2008年6月18日(水)のこと・・・
4日前に肝性脳症による昏睡で急遽OS病院に入院した母でしたが、
この日には完全復活。でも、意識ははっきりしていてもかなり不機嫌でした。
肝性脳症の原因は有毒なアンモニアの血中濃度が上がり、脳の働きを阻害することによります。
ということは、これは素人考えですが、アンモニア濃度がある程度高いと、意識はあるものの
見当識や記憶がうまく出来ず、結果理解や判断がうまく行えなくてイラつき機嫌が悪くなるのでは、と。
本人は眠っていただけのつもりで、目覚めたら見知らぬところへ勝手に連れてこられた気分です。
OS病院のことはわかるけど、内装や雰囲気は覚えていないので初めて来たような気がする。
加えて何故連れてこられたのかも理解できない。
だから不安もあってよけい機嫌が悪くなったのでしょう。
とにかく「帰る」の一点張り。ショートステイも断ったし、すぐにヘルパーさんの調整も出来ないので
今帰ることはできません。だいいちまだ退院の確認もしていないし。
でも、そういう理屈も理解できないのですからますます不機嫌になるばかり。
夜も柵を乗り越えて脱走を試みたらしく、ほうっておけないと言うことで
個室の病室を出されて、スタッフステーション横の観察室(ICUほどではないが
始終気をつけるべき状態の患者に一時的に入って貰う特別室)におかれてしまいました。
しかも、ベッドから転落する危険性もあるため、
じかに床にマットを敷いてもらい”和風”の寝床に・・・。
意識がもどって元気なのはいいけれど、これはこれで大変です・・・。
更に大変なことにこの日の直前、
ずうっとお世話になっていたケアマネのSさんまでもが心労で倒れてしまわれました。
Sさんにも認知症のお義母様がいらっしゃるらしく、また生真面目で一生懸命なSさんは
あれこれ抱え込んで大変な中で仕事をしていらっしゃったようです。
介護はする方もされる方も、またそれを支える専門家でさえ大変な仕事なのですね。
Sさんにはこの際ゆっくりお休みいただいて、私たちはSさんの先輩ケアマネTさんに
改めてお世話になることになりました。
ただ、このTさんも「心臓に持病があるんです。」などとサラリと爆弾発言を・・・!!
皆さん、無理はホントにしちゃいけませんよお・・・。
で、父の方はといいますと・・・
ちい兄と私が母のご機嫌うかがいにOS病院へ行ってた間、
父は肩の痛みを訴えて、こちらもまたいつもお世話様のA外科へ行っていました。
骨折とかそういうのはなく、肩こりだろうと言う診断で薬だけもらって帰宅。
そして、私たちがそれぞれ自分のうちに引き上げて行った後のことです。
夕方父はひとりで自宅でオヤツにバナナを食べていて、また胸が苦しくなったのでした。
その時父は、まずちい兄に連絡したらしいのですが、ちい兄も遠いのですぐには到着できません。
そこでちい兄の助言で代わったばかりのケアマネ・Tさんに連絡。
Tさんと、更に連絡を受けたヘルパーのKさんが駆けつけ
救急車の手配から当座の入院の用意までして送り出してくださり、
更にTさんに至ってはちい兄が到着するまで病院で付き添ってくださいました。
まったく・・・近くの他人とはよく言ったものですね。本当に頼りになりお世話になりました。
熱血T先生に診ていただくと、退院時と状況は特に変わりなしとのこと。
胸水や腹水が溜まっている様子もないし、血液検査も、正常とは言いがたくも、ひどくはない状況。
もちろん心筋梗塞の再発ではなく、もしかしたらちいさな血管が詰まったかもしれないが、
それも解消されたのか特に気になる所見は見当たらないと言うことでした。
つまりはストレスによる不定愁訴のような状態でしょうと言われました。
物理的な原因が見当たらない時によく言われる不定愁訴――ぶっちゃけ気のせいです。
大事をとって検査入院はさせるけれど、特に状態が悪くなければ4日ほどで退院と言う診断で
私たちは、ひとまず胸をなでおろしました。
しかし、父が思わぬ入院の事態になってしまいまして・・・すぐに退院できそうだとは言え、
退院した途端に母の介護でくたびれて即病院にトンボ帰りでは元も子もありません。
父が少し落ち着いて、母の退院後の生活が決まるまでは、
母の退院を伸ばして貰わざるを得ませんでした。
その旨OS病院にもお願いし、またケアマネTさんに
改めて居宅サービス計画を練って貰うことにしました。
居宅サービス計画書と言うのは、ケアマネさんが、
普通は前月の終わりごろに当該月の計画を立てて作成してくださるものですが、
更には具体的にサービス利用票(及び別表)という、実際どんなことをしてもらうのか
――たとえば何日の何時にヘルパーさんが来るとか
何日にデイサービスに出かけるとかいうスケジュール表のようなものですが――
そういった細かい日程や時間まで書き込んだものを作成してくださいます。
それに従っていろいろな介護サービス事業者がサービスを提供してくれるのですが
・・・まったく、このころは何度予定外のことが入ったのやら・・・。
計画通りにことが運ばないのは、介護以外でも良くあることではありますが・・・。
まあ、持病のあるなしにかかわらず、何が起こるか、高齢の方は特にわからないといっていいでしょう。
計画書一つ作るのもたいへんなんやなあ・・・と、今改めて思います。
・・・Sさん(この数ヶ月後に仕事に復帰されました)、Tさん、そしてヘルパーKさん、
本当にありがとうございます。
この場を借りてお礼申し上げます。
4日前に肝性脳症による昏睡で急遽OS病院に入院した母でしたが、
この日には完全復活。でも、意識ははっきりしていてもかなり不機嫌でした。
肝性脳症の原因は有毒なアンモニアの血中濃度が上がり、脳の働きを阻害することによります。
ということは、これは素人考えですが、アンモニア濃度がある程度高いと、意識はあるものの
見当識や記憶がうまく出来ず、結果理解や判断がうまく行えなくてイラつき機嫌が悪くなるのでは、と。
本人は眠っていただけのつもりで、目覚めたら見知らぬところへ勝手に連れてこられた気分です。
OS病院のことはわかるけど、内装や雰囲気は覚えていないので初めて来たような気がする。
加えて何故連れてこられたのかも理解できない。
だから不安もあってよけい機嫌が悪くなったのでしょう。
とにかく「帰る」の一点張り。ショートステイも断ったし、すぐにヘルパーさんの調整も出来ないので
今帰ることはできません。だいいちまだ退院の確認もしていないし。
でも、そういう理屈も理解できないのですからますます不機嫌になるばかり。
夜も柵を乗り越えて脱走を試みたらしく、ほうっておけないと言うことで
個室の病室を出されて、スタッフステーション横の観察室(ICUほどではないが
始終気をつけるべき状態の患者に一時的に入って貰う特別室)におかれてしまいました。
しかも、ベッドから転落する危険性もあるため、
じかに床にマットを敷いてもらい”和風”の寝床に・・・。
意識がもどって元気なのはいいけれど、これはこれで大変です・・・。
更に大変なことにこの日の直前、
ずうっとお世話になっていたケアマネのSさんまでもが心労で倒れてしまわれました。
Sさんにも認知症のお義母様がいらっしゃるらしく、また生真面目で一生懸命なSさんは
あれこれ抱え込んで大変な中で仕事をしていらっしゃったようです。
介護はする方もされる方も、またそれを支える専門家でさえ大変な仕事なのですね。
Sさんにはこの際ゆっくりお休みいただいて、私たちはSさんの先輩ケアマネTさんに
改めてお世話になることになりました。
ただ、このTさんも「心臓に持病があるんです。」などとサラリと爆弾発言を・・・!!
皆さん、無理はホントにしちゃいけませんよお・・・。
で、父の方はといいますと・・・
ちい兄と私が母のご機嫌うかがいにOS病院へ行ってた間、
父は肩の痛みを訴えて、こちらもまたいつもお世話様のA外科へ行っていました。
骨折とかそういうのはなく、肩こりだろうと言う診断で薬だけもらって帰宅。
そして、私たちがそれぞれ自分のうちに引き上げて行った後のことです。
夕方父はひとりで自宅でオヤツにバナナを食べていて、また胸が苦しくなったのでした。
その時父は、まずちい兄に連絡したらしいのですが、ちい兄も遠いのですぐには到着できません。
そこでちい兄の助言で代わったばかりのケアマネ・Tさんに連絡。
Tさんと、更に連絡を受けたヘルパーのKさんが駆けつけ
救急車の手配から当座の入院の用意までして送り出してくださり、
更にTさんに至ってはちい兄が到着するまで病院で付き添ってくださいました。
まったく・・・近くの他人とはよく言ったものですね。本当に頼りになりお世話になりました。
熱血T先生に診ていただくと、退院時と状況は特に変わりなしとのこと。
胸水や腹水が溜まっている様子もないし、血液検査も、正常とは言いがたくも、ひどくはない状況。
もちろん心筋梗塞の再発ではなく、もしかしたらちいさな血管が詰まったかもしれないが、
それも解消されたのか特に気になる所見は見当たらないと言うことでした。
つまりはストレスによる不定愁訴のような状態でしょうと言われました。
物理的な原因が見当たらない時によく言われる不定愁訴――ぶっちゃけ気のせいです。
大事をとって検査入院はさせるけれど、特に状態が悪くなければ4日ほどで退院と言う診断で
私たちは、ひとまず胸をなでおろしました。
しかし、父が思わぬ入院の事態になってしまいまして・・・すぐに退院できそうだとは言え、
退院した途端に母の介護でくたびれて即病院にトンボ帰りでは元も子もありません。
父が少し落ち着いて、母の退院後の生活が決まるまでは、
母の退院を伸ばして貰わざるを得ませんでした。
その旨OS病院にもお願いし、またケアマネTさんに
改めて居宅サービス計画を練って貰うことにしました。
居宅サービス計画書と言うのは、ケアマネさんが、
普通は前月の終わりごろに当該月の計画を立てて作成してくださるものですが、
更には具体的にサービス利用票(及び別表)という、実際どんなことをしてもらうのか
――たとえば何日の何時にヘルパーさんが来るとか
何日にデイサービスに出かけるとかいうスケジュール表のようなものですが――
そういった細かい日程や時間まで書き込んだものを作成してくださいます。
それに従っていろいろな介護サービス事業者がサービスを提供してくれるのですが
・・・まったく、このころは何度予定外のことが入ったのやら・・・。
計画通りにことが運ばないのは、介護以外でも良くあることではありますが・・・。
まあ、持病のあるなしにかかわらず、何が起こるか、高齢の方は特にわからないといっていいでしょう。
計画書一つ作るのもたいへんなんやなあ・・・と、今改めて思います。
・・・Sさん(この数ヶ月後に仕事に復帰されました)、Tさん、そしてヘルパーKさん、
本当にありがとうございます。
この場を借りてお礼申し上げます。