ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

それはそれとしまして適応障害とは

2012年04月28日 22時16分07秒 | 徒然雑記&連絡帳
適応障害といふものは、文字通り障害があって適応できないと言うことです。

障害と言うとちょっと大げさな気もしますが、
精神的に参ってしまって日常生活を送れない、仕事をするのが困難だという状況。
でもって、うつとはちょっと違うそうです。

うつというのは原因がはっきりしない、あるいは考えられる原因から離れても
精神的に不安定だったり気がふさいで日常生活に支障をきたしている状態。
適応障害の場合は原因がほぼ明解で、そこから離れた状況にいると好転しているという状態だそうな。

具体的に言うと、たとえば仕事がしんどくて不眠症だったり強迫観念にとりつかれたり、
あるいは仕事が手につかない、何をしていいかわからず困惑してしまう、
家に帰っても仕事が頭をはなれずリラックスできない、
だけど休職して仕事から距離を置くと、落ち着いて結構元気で気分が良くなるというもの。
他のストレスが原因の場合でも、ストレスを取り除けばとたんに良くなるそうです。

更に、ちゃちゃめは適応障害の「抑うつ状態」と診断されました。
「抑うつ」とは、ゆううつな気持ちを押さえ込んでいる状態のことだそうで、
うつや適応障害の典型的な症状のひとつだそうです。
適応障害が進行するとうつ病になり、そうなるとますます回復に時間がかかるのだそうな。
何もする意欲がわかない、悲観的なことばかり考える、好きなこともする気がなく、
たとえやってみてもちっとも楽しめない、意味もなく攻撃的になって破壊衝動を抑えられない・・・
あるいは自殺願望も出てくるなど、かなり深刻な症状がでることもあるそうで、
本人も家族もかなりしんどい状態になってしまうらしいです・・・。
ちゃちゃめはさいわいそこまでは全然行ってないのですが・・・。


ちゃちゃめのドクターによると、あくまで基準は・・・というお話ですが
1ヶ月の休職では回復困難なことが多いそうです。
1ヶ月だと、まず最初の2週間は「みんなはちゃんと仕事をしてるのに・・・」
と、罪悪感を持ち自分を責めてしまう期間。
後半の2週間は「もう休暇の半分がすぎた。あと2週間で復帰しなければ」
と、焦りが出て落ち着けない期間になってしまい、
結局休んでも真に休めてはいないのだそうです。
それが2ヶ月の休職だと、最初の2週間はそうやって自責の念にとらわれても
それが明けて、でもまだしんどい、戻れる自信がない2週間があり
更に1ヶ月を過ぎると不思議に落ち着いてきて
残りの1ヶ月で精神のエネルギーを蓄えることができるようになるのだそうです。

ちゃちゃめは解職がからんでましたので、
こないだまで「どうしよう、どうしよう」と悩み、結局気分的には休めなかった感じでした。
もう退職することにした今でも(もはや取り消すことは時間的にできないのですが)
それでいいのか、良かったのかという後ろめたさが若干残っております。
昨日書きましたように、選んだ道が正しいと信じて、正しくなるよう今後を過ごそうとは思っていますが
半分は自分に無理にでもそう言い聞かせているのが現状です。
なかなか、わかってはいても割り切れるものではないですね。

しかし、不眠症ていうか睡眠障害がありまして、
寝つきが悪く(もっともそれは子どものときからですが)寝床に入っても1時間近く眠れない。
いったん寝入っても数時間おきに目がさめてしまう
(もっとも次女が赤ちゃんのとき2時間おきに夜泣きしてそのたびに授乳していたのが
夜泣きがなくなってからもクセのように残ってしまったせいなのですが)
更に起きるべき時刻の2~3時間前に目が覚めてしまい、以降うとうとトロトロして
わけわからん夢ばっかり次々見てしまって寝ている気がしないうち
起きるべき時刻になった頃にようやく眠り込みそうになって
だけど無理にでも起きなければならないのがめちゃしんどい(低血圧のせいもあり)
・・・それで昼間猛烈に眠気に襲われて、外回り中電車の中で多少時間をとって寝ないともたない
・・・それがたまらんようになって心療内科に行くきっかけのひとつにもなったのですが、
ここがまたジレンマで、薬を飲まないと上記の状態で昼間も眠い
でもって薬(睡眠導入剤など)を飲むと眠れるけれど午前中まで影響がでて結局眠い。
どっちに転がっても仕事にならないわけです・・・
しかし、同じ昼間眠いでも、夜眠れないよりは眠れるほうがマシということで
調整しつつ薬を飲んでいます・・・なかなか匙加減がうまくいかないのではありますが。

抑うつ気分はかなり良くなりました。休職のおかげか、安定剤のおかげか・・・。
少しずつ薬を減らして行って、早く薬なしになりますように・・・・。

そして今年いっぱいはゆっくりして・・

思えば数年間両親の介護と看病しつつ民生委員を続け、
二人が他界してほぼ同時期に民生委員の任期がきれるとすぐさま現職についたわけで、
もしかしたら積年の目に見えない疲労がたまったピークかもしれませんから・・・
だからまだ半年以上先ですが、来年になったらパート勤務にでも行こうかなと思っています。

自身の収入はなくなるけど、節約術も楽しんで行こうと思います。
なまじ収入があるとそれだけの出費もしてしまってましたしね、
昼ごはんはほとんど外食だったし(営業ダカラナ・・・食事代補助一切なし)
家族の昼ごはん(旦那と長女はたいてい昼時家にいる、長期休暇中は全員)も
「コンビニとかで何か買って食べてな」状態で高くついたし
外回るとその分の交通費も結構ついたし(会社は一切払ってくれません)
業務に必要な機器の使用料や社内でのコピー代も天引きされてたし(もちろん社外は自腹)
契約いただいたお客様へのお礼も普段配る粗品も年末のカレンダー代もほとんど自腹だし
(・・・だから保険の外交員さんが何かくれたら心から感謝してあげてくださいね)

まあ、とにかくまずできることからコツコツとやっていきますわ。
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それから

2012年04月27日 21時54分38秒 | 徒然雑記&連絡帳
4月から休職中のアチシ・・・
5月いっぱいは休むことをお勧めするとドクターに言われましたが
でも、5月1日に職場復帰して一定量の数字を挙げないと(営業ダカラナ)
6月末で解職になるさだめでもありました。
・・・ちなみに、実は某大手生命保険会社の外交員でございます。
(おわかりの方も大勢いらっしゃったかと思いますが)

多少無理してももうひと頑張りしてなんとか首をつなぐか、
(だって他のヒトはもっとずうっと長くお勤めされてますから)
それをすると現在の体調がますます悪くなるであろうから
これ以上無理をせず、この流れに逆らわずさっさと退職するか・・・
ある意味究極の選択を迫られました。

考え抜いた結論は・・・どちらを選んでも正解になるように今後を生きればいいと考え
流れに逆らわず、今自分に必要なのは休息だと判断して
5月も休職して、6月末をもって退職することに決めました。

それは逃げではないかと言う考えもできるでしょう。
逃げることも時には必要だともいえるでしょう。
考え方ひとつで、その答えは正解にも不正解にもなる気がします。
であれば、どちらを選んでも、選んだ方を正しいと信じて、
選んだ方でしかできないことをすれば意味もあるのではないかと思いました。

シゴトを続けて頑張るのはすごくたいへんだけど、その分意義があると思います。
逆にシゴトをやめると収入もなくなるけど、できることが他にあって
それも価値あることだと思います。

休んでいる最近は今名前の登録だけの状況になっていた
福祉委員のお仕事(ボランティア)に何度か行きました。
久しぶりに皆さんに再会し、楽しく時をすごしました。
福祉委員会主催の地域のお茶会に、
以前は毎回折り紙の立体のお花を作って持っていってたのですが、
就職してからはまったく遠ざかっておりました。
でも時間ができたので本当に久しぶりにお花を作って
1年数ヶ月振りに持って行きました・・・
とても座が華やかになったと喜んでくださる皆さんは以前と変わりなし。
お金ではない、ぬくもりのある居場所が私にはまだあったようです。

心から復帰を待ってるよと言っていただけました。


きっと今のシゴトで私のやるべきことは終わったのでしょう
そして人生で出会うべきヒトに、きっと出会えたのでしょう。


・・・なんてことを考えるようになったのは
にわかマイブームの飯田史彦先生の著作を立て続けに読んだせいだと思います。
今回の休職も飯田先生の著書に出会う必要があったからと言う気がしています。

飯田先生の本をくれたのはちい兄です。
せっかくだからと読み始めたところが、あっという間に読み終えてしまいました。
古本市場に他の著作を買いに走り、2冊買ってあっという間に読んでしまいました。
もともと先生が唱えておられる事柄には漠然と賛同していたのですが
よりいっそう確信を持って信じるようになりました。
明日にも他の著作がア○ゾンから届くことになっていて、
早く読みたいと思っています。
そしてこの機会に自身の今までのことやこれからのことを考えてみようと
両親や兄弟、今の家族とのことも考えてみようと
哲学の道をちょっとかじっている今日この頃です。

飯田先生の著作は、私はシツレイながら全然存じなかったのですが
大ベストセラーになっていたのだそうです・・・

皆さんもよろしかったらぜひどの著作でもいいから一読なさることをお勧めします。
全然堅苦しい内容でも、小難しい内容でもありません。
それどころかどんどん読み進めたくなる”楽しめる”人生論の本です。

なんか飯田先生の宣伝になってしまいましたが、騙されたと思ってぜひ!
昨今活字離れはなはだしい私でも読めました。本の分厚さを感じさせない素晴らしい本です。
飯田先生のHPもございます・・・


てなわけで・・・適応障害中のちゃちゃめですが、結構元気です。
皆さんもこころの病には気をつけてね・・・。
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キャラメルはなちゃん

2012年04月20日 21時19分32秒 | ジャンガリアン
電波系ジャンガリアンハムスター・はなちゃんは今日も絶好調だ。
「ぷくぷくぷくぷく」と、はなちゃん通信を送っている。
イヤ、もしかして愚痴っているのか、それとも呪文でも唱えているのか
イヤイヤ、通信対戦とかモンハンをやっているのかもしれない。
それとも以前このケージに暮らしていた先代のヘケたちと
霊界通信をやっているのかも。

んなアホな。
でもホンマに「はなちゃ~ん」と呼ぶと「ぷき?ぷくく」と返事みたいなことをしたり
寝ているときにちょん、とつつくと「ジジイ!!(おじいさんへの蔑称ではない)」と言ったり
うとうとしながら「ぷきゅんぷきゅんぷきゅん」と規則的につぶやいていたりします。

そんなにぎやか面白はなちゃん、ちょっと前のことですが、
モ○ナガのミルクキャラメルの空き箱を入れてやりましたら
かじったり中で昼寝したりしておりました。



え?ジャンハムってこんなに小さいのって??
イヤイヤイヤ、これはキャラメルの箱がでかいんです。
長さ12~3センチの大箱です。非常食売り場で見つけたもので
非常食にする間もなくみんなで食べてしまいました。
で、空箱を捨てるのがなんとなく惜しくてはなちゃんにあげたのです。







ハムスターは狭いところが大好き。

ところどころかじってますが、まあ気にせんと。
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創作小説 SUNSET CHAPTER12 PART.7

2012年04月20日 21時04分54秒 | 創作小品
 しばらくして、俺はようやく気持ちが落ち着いて母さんから離れることができた。
 この海岸に出たのは、実はひとつにはこれを警戒してのこともあったのだ。つまり、誰かに見られたくなかったからっていうことだ。ここは一見丸見えだけど、海岸通から結構距離があって見えてそうで見えてない。おまけに何か叫んでも波の音と混ざってほとんど聞き取れない。周囲からは意外と隔絶しているのだ。俺は今日母さんにあって話したら、絶対冷静でいられない自信(?)があった。どう転んでも、何か起きる、何かしてしまうと思って…だからココへ来たのだ。そして…思惑通りになってしまった。逆にここなら我慢しなくていいからという気もなかったとは言えない。
 海と砂浜はそんな俺を優しく受け止めてくれた――気がした。
 母さんは改めて俺の顔を拭こうとしてくれたけど、さすがに今度は俺はそのハンカチを借りて、自分で顔を拭った。
「大丈夫?」
「ああ…もう大丈夫です。…カッコ悪いな、いい年して大人のクセに、ガキみたいに大泣きしちゃって…。できれば忘れてよ。」
「うふふ、悪いけど、絶対忘れません。」
「えええ~っ…。」
「そのかわり誰にも言わないから。」
「参ったなあ…。」
俺はそっぽ向いて頭をかくしかなかった…。
「それより、からだは大丈夫? さっき咳をしてたでしょう? あまり長くここにいるとぶりかえしますよ?」
「あ…いや、そっちも大丈夫みたいです。なんか、ドサマギで治っちゃったかも…。」
多分に精神的なものがあったのだろうか。いつのまにか治まっている。やっぱりあれは心労のせいもあったのかな…。
 「とにかく…店に行きましょうか。母さんこそ、この寒い時期にこんなところへ来てもらってすみませんでした。寒いのはわかってたんだけど…何ていうか…。」
「いいえ…ここはいい景色ですね。海は大好きですよ…。生まれ育ったのは港町だけれど、こんな自然な海の景色も大好き。あなたもだからここにいるのでしょう?」
「いや…偶然ですがね、海岸通の店って言うのは。まあ、またゆっくり話します。でも、俺も好きですよ、ココの風景。母さんに気に入って貰えて良かった。じゃ、店に戻って…コーヒーいれますよ。一応店長ですからね、自慢できる味ですよ。」
「それは楽しみね。ぜひいただきますね。」
 それから俺は母さんの肩を抱いて、店に向かって歩き出した。良かった…本当に、このヒトと通じ合えて。今日会って話をして…。
まったく、考えてみりゃ俺は何をあんなに恐がっていたのだろう? 避けていたのだろう? このヒトが、母さんがこれほど素晴らしい人であることは、本当はとっくに知っていたじゃないか。俺を産む決心をした時点で、この人はすごい人なんだよ。俺なんかとても太刀打ちできない。母親とはなんて強いものなんだろうって、そんなの施設にいた頃から知ってたじゃないか。世の中の母親という人間のすごさ、素晴らしさは、子どもにとって絶対の存在なんだということは…ずっと目の当たりにし、自分も感じてきたことじゃないか…。
 今からでも遅くない。俺はこの人に絶対恩返しをしたいと思った。大事にしたい。そして一生愛していきたい…。…って、マザコンじゃないからね?! そーゆーのとは違うからね?! 
……ヤレヤレ、前に誰かに聞いたことあるよな…男ってのはだいたいがみんなマザコンで、お兄ちゃん(または弟)てのはだいたいがみんなシスコンだって。…俺は両方かいっ!! 俺がそうならテツなんてどうなるんだ!! トリプルじゃないか! いや、そんなことはどーでもいい…あれ…? テツといえば「案外産むが易しって思うけどね」とか言ってたような…。あいつの言うとおりだったとすればなんかめっちゃムカつくんだけど!!!
 ま…まあいや…。とにかく俺は母さんと店の方に向かいながら…しみじみと幸福感を感じていた。母さんもそうならいいのだけれど…。
 後は和佳菜と、和佳菜のお父さんのことを何とかしないとと思う。実は離婚はしていないということを俺は聞いて知っている。母さんは自分を罰するために、あの家を出て行ったのだということも。自身を幸せから遠ざけるため――母さんのそんなストイックさを、ある種尊敬はするけれど、そのために和佳菜やお父さんが寂しい思いをしなければならないのはさすがに間違ってるよ…。まあ、そのへんは俺が口出ししていいのかどうかわからないんだけど。
 「母さん?」
「何です?」
「あの…実は俺…今ちょっと将来を考えてる人がいるんだけど…。」
和佳菜のことはさておいて、俺はみゆ希のことを思い切って話した。
「まあ、そうなの? それは素晴らしいこと!」
「いや、まだ何も決めたわけじゃないし、正確には将来を考えてもいいかなと思う人がいるっていう…まだ具体的に何かしようってわけでもなくて…ただ、まあ…それなりに付き合ってる人がいるっていうか、その程度なんだけど…。」
チクショウ、どうも言いにくい。
「そうなの…。お付き合いしている人がいるって、いいことですよ。こんどぜひ紹介してくださいね。」
「ええ、そのうち…。母さんも見覚えあると思いますよ。」
「まあ、私が? 見当もつかないけれど…楽しみね。嬉しいわ、あなたが幸せなのが一番嬉しい。」
「………。」
ホントに…母親ってものは…。俺はこの人にも絶対勝てないな。てか、本質的に男は女には勝てないものなのかな…。それともそれは俺だけなのか??


・・・TO BE CONNTINUED.
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KAIGO.介護 巻の百三十九 ICUな日々

2012年04月16日 21時46分31秒 | 介護な日々
2010年6月1日 曇り時々晴れ・・・ビミョーやな・・・て、雨やん!!

病室へ入るなり、本日の母の第一声・・・


ご機嫌は?の問いに「悪い!」・・・悪いそうです。
しんどいを連発するが黙ってはいない、但し意味はわからず・・・。
「お客さんがそこの青い扉(隣のナースステーション直通のドア)から
出入りするのに変わったから、私はしんどいわ」
しんどいことの因果関係がわかりまへん。
「エレベータの人がそこ行き来するから(廊下側のドアはエレベータのまん前にあり、
すりガラスに人影がうつるのです)しんどい」
など・・・
D先生によるとやはり貧血だそうな。
ふつう4万近い数値が正常であるところの赤血球数が2万3000程度。
すると酸欠になり心臓にも負担がかかるので輸血をしますとのこと。
だいぶ楽になるでしょうと。腹水、胸水はだいぶ抜けたようです。
酸素吸入も心電図モニターもはずされ、回復してきたみたいで一安心。
しんどいをずっと言いながらも気だけは達者で文句もたらたら・・・。

ただ、味覚障害のせいでか、何を食べても苦いと言っていました・・・。


2010年6月2日 快晴 ちい兄面会

母の次兄であり私たちの伯父であるCさんから、
昔のアルバムのコピーが届きました。
Cさんの若かりし頃の写真の数々です。
(「明石の海にもぐって貝をとってきた」と母が信じ込んでいるCさんです)

母は喜んで見ていたそうです。
「退院してええと先生言えへんか?」などときいていたそうで、
付き添っていたちい兄が「一般病棟へ移ってからな」というと「そーかー」
・・・・そう、まだICUにおります・・・ただし同室の人の中では一番元気。
昼食は「おいしない」「(熱いのが)しみる」と言い、
顆粒状の薬を「それ口に残るから嫌いや」と言い、

・・・をまた繰り返し、
親戚のKR一家が林寺(はやしじ)に家を建てたなどとわけわからんことを言い。

ウチから持ってきた豆乳は「おいしいなア」でも「豆腐は昔から嫌いや」
はいはい、よう知ってます・・・が、IC病院はホンマ豆腐がよく出ますな。
・・・・・・・・・安いしねエ・・・


2010年6月3日 快晴 ちい兄面会

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