ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

あの頃のKAZZ~セトリあれこれ➁

2016年10月29日 20時49分24秒 | KAZZあれやこれや
カズさんセトリ、大沢くん編の続きです~。

ARABLE SPECIALのセトリ紹介を前回致しましたが
少々追記・・・というか
その時の衣装カットをば。
記録が残っておりましたゆえ・・・まあ、こんな感じですってことで。



中に着ていたものははっきりしないんですが、
とにかく白・・・というよりはラメっぽいコートみたいなのを着てました。
他のライブはきれいさっぱり忘れちゃいましたがタブン他は私服。
この時のみユニで、みんなこのコート着てました。大沢くんも。
少なくともこのライブではカズさんはまだ化粧してて
曰く「癖になっちゃってて、化粧しないと乗れないんだよねwww」

ちゃちゃの直撃インタビューで語っておられたお言葉です。

さて、この頃大沢君はラジオ番組をいくつか持ち番組としてやってて
その一つに東京放送系の音楽番組で「サウンズ・ウイズ・コーク」てのがありました。
ウィキでみても詳細は不明で、しかも歴代DJに大沢の名前がない!!
・・・とほほですね。

でも、1984年ごろから86年にかけて大沢くんがDJやってたのは確かだぞ!
だって録音がちゃちゃ手元にあるんだもん。

ジュリーがゲストに来たことがあって、それが1984年。
その時カズさんのことがちょっと話題に出て
アシスタントの女性アナが「そのカズさんというのは?」と聞いたのに応えて・・・
大沢「あのー、EXOTICSのギタリストでね」
女性アナ「あ、ギターの人ね」
ジュリー「そうそう」
大沢「中々・・・ひょうきんな人なんですよね。」
ジュリー「はい、楽しい人です。」
はい。楽しい人です。

そして1985年にはそのカズさん本人がゲスト出演。
中でも印象的なアホ話がこれ・・・
カズ「(ツアーで)青森に行った時の話、板前がね、泣いて喜んだって言う」
女性アナ「どういう?」
大沢「カズさんがね、こう、魚をさばくワケですよ。上手にね。」
カズ「そうそうそう」
女性「へえ~!」
カズ「目玉なんか舐めながらね」
・・・何の話ですか・・・。

これについてはちゃちゃインタビューでカズさんが
「昔ちょっと勉強したことがあるの。板前になりたくてね・・・だってカッコいいでしょ?」
マジデスカ・・・??

そーいやカズさんてさ~、特技かなんかに「少林寺拳法」とか書いてて、聞いたら
「ああ、ほんのちょっとだけやったことある。ホントにほんのちょっとだけね。
カッコイイから、でも、ほとんど冗談。ていうか90%冗談。」
という風に、ちょっとだけ憧れてかじってすぐやめるパターン・・・多くね??
中学の時に体操部に入ってたのもきっと東京オリンピック見て
カッコイイな~とか単純に思ったんだろな~、きっと。
高校に入った時はもうやらなかったそうだから。
バンドだけは長続きしてプロになれたわけだからそれで十分スゴイッスけど。

閑話休題。

続いて時系列順に行きますと、1986年夏はツアーではなく
「THERE’S A LOT GOING ON」と銘打ったスタジアムライブを
今は亡き?大阪球場と神奈川の川崎球場の2か所で開催しています。
ところが! その川崎球場でのライブで、アンコール直前に大沢くんは酸欠でダウン!!
救急車で慶大病院に担ぎ込まれる事態に・・・!! 幸い大事には至りませんでしたが・・・

その頃はNHK-FMの名番組「サウンドストリート」のDJもやってまして
その番組中、ダウンしてしまった時の録音を流して
「皆さんにご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と謝罪が・・・。
私は無事に完遂した大阪球場に行き楽しんで終わりましたが
川崎球場に行った関東地方の友人は大ショックを受けて帰ったことでありました・・・

残念ながらこのライブの記録は散逸してしまってセトリは不明。
ただ、インターバルあたりでカズさんがアコギで
「イパネマの娘」を演奏してたことのみ覚えています。
ちなみにこのライブタイトル、ソウル歌手の誰かは不明、
どなたかのツアータイトルか曲のタイトルか何かからまんまパク・・・取ったものだったらしい。

1987年はツアー活動再開・・・したっけ・・・。多分した。
この頃からバンド名が数年間「エル・タバスコス」に固定。
メンバーは毎回多少入れ替わりましたがカズさんだけはずっといました。
・・・まあ、カズさんもそのうちジュリーにシフトして
被った時期はジュリー優先にして大沢くんの方は欠席してたみたいですが。

その1987年12月19日放送のラジオ番組
「ローディ・ライブコンサート」でのセトリを紹介しませう。
1.Go Go ”Trouble” Heaven~ゴーゴーヘブン
2.スカしたBeatで
3.ダンスをしようぜ
4.フランス海岸
5.そして僕は途方に暮れる
6.まずいリズムでベルが鳴る
7.ウーレイ
1~4は時のアルバム「SCRAP STORIES」から。

通称「途方」はナンバーワンヒット曲、6は1stアルバムからタイトル曲
そして7は「途方」と同じく3rdアルバム「CONFUSION」から。
番組DJはお馴染み!!井上堯之さん!!
そしてカズさん紹介時に井上さん曰く「オレ結構お世話したよね!」とのお言葉が・・・
「お世話されました・・・」としか言えないカズさんであった。

「ローディ・ライブコンサート」には1989年11月18日放送にも出演してました。
その時のセトリをば・・・
1.G
2.REAL ACTION
3.CONFUSION
4.君の住む街角
5.ハートブレイク・ノイローゼ
6.STANDERD LOVER
7.STOP&ギミーラブ
8.ゴーゴーヘブン
この年はアルバムを2枚出してて、それもシリーズもので
「Serious Barbarian」無印から翌年のⅢまでの3枚、
大沢くん曰く同じコンセプトとタイトルで3枚出したら
「(たぶんEPIC SONYの)社長に怒られた」。(でもやめなかった。)
7はその無印から、1と2と6はⅡから。4はシングル(通常アルバム未収録)
他は従来のアルバムからの選曲となっておりました。

無印







さてさて、大沢くんのセトリはまだありますので次回、もっかいやります。
ホンマはもっともっとあってんけどね、ジュリー程きちんと残してませなんだ。スマソ。

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KAIGO.介護 りたーんず 巻の百八十三 「命の大切さ」

2016年10月24日 06時06分59秒 | 介護な日々
また久しぶりの介護なお話・・・というか、闘病のお話。
介護カテで時系列順に書いておりましたが、当時書けなかった
というよりよう書かんかったおとんの最期のお話です。

2008年秋・・・おお、夏目友人帳のアニメ第一期放送が始まった頃やん、
て、それは置いといて。

腹腔というか胸腔というかに水がたまって
呼吸困難になった父は通院していたOSセンターに緊急入院、
とりあえず水を抜いてもらってちょっと良くなってしばしの入院と思っていたのが
2008年9月半ばでしたなあ。
それが10月の中頃に誤嚥性肺炎を起こしまして・・・

高齢者の肺炎はかなりの高確率で誤嚥が原因だそうですな。
父もそれで、主治医のT先生からしばしの絶食を言い渡されました。

T先生というのは30そこそこだったと思います、
きっと成績の良いエリート組みたいなセンセイやってんやろなあ、
知識は豊富で真面目で・・・生真面目で一生懸命なんですが
いかんせんキャリアがない。
大人の事情か組織の事情か、いろんなしがらみがあるのか知りませんが
大きな病院では若い先生に経験を積ませる目的もあるのかしらん・・・

イヤ、邪推はやめましょう。

とにかく高齢者はあちこち衰えているせいでかいろんな合併症を起こす。
一つ治ればまた一つ何かが起こる。
真面目で一生懸命なT先生は異常値が出るたびに教科書通りに対処を考えた・・・ようでした。

インフォームドコンセントと言い上、話が長すぎる・・・
始まると1時間以上説明を続ける。
後でわかったことやけど同じ内容の話をしても
母のいたIC病院のベランダ・・・ちゃう、ベテラン(ボケんな!)D先生なら
3分で話せることをT先生は2時間近く専門用語使いながらくどくどと・・・
失礼やがこの辺が駆け出しとベランダ・・・ちゃう、ベテランの差やね。


そしてそれを思い出したかのように・・・思い出した時に電話してくる。

ちい兄が今だにトラウマやと申しております。
朝早くとか夜とかに電話がかかってくるとドキっとしてしまうそうな。
夜中にT先生から電話があって、容態が急変したのか、今すぐ行かなあかんのか?!
・・・と一瞬身構え覚悟して「すぐ行かなあかん状態ですか?!」と聞くと
「いえ、今度来られる時でもいいんですが」とそこから長々1時間・・・

電話でも1時間かよ!

思えばセンセイも不安だったのかもですね。
なんかいろいろあれこれ考えあぐねて相談がてら確認がてら電話してくる・・・

イヤイヤイヤ!! それにしたって非常識やろ!!
患者ことを考えるのはありがたいんやけど、家族の気持ちや生活まで考えられなかったらしい。
こちらは病院を頼るしかないですから先生がそうおっしゃるならそうなんやと思いましたが
今にして思えば数値や病状ばかり見て、患者本人や家族のことは見えていなかったのだと思えます。
病気ばかり見てないで患者を診なさい、と今思うぞ、と。

とにかくちい兄曰く「モグラ叩き」。症状が何か出ればそれを引っ込めるために
手を変え品を変え、ガンガン叩き潰そうとした。
あない叩かれたら台=患者=おとん本人はたまったもんやないですよ。
一生懸命なのはわかりましたがな・・・。手を抜くような先生ではなかったけど
結果的にそれは空回りし続け、半年もの間点滴と注射んだけで生きながらえさせられて
自力で喋る体力も無くなり、50音表を指で辿って意思疎通を図ることも辛くなり
ただ頭はクリアで意識だけは最期まではっきりとしたまま亡くなりました。

まさ壮絶やったと本当に思いますわ。

ICU症候群と言いまして、普通集中治療室にいると若い人でもひと月もしたら
精神状態が普通じゃなくなる=鬱になるもんやそうです。
あの白い壁や機械だらけの中にいて不安が増大するもんやそうで
ましてや80何歳の後期高齢者となると尚更。
旦那のお父さんも晩年結核菌が見つかってICUみたいなとこへ入ったら
たちまち認知症になってしもうてひと月ほどで亡くなしました。

だからうちの父も一般的にそんなもんやろうと思われたのでしょう。
だから正直対症療法をするしかなかったんやろうなとは思いますが

結果論ですが半年頑張りました・・・この根性にはホント敵いませんわ・・・。

そばに付き添ってても私等にはなんもできません。ただいるしかなかった。
だからただただ家にいた時のように何気なくそばにいて
何気なくいつも見ていたテレビを流すしかなかった。
その中で会話もできへんから時折ポツポツと家族やおかんのことを話し、
「痛いとこないか?」と聞いて手や足をさすったり
そんなことしかできませんでした。


なんもできへんけど、そばにおれるだけおろう、と思って。

最期、連絡もらって一番近くにいた従兄(おとんのお姉さんとこの息子)夫婦が駆けつけてくれ
次に私が着いて、従兄の奥さんが「まだぬくいで」と
「先生がな、息子さんか娘さんが来るまで、ゆうて空気吹き込んでくれてはってんで」
空気を吹き込むと心臓が止まってても血流が生じてぬくもりが残るんやそうです。
ちい兄が来るまで臨終の確認は待っててくれはりました。

先生もがっくりとはしてはりましたな。あかんやろうと気づいてはいたけれど、
実際その時が来るとやっぱりがっかりするもんです。

霊柩車が病院を出発し、先にもどったお兄に受け入れを任せ
我々は別途家に向かうこととしてその車を見送っていると
T先生は白衣をはためかせて駆け込んできてくれました。

せめて見送ろうとしてくれはったようですが、その日は外来担当の日でもあったそうで、
朝、父の臨終に立ち会った後外来勤務についてはったようです。
医師という職業は改めて思いますがホンマに大変ですね。
亡くなられるとしんどいけど他にも患者さんは待っている。次へ進まなならん。
亡くなった人への尊厳も家族への心配りも必要やけど割り切ることも必要。
ホンマ、大変やと思いますわ。

もうその先生も随分前にその病院にいなくなりはりましたが。
私がちい兄に「栄転やろか?」と言うとちい兄は「いやあ・・・・・」とゆうてましたが?
なんやかんや思うところはあったし今も思い返せばあれこれあるけど
それでも先生は一生懸命やってくれてたと、まあ贔屓目に思ってますぜ。


ところで昨今、「命の大切さを伝えたい」と言う話をよく聞きます。特にイジメのあった学校の報道で。

今、生まれるのも死ぬのも病院が普通で、どちらも身近なはずなのに身近ではなくなっている。
生まれる方さておき、今まで、昨日まで家にいた人が突然いなくなる喪失感、
それが少なくなっているのは事実でしょう。
もちろん急病や事故で不意に失くしてしまう例もありますが
多くの死が身近ではなくなっています。

だからなのかなあ、より命の大切さが実感できなくなってしまって
簡単に、特に年端の行かない少年が他人を傷つけ殺してしまう。
殺した後になって初めて気づく・・・あるいは全然気づけないままでいる。

昔は学校でこと改まって「命の大切さ」を教えなくてもみなそんなことは知っていましたよね。

よく考えたら、学校って勉強だけを教えるところではない・・・のは確かだけど
あまりに学校に「教えるべきこと」を求めすぎてはいないか、という気もします。
生活習慣から・・・食事指導まで、
以前は家庭が、地域が自然に・・・あえて教えなくても自然に教わり身についてきた数々のことが
身につかなくなっている・・・その究極が「命の大切さ」なのではないのかな・・・なんて思ったり。


とかなんとか・・・
なんかまとまり無くなっちゃいましたが(いつも)


10月18日は母の命日でした。
無宗教のズボラさから何もしませんでしたが
そういやおとんが亡くなるきっかけを起こしたのもこの月のことであったなと思い出し
こうして久しぶりに介護のカットを描いて駄文をしたためた次第であります。

お粗末。


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夏目友人帳な日々

2016年10月23日 15時34分21秒 | 徒然雑記&連絡帳
気がつけばまた一カ月たっておりましたな。更新ほったらかして。

生きてるよ~!

やっぱり忙しいよ~!!

結構なこっちゃないか? まあ、そうですけど・・・。

気苦労が絶えないのも同様で。

今年はなんやねん、めでたいことにケチつけたらいかんねんけど
何で今年は結婚式のおよばれがまた来月・・・今年3回?!
しかも全部うちの社内!?
たった13人の社員で今年3組目?!(最後の一組は社内やし!!)

この年になるともはや結婚する年頃の友達はおらんし
甥っ子はもう子供が生まれた~、やし
正直葬式ばっかりのここ数年やったのが

イヤ、めでたいんですけど、ええねんけど正直さいふ痛いわ~。

締切きついわ~~~!!!
毎週金曜日は薄氷を踏む思いです。バイト嬢に言わすと「毎週綱渡り」そやそや!!
お陰でドジったミスった損害でた、て、しゃあないぞ、コレ!!
どんだけ気ィつけたって物理的に無理ありすぎやで!!
ワシ、インフルエンザなって出勤停止(法律)なったらどうする気よ、これ。
さすがに今年は万一を考えて罹らん自信あるけど予防接種しとこか思うけど
3500円払てくれや!! おお??

息子ツッキーの大学の単位取得が激ヤバイ。
「ワールドトリガー」の太刀川さん並みにヤバイ(?)。
留年を覚悟する。頼むわ、もー・・・・・

娘こんこんがまた留学どうのとゆうておる。
若いうちや、やりたいことやっとき、という気はある、けど
そうするとまた就職は遠ざかる。

いつまでたっても誰も就職しない。いつまでも働かんならんな~。
国の年金がアテにならない昨今、働き続けなしゃあない現実はみな同じかもしれんけど
せめて自分の食い扶持だけですまさしてくれや~・・・。

長女姫ちゃんは・・・カレシと同居を目指しておる。
これは率直に嬉し寂し・・・障害があるので安心で心配・・・

世に不安と心配の種はつきまじ。

屋根の雨漏りはひどいし・・・修繕することにしたけど
また出費がかさむ・・・

金をためるのはたいへんやけど、使う時はあっちゅう間やねえ。。。

息抜きは相変わらずアニメとマンガ、そして徒然綴る文章、ブログ、小説・・・


アニメといへば今頃になってハマりかけてます、「夏目友人帳」

「LaLa」連載中、緑川ゆき先生原作。

そういう作品のあることはおぼろげに知っておりましたが
神谷浩史さんが主人公やってるのもおぼろげに知っておりましたが
なんとなく縁がなく?見ておりませんでして、
ふと気になってニコ動で一期二期三期の第一話を流し見てたら
あれれ~?? 
あれ? こないだから4年ぶりに第五期やってんの??

などと夏目ファンに怒られるような事実に出くわした今日この頃。



すいません、ニャンコ先生の中の人が井上和彦さんだと言うことも
失念しておりました。(どっかで知ってたはず・・・)

原作が少女マンガなのでちょっと縁遠かったし・・・

2008年の第一期第一話とこないだの第五期第一話を見比べて
・・・「神谷君の声が違う!!」と思った!!

8年たってるもんな~・・・。

とりあえずTSUTAYAで第一期第1巻から・・・・と思ったら

・・・・なかった、2巻も。・・・同じことを考えた人がいた・・・。

ふん、いやがらせしたろ~、3巻から4枚借りた。(小せえ!!)
イヤイヤイヤ、途中からでもええわ、もういろいろ見て
この先(ていうかこれまで)だいたい知ってるし。というわけで3巻6話から・・・

五期といっても一期ワンクールだから実質50数話からなんですね。


「我を守りし者、その名を示せ・・・名を返そう、受けてくれ・・・」
・・・・フウッ・・・!!!

ええやん・・・。少年マンガにはちょっとない情緒、懐かしい心の原風景・・・。

というわけで、夏目友人帳な今日この頃です。
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