ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

人は何かの犠牲なしに何も得る事などできない~鋼の錬金術師

2011年04月30日 22時43分40秒 | コミック・アニメ
月刊コミックガンガン掲載・・・作者は荒川弘(あらかわひろむ)先生・・・
仮想19世紀の西洋のどこかの軍事国家が舞台で、
主人公は最年少国家錬金術師の資格を持つ少年エドワード・エルリックと
一見鎧をまとった大男に”見える”弟のアルフォンス・エルリック・・・

長きに渡り連載が完結するのをじ~~~~っず~~~~っと待ってて、
コミックス最終巻が出たのでイッキ読みをしました・・・〈出たの結構前だけど)
読み終えて即座にもっかいイッキ読みしました。(ちなみに全27巻)
・・・・〈オトナ買いはしてません、長女がコツコツ買ってたのを借りた)

さすが、2回もテレビアニメ化され今度劇場版も上映されるだけのことはある、
めっちゃめちゃ面白かった・・・です。

でもって・・・この荒川先生、ほんまに女の人なの??!!
まさに少年マンガの世界観に少年マンガバリバリの絵柄。
何といっても・・・マッチョな筋肉もりもりの”むさいおっさん”が
これでもかこれでもかというくらい登場し肉弾戦を繰り広げる!!
その格闘シーンや戦闘シーンの凄いこと・・・こら男性と間違われるわ~!

ご自身も農家のご出身で、ハードな肉体派・肉食系の環境にお育ちなんだそうで・・
といいつつ、作者キャラはメガネをかけたホルスタイン・・・草食動物やがな!!

さて、冒頭タイトルのキャッチは冒頭のページにいきなり書かれている言葉です。
この作品で言う錬金術は、本来の「クズ金属から金を作る」と言う意味ではありません。
ここでは「あらゆる物質を元素まで分解して再構築し別の物質に作り変える」という術で
原則は「等価交換」、10の物からは10の物しか生み出せないという法則があります。
そして、優れた術師は国家錬金術師として・・・というより特殊能力を持った人間兵器として
特権を持つ代わりに(確か少佐と同等の地位)軍には絶対服従でいつ戦場に派遣されないとも限らない。

↑エドたちの味方である軍のヒトビト。
イスに座っているのは一番頼りになる(はず)”炎の錬金術師”ロイ・マスタング大佐

空気中のチリや埃を炎に練成するとかで。
(もちろん雨の日は「役立たず」呼ばわりされたりして・・・)

主人公のエドとアルのエルリック兄弟は、
亡き母に再会したいがために禁忌である人体練成(つまり死者蘇生)を試み
失敗して「真理」と呼ばれる存在に「真理の扉の通行料」として
(つまり神に、タブーを犯した代償として・・・というような意味)
エドは左足を、アルはすべてを”持っていかれて”しまいます。
更にエドは持っていかれたアルの魂だけでも取り戻そうとして右腕を失います。
結果エドは右腕と左足にオートメイルという機械じかけの義手義足を装着し、
・・・だから”鋼の”錬金術師という称号を与えられています。
また、アルはエドによって、仮の体としての鎧に魂を定着させられています。

二人はもとのからだを取り戻すために「賢者の石」を探し出そうとして・・・
国全体、人類全体にかかる大規模でとんでもない計画に巻き込まれていくのです。

本作品は、なにしろまずキャラクターの設定が凄い上、
世界観も背景もとてつもなくスケールが大きく、
複雑かつ緻密に描かれていて・・・とにかくこれはほんまに凄い作品ですわ。
いろいろな人物の思惑も複雑に絡み合い、厚みのある完成度の高い名作です。

アニメ版のエド役は朴路美(ぱくろみ)さん、大好きですよ~。
アル役は釘宮病という言葉もあるほど人気の声優・釘宮理恵さん。
マスタング大佐は三木眞一郎さん・・・好きですわ。
他の役も豪華声優陣、アニメファンには嬉しい限りのキャスティングだわ。
・・・といいつつテレビアニメは見ていないちゃちゃめ。
遅ればせながらこれからDVD借りて見ま~す!!


・・・・・・・・・・・・・
金田一少年の事件簿の金田一ハジメに似てる気がするのはワタシだけだろうか?
(見た目だけじゃなく、なんというか・・・ふざけたときのノリが!)
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いしいひさいちさん

2011年04月27日 22時07分37秒 | 気になるヒトビト
日本中の誰もが知り、誰もが認める4コママンガの王者。
4コマ漫画家は大勢おれど、ワタシは個人的にこの方がナンバーワンだと思います。

いしい先生の作品が一躍有名になったのは何と言っても
「がんばれ!!タブチくん!!」でしょう。
実在するプロ野球選手(もちろん現在は解説者ですが)田淵幸一さんをモデルに、
実在する球団や選手をユーモラスに、辛辣に、そして深い愛情をこめて描いた
抱腹絶倒モノの4コママンガは驚くほどの大ヒットになり、
東京ムービー製作の劇場版アニメが3本も作られて日本中を席巻しました。

しかるに、いしい先生はそれまで「バイトくん」という
どう考えてもご本人の分身としか思えない冴えない大学生を主人公にした、
どう考えてもご本人の周辺の状況を哀切をこめて描いた作品群があり、
関西ローカルの雑誌で一部の読者(主に大学生)に絶大な人気を博していました。

ある一定の年齢層の関西人である皆様には覚えがあろうかと思います・・・
「ぷがじゃ」ご存知ですか・・・・・?
もともとは「プレイガイドジャーナル」というB6版の月刊のタウン誌です。
「Lマガ」「ぴあ」みたいなもんですな。(こちらもご存知でしょうか??)
インターネットなぞなかった時代、大学生くらいの年代の若者はみんなこの
略称プガジャを手に、町へくりだしたもんです。ちゃちゃめも毎月買ってました。
そのプガジャ(後にB5版になり誌名も「ぷがじゃ」に変更)にいしい先生は
一時「お漫画」という4コマを連載されていました。
当時はどうやら関西〈大阪)にお住まいだったようです。

元はと言うとやはり関西ローカルのアルバイト情報誌である
「日刊アルバイトニュース」に「OH!バイトくん」を掲載したのが始まりだそうです。
そこにちょいちょい描かれたタブチくんが大好評で、
いつしか「タブチくん」は天下の成年漫画誌「週刊アクション」に連載することに。
(「ルパン三世」の掲載誌であります。)

まあ~、その後は破竹の勢いで、連載を山のように抱え、
現在にいたるまで八面六臂の大活躍、引っ張りだこの漫画家であられることは
誰の目にも明らか・・・ですね。
毎朝読んでますよ、朝日新聞連載中の「ののちゃん」。大好きです。
「ののちゃん」の前身「となりの山田くん」に至っては
あのスタジオジブリで劇場版が製作されましたよね。(TVアニメにもなってます。)
・・・すごいです。

ただ、マスコミ嫌いというか何と言うか、顔写真すらお見せになりません。
電話嫌いも有名で、毛布にくるんで冷蔵庫に放り込んだと言う逸話もあるそうな。

いしい先生ご自身は岡山の出身ですので関西人ではないですが、
大学は関西大学で、在学中からマンガを描いておられましたが・・・
失礼ながら初期の絵はホンマに素人の絵でした。線がガチガチ。
でも、絵は描くほどにうまくなるもの、最初はヘタでも面白ければ、
訴えるもの、共感できるものがあれば人気は出ます。

いしい先生の学生時代は昭和40年代の学生運動全盛期。
我らがバイトくんも仲間たちとわけのわからん、イデオロギーもなにもない、今風に言えば
「ノリだけでデモったりアジってたりしてみただけの無害な運動」を展開していました。
いしい先生が下宿していた実在する学生アパート「中野荘(ルビは「なかのくそ」)を舞台に
大学生、それも下宿経験のあるヒトにはしみじみと実感・共感できる
学生生活・学園生活が赤裸々に描かれていて、年代的には少し後のワタシも
「そうそう、大学生活ってこんなんや~!!」と思いつつ読んだものでした。


現在いしい先生の描かれるジャンルは多岐にわたっています。中でも特に面白いのが政治風刺。
不肖ちゃちゃめも大学ではマンガなるものを専攻していました。
その際お世話になった教授に「漫画家は最終的には政治がわからないといけない」と言われていました。
その昔、マンガのルーツと言える海外の諷刺画は、政治を批判するための武器であったのですね。
(ウチの教授はロートレックがその元祖とおっしゃってましたな。)
現代も新聞の風刺漫画しかり、硬派の雑誌の政治漫画しかり、です。
いしい先生も政治漫画を描かせると素晴しいです。えげつないほど似てるし(顔も性格も)。

それに、いしい先生はどうやらミステリーマニアでもいらっしゃるようで。
創元推理文庫にある「いしいひさいちコミカルミステリーツアー」は最高ですよ。
何といってもシャーロックホームズものがめちゃめちゃ面白い。
ホームズを「社会不適応者!」とののしり、ボロッカスに描いてはいますが
〈ホームズフリークが読んだらいしいひさいち殺人事件が起こりかねない)
でも、原作をしっかり読みつくしていないと描けない内容であるところや、
クソミソにいいながらも、なにかしら憎めないでいるところを見ると、
きっと本当はホームズが大好きで、
ミステリーというものをこよなく敬愛していることがよくわかります。


さて・・・明日の「ののちゃん」も楽しみだ・・・!
コメント (4)
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KAIGO.介護 巻の百一 毎日マイペース

2011年04月26日 21時47分26秒 | 介護な日々
2010年1月20日 快晴 ちい兄記録

10時45分ごろお迎えに。美少女介護士さんお二人に寝具換えをしてもらっていた。
車イスに乗せてもらい、外出準備もしてもらった。
今日は朝からコーフン気味だったらしい・・・(なにがあった??)
数日前に書いたミニノートの記述を見て「私、S代(自分の名前)ゆうんか!」
主婦の会の家計調べの用紙に「名前書けるか?」と聞いたが
「急に現実になったなあ」と(???)笑う。
「字は書いとらんなあ」と言うだけで書こうとせず。
病院の裏口から出てご近所散歩へ。すぐ近くのスーパーS屋と
おなじみかかりつけのUI医院はちゃんとわかっていて確認作業(?)OK。
ウチの裏の駐車場で豆乳を飲んで「コレおいし~な」。
昭和8年の皇太子(今上天皇)誕生記念と裏書された母の学級写真らしきものを見せる。
「よォこんなんあったな~!」と言う。(まったく。)
自分がどれかわかるかと聞くと初めはわからんと言っていたが
しばらくして「コレや」と・・・「ちょっと肥えとるな」ときくと
「子どものころはな。」と応えていた。
半年ほど前に和歌山の日高町(現在は日高市)の教員をしていた時代の写真を見たときも
少し太っていたのは「若気のいたりで」と言っていた。
同級生や先生の名前はよく覚えている。たいしたものです。

そのあとで郵便局へ行き、ようやく敬老乗車パスの更新に行き、
二条通りまで散歩。「あんたらここらへん覚えてへんやろ」と言った。
道も良く覚えている・・・・が、

・・・相変わらずの負けず嫌い。

病院へ戻って昼食。カツオをかけたようなうどん(一口めはおいしいと言った)6割
おにぎり2/4個、山菜和え全部、ゆかりあえ(いつもの海藻みたいなもの)3割
もういらんんと言ったがお菓子は食べたいらしい。
オヤツ時に出してもらうようスタッフにお願いして横になる。
「ちゃちゃは来んのか?」と聞くので「毎日は無理」と言っておいた。
「週末に総領(お兄のこと)が来るらしい」と言うと笑っていた。


2010年1月22日 さぷっ!

今日はちとだるそうでした。師長さんいわく「36.9度、ギリギリですね」
しんどいけどタイクツなので(散歩に)行くとのたまう。
椿がぼちぼち咲いているかと思って、近くの椿の多い公園に行きましたが
まだゼンゼンでした・・・ザンネン。早咲きがチラホラある程度。
近状をぐるりと回ります・・・。

今日はよほどだるいのか、肘掛にもたれるらしく何故か体が右へ傾いています。
病室へもどるとすぐに「横になりたい」と・・・。
昼食もなかなかすすまず、ほんの少しだけ。

今日はうちの娘が作った手作りレアチーズケーキがあるので、
それで釣ってようやくおにぎり2.5/8個、オカズ7割。
でも、ケーキは18センチケーキ型で製作した1/8のほとんど食べました。
しかもそういうものの時はあける口も大きい。おいおい・・・。

しかしすぐに横になりたがるので食後すぐにベッドへ。
と、今度は急に思い出したように「今度ちい兄さんがお嫁さんもらうんやで」と言い出しました。
「それはお兄ところの三男のT君やで。T君が嫁さんもらうねん」と訂正すると
「いや、それとは別口で」と譲りません。思い込みってやつですかな・・・。

とて、本日もマイペース。
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KAIGO.介護 巻の百 ふつうがいちばん。 

2011年04月23日 21時45分43秒 | 介護な日々
おわ・・・とうとう100話目ですか・・・。
・・・・イヤイヤイヤ! まだまだ続くよ。


2010年1月13日 快晴 ちい兄記録

11時前行くと、ベッドメイキング中で母は車イスに座って布団を抱かされていた。
母「どっから来たん?」
ちい兄「天から降ってきた」
母「そんなワケないやろ!」
おばさまナース「そんだけわかってたら大丈夫や!」

美少女ナースに手伝ってもらってイス乗換え、モーレツに寒いと言っておいて外出。
無料パス(バスの敬老無料乗車証)の更新に行こうと思っていたけれど、
ちょうど病院前のバス停にバスが来たので予定変更、いつものJR桃谷駅前へ。
桃谷駅の高架の向こうは天王寺区。
「こっち(天王寺区側)は来たことないワ」といいつつ、駅前の飲食店の陳列見本を眺める。
今日はスキマがないように気をつけて全身くるんで行ったので、
「寒い」は2回言っただけ。(普段は連発・・・帰院した時毛布はぬくいと言った)
出かける前からお菓子を所望していたのでKパン屋でさくらあんぱんを買い半分ほど食べる。
「おいしい昼ごはんがあるからな~(半分でやめとこ)」と言うと
「そやな~」と言った(ちゃちゃ註:ホンマは母曰く「おいしない昼ごはん」)
毎度の犬どもに声を掛け機嫌よく戻る。
昼は炒り豆腐が出ていたが、辛いといいつつみな食べる。(トーフは味付け次第?)
ゴハン半分、オカズは完食。パン食べたので強要はせず。
「ほな寝よか」と言って横に。本日はほぼふつう。
「Cさん(母の兄ね)が生きててよかった」などと言っていた。


2010年1月15日 さぷっ ちゃちゃ記録

今日の母は爆睡中。呼んでもつついても揺すっても起きません。
肝性脳症の昏睡と言うよりはホンマ爆睡っぽい感じです。
(昏睡の場合は寝てると言うより止まっているようで不気味。)
師長さんによると「今日は朝からウトウトしておられますねえ」で、
朝食はちゃんと食べたそうな。とりあえず午前の散歩はやめて出直し。
昼に行くと目を覚まして食事中。おにぎり8個中4個くらい、オカズは8割がた食べました。
午後リハビリのある日なので遠出はなし、ご近所ぐるっと回ることに。
まだ少し眠そうで、喋りはするけどやや静かです。
寒いを連発し「もう帰ろ」と言うので早めに切り上げました。
F施設5階の庭園をみて病院4階の食堂でおやつ。
珍しくあまりいらない様子ですが一口饅頭を食べました。
部屋へ戻るとベッドに横になりたいというので寝かせて業務終了(?)
全体に機嫌はまあまあな一日・・・つまり、ふつうですな。


母的に、ふつうの日々が続きます。
でも、この頃からか、だんだん衰えが見えてきたと言うか、
「さじを持つのがしんどい」と言って、自分で食べなくなってきていました。
日によってむらはありますが、前は立つくらいはできたのに、
いつの間にか自力では立てなくなって来ています。
ふつうの生活を続けるのがベストといいつつも、ふつうのレベルがだんだん下がっているのか・・・。


2010年1月19日 POKAPOKA

この日も機嫌よくお待ちかね。さっそくお散歩へ・・・。
ところが、まっすぐウチへ向かおうとしていたら、
近くまで来たときご近所KOさんがご自宅から出てこられたのが見えました。・・・と、

ははは・・・・。イヤイヤイヤ、良い人なんですが、
話し始めると長い、しかもくどい、同じ話を1回の対話で3回はする。

なので直前で右折してウチの裏へ回って父の勤めたT社の前をまっすぐ向こうへ、そして一条通りへ。
一条通りをずうっと行き、高架でターンして、帰りは二条通りを通って帰ります。

朝入浴したためか元気、おしゃべり。あまり寒くない日だし。

しかし昼食は食べず、無理からなんとかおにぎり8個中3個、オカズ半分くらい・・・で
頑として「いらん!!」、ビスコ2個は食べました。
ビスコの缶に一口サイズの個包装のお菓子を入れていますが、それが
「いつの間にかもうないねん」と。
頭床台の引き出しをあけて中をさぐり、「お菓子がなくなってる」とも。
が、もともとそこにはお菓子はいれていないと言うと納得していました。

来月は母の誕生日があるので、ウチの子が何かお菓子を作ると言っていると言うと
「おばあちゃん、待ってるからねとゆうといて」とニッコニコ。

う~ん、やっぱり孫はかわいいねんなあ~。・・・て、ふつうか?!
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KAIGO.介護 巻の九十九 100歳のおともだち 

2011年04月19日 21時40分36秒 | 介護な日々
2010年1月12日 雨 ちゃちゃ記録

まず、「あんたここ来たん初めてやな?」から始まる・・・。しょっちゅう来とるがな。
雨やしかなり寒いので院内をぐるぐる。隣の老健F施設にも行きました。
1階の外来が混んでいるのを見て
「こんだけ人が来てんねんやったら結構やな。」
・・・どうも病院が儲かってよかったな、という意味らしい。
全フロアまわってあちこちで声をかけられ・・・。
今日は比較的静かで機嫌も良いようです。
そして「今日は入浴した」とは本人の弁。どうやら火・土が入浴日のようですな。
5階に戻ると、一番東端の病室に「知ってる人がおる」と言うので行ってみました。
それは、前にこの病室にいたときに(たまに部屋替えがある)一緒だったYさんで、
まだ入院されていたのでそばに行っておしゃべりしました。

イヤイヤイヤ、まともやと思ったのは母のことを、ね。
他人と話すときは普通のヒトとなんらかわらず対話が出来るようです。これ、不思議。

Yさんは自称100歳、プレートには97歳とありましたが
頭は母よりよっぽどしっかりしているようでした。
・・・が、

対話にはなっているけど会話にはなってなかったりして。
別れ際にYさんは
「また来てね。しっかり好き嫌いせんと食べなあきまへんで!」
とおっしゃいました。・・・・・・お母さん??
息子さんはいるけれど忙しいし、お孫さんはいないそうなのでお淋しそうでもあります。
「あんたとは長いなじみやさかい、また来てな。」・・・と。

そういや、Yさんも長らくご入院されてますわ・・・。
タブンこの方もF施設入りをお待ちなのでしょう。

院内散歩の前後にひとくち饅頭を食べ、
F施設の入り口でパックのミックスジュース全部飲んだのにもかかわらず
昼食はわりと良く食べました。
「ここの昼食はいっつもおいしない」といつもの文句をいいながら。
おにぎり8個中4個、おかず9割3分(あと3口程度で完食)。

「おふろはいってくたびれたかなー、眠いわ」と、食事中もうとうと。
足が寒いのでベッド上で毛布をかぶっての食事のあとは
「もう寝るわ」でありました・・・。
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