多少追記すべきことが出てきましたので、軽くおさらい。
母の認知症は2005年ごろから僅かずつその傾向が見え始め、
2006年には体も少しずつ衰え始め・・・
でもまだ家事は手伝って貰いながらこなしていましたし、
ヘルパーさんもまだお願いしていませんでした。
でも、2007年春、3月でしたか・・・
近くの小学校に知事選挙に出かけて転倒し、それから急に腰が曲がってしまったのです。
このころから排泄の自律がやや困難になり、うっかり粗相することが多くなってきました。
何度も下着を替え、頻繁に洗濯をする様を見て、父はよく
「本人はだいぶ情けない思いでいると思うわ。」
と思いやっていました。
私もそれとなく失禁用ナプキンなどすすめてみましたが、
使い始めるまで随分かかりました・・・やはり最初は抵抗があったのでしょうね・・・。
その頃から福祉用具も利用し始め、
ようやく介護保険も利用することになってヘルパーさんに来てもらいだしましたが・・・
ケアマネさんが入るようになって初めて福祉用具のレンタルがあり、
しかも介護保険を利用して自己負担額が少なくて済むということを知りました。
ホント、知らないと損をしますよ
知ってりゃ安物の、それでも何万かする動かせないベッドを買わずに
安いレンタル料で電動の便利なベッドを借ってすませたのに~
2008年ごろからはデイサービスやショートステイを利用し始めました。
この頃は昼間はまだしっかりしていることが多いけれど
夜は起き出してあちこちごそごそしたり、
ショートステイ先でもベッドの柵を乗り越えて転落したり、
明らかに認知症の様相を呈してきました。
母にも自覚があったようで、時々
「私、アルツハイマーやろか・・?」と不安げに尋ねたり、
「ボケたんかなあ・・」と口にすることもあり、
何かそれまでと違う自分に気付き始めていたようです。
そのたびに私たちは「物忘れはトシのせいやん」とか
「まあ、ぼーっとすることもあるよ」とか言いましたが・・・
でも、別の人格に変わるわけではありません。
行動が多少ヘンでも、意味不明発言が増えてもやっぱり母は母です。
こんなヒトやったかなあ・・・とか思ったことはありません。
若い頃はああやったのにとか、あんなに出来た人やったのにとか言って
今を否定する気になったこともありません。
認知症はある日突然なるものではありません。
日々少しずつ進行はするけれど、それに自然に付き合っていけば
「親が認知症だなんて認めたくない」とはならない気がします。
・・・認めたくない気持ちはわかりますが、否定して拒絶している間に
認知症はどんどん進行してしまいます。
ようやく受け入れる気になったときにはかなり進んでしまっていて
余計やるせないキモチになるくらいなら、
その日その日のそのヒトを素直に受け入れた方がラクだと私は思うのですが・・・。
とはいえ、ウチの母はどちらかといえば陽気な認知症なので
私たちはそういえるだけなのかも知れません。
中には冗談じゃないというような認知症状に振り回されている
ご家族の方もいらっしゃるのでしょう・・・。
それはさておき、ここに2008年夏に書かれたと思われる母のメモがあります。
日常、日記のようなものは特につけてはいませんでしたが、
リハビリの一つとして文字や文を書いてみたものだと思われます。
文字がだいぶん震えていてかなり読みづらいのですが、
母が自分の気持ちを記したところもあるので、挙げてみます。
(固有名詞にはぼかしを入れさせていただいてます。)
3月17日となってはいますが、ちい兄によるとたぶん8月17日のことらしいです。
若会長というのは信仰する神道の教会長さんのことで(お父さんの大会長もおられる)
両親が元気な頃はほぼ毎月一回うちへ来られ、
仏教で言えばお坊さんがお経をあげるのにあたることをしてくださっていました。
ふたつめの4行目に「私も頑張ろう」と書かれています。
若い頃はホントに強気でしたが、弱気を見せるようにもなってきたこの頃、
こう書かれるとホッとする反面、娘が言うのもなんですが、健気に感じてしまいました・・・。
一方父の方は、足腰がだんだん弱ってくる上、心臓に持病のある身でした。
無理は禁物と言われながらも性格上怠けることが苦手です。
(ちゃちゃめはガッツリ怠け者やのになあ・・・)
老老介護の典型ではありましたが・・・
でも、母の衰えと認知症が進むこの頃、母にはナイショで
「お母さんを見送らんことには死なれへん。」と言っていました。
母がまだまだ元気で、でもちょっと「??」な感じが出始めた頃には
「アンタの方が長生きしてくれんと私は困るで。」
と、冗談半分に叱咤激励して言ってたものでしたが・・・。
父は昔からダイアリーにいろいろ書きつづっておりましたが
この辺は男性ならではでしょうか、その日の出来事を簡単に機械的に
メモっただけで、自分の感想は一切書かれていません。
それもだんだんしんどくなったようで、以前は毎日書いていたものが
次第に途切れがちになり、そのうちとうとう書かなくなってしまいました。
入院中も可能なときは手帳に書き込んでもいましたのに・・・。
老いると言うのはこういうことなのですか。
いつまでもあると思うな親と金、ですな・・・。
でも、自分の親が年老いていくのは
自然の摂理であるとはいえ、厳しくさびしいものではあるけれど
・・・それでも悪いことばかりではないと思います。
いつだったか新聞に、こういう意味のことが書いてありました。
親は年老いて死に行く姿を見せ、親の死を経験させることによって
子どもに最後の大切な教えを授けているのだと。
そして親は死んだ後も子どもに大切なことを教えているのだと。
まったくその通りだと思いました。
精神的なことだけでなく、お葬式やその後の相続のことなども貴重な経験となります。
親は身を持って本当に人生に大切なことを教えてくれているのですね。
そして、親の世話をするうちにいつからか
一緒に暮らしていた頃よりずっとたくさん話をするようになりました。
たわいのない話から結構大事な話まで、ホントいろいろです。
プラス・・・私がすごくよかったなと思っているのは、兄たちとの会話が格段に増えたことです。
どうもウチの家系はクールというか照れくさがりなのかええかっこしいなのか
なんか家族仲良くが気恥ずかしく、中々家族間の会話が弾まないウチでした。
仲が悪いわけでは全然ないんですよ? なのにさらりとかわすというか
しれっとしているというか・・・
それが、介護を始めるとどうしても話をしなくてはならないものだから
自然と会話がふえ・・・
私が嫁いでからはめったに話す機会もなくなっていたのに・・・
今は週に何度も電話やメールで話をし、一緒に介護をし、
親の話だけでなく、ウチの子どもたちの相談事や
たわいない世間話、政治談議から健康関連、教育行政批評に至るまで、
更には大げさですが人生のなんとやらな話までするようになりました。
そして昔話ついでに近所やウチゆかりの土地の古地図を図書館で捜したり、
また、親戚筋に話を聞いて父方・母方それぞれの家系図を作ったり、
ウチの歴史的探索にまで手をひろげております。(これが結構面白くてハマる。)
これも親の介護がきっかけというと、ちょっと皮肉な気もしますが
・・・でも、親のおかげなのは間違いないです。
ホンマに、親はどんな状況でも、どんなことになっても
子どもに良くしてくれるもんなんやなあ・・・。
う~~~~ん・・・・
わっちはそういう親になれるんやろか・・・自信ないで~・・・
さて介護のお話は、いよいよひとつの「山場」を迎えます。
よろしくお付き合いくださいませ・・・。
今日の最後に、お兄が介護ノートの欄外に走り書きしていた一文を・・・
(実際は「オニイ」の部分は実名です)
『はっていき、オニイにカロリーメイト与えようとした 親心』
母の認知症は2005年ごろから僅かずつその傾向が見え始め、
2006年には体も少しずつ衰え始め・・・
でもまだ家事は手伝って貰いながらこなしていましたし、
ヘルパーさんもまだお願いしていませんでした。
でも、2007年春、3月でしたか・・・
近くの小学校に知事選挙に出かけて転倒し、それから急に腰が曲がってしまったのです。
このころから排泄の自律がやや困難になり、うっかり粗相することが多くなってきました。
何度も下着を替え、頻繁に洗濯をする様を見て、父はよく
「本人はだいぶ情けない思いでいると思うわ。」
と思いやっていました。
私もそれとなく失禁用ナプキンなどすすめてみましたが、
使い始めるまで随分かかりました・・・やはり最初は抵抗があったのでしょうね・・・。
その頃から福祉用具も利用し始め、
ようやく介護保険も利用することになってヘルパーさんに来てもらいだしましたが・・・
ケアマネさんが入るようになって初めて福祉用具のレンタルがあり、
しかも介護保険を利用して自己負担額が少なくて済むということを知りました。
ホント、知らないと損をしますよ
知ってりゃ安物の、それでも何万かする動かせないベッドを買わずに
安いレンタル料で電動の便利なベッドを借ってすませたのに~
2008年ごろからはデイサービスやショートステイを利用し始めました。
この頃は昼間はまだしっかりしていることが多いけれど
夜は起き出してあちこちごそごそしたり、
ショートステイ先でもベッドの柵を乗り越えて転落したり、
明らかに認知症の様相を呈してきました。
母にも自覚があったようで、時々
「私、アルツハイマーやろか・・?」と不安げに尋ねたり、
「ボケたんかなあ・・」と口にすることもあり、
何かそれまでと違う自分に気付き始めていたようです。
そのたびに私たちは「物忘れはトシのせいやん」とか
「まあ、ぼーっとすることもあるよ」とか言いましたが・・・
でも、別の人格に変わるわけではありません。
行動が多少ヘンでも、意味不明発言が増えてもやっぱり母は母です。
こんなヒトやったかなあ・・・とか思ったことはありません。
若い頃はああやったのにとか、あんなに出来た人やったのにとか言って
今を否定する気になったこともありません。
認知症はある日突然なるものではありません。
日々少しずつ進行はするけれど、それに自然に付き合っていけば
「親が認知症だなんて認めたくない」とはならない気がします。
・・・認めたくない気持ちはわかりますが、否定して拒絶している間に
認知症はどんどん進行してしまいます。
ようやく受け入れる気になったときにはかなり進んでしまっていて
余計やるせないキモチになるくらいなら、
その日その日のそのヒトを素直に受け入れた方がラクだと私は思うのですが・・・。
とはいえ、ウチの母はどちらかといえば陽気な認知症なので
私たちはそういえるだけなのかも知れません。
中には冗談じゃないというような認知症状に振り回されている
ご家族の方もいらっしゃるのでしょう・・・。
それはさておき、ここに2008年夏に書かれたと思われる母のメモがあります。
日常、日記のようなものは特につけてはいませんでしたが、
リハビリの一つとして文字や文を書いてみたものだと思われます。
文字がだいぶん震えていてかなり読みづらいのですが、
母が自分の気持ちを記したところもあるので、挙げてみます。
(固有名詞にはぼかしを入れさせていただいてます。)
3月17日となってはいますが、ちい兄によるとたぶん8月17日のことらしいです。
若会長というのは信仰する神道の教会長さんのことで(お父さんの大会長もおられる)
両親が元気な頃はほぼ毎月一回うちへ来られ、
仏教で言えばお坊さんがお経をあげるのにあたることをしてくださっていました。
ふたつめの4行目に「私も頑張ろう」と書かれています。
若い頃はホントに強気でしたが、弱気を見せるようにもなってきたこの頃、
こう書かれるとホッとする反面、娘が言うのもなんですが、健気に感じてしまいました・・・。
一方父の方は、足腰がだんだん弱ってくる上、心臓に持病のある身でした。
無理は禁物と言われながらも性格上怠けることが苦手です。
(ちゃちゃめはガッツリ怠け者やのになあ・・・)
老老介護の典型ではありましたが・・・
でも、母の衰えと認知症が進むこの頃、母にはナイショで
「お母さんを見送らんことには死なれへん。」と言っていました。
母がまだまだ元気で、でもちょっと「??」な感じが出始めた頃には
「アンタの方が長生きしてくれんと私は困るで。」
と、冗談半分に叱咤激励して言ってたものでしたが・・・。
父は昔からダイアリーにいろいろ書きつづっておりましたが
この辺は男性ならではでしょうか、その日の出来事を簡単に機械的に
メモっただけで、自分の感想は一切書かれていません。
それもだんだんしんどくなったようで、以前は毎日書いていたものが
次第に途切れがちになり、そのうちとうとう書かなくなってしまいました。
入院中も可能なときは手帳に書き込んでもいましたのに・・・。
老いると言うのはこういうことなのですか。
いつまでもあると思うな親と金、ですな・・・。
でも、自分の親が年老いていくのは
自然の摂理であるとはいえ、厳しくさびしいものではあるけれど
・・・それでも悪いことばかりではないと思います。
いつだったか新聞に、こういう意味のことが書いてありました。
親は年老いて死に行く姿を見せ、親の死を経験させることによって
子どもに最後の大切な教えを授けているのだと。
そして親は死んだ後も子どもに大切なことを教えているのだと。
まったくその通りだと思いました。
精神的なことだけでなく、お葬式やその後の相続のことなども貴重な経験となります。
親は身を持って本当に人生に大切なことを教えてくれているのですね。
そして、親の世話をするうちにいつからか
一緒に暮らしていた頃よりずっとたくさん話をするようになりました。
たわいのない話から結構大事な話まで、ホントいろいろです。
プラス・・・私がすごくよかったなと思っているのは、兄たちとの会話が格段に増えたことです。
どうもウチの家系はクールというか照れくさがりなのかええかっこしいなのか
なんか家族仲良くが気恥ずかしく、中々家族間の会話が弾まないウチでした。
仲が悪いわけでは全然ないんですよ? なのにさらりとかわすというか
しれっとしているというか・・・
それが、介護を始めるとどうしても話をしなくてはならないものだから
自然と会話がふえ・・・
私が嫁いでからはめったに話す機会もなくなっていたのに・・・
今は週に何度も電話やメールで話をし、一緒に介護をし、
親の話だけでなく、ウチの子どもたちの相談事や
たわいない世間話、政治談議から健康関連、教育行政批評に至るまで、
更には大げさですが人生のなんとやらな話までするようになりました。
そして昔話ついでに近所やウチゆかりの土地の古地図を図書館で捜したり、
また、親戚筋に話を聞いて父方・母方それぞれの家系図を作ったり、
ウチの歴史的探索にまで手をひろげております。(これが結構面白くてハマる。)
これも親の介護がきっかけというと、ちょっと皮肉な気もしますが
・・・でも、親のおかげなのは間違いないです。
ホンマに、親はどんな状況でも、どんなことになっても
子どもに良くしてくれるもんなんやなあ・・・。
う~~~~ん・・・・
わっちはそういう親になれるんやろか・・・自信ないで~・・・
さて介護のお話は、いよいよひとつの「山場」を迎えます。
よろしくお付き合いくださいませ・・・。
今日の最後に、お兄が介護ノートの欄外に走り書きしていた一文を・・・
(実際は「オニイ」の部分は実名です)
『はっていき、オニイにカロリーメイト与えようとした 親心』