は尚更でっせ。

私も経験ありますねん、年末年始を入院生活で過ごしたこと。
こんこんの妊娠中、切迫流産でね~、12月30日に入院しましてん。
実家に長女のヒメコ、当時まだ1歳半、預けてよ~?
入院当日はちい兄が実家で私を探し回るヒメコをなだめて抱いて寝かしてくれたそうです。
その後も私が退院するまで、見舞いに連れて行ったら却って淋しがるやろうからて
気を逸らすのに懸命で、私は退院するまでヒメコに会えませんでしてん。
その時の看護婦さんもそういう経験あります、ゆうてはりました、
「旦那はどうでもええけど、子どもには会いたいですよね~!!
私も入院した時子どもに会いとうて毎晩泣いてました。」
その通りでしたわ・・・。

旦那は時々見舞いに来ましたけど、かなんわ、あの人には、難儀な人や。
あとでちい兄に聞きましたけど、ヒメコをうちの親に預けたから
もう任しといたらええやろ、てなもんで
仕事優先で(そら仕事は大事でっけど)めったにうちへ来うへんかったで、と。
「普通母親が入院したら子どもが心配で無理してでも会いに来るやろ!
あんたとこへは見舞いに行ったかしれんけど、
あんたの方はゆうたら入院してるんやからむしろ安心やん、医者ついてるし大人やし。
子どもは親に会いたいもんやん、なんで会いに来えへんねん、
なんでじいさんばあさんに見てもろてたらええわ、やねん?
じいさんばあさんも孫の世話できて嬉しいやろうからて、親の義務はどこ行ってん?」
ちい兄、かなり怒ってましたが・・・そんなにほったらかしてたんか・・・
その分伯父さんたるちい兄がものすご相手してくれてたそうです。
ちい兄、おおきにやで~。

つか、今更しゃあないんですけど、ゆうたかて。
そんなんやから、今も子どもらが「お父さんに会いたいなあ」て全然言わんのやな。
あ、誤解のないように・・・別に離婚はしてまへんしそのつもりもありません。
しばし仕事の都合で別居してるだけで。
でも、うちは元々子どものことは私に丸投げの実質母子家庭やったから
今更子どもらも嫌いやないけど正直別に会わなくてもかまへん、てなってんねんね。
・・・ある意味父親からは親離れしてる・・・んやろか。

すみません、話がそれましたわ。

要するにね、入院してたりすると「普通の正月」を送れへんとそら寂しいゆうことですねん。
何が言いたいのか・・・ちゅうと

会いに行ったげてや、ゆうことですわ。

介護する方も大変やろうけど、される方はもっともっともっともっと寂しいんです、
絶対、いっぱい会いに行ったげてください、可能な限り。

会うと甘えてくる、なんぼでも無理ゆいよる、という現実はあると思います。
どんだけ介護してももっとしてくれと思われる、甘えられてもこっちかて目いっぱいや、
大変やねんで・・・・

そうでんな。わかりまっせ~。
でもねえ、甘えてくれるて幸せでんがな。
介護するのせんので家族で憎み合って暴力沙汰や深刻な事件にまで発展することもおます。
甘えてくれるて、嬉しいやないですか、頼りにしてくれてんねん。
子どもといっしょですよ。
人間は逆行して死んでいくんです。
子どもになって、赤ちゃんに戻って死んでいく。
甘えさしたらつけあがる、そうかもしれまへん。
でも、幸か不幸か、そんなん永遠には続きません。たいして長いことはないんですよ。
無理してまでとは申しませんが可能ならやってあげたらええ、思いますよ。

親孝行したい時には親はなし。真理。

親孝行として、どんなことでもしたるで、きいたるで、戦ったるで、と
覚悟を決められる気になれる頃は残念ながら親は死んだ後。そういうもんですわ。

子どももそうです、甘えさせるのはどんどんおやんなさい、と言う。
満たされた子は自立して自分の力でしっかり生きて行きます。
甘えてくるのに応えるのとこっちから甘やかすのとは似て非なるもの。
介護もせやないやろか。

ちゅうわけで・・・お正月、今からでも遅くない、会いに行ってあげてください。
「別に忙しいのに来んでもええのに~」て言われる?
イヤイヤ案外、親ってツンデレなもんですよwww


とてエラソーなことゆうてすんませんっした~!!
コメント (2)
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