ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

KAIGO.介護 巻の三十二 復習(おさらい)するは我にあり 

2010年08月05日 13時01分14秒 | 介護な日々
多少追記すべきことが出てきましたので、軽くおさらい。

母の認知症は2005年ごろから僅かずつその傾向が見え始め、
2006年には体も少しずつ衰え始め・・・
でもまだ家事は手伝って貰いながらこなしていましたし、
ヘルパーさんもまだお願いしていませんでした。
でも、2007年春、3月でしたか・・・
近くの小学校に知事選挙に出かけて転倒し、それから急に腰が曲がってしまったのです。
このころから排泄の自律がやや困難になり、うっかり粗相することが多くなってきました。
何度も下着を替え、頻繁に洗濯をする様を見て、父はよく
「本人はだいぶ情けない思いでいると思うわ。」
と思いやっていました。
私もそれとなく失禁用ナプキンなどすすめてみましたが、
使い始めるまで随分かかりました・・・やはり最初は抵抗があったのでしょうね・・・。

その頃から福祉用具も利用し始め、
ようやく介護保険も利用することになってヘルパーさんに来てもらいだしましたが・・・

ケアマネさんが入るようになって初めて福祉用具のレンタルがあり、
しかも介護保険を利用して自己負担額が少なくて済むということを知りました。

ホント、知らないと損をしますよ

知ってりゃ安物の、それでも何万かする動かせないベッドを買わずに
安いレンタル料で電動の便利なベッドを借ってすませたのに~

2008年ごろからはデイサービスやショートステイを利用し始めました。
この頃は昼間はまだしっかりしていることが多いけれど
夜は起き出してあちこちごそごそしたり、
ショートステイ先でもベッドの柵を乗り越えて転落したり、
明らかに認知症の様相を呈してきました。

母にも自覚があったようで、時々
「私、アルツハイマーやろか・・?」と不安げに尋ねたり、
「ボケたんかなあ・・」と口にすることもあり、
何かそれまでと違う自分に気付き始めていたようです。

そのたびに私たちは「物忘れはトシのせいやん」とか
「まあ、ぼーっとすることもあるよ」とか言いましたが・・・
でも、別の人格に変わるわけではありません。
行動が多少ヘンでも、意味不明発言が増えてもやっぱり母は母です。
こんなヒトやったかなあ・・・とか思ったことはありません。
若い頃はああやったのにとか、あんなに出来た人やったのにとか言って
今を否定する気になったこともありません。

認知症はある日突然なるものではありません。
日々少しずつ進行はするけれど、それに自然に付き合っていけば
「親が認知症だなんて認めたくない」とはならない気がします。

・・・認めたくない気持ちはわかりますが、否定して拒絶している間に
認知症はどんどん進行してしまいます。
ようやく受け入れる気になったときにはかなり進んでしまっていて
余計やるせないキモチになるくらいなら、
その日その日のそのヒトを素直に受け入れた方がラクだと私は思うのですが・・・。

とはいえ、ウチの母はどちらかといえば陽気な認知症なので
私たちはそういえるだけなのかも知れません。
中には冗談じゃないというような認知症状に振り回されている
ご家族の方もいらっしゃるのでしょう・・・。

それはさておき、ここに2008年夏に書かれたと思われる母のメモがあります。
日常、日記のようなものは特につけてはいませんでしたが、
リハビリの一つとして文字や文を書いてみたものだと思われます。
文字がだいぶん震えていてかなり読みづらいのですが、
母が自分の気持ちを記したところもあるので、挙げてみます。




(固有名詞にはぼかしを入れさせていただいてます。)
3月17日となってはいますが、ちい兄によるとたぶん8月17日のことらしいです。
若会長というのは信仰する神道の教会長さんのことで(お父さんの大会長もおられる)
両親が元気な頃はほぼ毎月一回うちへ来られ、
仏教で言えばお坊さんがお経をあげるのにあたることをしてくださっていました。
ふたつめの4行目に「私も頑張ろう」と書かれています。
若い頃はホントに強気でしたが、弱気を見せるようにもなってきたこの頃、
こう書かれるとホッとする反面、娘が言うのもなんですが、健気に感じてしまいました・・・。


一方父の方は、足腰がだんだん弱ってくる上、心臓に持病のある身でした。
無理は禁物と言われながらも性格上怠けることが苦手です。
(ちゃちゃめはガッツリ怠け者やのになあ・・・)
老老介護の典型ではありましたが・・・
でも、母の衰えと認知症が進むこの頃、母にはナイショで
「お母さんを見送らんことには死なれへん。」と言っていました。
母がまだまだ元気で、でもちょっと「??」な感じが出始めた頃には
「アンタの方が長生きしてくれんと私は困るで。」
と、冗談半分に叱咤激励して言ってたものでしたが・・・。

父は昔からダイアリーにいろいろ書きつづっておりましたが
この辺は男性ならではでしょうか、その日の出来事を簡単に機械的に
メモっただけで、自分の感想は一切書かれていません。
それもだんだんしんどくなったようで、以前は毎日書いていたものが
次第に途切れがちになり、そのうちとうとう書かなくなってしまいました。
入院中も可能なときは手帳に書き込んでもいましたのに・・・。

老いると言うのはこういうことなのですか。
いつまでもあると思うな親と金、ですな・・・。

でも、自分の親が年老いていくのは
自然の摂理であるとはいえ、厳しくさびしいものではあるけれど
・・・それでも悪いことばかりではないと思います。

いつだったか新聞に、こういう意味のことが書いてありました。

親は年老いて死に行く姿を見せ、親の死を経験させることによって
子どもに最後の大切な教えを授けているのだと。
そして親は死んだ後も子どもに大切なことを教えているのだと。

まったくその通りだと思いました。
精神的なことだけでなく、お葬式やその後の相続のことなども貴重な経験となります。
親は身を持って本当に人生に大切なことを教えてくれているのですね。

そして、親の世話をするうちにいつからか
一緒に暮らしていた頃よりずっとたくさん話をするようになりました。
たわいのない話から結構大事な話まで、ホントいろいろです。
プラス・・・私がすごくよかったなと思っているのは、兄たちとの会話が格段に増えたことです。

どうもウチの家系はクールというか照れくさがりなのかええかっこしいなのか
なんか家族仲良くが気恥ずかしく、中々家族間の会話が弾まないウチでした。
仲が悪いわけでは全然ないんですよ? なのにさらりとかわすというか
しれっとしているというか・・・

それが、介護を始めるとどうしても話をしなくてはならないものだから
自然と会話がふえ・・・
私が嫁いでからはめったに話す機会もなくなっていたのに・・・

今は週に何度も電話やメールで話をし、一緒に介護をし、
親の話だけでなく、ウチの子どもたちの相談事や
たわいない世間話、政治談議から健康関連、教育行政批評に至るまで、
更には大げさですが人生のなんとやらな話までするようになりました。
そして昔話ついでに近所やウチゆかりの土地の古地図を図書館で捜したり、
また、親戚筋に話を聞いて父方・母方それぞれの家系図を作ったり、
ウチの歴史的探索にまで手をひろげております。(これが結構面白くてハマる。)


これも親の介護がきっかけというと、ちょっと皮肉な気もしますが
・・・でも、親のおかげなのは間違いないです。

ホンマに、親はどんな状況でも、どんなことになっても
子どもに良くしてくれるもんなんやなあ・・・。
う~~~~ん・・・・
わっちはそういう親になれるんやろか・・・自信ないで~・・・



さて介護のお話は、いよいよひとつの「山場」を迎えます。
よろしくお付き合いくださいませ・・・。


今日の最後に、お兄が介護ノートの欄外に走り書きしていた一文を・・・
(実際は「オニイ」の部分は実名です)

『はっていき、オニイにカロリーメイト与えようとした 親心』
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創作小説 SUNSET CHAPTER 5  PART.3

2010年08月05日 12時58分40秒 | 創作小品
 あれは8年前…の冬のこと。
 俺はちょっとした目的があって、そのころ住んでいた横浜から長野県の佐久市を目指していた。素直にJRの最寄り駅から路線バスかなんかで佐久市内の目的地に行けばよいものを、経費節減をめざした俺は駅からそこへ歩いて向かった。路線バスの便数がほとんどない上に目的地までは乗り継ぎをしなくてはならず、更に運賃もバカにならなかったし、30kmくらいなら半日かければなんとか行けるだろう…などタカをくくったのが間違いだった。
 30キロは都会の30キロではない。寒さ対策は一応しっかりしてきたつもりだったが、寒さプラス高さを甘く見ていた。主に都会で育った俺には、路線バスが片道数時間の道のりを行くこともあるとか、雪国では路線バスが普通に高い山やスキー場を回ることもあるとかいうことを見逃していた。その少し前までいろんなところを旅してまわっていたくせに、である。いや、旅では一日30キロを歩こうとしたことなどなかったせいだ。
 ともかくその30キロの半ば、予想外の高地へ来て、疲れ果てたところに吹雪がやってきてしまったのだ。山の天候はかわりやすい。麓で晴れてても、ちょっとした風向きで吹雪くことも珍しくはない。このまま歩き続けるのは無理があったし、引き返すにも遠すぎる。それでも万一を考え、その日のうちに山を越えられなかったら途中で避難する場所は見当をつけてあったので、とにかくそこを目指してぎりぎりの状態で歩いて行った。
 それはその路線沿いに開発されていたスキー場の近くの避難小屋だった。車でも何でも山越えをしようとして途中立ち往生した人が避難できるように建てられた小屋で、路線からは少し山へ入ってはいたが、さほど遠くはなく、行き倒れはなんとか免れた。
 われながらちょっと無茶をしてしまったと反省しつつその小屋に入ると、中は10畳ほどのログハウス。真ん中にストーブが置いてあり、灯油も満タンで入っていた。簡単なキッチンに保存食も備え付けてあるし、もちろん暖かい毛布も用意されていた。俺はとにかく急いでストーブを点火し、すぐに食べられそうな保存食と飲み物をいただいて毛布をかぶって火にあたった。
 とにかく寒かった。寒さはそれだけで体力を奪っていく。ましてやここまで何時間も歩き続けて俺はへとへとになっている。いちど座り込んでしまうと立ち上がるのがものすごく億劫になっていた。
 そうだ、ストーブにやかんをかけよう…。そう考えて俺は立ち上がろうとしたが、なんだかからだがものすごく重い。ようやっと立ち上がってやかんに水を汲んで手に持ったら、これまたものすごく重い。ストーブの天板にガチャンと置いたら、なんだかふらついてへたりこんでしまった。そんなに疲れたかな…と思ったら、今度はめまいがして倒れるように横になってしまった。
 暑い…。寒気がするのに暑い。ああ、そうか、熱があるんだ…。こんなところで…。やばい、こんなところで寝込むようなことになるなんて…。ここにいれば少なくとも凍死はしないだろうけど、ずっといるようなところでもない。くそ、明日の朝には下がっててくれよ…。そう今は祈るしかない。一応目的地には、到着が一日遅れるかもしれないことを事前に知らせてあったので、そちらの方は気にしなくて良かった。明日になれば何とかできるだろう…。
 だけど、ひとりでそんなところで熱を出して倒れているとものすごく不安になってきた。ひとりでいるのは慣れているはずなのに、何故か心細い。不安だ。体調が悪いからか、人里はなれた隔絶した場所だからか…。何だか世界で一人きりのような気にまでなってくる。ひとりとり残されたような焦燥感さえつのってくる。
俺は急にものすごく恐くなって毛布を頭からかぶった。こんなところにひとりきりでいると魑魅魍魎に襲われそうな気すらしてくる…。百鬼夜行…飛天魔軍――ヴェーテンデスヘール――それが見えてきそうな異常な精神状態…。熱があるから余計ひどい…。体力と気力の限界が迫っているような、そんな追い詰められた極限状態に俺はいるような気がした…。
 その時、それを吹っ飛ばす勢いで誰かが飛び込んできた。雪まみれのその人は俺のそのときの感傷じみた心細さを吹っ飛ばしてあまりある変なオーラをまとっていた。なにしろ開口一番言った言葉が
「うっわああ~。めっちゃぬくいやんか~!! 生き返ったわあ~!」
イヤ…とても死んでいたようには思えないんだけど…。ベタベタの関西人か…。
「あ、すんません、お邪魔します~! あ~さぶっ、はよぬくもらしてもらお!」
な…なんて元気なんだ…。避難してくる遭難寸前の人間とは思えない。俺は少しだけからだを起こした。
 何か派手な女だ…。イヤ、化粧じゃなくて(化粧もだけど)キャラ的に。
「あ~、ぬく! すいません、部屋ぬくめてくれてはってんね。ありがと~。」
「いや…。」
あんたのために、じゃないんだけどな…。
 俺はさすがに頭は出してその人に向き直った。途端に彼女はマジ顔になった。
「ちょっと、アンタどないしたん? めっちゃ顔赤いし、眼が死んでるで? ごっつしんどいんちゃうん?」
いいながら這い寄ってきて手袋をはずすと俺の額に手をあてた。凄く冷たい。そして
「めっちゃ熱あるやないの! ちょお待ちや、こういう時はちゃんと寝た方がええよ。こういうとこは毛布がいっぱい置いてあるはずやから…、と。」
 彼女は小屋の押入れから数枚の毛布を出してきて、床に何枚か広げて重ねた。
「んで、アンタ…名前は?」
いきなり名前を聞いてきた。なんだ、このヒト…。メンドそうな人だ。俺が黙っていると
「名前! めんどくさいし覚えられへんから下の名前だけでええわ。あ、ウチから名乗るべきやんなあ。マキでええよ。で、あんたは?」
答えなければかえってややこしそうだ。ああ、まったくメンドくさい…。言えばいいんだろ、言えば…。
「和行だ…。」
「カズユキ? 長いなあ。」
ほっとけよ! 失礼な奴だな~! だいいち俺がつけたんじゃないっつーの!
「カズでええな。」
もう…勝手にしてくれ…。
「ほんならカズ、ちょっと上脱ぎ! 寒気するんやろうけど、そんなごっついのん着んほうがええ。熱が下がりだす時汗かくからな、そのときごついの着てたらたいへんやからな。で、ココへ寝ぇ。」

・・・TO BE CONNTINUED.
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