2008年9月21日(日)
その日はちい兄が実家にいて、母のご機嫌伺いと父の援助をしていました。
昼間出かけたちい兄は、父の昼食の用意をして、更に雲行きが怪しかったので
「二階の窓は閉めたから、雨が降っても様子見に行かんでええで」と
念を押してから出かけました。
ところが、昼間通り雨が激しく降ったとき父は二階に上がったらしいのです。
もう・・・行かんでええてゆうたのに・・・!
性分なんですね・・・自分の目で確認しときたいという・・・
そしてちい兄が帰宅して、夕食を用意し、父にそう声をかけると・・・
父は一旦トイレに立ちましたが、戻ってきたとき居間のソファに座り込み、
息も絶え絶えに胸を押さえて急に
「あかん・・・あかん・・・!」と苦しがりました。
息苦しさがひどい・・・ということはまた胸水が溜まっているおそれがある・・・?!
だのに、どこまで辛抱強いのか
「救急車呼ぼか?!」というちい兄に、父はまだ若干迷っていたとか・・・・
あんだけT先生に
「我慢しても何の得にもなりませんよ!!!
治りませんから絶対!!すぐに!!救急車呼んでくださいね!!!!!」
と、念を押され怒られ倒したのに・・・マッタク・・・
父はちい兄が呼んだ救急車でSセンターへ向かいました。
ああ、またTセンセに怒られるわ・・・。
2008年9月22日(月)
・・・・・・怒られました、当然・・・。
長い長い長~~~いT先生のお話を要約しますと、
「ここ1週間で急に悪くなってきた。くるぶし上の浮腫は心不全由来。
僧帽弁(心臓の中にある弁のひとつ)の機能低下により心臓肥大。
手術適応なれど高齢者につき(手術のめやす80歳まで)対症療法となる。
今まで同様の生活を続けることは不能。
脊髄の造血機能低下によって貧血に。
一月ほど入院必要だが、その後も科を跨いでの観察必要のため
中規模病院へ行くのがよい。」(ちい兄の記録原文まま・・括弧内はちゃちゃ註)
ということでした。
Sセンターは特定機能病院といいまして、救急病院ではないのですが、
高度な医療技術の開発と提供を行うかなり専門的な医療機関なのです。
つまり最先端医療技術と設備をもつスゴイ病院なワケで・・・。
ですから病気の急性期が過ぎて安定期に入ったら一般的な病院への転院を進めます。
その方針に基づき、T先生も落ち着いたら
まず中規模病院へ転院しなさいとおっしゃいました。
父本人にその旨伝えると「IC病院はどうやろ・・」と答えました。
そやね、それが一番ええわ~。
IC病院へ行けば母がいます。
どうせしばらく入院が必要なら母と一緒が良いに決まってます。
世間には夫婦で同じ病院暮らしの人もいるという。
自宅で過ごせれば一番良いけれど、そこは仕方がありません。
父が傍にいれば母も安心するだろうし・・・。
母も今はIC病院ですが、いずれ隣の老健――老人保健施設に移る申し込みをしています。
そのこともあわせてT先生に、落ち着いたらIC病院へ転院したいと伝えました。
T先生もそれならIC病院宛の紹介状を書きましょうと言ってくださり
その方向で私たちも準備することにしました。
2008年9月下旬
この頃も母は元気そうで、ウチへちょっとだけ帰ったり
近所のスーパーの休憩所でオヤツを食べたり
不思議発言をいろいろしたり
「退院する」と言い張ってちょっと周りを困らせたり
機嫌も良かったり悪かったり・・・
つまり相変わらずの状況でした。
父は酸素吸入もすこしずつ減ってそのうち不要になり、薬が効いて胸水も順調に減り
脈は少し速めですが、安定に向かっていきました。
はだ、これは前からでしたが、肌のあちこちが乾燥のせいでか痒くなり
それで一番困っているとのこと。
高齢になると皮膚の抵抗力が落ちてちょっとの刺激で痒みを感じるものなのだそうです。
でも、Sセンターには皮膚科がないため、痒みについては
近所のかかりつけUI医院の若先生――Y先生に聞いてみることにしました。
ところが・・・・・
方針も決まってひとまず安心の状況が急転直下したのは10月に入ってすぐ。
父の状況において、これから後にはまさかのバトルロイヤルが待っていました。
相手?・・・いろいろです。そう・・・いろいろ。
その日はちい兄が実家にいて、母のご機嫌伺いと父の援助をしていました。
昼間出かけたちい兄は、父の昼食の用意をして、更に雲行きが怪しかったので
「二階の窓は閉めたから、雨が降っても様子見に行かんでええで」と
念を押してから出かけました。
ところが、昼間通り雨が激しく降ったとき父は二階に上がったらしいのです。
もう・・・行かんでええてゆうたのに・・・!
性分なんですね・・・自分の目で確認しときたいという・・・
そしてちい兄が帰宅して、夕食を用意し、父にそう声をかけると・・・
父は一旦トイレに立ちましたが、戻ってきたとき居間のソファに座り込み、
息も絶え絶えに胸を押さえて急に
「あかん・・・あかん・・・!」と苦しがりました。
息苦しさがひどい・・・ということはまた胸水が溜まっているおそれがある・・・?!
だのに、どこまで辛抱強いのか
「救急車呼ぼか?!」というちい兄に、父はまだ若干迷っていたとか・・・・
あんだけT先生に
「我慢しても何の得にもなりませんよ!!!
治りませんから絶対!!すぐに!!救急車呼んでくださいね!!!!!」
と、念を押され怒られ倒したのに・・・マッタク・・・
父はちい兄が呼んだ救急車でSセンターへ向かいました。
ああ、またTセンセに怒られるわ・・・。
2008年9月22日(月)
・・・・・・怒られました、当然・・・。
長い長い長~~~いT先生のお話を要約しますと、
「ここ1週間で急に悪くなってきた。くるぶし上の浮腫は心不全由来。
僧帽弁(心臓の中にある弁のひとつ)の機能低下により心臓肥大。
手術適応なれど高齢者につき(手術のめやす80歳まで)対症療法となる。
今まで同様の生活を続けることは不能。
脊髄の造血機能低下によって貧血に。
一月ほど入院必要だが、その後も科を跨いでの観察必要のため
中規模病院へ行くのがよい。」(ちい兄の記録原文まま・・括弧内はちゃちゃ註)
ということでした。
Sセンターは特定機能病院といいまして、救急病院ではないのですが、
高度な医療技術の開発と提供を行うかなり専門的な医療機関なのです。
つまり最先端医療技術と設備をもつスゴイ病院なワケで・・・。
ですから病気の急性期が過ぎて安定期に入ったら一般的な病院への転院を進めます。
その方針に基づき、T先生も落ち着いたら
まず中規模病院へ転院しなさいとおっしゃいました。
父本人にその旨伝えると「IC病院はどうやろ・・」と答えました。
そやね、それが一番ええわ~。
IC病院へ行けば母がいます。
どうせしばらく入院が必要なら母と一緒が良いに決まってます。
世間には夫婦で同じ病院暮らしの人もいるという。
自宅で過ごせれば一番良いけれど、そこは仕方がありません。
父が傍にいれば母も安心するだろうし・・・。
母も今はIC病院ですが、いずれ隣の老健――老人保健施設に移る申し込みをしています。
そのこともあわせてT先生に、落ち着いたらIC病院へ転院したいと伝えました。
T先生もそれならIC病院宛の紹介状を書きましょうと言ってくださり
その方向で私たちも準備することにしました。
2008年9月下旬
この頃も母は元気そうで、ウチへちょっとだけ帰ったり
近所のスーパーの休憩所でオヤツを食べたり
不思議発言をいろいろしたり
「退院する」と言い張ってちょっと周りを困らせたり
機嫌も良かったり悪かったり・・・
つまり相変わらずの状況でした。
父は酸素吸入もすこしずつ減ってそのうち不要になり、薬が効いて胸水も順調に減り
脈は少し速めですが、安定に向かっていきました。
はだ、これは前からでしたが、肌のあちこちが乾燥のせいでか痒くなり
それで一番困っているとのこと。
高齢になると皮膚の抵抗力が落ちてちょっとの刺激で痒みを感じるものなのだそうです。
でも、Sセンターには皮膚科がないため、痒みについては
近所のかかりつけUI医院の若先生――Y先生に聞いてみることにしました。
ところが・・・・・
方針も決まってひとまず安心の状況が急転直下したのは10月に入ってすぐ。
父の状況において、これから後にはまさかのバトルロイヤルが待っていました。
相手?・・・いろいろです。そう・・・いろいろ。