久しぶりに介護カテのお話。
生前うちのおかんがようゆうてました。
真理や!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これに勝る真理はないっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!
「魔人探偵脳噛ネウロ」(最近引用多いな)の弥子ちゃんも言ってます!
「私は食べることが好き」
「食べることはそれ自体が幸せ」だと。
全くその通り。
人は生きるために喰い、喰うために生きている。
寝食忘れて没頭できる何かを持つ人もやっぱり喰う。
なんだかんだで今日も喰う。
震災に見舞われた方々のご苦労は察して余りない。
本当にご苦労様です、お疲れ様です、大変御労しいことです。
いろいろと我慢を強いられて不自由を強いられていらっしゃることでしょう。
心中お察しします。一日一秒でも早い復興を祈念いたします。
そうでない人々の中にも、喰うや喰わずの日を過ごすかたもおられるでしょう。
否、世界中見渡せば飢餓に苦しむ人々の何と多いことでしょう。
それはこの日本も決して例外ではない。
これだけ食べ物があふれかえる日本にいてさえ、
餓死と隣り合わせの人が少なからず存在する。
そんな中で食べることができるということは何と言う倖せであろうか。
少々話が逸れました。
要介護のヒトビトの中にも「食べられない」方が大勢いらっしゃいます。
物理的に食べられない方もいれば、味覚がおかしくなって
「おいしく食べられない」方も本当に大勢いらっしゃいます。
うっとこのおかんは味覚障害があって
何を食べてもおいしく感じられなかったようでした。
だから口癖のように「おいしいもん食べたい」と申しておりました。
イヤイヤ、これぞ人類最高の願いです。
美食家たらんとするとか、そういうことやのうて。
食べられることの感謝を示す「いただきます」という言葉は
日本独自の言葉らしいですね。
食事をとることができること、命をくれる食材、
それを提供してくれた人、調理してくれた人、
すべてに感謝しながらいただく、いただける倖せ。
ところで、昔の同僚に「食べることに興味がない」という人がいました。
昼になっても黙々と仕事をしていたので
「お昼食べへんの?」と尋ねたら
「あれ、もう昼ですか? 食べることに興味がないので気づきませんでした。」
と答えた・・・・
「おなかすかへんの?」と聞くと
「そういうわけやないんですが、おなかすいても食べることの方が面倒で・・・」
・・・・・・。
まあ・・・中にはこんな人もおったってことで・・・
要介護の方、殊に認知症の方は食べること=生きがいになっていることも多いと思います。
ぜいたくはしなくていい、ただ、ちょっとこれおいしいやん、と思えること
そのささやかな倖せは実は実に究極の倖せかも知れません。
浅田弘幸先生のコミックス「テガミバチ」に出てくる
神秘の種族の末裔である少女・ニッチが
彼女の言うところの「生餌」・名前はステーキ・に対して
こういうセリフを言います――
「ニッチのステーキよ、おいしく食べられるのだぞ!」と。
(ちなみに連載はもう終了しております)
自分も年をとればおそらくは要介護者、認知症のヒトになるかもしれません。
おいしく食べられる今に感謝し、食べられない人の辛さ、味気無さに
せめて思いを寄せられるようであれたら、と思います。
生前うちのおかんがようゆうてました。
真理や!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これに勝る真理はないっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!
「魔人探偵脳噛ネウロ」(最近引用多いな)の弥子ちゃんも言ってます!
「私は食べることが好き」
「食べることはそれ自体が幸せ」だと。
全くその通り。
人は生きるために喰い、喰うために生きている。
寝食忘れて没頭できる何かを持つ人もやっぱり喰う。
なんだかんだで今日も喰う。
震災に見舞われた方々のご苦労は察して余りない。
本当にご苦労様です、お疲れ様です、大変御労しいことです。
いろいろと我慢を強いられて不自由を強いられていらっしゃることでしょう。
心中お察しします。一日一秒でも早い復興を祈念いたします。
そうでない人々の中にも、喰うや喰わずの日を過ごすかたもおられるでしょう。
否、世界中見渡せば飢餓に苦しむ人々の何と多いことでしょう。
それはこの日本も決して例外ではない。
これだけ食べ物があふれかえる日本にいてさえ、
餓死と隣り合わせの人が少なからず存在する。
そんな中で食べることができるということは何と言う倖せであろうか。
少々話が逸れました。
要介護のヒトビトの中にも「食べられない」方が大勢いらっしゃいます。
物理的に食べられない方もいれば、味覚がおかしくなって
「おいしく食べられない」方も本当に大勢いらっしゃいます。
うっとこのおかんは味覚障害があって
何を食べてもおいしく感じられなかったようでした。
だから口癖のように「おいしいもん食べたい」と申しておりました。
イヤイヤ、これぞ人類最高の願いです。
美食家たらんとするとか、そういうことやのうて。
食べられることの感謝を示す「いただきます」という言葉は
日本独自の言葉らしいですね。
食事をとることができること、命をくれる食材、
それを提供してくれた人、調理してくれた人、
すべてに感謝しながらいただく、いただける倖せ。
ところで、昔の同僚に「食べることに興味がない」という人がいました。
昼になっても黙々と仕事をしていたので
「お昼食べへんの?」と尋ねたら
「あれ、もう昼ですか? 食べることに興味がないので気づきませんでした。」
と答えた・・・・
「おなかすかへんの?」と聞くと
「そういうわけやないんですが、おなかすいても食べることの方が面倒で・・・」
・・・・・・。
まあ・・・中にはこんな人もおったってことで・・・
要介護の方、殊に認知症の方は食べること=生きがいになっていることも多いと思います。
ぜいたくはしなくていい、ただ、ちょっとこれおいしいやん、と思えること
そのささやかな倖せは実は実に究極の倖せかも知れません。
浅田弘幸先生のコミックス「テガミバチ」に出てくる
神秘の種族の末裔である少女・ニッチが
彼女の言うところの「生餌」・名前はステーキ・に対して
こういうセリフを言います――
「ニッチのステーキよ、おいしく食べられるのだぞ!」と。
(ちなみに連載はもう終了しております)
自分も年をとればおそらくは要介護者、認知症のヒトになるかもしれません。
おいしく食べられる今に感謝し、食べられない人の辛さ、味気無さに
せめて思いを寄せられるようであれたら、と思います。