ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

KAIGO.介護 番外編の17 うちのおとんもえらかったとゆう話。

2013年01月27日 19時45分28秒 | 介護な日々
おかんがえらかったらおとんもえらいで。

親バカとゆうのはあるけど、これは何バカやろか??


おとんは今から思うに静かなおとんでした。
大正生まれやけど上下女の男ひとりというきょうだいやったせいか、
むかしっから亭主関白とは全然ちゃうし、マメやし。
「家事はなんもようせえへん」と言いながらも出来ることはしてたと思います。
・・・確かに現役時代はうちのことなんもせんかったみたいですが
けどちょっともえらそうな態度はとらへん。
ようおるでしょ、うちのことなんもせえへんしでけへんのに
”口は出すけど手はださん、態度だけはえらそーな封建時代的な男”
一昔前の頑固親父みたいなー。

そういうのとは全然違いましたね。

・・・おとんは関東軍に所属した元スナイパーでっせ。
満州の国境線で工作する精鋭部隊におったんでっせ。
ホンマならハードボイルド路線と言いたいとこやけど・・・・


戦後は営業畑で会社役員もしてましたから大変社交上手やったと思います。
うちでは静かなのに外ではホンマおしゃべりやったし。
ある日ちゃちゃめに付き添って日本橋の電気屋に
当時出始めのビデオデッキを買いに行った時なんぞ
すっごい駆け引き上手で店員さんをうまいこと持ち上げてキッチリ値引きさせ、
結局こっちの言い値で商品を売らせました。(マジ恥しかった・・・・)

でも、うちではホンマ静かで、無口とはちょっとちゃうんですが
波平さんのように怒鳴ったことはほとんどなし、
少なくともちゃちゃめは叱られた覚えもほとんどありません。
おかんにはしょっちゅう叱られ怒られ説教され諭され小言をいっぱい言われましたけど
おとんは・・・。まあ、ダブルで叱られたらたまりまへんがな。

前後のいきさつは忘れましたが、何かでおかんに叱られたときのこと。
部屋でしょげてたんかなあ、あんまり覚えてへんのですが
ひょこっとおとんが覗いて
「まあな、うちのお母さんは厳しいからなあ。」
と、ひと言・・・。

あれっ??

・・・と思ったのを覚えてます。
ついでに、そうなんや、うちのおかんは厳しいんか~、とも思いましたが。

こどものことは大筋ではおかんに任せる。
けど、フォローは忘れへん、そんな感じやったんでしょうか。


まあでも、女きょうだいに挟まれた上おばあはん(おとんのおかん)も厳しめのヒトでした。
気の強い女衆に囲まれて?タイヘンやったろうと今になって思います。
でも、「嫁に来たおかんはもっとタイヘンやろう」
そう思うてたんか、おとんはおかんには好きにさせていました。
主婦の会に入っていたから専業主婦ながら昼間もおれへんことがようある、
晩御飯の用意もしやんと全然帰ってけえへん、
そして時々うちで例会を開いてたくさんの人が訪れる、
でもおとんは、”晩御飯の用意ができてへんのに帰ってこーへん”こと以外には
ほとんど文句は言いませんでした。
それどころかいつやったかウチに、
「お母さんはいっぺん出て行ったらいっこも帰ってけーへんわ」と苦笑いしつつ
「けど、あれ(主婦の会のこと)があの人の生きがいやさかいにな。
それを辞めさせるわけにはいかん。」
と、全面的におかんの人生を尊重しておりました。

自分がちょっと我慢したらすむこっちゃと思うてたんでしょうか・・・。

他でもいろんなことで辛抱と忍耐をし続けたと思います。
この年代の人にしては珍しいほど、うちでもどこでもふんぞりかえることなく、
トシがいくとみなわがままになるといいますが、そうゆうこともなく、
認知症になったおかんのことを最期まで支え続けて
「お母さん見送らな、ワシが先に死なれへん。」とゆうてました。
ちょっと頑張りすぎて、結局先に倒れて逝ってしまいましたが・・・

とにかく、SセンターのT先生が脱帽したゆうのもおましたが、
めちゃめちゃ我慢強い人でした。
・・・てことは、やっぱハ~ドボイルド~!!?


ウチは5秒で音を上げる超ヘタレでっけどな(笑・・・てええんか?)
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KAIGO.介護 番外編の16 うちのおかんはえらかったとゆう話。

2013年01月25日 22時24分27秒 | 介護な日々
久しぶりの番外編です。
ちょっと思い出したので忘れんうちにアップしとこということで。


どこの母ちゃんもたいてい同じ。
口うるさくてメンドーでやかましくて
「早よしなさい」と「いつ勉強すんねん」と
「まだ起きとんのかいな」が口癖みたいなもんで
なんかっちゅーと
「あんたそんなんでホンマええのんか?」とか
「もうちょっとしゃんとしなさいや。」とか
「もうエエトシやのに心配やわ」とか
ぐちゃぐちゃと説教する。

そやのに・・・いざという時は一番頼れるとゆうか・・・
困ったときは結局母ちゃんとこに行くとゆうか・・・


昔むかしのことじゃった。

それはちゃちゃめが24か25くらいの時のこってす。
それまでの人生で最悪とゆうてええぐらいショックを受けるという出来事がありました。
何があったのかは・・・今でも恥しくてとてもゆえまへん。
ヒトから見たらごっっっっっっっつしょ~むないことなんです。
ホンマにめちゃくちゃくだらないことなんですが、
その時のちゃちゃめは奈落に落ちた感アリというほどの衝撃を受けたわけで。

たとえて言えばめちゃめちゃ憧れてた男子に思い切ってコクったら
ありえへんほど笑い飛ばされて振られた挙句みんなに言いふらされた、みたいな。

イヤ、たとえですよ。そんなことがあったわけやありません。
だって、それはしょうむないことちゃうでしょ。
十分「そら辛いなあ」とゆうて理解してもらえることですし。

でもちゃちゃめに起こったことはハタから見るとホンマにしょうむないんです。
だから今でも何があったか言いたくないわけ。
「あほくさ、そんなことでショック受けるか~?」といわれること必定ですもん。
絶対理解してもらえへんと今でも思います。


まあ、他人にはつまらんとしか思えんあるモノを凄い大事にしてたのに
その大事なもんがある日突然目の前で爆発してなくなった、と思てください。
(わかりにく・・・)

ものすご、めちゃめちゃショックやって、
翌朝仕事にいかなあかんのにしんどくてしんどくて
泣けて泣けて出るに出られなくなってしまいました。

自分でもショックを受けた自分が信じられませんでした。だって
「なんでこんなことでこんなに落ち込むねん? アホちゃうか、ウチは」
とマジで自分でもそう思いましたもん。
「落ち込むことちゃうやんか。なんでやねん?!」
と自分にあきれ返って、にもかかわらず辛いのも事実でした。
もちろんこんなことで仕事休めません、理由にならんし。

けど、どないもこないもなくなってたのはホンマでした。

さすがに様子がおかしいと思うたんでしょう、
部屋から出るに出られへんでいるとこへおかんがやってきました。
「あんた、いったいどないしたん?」
と心配してくれるんですが当然ウチは初めは何も言えませんでした。
絶対「そんなしょうむないことで何ゆうてんの!」
と言われると思うたからです。
だってホンマにしょうむないことが原因やってんもん。(くどい)

でも、心配そうに黙って見つめるおかんに黙りとおすことができず
ウチはぼそぼそと何があったか打ち明けました。
それから言い訳として
「自分でもこんなしょうむないことで落ち込んでるておかしいと思うねんけど
エエトシして、小さい子どもみたいで情けないて思うんやけど・・・。」
と言いました。

そう、私はきっとおかんに
「しょうむないことで泣いて! ほんま子どもみたいやな!」
と言われると思たんです、それを覚悟して白状(?)したのですが・・・

ところが、おかんはこないゆいました。
「子どももおとなもえろうかわらへんで!! 
そ~か~、あんたにはそれはものすご大事なことやってんなあ。
何が大事でもええんやで。
あんたはずうっとそれをささえにしてきたんやねえ。
子どもっぽいとかそんなん関係あらへんで。
小さい子ォもおとなもいっしょや、大してかわらへんて!
・・・そうか、そら辛かってんなあ。」

すっごい意外でした・・・・。

でも、ものすご嬉しかったんです。
しんどいということをわかってくれたて。もうそれだけで十分でしたわ。
私が大事と感じていた「それ」の価値は多分おかんには全然わからんかったと思います。
でも、そこは問題ではおまへん。
理解はできなくても気持ちに寄り添ってくれた、それだけで十分でした。
(ちなみに仕事は午前中休みました。こらこら。)

カウセリングの極意は理解ではなく寄り添うことやそうです。
もちろんうちのおかんが何十年も前にそげなこと知ってたはずがおまへん。
テクニックなんかやなく理屈やなく自然にそうしたんやと思います。
何より「「子どももおとなもえろうかわらへん」と
何度も言ってもらったことは今もはっきり覚えています。
そや、何が原因でも、おとなでもしんどいことはしんどい思うてええんや、て。
 

さて、ウチは今自分の子どもらに寄り添えとるやろか。
いやあ~・・・まだまだやなあ・・・。

子どもになんかあれこれゆうのって、
「あんたらのためにゆうてんねん」などとおためごかしして
ホンマは自分が安心したいだけやないやろか。
ほんまに子どもらの心に寄り添えてるんやろか。

20年以上自分もおかんをやってんのに、全然まだわかってまへん。しくしく。
こんな出来の悪いおかんの子どもでいてくれるあんたらはエライわ!!
・・・なんちて。

ま、おかんはおかんのおかん見習うて頑張るわ~。
いや、うちのおかんはホンマえらかってんで!
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カウセリング雑考~真理の扉

2013年01月23日 21時15分48秒 | 徒然雑記&連絡帳
カウセリングをする人→カウンセラー

なら、カウセリングを受ける人→被カウンセラー
というのも何なので仮に逆カウンセラーと名づけます。

とすればちゃちゃめは人生相談逆カウンセラー歴16年
筋金入りのプロです(笑)


子育てや実家での介護を含めた家庭のいろんなことをいろんな人に相談して

それこそ友人知人、会社の同僚、ママ友、近所のおばさん、
地域の民生委員・福祉委員(これは自分もやってたからですが)
人生の大先輩のかたがた、
行政の相談窓口、教育委員会の出先機関、
スクールカウンセラー、教職員、心理カウンセラー
臨床心理士から心療内科、精神科のお医者さんまで

ど素人から無料相談、医療のプロ、専門家に至るまで

それから子育て本のいろいろ
著名な専門家のお書きになった本の数々、
「子どもが育つ魔法の言葉」も「親業」の本も、
専門家がお書きになったいろんな精神世界の本、
たとえば人気の精神科医・香山リカ先生のいろんな著作から
最近よく言われる発達障害関係の専門書では
子どものアスペルガーやADHDだけでなく
おとなの発達障害についての本まで、
また循環器科のお医者さんがお書きになった自律神経関連の本、
そして飯田史彦先生のスピリチュアル系に至るまで

とにかくいろんなカウセリング関連の皆様や本のお世話になって18年。

もちろん最近はインターネットの各種のサイトにもお世話になっております。
飯田先生のHPもちょくちょく見に行っております。

だから逆カウンセラーのプロであります、
カネは稼げるどころか出て行く一方ですが(笑)



本当に深刻なまでに心に大きな不安や辛さを抱えている人は
それを人には話せないと思います。
なにがしんどいのか、アタマの中はカオスで
とてもじゃないけど言葉にはできないものでしょう。
「何でも言いや」といわれてもとても喋れないものだと思います。
口にするということは、その辛い何かに触れるということ。
そんな傷が疼くマネなんて出来よう筈がないでしょう。

相手が親しい人であれ第三者、専門家であれ
相談できる、口にできるということは
ある程度自分の中でキモチの整理ができつつあるということ。
傷が多少疼いても少し客観的に冷静に見ることが出来る状態になっています。

そして、誰かに話すということは
すでにその答えは自分の中にあるのではないか、と思うのです。
自覚していることもあれば気づいていないこともあるけど、
どうすればいいのか、どうして行くのがいいのか、
その答えはすでに知っているのです。

後はそれを引っ張り出すだけ。

人に話すということは、自分の出した答えがあっているかどうか知るため。
・・・・というよりは、自分の出した答えがあっていると
誰かに認めてほしいからだと思うのです。
絶対にこれが正しいという模範解答がない問題だからこそ。
似たような問題は世間にもたくさんあるとしても、
全く同じ問題はひとつとしてない、
外の世界を探しても正解はないことだからこそ。

相手が専門家ならよりいっそうその答えに自信が持てる。
その自信を持つために人に話すのだと思うのです。

もし、自分の考えや思いを否定するようなことを言われたら?
「あの人は相談相手にはならない」と切り捨てて
自分を肯定してくれる人が見つかるまで相談します。
そして、ひとりでもそういう人がいれば満足するでしょう。


答えは初めから自分の中にあるのです。

相談相手、そして専門家に要求されるのは肯定してくれること。
そして専門家なら、
場合によってはそれを実行に移す現実的な方法をアドバイスしてくれること。


ちゃちゃめが、たとえば香山リカさんの本が好きなのも
飯田史彦先生の本を何度も繰り返し読むのも、
顕在的あるいは潜在的に自分が知っている答えを
かわりに分かりやすく引っ張り出してくださってるからだろうと思うのです。
そして読むたびに「そうだ、それで良いんだ」と納得するのです。
逆に、人から「これすごく良いよ」と勧められた本でも、
自分の答えにあわないな、と感じる人の本であれば
「おっしゃることはきっと正しいんだろうな」と思えたとしても
「でも自分はこの人の本は好きじゃない」とか
「読んでてしんどくなった、苦手や」とか
思ってしまうのだと思います。
(・・・つか、あたりまえですけどね、相性というのはそういうもん。)

それはカウセリング関係の本に限らずどんな本、どんな作品でも同じでしょう。
気に入るということは自分の中の「真理」に一致するから。


というわけでギャグ・・・じゃなかった逆カウンセラーのちゃちゃめの結論。



「真理の扉はすべての人間の心の中にある!」






「あるだろ、ここに」
「正解だ、錬金術師・・・お前は真理(オレ)に勝った!」

・・・・て、最後は何故か鋼の錬金術師になったし~・・・
(ちょっと違うけど?)
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はなちゃんの最強伝説

2013年01月16日 21時11分50秒 | ジャンガリアン
最年長記録更新。

2010年5月27日にたぶん生後1ヶ月ほどでうちに来たはなちゃん。
うちにいた長さはもちろん最長。
5月1日生まれと仮定しても最長寿。
でもたぶん生まれたのはもっと前。
だから間違いなくいちばん長生き。


先にうちにやってきていたみーくんことみずきんと一緒に暮らし、
そのすぐ後、6月25日に7へけのかーたんになったはなちゃん。

胸腺に腫瘍が出来て切除手術を受けたのはその翌年。
せっかく治療してもらったのに
傷口をひっかいて開けちゃって再手術、
とうとう2週間もの間エリザベスカラーをつけられてしまったはなちゃん。
受難の日々?

でも、元気にふっかーつ!!


よく食べよく怒り?よく寝て、
何故かよく喋った?はなちゃん。


最強伝説をぶったてて、今日のたぶん午後、大往生。


今年のお正月。はなちゃん最後の写真です。


おしゃべりはなちゃんを、もう一度。








ありがとう、はなちゃん。お疲れ様。
はなみずき一家のみんな、あっちの世界で仲良くね。

そして、また帰っておいでや。また遊ぼ。

みんな、みんなありがとう。楽しかったで!
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内場勝則さん

2013年01月14日 16時04分11秒 | 気になるヒトビト
では、皆さんもご一緒に!
「イィィィ~~~~~~~~~っ?!」

(正確には「い」と「え」の間。)

関西人なら、大阪人ならみんな知っている?! 
吉本新喜劇の座長・うっちゃんこと内場さん!



昔むかしコドモのころのちゃちゃは吉本新喜劇大好きで
土日によく放送されてましたがかかさず見まくっておりました。
そのうち飽きてしまって長~~~~~いこと見なかったんですが
いつぞやからまた見るようになり、
その後またず~~~~~~~っとブランクがあって

この1年くらいは完全復活、毎週・・・見られないときは撮ってでも見ております。



コドモのころ見ていたころといえば・・・
花紀 京さんが凄い好きでした~(実は高校の大先輩です!)
若手では船場太郎さん、木村進さんのファンでした。
チャーリー浜さんがまだ浜裕二さんを名乗り、
故・岡八郎さんが大活躍、
原哲夫さんの「誰がカバやねん?!」がオオウケ。
間寛平さんもへんなおじいさん役で大ブレイクしてましたし、
片岡あや子さん、山田スミ子さん、中山美保さんらがヒロイン?!でしたね。
今も現役で大人気の大御所・桑原和夫さんが
まだおっさんの役で出てて・・・時々おばあちゃんも演じられていましたが
井上竜夫さんは既におじいさん役でしたが・今はリアルおじいさんですが

その後また見だしたしたときは
島木譲二さんが「ポコポコヘッド」?なんてのをやってはりましたね。
ちょうど浜裕二さんがチャーリー浜と名乗り出したころです。

そんな中、若手の内場さんは駆け出しで
ちょい役で出てはったかなあ・・・・・・と、記憶あやうし。
でも先日吉本100周年記念公演で
内場さんが花紀 京さんの役で出演しはるという話をテレビでやったとき、
昔の花紀さんの映像が流れ、その後ろに
駆け出しのころの内場さんが映っていらっしゃいました。
はい、せーの!
「イィィィィィーーーーーーーーーーーーーー!!!」
おおっと・・・・・画像がなくてアップできませんが
・・・・・イケメンやん・・・・めっちゃ・・・・

イヤイヤイヤ!!
今でも十分イケメンでいはりますよ!
さすが吉本女芸人さんアンケートで
「結婚したい吉本芸人NO.1」に選ばれるだけある・・・・。
・・・・まあ、同じ吉本の未知やすえさんと結婚したはりますけど。


右が花紀さんに扮している内場さん、
左は岡八郎さんに扮している千原せいじさん。

内場さんは
吉本興業が昔ながらの師弟制にとらわれず新人芸人を育てようと設立した
NSC(吉本総合芸能学院・設立1982年)の第1期生。
その後、東京進出を目指してダウンタウンや今田耕司さんらが
次々に上京して言った時も大阪にとどまり、
更に残った芸人さんらもバラエティーにドラマにと
新喜劇以外の活躍の場をどんどん広げる中
「ひとりぐらい舞台だけに出続けるやつがおってもええやないか」と
ずっとほとんど舞台一筋に活躍。
(他のことは全くしないということはありません。)
さらに新喜劇の四人の座長の中では
他の三人は新人育成を中心にしつつも自ら主役を務めることが比較的多い中、
内場さんは新人に主役を譲って自らは脇でその育成に力を注ぎつつ
更にベテラン勢の起用にも積極的でオールドファンをも喜ばせる。

・・・内場さん、なかなかやることもオトコマエですやん!

でも、この前のお正月特別公演では久しぶりに
二時間の長丁場でほぼ出ずっぱりの主役を務め、
どんな役でもソツなくこなす器用さを存分に発揮、
マイケル・ジャクソンのダンスまでかくし芸として披露するサービスっぷりという
ファンとしてはめちゃ楽しく嬉しい舞台でした。

その際、共演でリアル奥さんであるやすえさんの
「あのな、この人とつきあうんやったら気いつけたほうがええで。
無口と喋らへんのとは違うで、ほんまナニ考えとるんかいっこもわからんし!」
などとというリアルツッコミには会場も舞台も大爆笑、
その時の内場さんの苦笑いはマジなのか演出なのか・・・(笑)


それにしても、1週間の舞台公演を次から次へと展開する、
そして喜劇役者というのは”アホ”になりきれないとできない。

普通の映像の俳優さんはもとより、
舞台俳優さんというのは凄いなあ、と元より思っていますが
更に喜劇役者というヒトビトは輪をかけてすごいなあ、と思います。

笑われてなんぼ、ヘタなプライドは邪魔になる。
イヤイヤ、もっと質の高いプライドをお持ちなんやなあ。

次のよしもと新喜劇の内場さんの出演は・・・
おおっと今日まででしたが・・・放映は26日土曜日、チェキラッ!!


・・・・てなわけで、内場さん、応援してまっせ~!


・・・・あと、辻本茂雄さんも好きです(笑)
コメント (8)
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