ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

は忙し、は忙し。

2011年08月28日 22時01分36秒 | 徒然雑記&連絡帳
・・・と、言いながら舞台の袖に引っ込んでいく
往年の吉本新喜劇の芸人さんはどなたでしたっけ。
桑原のかずちゃんでしたっけ???
ケッコー好きやったなあ、あの人。
あ、今も大活躍されてますな、こらシツレイ・・・。

忙しいです・・・なんか。
また業務上受けんならん資格試験がございまして・・・

合格しないとシゴトがつづけられない・・・というほどではないんですが、
受けて来い、と言われてまして、
言われたからには受けなあかん、その勉強をせなあかんというわけで。


人間いくつになっても勉強でんな。
知ってることより知らんことのほうがはるかに多くて当たり前ですからな。

それにしても、この年になってからの勉強はきつい。
「なるほど、これはためになるわ」とは思うんですが、
いかんせんアタマに入らん。いっこも覚えられへん。
「へええ~」とは思うけど、次の瞬間「何やったかいな?」ですわ、
も~、情けないっ!!!

専業主婦歴の長かった人間が正社員になるとマジヤバイっす。
体力が続かへんのもありますが、気力が持たん。
普通の日常生活でガアッといわれることはそうありませんからね、
ビジネクライクに物事を考えたり捉えたりする習慣が身についてないんです、
だから言われたことをマトモに受け止めてしまう。
シゴト歴の長いセンパイ方、上司の方はある程度は割り切って、
流すところはさらっと流してストレスを上手にコントロールされるんですが、
うちら(複数形)専業主婦歴の長い者はそのへんがヘタで、
全部抱え込もうとしてしまって、当然そんなの出来るわけがないから、
ましてや昨日今日入社したばっかりのぺーぺーですし、
なおさらカンペキに受け止められるわけないのに受け止めなアカンとか思ってしまうから
余計にしんどいわけで・・・・

わかっちゃいるんですがね、アタマでは。そういうこと、そういうもんやって。
シゴトに於ける処世術が身についてないですわ。

まあでも・・・とりあえず今日は行っとこ、明日もまあ行こか、
それで気がつけば長いこと勤められたやん、を目指しています今日この頃です。


ところで独立した記事には書けなかったんですが、
この27日は我らがカズさん、柴山和彦さんの59歳のお誕生日でした。
いやあ、お若い頃からホントかわってないですね、この方。
ブログ友達のカズさんファンの皆様も祝福の記事をのっけてらっしゃいましたが、
ちゃちゃめもかげながらお祝いしたいと思います(・・・遅れてすまんです)。

ハッピバ~スデ~カズさ~ん

・・・・来年還暦てか?! マジ??!!

・・・・てことは、ワシもいくつになるねん??!!!!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KAIGO.介護 番外編の15 探偵!おひるまスクープ!③

2011年08月22日 22時09分39秒 | 介護な日々
母の故郷を訪ねて編。

本家の当代当主さんご夫妻に、母の実家のあったところにある豪邸に、
今はどなたが住まいするのかご存知ですかとお尋ねしたところ、
「UHさんですわ、HMの遠縁の人ですよ。」との回答が・・・!!
祖父のC郎の姉に当たる方が嫁いだ先がT家というのは戸籍謄本でわかっていましたが
その孫に当たる方がUHさんなんだそうで。
ただ、今の当主、すなわちその更にお孫さんご夫婦は今はお住まいではないとか。
ふだん付き合いがないのでよくわからないとおっしゃりつつ、
どこそこに今は住んでらっしゃるとか、そういうことはよく通じていらっしゃいました。

ついでに、母が晩年気にしていた”Tちゃん”、MJ家のTさんのこともよくご存知で、
今のMJ家の場所も教えてくださいましたが、それもすぐ近くだとわかりました。
もっともTさんご自身も故人で、今はその息子さん孫さんの代になっているとのこと。
・・・まあ、それはそうですね、うちも同じ世代の母が昨年みまかったわけですから。

そのうえ、本家のあるところから少し奥へはいったところにHM林業という会社が今もあるそうで、
そここそがすべてのルーツ、大本家であると教えてくださいました。
(あら、結構由緒ある家系やったんやね~・・・)

これだけいろいろ知ることができたのにもかかわらず
「お役に立ちませんで」と謙遜なさる当代HM家の奥様、
そして近隣に住まう一族に関係あるおうちへの道のりを教えてくださった当主Yさん。

また近くに来た際には寄らせてもらいます、とお礼を言い、
わざわざのお見送りまでいただいて、HM本家をあとにしました。

そして昨日も行ってみた母の実家のあった場所を再度訪問・・・。


そのおうちの裏の川を塀越しに見下ろす・・・こわっ


清流です・・・魚がたくさん泳いでいました。

昨日は空き家か・・・と思っていましたが、おや? 今日は洗濯物が干してあるではないですか??
どなたかいらっしゃる・・・!!!
でもって、まずは玄関前で勝手に記念写真を皆で撮影しておりますと、
物音が気になったのか、どなたかが出ていらっしゃいました。
しかし、何か思うところでもあったのか、その方はすぐに家に入ろうとなさいます。
ちい兄が急いで呼び止め、急いでお尋ねしました・・・
「昔ここにあったHMと言ううちをご存じないですか?」と・・・

するとその、杖をついた70歳くらいのおばさんは
「はあ、HMはうち遠縁ですが・・・」
「ここに住んでたC郎という人をご存じないですか? 私らはその孫なんですが・・・
私はそのC郎の娘のS代の子どもになるんですが・・・わかりませんか?」
すると・・・・おばさんは思いがけないことをおっしゃいました。
「はあ、S代さんはこの隣に住んではりましてな、ようお世話になりました。」

なんと・・・母をご存知ではないですか!! びっくりです!

おばさんもまた、「一人暮らしで気兼ねがないから、散らかってるけどお入り」と
中へ通してくださいました。

更に驚いたことに、おばさんは祖父母どころか母の兄姉、
今回同行のK従姉さんT従兄さん姉弟の両親、I伯父さんほか、
すべてしっかり覚えていらっしゃいました。そして
「Iさんには娘さんがおられましてな、KNちゃんていう。」
また驚きです、だってそれ、ここにいるK従姉さんのことですから。
「まあ、あなたKNちゃん?! まあ・・・・!」
おばさんもびっくり!! なんと60年ぶり?の再会なんですから。
残念ながらK従姉さんは幼かったせいか、そのおばさんのことは覚えていないそうですが。

こればかりではありません、更に驚いたお話が出てきました。
「S代さんの旦那さん、Iさん(つまり私の父)は優しい、大人しいええ人でしてな、
T社ゆうとこに勤めてはって、T社は親戚の人がやってはりましたな。」
「そうです! その父の姉の嫁ぎ先の一族が経営してたんです。
父の姉の旦那さんが社長やってまして、KR家いいまして・・・。」
「そうそう、KR家! 私そこで3年ほど女中やってたんですわ。」

本当に驚きの連続です。このおばさん、ものすごくうちに縁のある方だったのですね。
聞けばうちの祖父C郎の姉の孫、言い換えればC郎の甥の子どもに当たる方でした。
うちの母とおばさんの父上がイトコ、私たちとおばさんとはまたイトコになるのかな。
ほんと、思いがけない出会いというか、再会というか・・・だったのです。
(HM本家の当代当主Yさんとは、親同士がまたイトコか?・・・遠っ)

なにかとるからお昼ご飯を食べて行って、とおっしゃられ、
更にこの次はぜひうちに泊まりに来て、とまで言ってくださいました。

しかるに悔やまれるのはやはり母のことです。
昨年、ここまで連れて来ようと計画し始めていたものの、結局は実現しませんでしたから・・・
もし母を連れて来てあげられていたら、母もおばさんもどんなに喜んでくれたかと思うと、
本当に、返す返す残念でなりません。
おばさんも少し涙ぐみながら母を懐かしんでくださいましたから・・・。

でも、きっとおばさんにはまた会いに行きたいです。母のかわりに・・・。


UH家より、裏の小川の方向を望む。のどかでよろしなあ~・・・

このあと、HM家本家の方が教えてくださった”Tちゃん”のMJ家を訪ねましたが、あいにくお留守でした。
また、UH家のおばさんが、教員時代の母の写真に、よく母と並んで写っていた同年代の女性のことを
「これはS代さんの同僚の先生で、SGさんていうひとですわ。
もう90近いけれど、この近くにうちがありますよ。」
と教えてくださり、(また積年の謎が解けた!!)お電話までかけてくださいました。
でも、あいにくご本人さんは今は娘さんと別のところにいらっしゃるとのこと。
だけれど、機会があればぜひお見舞いがてらお会いしたいと思いました。



こうして、今回の日高行きはいろいろなことが解明し、
新たにぜひお会いしたい人々も新しく現れた(宿題?)小旅行でした。
今回のイトコ会は4人だけでしたが、他のイトコたちも交えて、
ぜひまた日高のHM家所縁の地と人を訪ねる旅をしたいものです。



日高川。母の幼い頃からとちっともかわっていないそうです。鮎が釣れるとか。


ちなみに、徳川吉宗ゆかりの地でもある・・・紀州徳川家ですな。暴れん坊将軍?!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KAIGO.介護 番外編の14 探偵!おひるまスクープ!②

2011年08月20日 09時03分16秒 | 介護な日々
母の故郷を訪ねて編。

人間年をとると昔のことが鮮明に思い出されると言いますが、
ご他聞に漏れずうちの母も晩年は昔話をよくしていました。
初めて聞く話も多く、中でも「どこそこにHM〈母の旧姓)家の本家がある」とか
「私の生まれたんは今治やねん」とかいうのは全くの初耳情報でした。
長年知らなかったのがおかしいような話なんですが。

それで、この際母曰くの本家と言うのも見に行ってみようとなりました。

宿泊施設で地元の電話帳を繰って調べましたところ、
母の言う地名に、確かにHMというおうちがあります。
そして今の世帯主さんがYさんだと言うことがわかりました。

そこで、会える会えないは別として、本家と思しきおうちに行って見ました。
道を聞きながら尋ねてみると、タイムスリップしそうに古色豊かなおうちが見えました。
その前の道路は真新しく、少し高台にあるおうちに上がるスロープも新しい白い道で
新旧混在したフシギな感じでした。



古めかしいおうちの傍には普通に今風のおうちがくっついています。
どうやら古いおうちに増築されたようです。



いきなりな突撃リポートではありますが、せっかくここまで来たのですから、
思い切っておうちの人を訪ねました・・・遠縁かもしれないことを示す資料を手に!
出てこられた優しそうで、活動的な感じの奥様に
HM家の縁者であること、昔この近くに住んでいたHM家のC郎という人の孫であると伝えますと、
「ああ、C郎さん、主人の祖母がよく口にしていたと聞いています。」と!
「C郎さんどないしてるのかな、とか聞かされてたということでしたよ。」

まあ、お入りくださいというお言葉に思い切り甘えまして旧家の玄関先にお邪魔します。
いかにも時代を感じさせる玄関の中は広い広い土間になっていて、
上がり口が、これまた古いおうちによくあるようにかなり高くなっています。
50~60センチはあるでしょうかね。
奥様と話している間に、用事で出かけておられたご主人、今のご当主Yさんが帰ってこられました。
このかたもたいへん人あたりのよい、感じのいい方で、
お話を聞いてみると、Yさんも家系の系図を持っておられ、
ちい兄が母の戸籍謄本を元に作った物、
さらに母がかなり以前に作って神棚に置いてあった物と付き合わせると
確かに同じものでありました。ただ、お互い抜けている部分もあり、
あわせるとかなり正確なものが出来上がりそうです。

母の、またちい兄の系図にはこのYさんの名前はなかったのですが、
聞けばこちらで調べた一番末端の本家筋の人がYさんのお兄さんで、
つまり直系の方までしかうちではわからなかったようでした。
Yさんは次男さんで、お兄さんがこのうちを継がなかったので現当主になられたそうでした。

親類縁者も辿ればどこまでも広がっていきます。キリがないと言えばキリがないので、
Yさんもあまり手広い付き合いはしていないとおっしゃいました。
でも、こうして同じご先祖様を持つ者同士が会って
ルーツを確かめるのも悪いことではありません。
今後親しく親戚づきあいするつもりは双方ともありませんけれど、
また近くに来た折にはお訪ねするくらいはさせていただくことにしました。

さて、母は晩年ちい兄にいきなり
「あんたTちゃんて知ってるか? どないしてるんかわかるか?」としょっちゅうたずね、
さらに私にも「Sちゃんて知ってるか?」と聞きました。
”Tちゃん”は誰も知らないし”Sちゃん”は私たちの父方の従姉にいましたが
どうもその”Sちゃん”ではないみたいです。
これは偶然ですが、私の知る従姉のSさん、お父さん(つまり私の伯父)はMさんといいましたが
母の系図をみると、遠縁にも全く同じ字でMさんSさん親子が存在しました。
どうも母はこっちのSちゃんのことを言ってるようでした。
そして”Tちゃん”のことも、母方の従姉たちに尋ねるなどして誰のことかわかりました。

そのTさんが写った古い古い写真がうちにあるのですが、
そこに一人誰だかわからない女の子が写っていました。

Yさんに話すと、Yさんも奥さんもTさん(すでに故人でした)のことはすごくよくご存知で、
今もそのTさんの家系の人が近くに住んでいると教えてくださいました。
更に、その写真の女の子はTさんの娘さんだと思うと教えてくださいました。

おお・・・謎がひとつとけた!!!

更に・・・昔の母の実家、昨日見に行った豪邸に建てかわっていたおうちのこともご存知でした。

そのお話は、また次回・・・・・つづくったらつづく。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KAIGO.介護 番外編の13 探偵!おひるまスクープ!①

2011年08月18日 22時30分34秒 | 介護な日々
2011年8月16日&17日 今回はリアルタイムのお話です。

ちょうど介護本編で、「日高へ行ってくたばらな」などという話をしていたことを書き
そしてその母の故郷の話はかなり以前に少し書きましたが、
結局母を故郷の日高に連れて行くことは出来ませんでした。
ガンの再発、治療と回復に思いのほか時間がかかり、
ようやく元気になってきたと思った矢先に急逝したためでしたが、
このたび、母に代わってようやくその懸念の日高行きが実現しました。
そればかりかいろいろと”収穫”がありましたので、
記録の意味もあわせて、今回記事としてアップしたいと思います。

今回の日高行きはちい兄の企画で、私と、それから母の長兄の、戦死したI伯父さんの子どもである、
K従姉さんT従兄さん姉弟の4人で、T従兄さん運転の車で一泊の小旅行として参りました。


日高と言うのは、現在の地名では和歌山県日高川町というところです。
厳密には母の生まれ故郷ではないですが、若い頃、結婚前までの多くの時期を過ごした場所です。
母のいた当時は日高郡船着村といい、その後中津尾村にかわり、
平成の大合併により近隣の3町とともに日高川町となったそうです。
川の本流近くにあった船着村高津尾国民学校(のちに村立高津尾小学校)と言うところで、
母は終戦前後の数年間教鞭をとっていたそうです。
この小学校は過疎化が進んだ影響で、平成10年の卒業生を最後に閉校になりましたが、
校舎はそのまま現在も残っていて、町の行事の際などに使われているようです。
校庭は草が生い茂っていましたが、きちんと手入れされているようでした。
 


校裏の日高川はとてもきれいな水の流れる川で、家族連れが水遊びに訪れていました。
まだ母の両親がここに住まいしていた頃、ちい兄もお兄と一緒に遊びに来て、この川で泳いだそうです。
周辺の建物や道路はすっかり様変わりし、幼子の目線は大人の目線に変わって
「こんなに道がせまかったかなあ(ちい兄談)」という印象の違いもありましたが、
遠景の山の稜線は何もかわらず、母のいた頃と同じ風景がそこにあるということでした。

私は初めて来たので、全然わからず・・・でしたが。



前の記事でアップしたこのおうちが、母の実家と言うか生家で、
この写真の当時は既に他家の方が住んでおられたようでした。
これは1977年の写真ですが、それ以来30年以上を経て今回訪ねて見ますと・・・
あららら、すごい豪邸に変わっているではないですか・・・。

家の前にあった石垣も新調(?)され、石垣の更に上にあったお家はなくなっていました。
豪邸を訪ねようかとも思いましたが、裏にも表にもチェーンがかかり「立ち入り禁止」の札が・・・。
仕方なく風景写真だけ撮影しました。



そのあとは周辺をぐるりとまわってお宿へ。
母が昔このあたりで生活し、あちこちの道を歩いていたのだろう・・・と思いつつも
当時の面影を偲ばれる物は当然ですがほとんどなく、
正直私自身はイマイチピンと来ませんでした。
そりゃ・・・ん10年以上前の話しだし、私は生まれて初めてここへ来たのですから。

・・・て、想像力無っ!!!!!〈滝汗)


さて一日目の夜はちい兄持参の母の若い頃のアルバムや、
母が亡くなった時取り寄せた戸籍謄本、それを元に書いた母方の系図、
その他少し前にちい兄やT従兄さんが撮った日高の写真や資料をもとに
母方、HM家のルーツを辿る話で長い夜を過ごしました。
古い写真は誰が写っているのかわからない物も多く、
折に触れ写真鑑定も進めてはいましたが、なかなか埒が明かないものも。
この夜も皆で”そのヒト”の正体をつきとめようとしましたが・・・やはりわからずじまい。

ともかく、戸籍謄本でわかった、
当時HM家の本家があった(母・談)とかいう住所の場所に
どうやら今もその子孫と思しき同姓の方のお宅があるようなので、
明日様子を見に行ってみようということになりました。


(それはそれとしまして~・・・・
夜は山深い・・というほどの山奥ではないけれど、まあ山奥のこの土地です、夜は天体観測に限ります!!!
・・・と言ったところで薄曇の天候・・・夏の大三角形など、なんぼかは見られましたが
天の川はほとんど見えず・・・残念・・・。)


さてさて、「本家がある」と母が生前のたもうたそのおうちには、
今はどなたが住まいするのでしょうか???

・・・・・・・つづく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KAIGO.介護 巻の百十五 そうなんですと。

2011年08月15日 22時31分44秒 | 介護な日々
2010年3月16日 ・・・・前回の続きです。

2月26日及び今朝の検査の結果、またガンが再発したということで
主治医のD先生のお話によりますと・・・
手術するとすれば昨年夏にOS病院でしてもらったようなカテーテルによる
抗がん剤の注入手術になるであろう、とのこと。

しかるに
「手術するとなるとガンの周囲の正常な細胞も多少は犠牲になるので
肝臓の全体的な機能も低下します。
また、C型肝炎はいずれまた再発していつかは手術ができなくなる時が来ます。
一家を支える立場ならともかく、高齢でもありますから
このまま手術をしないのも選択のひとつです。
このお年ですので、梗塞などほかの病気を起こす可能性もあり、
余命があと3ヶ月とか半年とか言うことはできませんが、
肝臓に限って言えば手術しなくてもあと1年はもつでしょう。
以上のことをふまえて、今回手術するかどうかお返事ください。
すぐにということはありませんので、
ご家族でよく話し合ってください。」
・・・そういうことでありました。

前回は手術を強く勧められたD先生でしたが、
今回はあまり強くはおっしゃいません。
あれから少し経ちましたし、それだけ母も弱ってきてもいます。
それに、肝臓ガンがあるといっても本人には自覚症状なし、
からだにも苦痛はないし精神的にも・・・てか、あまりわかってないみたいやし。

とりあえず、またOS病院へ行ってN先生の診断を仰いで、
危険度が高ければ回避、でなければ手術していただく方向でいきますか。
前回もそうでしたが、確かにせずにすますのも選択のひとつではありますが
今回もまた、できることはしておきたいというのが私たちの考えです。

でもまたN先生は渋るかなあ~・・・

またまたこういう心境??

それはそれとしまして、本人に伝えましたところ・・・
ちい兄「肝臓にまたおできができているので、手術するか考えてくださいという話やったで~」
母「そんなんお医者はんが決めるんちゃうんかいな?」
ちい兄「最近は本人の了解を得とかなあかんのや。お医者が勝手に決められへんねん。」
母「”また”て、前にも〈手術を)したことあるか~?」
ちい兄「何回かあるな~。もう一回だけするか?」
母「そやな~。」
ちい兄「腹切らんと足(ふとももの付け根)からチョイチョイとするだけやけどな。」
母「そーかー。」
いつも通り、全然深刻にもならず、どちらでもよいというよりは
あんまり考えていない様子です。(だから認知症ということやな)
ちい兄「〈手術して良くなって)日高(母の故郷)行って
Cさん(母の兄)とこ行ってからくたばってもらわなな。」
母「アッハッハ(爆笑)」
ちい兄「ちゃちゃは日高行ったことないからな~」そーなんです。
母「そーかー、こんなとこやと見せといたらなな~。」
お隣のベッドではAさんがテレビを見ておられます。
ちい兄「お母はんもテレビくらい見たらなあ。」
母「遠くて見えん。」すぐ傍に置いたあるねんけど。
ちい兄「点けたら見るか?」
母「ふん。」
とて、テレビカードを買って来てつけてみましたが・・・はて見るのやら。

なんにせよ、普段どおりのまったりとした会話で
ガン対策の相談はすぐに終わったようで・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする