ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

KAIGO.介護 りたーんず 巻の百八十三 「命の大切さ」

2016年10月24日 06時06分59秒 | 介護な日々
また久しぶりの介護なお話・・・というか、闘病のお話。
介護カテで時系列順に書いておりましたが、当時書けなかった
というよりよう書かんかったおとんの最期のお話です。

2008年秋・・・おお、夏目友人帳のアニメ第一期放送が始まった頃やん、
て、それは置いといて。

腹腔というか胸腔というかに水がたまって
呼吸困難になった父は通院していたOSセンターに緊急入院、
とりあえず水を抜いてもらってちょっと良くなってしばしの入院と思っていたのが
2008年9月半ばでしたなあ。
それが10月の中頃に誤嚥性肺炎を起こしまして・・・

高齢者の肺炎はかなりの高確率で誤嚥が原因だそうですな。
父もそれで、主治医のT先生からしばしの絶食を言い渡されました。

T先生というのは30そこそこだったと思います、
きっと成績の良いエリート組みたいなセンセイやってんやろなあ、
知識は豊富で真面目で・・・生真面目で一生懸命なんですが
いかんせんキャリアがない。
大人の事情か組織の事情か、いろんなしがらみがあるのか知りませんが
大きな病院では若い先生に経験を積ませる目的もあるのかしらん・・・

イヤ、邪推はやめましょう。

とにかく高齢者はあちこち衰えているせいでかいろんな合併症を起こす。
一つ治ればまた一つ何かが起こる。
真面目で一生懸命なT先生は異常値が出るたびに教科書通りに対処を考えた・・・ようでした。

インフォームドコンセントと言い上、話が長すぎる・・・
始まると1時間以上説明を続ける。
後でわかったことやけど同じ内容の話をしても
母のいたIC病院のベランダ・・・ちゃう、ベテラン(ボケんな!)D先生なら
3分で話せることをT先生は2時間近く専門用語使いながらくどくどと・・・
失礼やがこの辺が駆け出しとベランダ・・・ちゃう、ベテランの差やね。


そしてそれを思い出したかのように・・・思い出した時に電話してくる。

ちい兄が今だにトラウマやと申しております。
朝早くとか夜とかに電話がかかってくるとドキっとしてしまうそうな。
夜中にT先生から電話があって、容態が急変したのか、今すぐ行かなあかんのか?!
・・・と一瞬身構え覚悟して「すぐ行かなあかん状態ですか?!」と聞くと
「いえ、今度来られる時でもいいんですが」とそこから長々1時間・・・

電話でも1時間かよ!

思えばセンセイも不安だったのかもですね。
なんかいろいろあれこれ考えあぐねて相談がてら確認がてら電話してくる・・・

イヤイヤイヤ!! それにしたって非常識やろ!!
患者ことを考えるのはありがたいんやけど、家族の気持ちや生活まで考えられなかったらしい。
こちらは病院を頼るしかないですから先生がそうおっしゃるならそうなんやと思いましたが
今にして思えば数値や病状ばかり見て、患者本人や家族のことは見えていなかったのだと思えます。
病気ばかり見てないで患者を診なさい、と今思うぞ、と。

とにかくちい兄曰く「モグラ叩き」。症状が何か出ればそれを引っ込めるために
手を変え品を変え、ガンガン叩き潰そうとした。
あない叩かれたら台=患者=おとん本人はたまったもんやないですよ。
一生懸命なのはわかりましたがな・・・。手を抜くような先生ではなかったけど
結果的にそれは空回りし続け、半年もの間点滴と注射んだけで生きながらえさせられて
自力で喋る体力も無くなり、50音表を指で辿って意思疎通を図ることも辛くなり
ただ頭はクリアで意識だけは最期まではっきりとしたまま亡くなりました。

まさ壮絶やったと本当に思いますわ。

ICU症候群と言いまして、普通集中治療室にいると若い人でもひと月もしたら
精神状態が普通じゃなくなる=鬱になるもんやそうです。
あの白い壁や機械だらけの中にいて不安が増大するもんやそうで
ましてや80何歳の後期高齢者となると尚更。
旦那のお父さんも晩年結核菌が見つかってICUみたいなとこへ入ったら
たちまち認知症になってしもうてひと月ほどで亡くなしました。

だからうちの父も一般的にそんなもんやろうと思われたのでしょう。
だから正直対症療法をするしかなかったんやろうなとは思いますが

結果論ですが半年頑張りました・・・この根性にはホント敵いませんわ・・・。

そばに付き添ってても私等にはなんもできません。ただいるしかなかった。
だからただただ家にいた時のように何気なくそばにいて
何気なくいつも見ていたテレビを流すしかなかった。
その中で会話もできへんから時折ポツポツと家族やおかんのことを話し、
「痛いとこないか?」と聞いて手や足をさすったり
そんなことしかできませんでした。


なんもできへんけど、そばにおれるだけおろう、と思って。

最期、連絡もらって一番近くにいた従兄(おとんのお姉さんとこの息子)夫婦が駆けつけてくれ
次に私が着いて、従兄の奥さんが「まだぬくいで」と
「先生がな、息子さんか娘さんが来るまで、ゆうて空気吹き込んでくれてはってんで」
空気を吹き込むと心臓が止まってても血流が生じてぬくもりが残るんやそうです。
ちい兄が来るまで臨終の確認は待っててくれはりました。

先生もがっくりとはしてはりましたな。あかんやろうと気づいてはいたけれど、
実際その時が来るとやっぱりがっかりするもんです。

霊柩車が病院を出発し、先にもどったお兄に受け入れを任せ
我々は別途家に向かうこととしてその車を見送っていると
T先生は白衣をはためかせて駆け込んできてくれました。

せめて見送ろうとしてくれはったようですが、その日は外来担当の日でもあったそうで、
朝、父の臨終に立ち会った後外来勤務についてはったようです。
医師という職業は改めて思いますがホンマに大変ですね。
亡くなられるとしんどいけど他にも患者さんは待っている。次へ進まなならん。
亡くなった人への尊厳も家族への心配りも必要やけど割り切ることも必要。
ホンマ、大変やと思いますわ。

もうその先生も随分前にその病院にいなくなりはりましたが。
私がちい兄に「栄転やろか?」と言うとちい兄は「いやあ・・・・・」とゆうてましたが?
なんやかんや思うところはあったし今も思い返せばあれこれあるけど
それでも先生は一生懸命やってくれてたと、まあ贔屓目に思ってますぜ。


ところで昨今、「命の大切さを伝えたい」と言う話をよく聞きます。特にイジメのあった学校の報道で。

今、生まれるのも死ぬのも病院が普通で、どちらも身近なはずなのに身近ではなくなっている。
生まれる方さておき、今まで、昨日まで家にいた人が突然いなくなる喪失感、
それが少なくなっているのは事実でしょう。
もちろん急病や事故で不意に失くしてしまう例もありますが
多くの死が身近ではなくなっています。

だからなのかなあ、より命の大切さが実感できなくなってしまって
簡単に、特に年端の行かない少年が他人を傷つけ殺してしまう。
殺した後になって初めて気づく・・・あるいは全然気づけないままでいる。

昔は学校でこと改まって「命の大切さ」を教えなくてもみなそんなことは知っていましたよね。

よく考えたら、学校って勉強だけを教えるところではない・・・のは確かだけど
あまりに学校に「教えるべきこと」を求めすぎてはいないか、という気もします。
生活習慣から・・・食事指導まで、
以前は家庭が、地域が自然に・・・あえて教えなくても自然に教わり身についてきた数々のことが
身につかなくなっている・・・その究極が「命の大切さ」なのではないのかな・・・なんて思ったり。


とかなんとか・・・
なんかまとまり無くなっちゃいましたが(いつも)


10月18日は母の命日でした。
無宗教のズボラさから何もしませんでしたが
そういやおとんが亡くなるきっかけを起こしたのもこの月のことであったなと思い出し
こうして久しぶりに介護のカットを描いて駄文をしたためた次第であります。

お粗末。


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KAIGO.介護 りたーんず 巻の百八十二 おいしいもん食べたいわぁ

2016年04月29日 15時44分17秒 | 介護な日々
久しぶりに介護カテのお話。

生前うちのおかんがようゆうてました。


真理や!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

これに勝る真理はないっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!

「魔人探偵脳噛ネウロ」(最近引用多いな)の弥子ちゃんも言ってます!
「私は食べることが好き」
「食べることはそれ自体が幸せ」だと。



全くその通り。
人は生きるために喰い、喰うために生きている。
寝食忘れて没頭できる何かを持つ人もやっぱり喰う。
なんだかんだで今日も喰う。



震災に見舞われた方々のご苦労は察して余りない。
本当にご苦労様です、お疲れ様です、大変御労しいことです。
いろいろと我慢を強いられて不自由を強いられていらっしゃることでしょう。
心中お察しします。一日一秒でも早い復興を祈念いたします。
そうでない人々の中にも、喰うや喰わずの日を過ごすかたもおられるでしょう。

否、世界中見渡せば飢餓に苦しむ人々の何と多いことでしょう。
それはこの日本も決して例外ではない。
これだけ食べ物があふれかえる日本にいてさえ、
餓死と隣り合わせの人が少なからず存在する。

そんな中で食べることができるということは何と言う倖せであろうか。




少々話が逸れました。

要介護のヒトビトの中にも「食べられない」方が大勢いらっしゃいます。
物理的に食べられない方もいれば、味覚がおかしくなって
「おいしく食べられない」方も本当に大勢いらっしゃいます。



うっとこのおかんは味覚障害があって
何を食べてもおいしく感じられなかったようでした。
だから口癖のように「おいしいもん食べたい」と申しておりました。



イヤイヤ、これぞ人類最高の願いです。
美食家たらんとするとか、そういうことやのうて。

食べられることの感謝を示す「いただきます」という言葉は
日本独自の言葉らしいですね。
食事をとることができること、命をくれる食材、
それを提供してくれた人、調理してくれた人、
すべてに感謝しながらいただく、いただける倖せ。



ところで、昔の同僚に「食べることに興味がない」という人がいました。
昼になっても黙々と仕事をしていたので
「お昼食べへんの?」と尋ねたら
「あれ、もう昼ですか? 食べることに興味がないので気づきませんでした。」
と答えた・・・・
「おなかすかへんの?」と聞くと
「そういうわけやないんですが、おなかすいても食べることの方が面倒で・・・」
・・・・・・。
まあ・・・中にはこんな人もおったってことで・・・

要介護の方、殊に認知症の方は食べること=生きがいになっていることも多いと思います。
ぜいたくはしなくていい、ただ、ちょっとこれおいしいやん、と思えること
そのささやかな倖せは実は実に究極の倖せかも知れません。

浅田弘幸先生のコミックス「テガミバチ」に出てくる
神秘の種族の末裔である少女・ニッチが
彼女の言うところの「生餌」・名前はステーキ・に対して
こういうセリフを言います――
「ニッチのステーキよ、おいしく食べられるのだぞ!」と。
(ちなみに連載はもう終了しております)

自分も年をとればおそらくは要介護者、認知症のヒトになるかもしれません。
おいしく食べられる今に感謝し、食べられない人の辛さ、味気無さに
せめて思いを寄せられるようであれたら、と思います。

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KAIGO.介護 りたーんず 巻の百八十一 年末年始は会いに行こう

2016年01月03日 19時40分54秒 | 介護な日々
同年代の友達連中が相次いで介護生活に突入されてます。
私は皆様ご存知の通りダブル介護済んで有余年。
私は両親が年行ってからの子だったので
同年代のみんなよりも十年は早く介護生活を経験しました。

介護真っ最中のみんなは年末年始もバタバタでお過ごしと思います。
同居の方も施設入居の方も。
うちは2009年のお正月を両親のダブル入院で迎えました。
ある意味病院でお世話になっている分安心なところもまあありましたが

とはいえおとんは点滴だけで生きている状態3か月目、
おかんはそれなりに元気だけど肝がんと認知症で老人病院に
しかもいつまで入院しなくてはならないかわからない状況・・・
・・・・かと言って自宅で介護はとても無理な状況ではあったのですが・・・

介護する方もあまりおめでたいとは言いにくいのがお正月でありますが
しかし入院・入所している方はもっとおめでたくない気持ちだと思います。

やっぱお正月は家族と過ごしたいもんやん?
まあねえ、若い人らはスキーとか海外とか行って家族とともに過ごさへんゆうこともありまっしゃろが
うちかて去年はねえ、二日から次女のこんこんがフランスへ行ってしもて
一人おらんだけでもなんやめっちゃ寂しくなったもんです。

でもまあね、いてへんメンツが元気やったらそれはそれでええんです、
一緒には過ごせんかったかて、元気やったらね。
けどそやのうて入院とかね、そら寂しいの質がちゃいますわ。

認知症とか要介護とかあらはると家で迎えさしたかっても
現実は難しい、ゆうことはありますで。うちもそうでしたからねえ。
ゆうても、ホンマ今から考えたらおとんは無理からでも連れて帰ったらよかったと
後悔するとこもけっこありますねん。
それは置いといても、やっぱり単純に侘しいもんでしょ。
入院とかしてる本人は尚更でっせ。

私も経験ありますねん、年末年始を入院生活で過ごしたこと。
こんこんの妊娠中、切迫流産でね~、12月30日に入院しましてん。
実家に長女のヒメコ、当時まだ1歳半、預けてよ~?
入院当日はちい兄が実家で私を探し回るヒメコをなだめて抱いて寝かしてくれたそうです。
その後も私が退院するまで、見舞いに連れて行ったら却って淋しがるやろうからて
気を逸らすのに懸命で、私は退院するまでヒメコに会えませんでしてん。
その時の看護婦さんもそういう経験あります、ゆうてはりました、
「旦那はどうでもええけど、子どもには会いたいですよね~!!
私も入院した時子どもに会いとうて毎晩泣いてました。」
その通りでしたわ・・・。

旦那は時々見舞いに来ましたけど、かなんわ、あの人には、難儀な人や。
あとでちい兄に聞きましたけど、ヒメコをうちの親に預けたから
もう任しといたらええやろ、てなもんで
仕事優先で(そら仕事は大事でっけど)めったにうちへ来うへんかったで、と。
「普通母親が入院したら子どもが心配で無理してでも会いに来るやろ!
あんたとこへは見舞いに行ったかしれんけど、
あんたの方はゆうたら入院してるんやからむしろ安心やん、医者ついてるし大人やし。
子どもは親に会いたいもんやん、なんで会いに来えへんねん、
なんでじいさんばあさんに見てもろてたらええわ、やねん?
じいさんばあさんも孫の世話できて嬉しいやろうからて、親の義務はどこ行ってん?」
ちい兄、かなり怒ってましたが・・・そんなにほったらかしてたんか・・・
その分伯父さんたるちい兄がものすご相手してくれてたそうです。
ちい兄、おおきにやで~。

つか、今更しゃあないんですけど、ゆうたかて。
そんなんやから、今も子どもらが「お父さんに会いたいなあ」て全然言わんのやな。
あ、誤解のないように・・・別に離婚はしてまへんしそのつもりもありません。
しばし仕事の都合で別居してるだけで。
でも、うちは元々子どものことは私に丸投げの実質母子家庭やったから
今更子どもらも嫌いやないけど正直別に会わなくてもかまへん、てなってんねんね。
・・・ある意味父親からは親離れしてる・・・んやろか。

すみません、話がそれましたわ。

要するにね、入院してたりすると「普通の正月」を送れへんとそら寂しいゆうことですねん。
何が言いたいのか・・・ちゅうと

会いに行ったげてや、ゆうことですわ。

介護する方も大変やろうけど、される方はもっともっともっともっと寂しいんです、
絶対、いっぱい会いに行ったげてください、可能な限り。

会うと甘えてくる、なんぼでも無理ゆいよる、という現実はあると思います。
どんだけ介護してももっとしてくれと思われる、甘えられてもこっちかて目いっぱいや、
大変やねんで・・・・

そうでんな。わかりまっせ~。
でもねえ、甘えてくれるて幸せでんがな。
介護するのせんので家族で憎み合って暴力沙汰や深刻な事件にまで発展することもおます。
甘えてくれるて、嬉しいやないですか、頼りにしてくれてんねん。
子どもといっしょですよ。
人間は逆行して死んでいくんです。
子どもになって、赤ちゃんに戻って死んでいく。
甘えさしたらつけあがる、そうかもしれまへん。
でも、幸か不幸か、そんなん永遠には続きません。たいして長いことはないんですよ。
無理してまでとは申しませんが可能ならやってあげたらええ、思いますよ。

親孝行したい時には親はなし。真理。

親孝行として、どんなことでもしたるで、きいたるで、戦ったるで、と
覚悟を決められる気になれる頃は残念ながら親は死んだ後。そういうもんですわ。

子どももそうです、甘えさせるのはどんどんおやんなさい、と言う。
満たされた子は自立して自分の力でしっかり生きて行きます。
甘えてくるのに応えるのとこっちから甘やかすのとは似て非なるもの。
介護もせやないやろか。

ちゅうわけで・・・お正月、今からでも遅くない、会いに行ってあげてください。
「別に忙しいのに来んでもええのに~」て言われる?
イヤイヤ案外、親ってツンデレなもんですよwww


とてエラソーなことゆうてすんませんっした~!!
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KAIGO.介護 りたーんず 巻の百八十 コーラとカレーで供養な日

2015年08月12日 15時09分17秒 | 介護な日々
暑い日が続きます。暑いとついつい飲み物が
特にからだによくない!炭酸飲料が・・・・・
・・・・・・
炭酸飲料と言えばいろいろあるけど
やっぱ行き着く先はコーラなるかな、とか・・・・



晩年、入院先の父を見舞い、何飲みたいものあるかと聞くと
いつもかすかな声で「コーラ」と言っていました。

死ぬまでの半年は点滴だけで生きていた状態。
T先生のお達しで絶食を言い渡され、何も口にしてはならないと・・・
理由は一度誤嚥性肺炎をやったのでその予防の観点から。

今思うとひどい処置だったと思います。
まさに兵糧責めですよ・・・
ホンネを言えばT先生も点滴だけで半年も生きると思ってなかったんじゃないですか?

生きてはいるけど力も入らず、声もでなくなり指で五十音表を指すのも辛くなり
意思の疎通もできなくなり
それで意識も朦朧としてぼんやりしているのなら
本人の苦痛も少しは少なかったのではないかと思えるけれど
父は最期まで意識だけははっきりしていました。
だけどからだは動かず喋りもできず、わずかに首を縦に振るか横に振るかだけ。
兄が「元気になって帰るか?」「まだ頑張るか?」と聞くとしっかり頷き
「おかんに会うか? 連れてこよか?」には頑として首を横に振る。
「そこの談話室まで来てんねん、連れてこよか?」と言っても拒否
最期まで「弱ってるとこ見せたない」「心配させとない」と
”漢”と書いて”おとこ”と読む的ガンコを貫いてましたが

せめて、T先生に逆ろうてでもコーラ、飲ませたげたらよかったなあと
赤いラベルを見るたびに思います。

だから祭壇にちょくちょくコーラをお供えしています。

あと、カレーのルーも。

絶食になる前もなってからも喋れる間は
「何が一番たべたい?」と聞くと「カレー」と。


今にして思えば、ですが
絶食を続けていれば体力が落ちて
どんどん体が弱って寝たきりになってじわじわと死に向かうなんて当たり前やった。

確かに誤嚥性肺炎は怖いけど
も、そりゃそうなった時はなった時。
食べられずに徐々に弱って死んでいく方がよほど酷やなかったかなあ・・・。

とかちょいちょい思い出してはコーラを飲んでカレーを食す。

今晩はカレーです。カレーで供養。
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KAIGO.介護 りたーんず 巻の百七十九 認知症疑似体験

2014年11月25日 12時27分03秒 | 介護な日々
認知症と言うのは端的に言えば判断力の低下。
詐欺に引っ掛かって騙された、と言うような例はわかりやすいけど
不可思議な行動と言うのはちょっと理解しにくいかと思われます。
物忘れも含まれるけど、イコールではありません。
自分が今何をしていたか、どこにいるのかわからないのは
瞬間で忘れてしまったというのもありますが
要するに「判断できなくなった」と言うこと。
例えば、何かしようと思いついて別の部屋に行ったところが
はて、何しにここへ来たんだっけ? となることは健常者でもある。
が、認知症の人はそれに加えて「何しにきたんだっけ?」という発想も失くしてしまうのです。
ここへこの目的で来たという判断ができず、行動だけが起こる。
また、ふと思いついたことが常識的かどうかの判断もできなくなってくると
健常者から見ると変だと思えることも行動に移してしまう。
例えば夜中の徘徊だとか、家の中のモノをひっくり返すとか、
異常な行動につながっていくみたいです。

夜中にタンスの中をひっくり返してごちゃごちゃにしてしまう。
進行すると昼間でもやってしまうようになってしまうのですが
思うに、夜寝ぼけて変なことをしてしまうとか
酔ってわけのわからない失敗をすることは健常者でもママあること。
ある意味それは認知症の疑似体験と言えるものかもしれません。
そして本人は朝になったら寝ぼけてしたこと、酔ってしたことはきれいに忘れてたりする。
これまた認知症によく似た感じではないでしょうか。

幼い頃の変な行動は子どもなりには理屈があるけれど
まだ世間の常識やことの善悪が経験上身についてないから起こること。
これも認知症と非なるものではあるけど似てはいると思います。


さて・・・・・・・・・・・・・。

その疑似体験みたいなことが起こりました。
まあ、けったいな夢を見たんやけど、それが現実やったのか夢やったのか
寝起きのアタマでは判断がつかんかった・・・という体験です。
はっきり起きてしまった後では、それは夢やで、とキッパリわかったんですが。
げに、夢うつつの寝起きの寝ぼけアタマは恐ろしい・・・。
で、ああ、認知症の人てこんな感じかな~・・・と思った。

朝方布団の中で、ふと昨夜見かけた貼り紙のことを思い出しました。
ウチの家はいろいろな事情とご縁で
お隣さんと扉二枚隔てて繋がっている部分がありました。
今はふさがってますがどうにかすればなんとかならないこともないって感じ。
で、昨夜・・・少なくとも街灯が点く時間に帰宅した時
玄関の柱に「○○家 裏入口」云々という貼り紙があったのを見たのです。
それは緑色の和紙っぽい短冊に達筆の筆文字で書かれていました。
お隣さんは昔習字教室をやってらしたので違和感なしです。緑色はともかく。
確かにすっごく遠~~い昔、隣の家に、外へ出ず直接お邪魔したことがあります。
でも、すごい昔の話ですよ。
なのに、今はそんなことないのに、今もあり、と認識してしまった。
で、布団の中でうとうととしつつ
「せや、あの貼り紙のことお隣さんに確認しとかな」と思った。
直前に夢の中でウチを通って隣に行き来する人を見てたし。
それは、「貼り紙の確認せんかったのでそんな夢見てしもたんやな」などと納得していた。
つまりぼーっとしながらも起きている自覚はあったわけで。
でも同時に「あれ? そんなことがあるやろか? それって夢でみたんちゃう?」とも思った。
そう、現実に目を覚まして考えたらすぐに「そんなことあるわけない」とわかることなのに。
もし何らかの非常事態が生じてウチがそのお隣への入り口になることになったとしても
(たとえばお隣んちの玄関にトラックが突っ込んだとか)
いきなり人んちに貼り紙はないでしょう!! 当たり前やん。
だのに、布団の中で「あれ、貼り紙あったよな・・・夢? それとも現実?」と
夢と現実の判別ができなくて半分寝ながら考え込んでしまいました。
その是非の判断の根拠にしたのも
「そんな非常識なことをお隣さんがするわけがない」
という極めて普通かつ当然の判定のしかたではなく
「昨日は街灯の点く時間にはすでに家にいた、外から帰って来てなんかいない。
だから貼り紙を見たはずがない。」
というヘンテコな論理?で判定していました。

ハッキリ目を覚ましてから
「なんやこれ・・・昔の記憶が混じってけったいな夢見たな」と同時に
「判断のしかたがヘンや・・・」と自分に呆れる始末。
そして思った・・・・

「ああ、認知症の人のアタマの中て、こんな感じかもなあ・・・・」

て。

半分夢の中の住人。そんな感じなんでしょうかね。
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