ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

KAIGO.介護 巻の二十二 ハプニング続発!

2010年06月30日 21時46分29秒 | 介護な日々
2008年6月18日(水)のこと・・・

4日前に肝性脳症による昏睡で急遽OS病院に入院した母でしたが、
この日には完全復活。でも、意識ははっきりしていてもかなり不機嫌でした。

肝性脳症の原因は有毒なアンモニアの血中濃度が上がり、脳の働きを阻害することによります。
ということは、これは素人考えですが、アンモニア濃度がある程度高いと、意識はあるものの
見当識や記憶がうまく出来ず、結果理解や判断がうまく行えなくてイラつき機嫌が悪くなるのでは、と。
本人は眠っていただけのつもりで、目覚めたら見知らぬところへ勝手に連れてこられた気分です。
OS病院のことはわかるけど、内装や雰囲気は覚えていないので初めて来たような気がする。
加えて何故連れてこられたのかも理解できない。
だから不安もあってよけい機嫌が悪くなったのでしょう。
とにかく「帰る」の一点張り。ショートステイも断ったし、すぐにヘルパーさんの調整も出来ないので
今帰ることはできません。だいいちまだ退院の確認もしていないし。

でも、そういう理屈も理解できないのですからますます不機嫌になるばかり。
夜も柵を乗り越えて脱走を試みたらしく、ほうっておけないと言うことで
個室の病室を出されて、スタッフステーション横の観察室(ICUほどではないが
始終気をつけるべき状態の患者に一時的に入って貰う特別室)におかれてしまいました。
しかも、ベッドから転落する危険性もあるため、
じかに床にマットを敷いてもらい”和風”の寝床に・・・。

意識がもどって元気なのはいいけれど、これはこれで大変です・・・。

更に大変なことにこの日の直前、
ずうっとお世話になっていたケアマネのSさんまでもが心労で倒れてしまわれました。
Sさんにも認知症のお義母様がいらっしゃるらしく、また生真面目で一生懸命なSさんは
あれこれ抱え込んで大変な中で仕事をしていらっしゃったようです。
介護はする方もされる方も、またそれを支える専門家でさえ大変な仕事なのですね。

Sさんにはこの際ゆっくりお休みいただいて、私たちはSさんの先輩ケアマネTさんに
改めてお世話になることになりました。

ただ、このTさんも「心臓に持病があるんです。」などとサラリと爆弾発言を・・・!!

皆さん、無理はホントにしちゃいけませんよお・・・。


で、父の方はといいますと・・・


ちい兄と私が母のご機嫌うかがいにOS病院へ行ってた間、
父は肩の痛みを訴えて、こちらもまたいつもお世話様のA外科へ行っていました。
骨折とかそういうのはなく、肩こりだろうと言う診断で薬だけもらって帰宅。
そして、私たちがそれぞれ自分のうちに引き上げて行った後のことです。

夕方父はひとりで自宅でオヤツにバナナを食べていて、また胸が苦しくなったのでした。
その時父は、まずちい兄に連絡したらしいのですが、ちい兄も遠いのですぐには到着できません。
そこでちい兄の助言で代わったばかりのケアマネ・Tさんに連絡。
Tさんと、更に連絡を受けたヘルパーのKさんが駆けつけ
救急車の手配から当座の入院の用意までして送り出してくださり、
更にTさんに至ってはちい兄が到着するまで病院で付き添ってくださいました。

まったく・・・近くの他人とはよく言ったものですね。本当に頼りになりお世話になりました。

熱血T先生に診ていただくと、退院時と状況は特に変わりなしとのこと。
胸水や腹水が溜まっている様子もないし、血液検査も、正常とは言いがたくも、ひどくはない状況。
もちろん心筋梗塞の再発ではなく、もしかしたらちいさな血管が詰まったかもしれないが、
それも解消されたのか特に気になる所見は見当たらないと言うことでした。

つまりはストレスによる不定愁訴のような状態でしょうと言われました。
物理的な原因が見当たらない時によく言われる不定愁訴――ぶっちゃけ気のせいです。
大事をとって検査入院はさせるけれど、特に状態が悪くなければ4日ほどで退院と言う診断で
私たちは、ひとまず胸をなでおろしました。

しかし、父が思わぬ入院の事態になってしまいまして・・・すぐに退院できそうだとは言え、
退院した途端に母の介護でくたびれて即病院にトンボ帰りでは元も子もありません。
父が少し落ち着いて、母の退院後の生活が決まるまでは、
母の退院を伸ばして貰わざるを得ませんでした。
その旨OS病院にもお願いし、またケアマネTさんに
改めて居宅サービス計画を練って貰うことにしました。

居宅サービス計画書と言うのは、ケアマネさんが、
普通は前月の終わりごろに当該月の計画を立てて作成してくださるものですが、
更には具体的にサービス利用票(及び別表)という、実際どんなことをしてもらうのか
――たとえば何日の何時にヘルパーさんが来るとか
何日にデイサービスに出かけるとかいうスケジュール表のようなものですが――
そういった細かい日程や時間まで書き込んだものを作成してくださいます。

それに従っていろいろな介護サービス事業者がサービスを提供してくれるのですが
・・・まったく、このころは何度予定外のことが入ったのやら・・・。
計画通りにことが運ばないのは、介護以外でも良くあることではありますが・・・。

まあ、持病のあるなしにかかわらず、何が起こるか、高齢の方は特にわからないといっていいでしょう。
計画書一つ作るのもたいへんなんやなあ・・・と、今改めて思います。
・・・Sさん(この数ヶ月後に仕事に復帰されました)、Tさん、そしてヘルパーKさん、
本当にありがとうございます。
この場を借りてお礼申し上げます。
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ふとんがふっとんだ~

2010年06月29日 15時51分47秒 | 徒然雑記&連絡帳
朝、介護な日々の次の記事を書いてて
出かける時間になったので
下書きクリックして保存したつもりでした。・・・

出先から帰って、さあ続きを書くべ~と思って開いてみたら

・・・・あらへんがな!!!

なんかの手違いで記事がふっとんでしまったらしいのです・・・
チリ一つ残さずに・・・
嗚呼、またイチから書き直し・・・。
RPGゲームやないですが、こまめなセーブはここでもイキでしたな・・・。

そんなわけで、明日!!! 気を取り直してもっかい書き直すので
けふはちょっとほっといた小説の続きを挙げときます。

こっちはねえ・・・もうとうに完成してますから・・・
コピペですましてます。カットだけリアルタイムで描き下ろしで。

まだちょっと何を書きたいのかわからないと思います。これからですんやわ~。
長い目で見て下さい。まとめて通しで読んでいただければ一番いいんですが。たぶん。


そういうわけで今日はもう寝る・・・!(ウソですけど)


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創作小説 SUNSET CHAPTER 3  PART.2

2010年06月29日 15時41分32秒 | 創作小品
 「すみませーん、お邪魔しま~す!」
カランカラン…とドアの開く音がして、その人は入ってきた。ニコニコ顔の小城みゆ希その人だ! きゃああ~、ホンモノだあ、やっぱり一般人とオーラが違うよ~! テレビとおんなじ、イヤ、ナマの方が美人だ!! なんか、ハクリョク…。
「こんにちは~! 突然すみませ~ん! 第一テレビ『アフタープラス』突撃インタビューでーす! ホント突然ですみません。ちょっとよろしいですかあ~?」
うわあ~、来たよ! テレビカメラを抱えた人が続いて入ってきたよ~! ギョーカイっぽい人たちがついてきた…ホンモノだよ、コレ。

 アタシは店長をもちろん逃がさなかった。逃げ腰のままではあるけど、その腕をしっかりつかんでやったもん。観念してね。店長! アタシはものすごく嫌がる店長の腕をさらに抱え込んだ。
 小城みゆ希が店内を見回してからこっちを向いた。
「こんにちは。ここは眺めがいいですねえ。まん前が海だなんてステキ!」
「あ、はいどうも~。」
とりあえずアタシが答える。
「えーっと、お店の方ですよね?」
彼女はニコニコ尋ねてくる。アタシはどっから見てもバイトに見えるはずだ。だから彼女も
「マスターさんは…・?」
と、店長の方をのぞこうとした。
「あ、ハイ、店長はこちらです。」
アタシは無理矢理、でもさりげなく店長を前に立たせるためするっとその背後に回りこんだ。
「店長、もう覚悟してくださいね。」
と、ささやきながら。
 ところが…。
 アタシはきっとあれだけ逃げようとした店長だから完全ウロはいってしどろもどろになるんじゃないかと、その点は少し危惧していた。憧れの女子アナの前でカッコ悪いことしちゃったら気の毒だなとは思ったんだけど、でもこんなチャンスは二度とないでしょう。ここは何とか少しでもハナシをしていい思い出を作ってください! と、思ったのだけど…。
 意外なことになった。あれだけうろたえて嫌がってたはずなのに、彼女の前に立った店長はいつものクールな店長だった。さらに驚いたのは小城みゆ希がぐっとシリアスな雰囲気になっちゃったこと…。ん…? ナニこの空気…。それに彼女は何かを小声でつぶやいたような…聞き取れなかったけど。
 でも、そんなおやっと思わせる空気はごくごく一瞬、そしてそのときの彼女の顔を見たのはおそらく店長とアタシと、彼女から2~3歩はなれたところにたまたまいて角度的に見えたであろう清司君だけだ。彼女はすぐにいつもの明るく元気な表情になった。
「あ…、こちらがマスターさん…ですね?」
「ええ、ウチじゃあ店長で通ってますけど。」
答えた店長も…めちゃめちゃ落ちついてんじゃん!? んん? さっきのは何だったの…?
「そうなんですか~。どうですか? 今海水浴シーズンじゃないですけど、お客さんの方はやっぱり少なくなります?」
「そうでもないですよ。ここはもともと地元の方が多いので。」
………ちゃんと受け答えしている…。
 その後も簡単なインタビューがあったけど、店長はそつなく淡々とこなした。あれれ…?


 何か変だと思ったのは僕の気のせいかな。さっき小城さんが来るとわかってあわてまくった井上さんが、実際面と向かうといつもどおり落ち着いた口ぶりで、普通に対応している。それはそれで変といえば変だけど、そうじゃなくって…。
 たいてい井上さんは冷静だ。慌てたように喋る時もあるけれど、パニックって感じにはならないし、総じてテンションが舞い上がることはないみたいだ。でも、今小城さん相手にインタビューに答える井上さんは冷静通り越して何だか冷たい。いや、それは僕の思い違いかもしれない。涼香さんの言うところでは、井上さんは小城さんのファンみたいだという。だったら普通は舞い上がるだろうし、彼のことだからそうまではならなくても、少なくとももっとにこやかになってもいいんじゃないかと思うのだけど。確かに微笑んではいるけれど、ちょっと足りない気がする。カッコつけてる? う~ん、そうなのかな? そんなんじゃないようなんだけど…。
 逆に小城さんの方が緊張しているように見える。それこそ何で? 百戦錬磨の局アナ、全国各地を回りに回ったベテラン…まではいかないかもだけどまあ中堅レポーター、今更上がるわけもないだろうに。どこかおかしい気がする…。
 いや、実はもったいぶることはない。僕は聞いてしまったのだ。このセリフがなければ僕もなんだか変だな、気のせいかなで終わらせたと思う。でも、僕は小城さんが井上さんに話しかける直前につぶやいた言葉を聞いてしまったんだ。
 それで二人の様子を注意深く見てみると、このなんだか変な感じもわかる気がしてくる。

 インタビューそのものはほんの数分間だった。適当に喋って、小城さんは
「さて、明日はあなたの街へ行くかもよ~! お楽しみに!!」
と、カメラに向かって満面笑顔。そして後ろからのディレクターさんと思しき人の声で「カットオ~」と聞こえた。どうやら怒涛の突撃インタビューライブは終わったらしい。
 小城さんは改めてこちらの方を向くと
「ありがとうございました!」
と、深々と頭を下げた。そして井上さんとすぐ後ろに張り付いている涼香さんに向き直った。
それから今までのテンションとはちょっと違う、静かで大人びた口調になって続けた。
「ありがとうございました。突然のインタビューでびっくりさせて申し訳ありませんでした。これがウリのコーナーですので、どうかお許しくださいね。よろしかったら番組の方、ぜひご覧下さいね。」
そういう小城さんは出来のいいOLみたいで、なるほどオンエア中はキャラを作っているんだということが良くわかった。アナウンサーも俳優か女優並かも知れない…。対して井上さんも…この人は普段から落ち着いているけど
「ええ、いつも拝見していますよ。」
と、微笑んで答えた。小城さんは、じっと見つめ返してから軽く会釈した。
「そうですか、どうもありがとうございます。」
 そのとき後ろから涼香さんが前に出た。
「あの…すみません、小城さん。サインとか…いただけます?」
「え~、困っちゃうな~! エヘヘ、あたしはタレントじゃないんだけどな…。」
そう言って照れ笑いする様子は…あれ? インタビュー中と同じノリ。どちらがこの人の本性なんだ?
「ダメですか?」
「ヘタですよお? それでもいいなら書きますけど~。」
「いいですいいです! わあ~、嬉しい! 自慢しよっと!」
涼香さん…あなたこそミーハーです…。

・・・TO BE CONNTINUED.
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KAIGO.介護 巻の二十一 ギザギザ心臓(ハート)に子守唄

2010年06月28日 21時53分01秒 | 介護な日々
今回はまず、更に10年ほど遡りました1998年ごろのお話を少し。

その当時は私はもう嫁ぎ先で三人の幼児を抱える身でしたので直接は知らないのですが、
このころ、70歳台後半の父が心筋梗塞の発作で倒れるということがありました。

スーパーへ自転車で出かけて途中で発作を起こし、
それでも自力で電話を自宅にかけてきたというのですから、
比較的軽い方だったのでしょうが――重篤な発作だと即死もあるといいますしね・・・
でも、心筋梗塞の痛さは半端ないとも聞いております。
後々T先生にも「我慢強いにも程がある」と言われるくらい我慢する父ですから、
常人であればとても電話なんかしていられないくらいだったのではとも思うのですが
ともかくその日はちい兄が実家に帰っていたので、電話があってすぐに迎えに行ったそうです。


そして、近所のかかりつけのお医者さんに休日のところを無理矢理診てもらって
そこからまず紹介された比較的大きなT病院に行きましたが・・・そこでは対応できず、
更に紹介されたのが、生活習慣病やがん治療の最先端医療技術を持つSセンターでした。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
心筋梗塞は心臓の太い血管――冠状動脈が詰まる病気です。
血管が詰まるとその先の細胞は栄養や酸素がもらえず壊死してしまいます。
冠状動脈は心臓に栄養を送っている中でも特に太い大切な血管ですので、
詰まった場所によっては即死もありうるという恐ろしい病気です。

血縁関係はありませんが、私の叔父(父の妹の夫)も心筋梗塞で亡くなっており、
その叔父の場合は路上でいきなり発作に襲われ、2度目の発作だったそうですが
その場でほぼ即死だったそうです。
そのようにこれは突然死に至りかねない恐ろしい病気です。

しかるに父は80歳前という高齢でありながら
若い頃に鍛えまくっていた元スポーツマン
(哀しいかな、娘にはその血は遺伝していない)でしたので
Sセンターの先生(当時はT先生ではなかった)が「十分体力がある」との判断で
カテーテル手術を行い、バルーン治療をしてくださいました。

カテーテルと言うのは極細の管を太ももの付け根などの太い血管から体内に挿入し、
患部まで入り込んで薬を注入したり処置したりする最先端医療のひとつです。
昔はこういう外科的処置は外科医が行いましたが、
今はカテーテルや内視鏡手術なんかは内科医がするらしいですね。
で、バルーンと言うのはカテーテルを患部まで挿入して、その先で風船のように膨らませ
詰まった血管を押し広げて再び血が流れるようにする処置方法なんだそうです。
更にその広げた部分にステントという金属製の筒のようなものを置いておくことで
その患部が再び詰まることがないようにするのだとか・・・。
・・・イヤ、すごいことが出来るんですね。
簡単に「カテーテル手術」なんて日常的に言いますが、考えたらすごい技術ですよ。

ともかく、父はその手術のおかげで、心臓の機能は若干衰えたものの
以前よりも抑え気味ながら、一応日常生活が普通に送れる状態にすぐ戻りました。

それから10年――

やはり一度心筋梗塞をやっているからには、またいつ発作が起きないとも限りません。
まあ、誰でもいつ何時何が起こるかはわからないっちゃあわからないんですが、
それがハイリスクならば人一倍気をつけなければならないと言うことです。
幸いその後強い発作には見舞われていませんが、
心臓の機能は人より落ちているし、高齢だから更に気をつけねばならない。
また、心不全は腎臓にも悪影響を及ぼすものだそうです。

そう、これからはギザギザになってしまった心臓をいたわり、
人一倍心穏やかでやさしい生活を送らなければなりません。

ということは、毎日の食生活も非常に重要になってくる・・・。

ところでちい兄は以前から健康志向というか、
食生活や健康のことには人一倍興味を持っているみたいで、
いろんなことを調べてきてはいろいろ試していました。
その中で父の心不全や、特に腎不全には「減塩・減たんぱく質」食が良いと言うことがわかりました。
そして今回の母の肝性脳症についても、どうやら「たんぱく質」が血中のアンモニア濃度に
深いかかわりがあることを調べてきました。

とはいえ、たんぱく質はからだに必要な栄養素です。完全除去はしてはなりません。
つまりぎりぎりのたんぱく質を確保して、カロリーは炭水化物などの糖質で補うべし・・・。

良くしたもので、今の世の中にはインターネットが普及しており
更に今は病人食も病状にあわせてさまざまなものが一般販売されています。
そこでちい兄はネットで「減たんぱく質食」なる食材及び完成品を手配してきました。
余談ですが、私も食べてみました。はっきり言います、マズイです・・・。
ものすごくクセがあります。薄味は大丈夫なんですが、なんともいえない独特の味・・・。
普通のものが食べられると言うことがどんなに幸せなことか・・・。
本心でそう思います・・・。
(ちい兄はそこそこイケルと言ってましたが・・・私は正直・・・)

それはさておき。

母も父も食事に関しては同じ対応で良いと言うのはまだ幸いでした。
専用食は夫婦二人だけの日に食べて貰うことにして、
誰かがいるときはなるべく手作りのおかずを・・・ということでちょっとばかり覚悟を決めて
取り掛かることになったのですが・・・


ところが、母の、今回の肝性脳症での入院でバタバタしたのが良くなかったのか、
4日後の18日の夜、また父が胸の苦しさを訴えたのです・・・。
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カット挿入作業いたしております。

2010年06月27日 13時37分20秒 | 徒然雑記&連絡帳
以前から「介護な日々ページにイラストをお入れなさいよ」と言う
ご助言をいただいておりましたが、
身内中の身内を描くのはなんとも照れくさく
くわえて自画像なんてそら恐ろしいものはなかなか描けません・・・
てか描く気になれませんでした。

・・・ゆえ、全部ハムスターキャラにしてしまって
一コママンガのノリで時々入れることにいたしまして、
今少しずつ過去の記事に埋め込み作業をいたしております。

もしもお暇の折にはちょっくらバックナンバーも
のぞいてやっておくんなまし。

創作小説の方も今後はカットを随時挿入いたします。
こういうの描いてる時が一番楽しいんだわ。
特にイケメンを描くのは・・・イヤイヤイヤ!!!!
挿画ですと描きたい絵だけ描けるというのも利点です。
マンガはやっぱり描きたくないコマもありますからね・・。

それにしても・・・自分でシゴト増やしてますな・・・
めんどくさがりのクセに・・・
その分ウチのシゴトをせんようになってゆく・・・
・・・手抜き主婦でありんす。
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