アニメ・おそ松さん。
の続きというわけでは実はなくて。
タイトルの「一生全力モラトリアム」は一期オープニングの
「はなまるぴっぴはよいこだけ」と言う歌の一節です。
モラトリアムとは簡単に言えば猶予期間のこと。
何となく言葉は聞いたことがありましたがはっきりと意味を知ったのは
海堂尊先生のエッセーを読んだ時でした。
文庫本「ジェネラルルージュの伝説」に収録されている海堂先生の
自伝的エッセーの冒頭部分に記述があるのですが
要約すると、小説を10冊書けたら初めて作家を名乗ろうと、
それまでは「物書き」と自称しようと考えていた、と。
そしてその「物書き」時代を作家としてのモラトリアム時代と認識したと。
そこで初めてちゃんと意味を調べてモラトリアムという言葉を理解しました。
前口上はここまで。
「おそ松さん」は全員がニートの設定。
ニートとは「働く気がなく実際働いていない人」のこと。
引きこもっているかどうかは別として、とにかく働かないヒトビト。
世間的に、一般的には非難されるポジションでしょう。
でも実際ニートと言われるヒトビトが単純に甘ったれているとは限りません。
家庭の事情があって現実的に働くことができないのでニートにならざるを得ない人、
若い頃に才能を生かして一生分稼いだので働くことをやめた人(これはある種天才)、
そして障害があって働く気力を持つことができない人・・・
いろいろな事情があっていわゆるニートになってしまった人々も現実にはたくさんいるのです。
それを「甘ったれている」とか「依存している」「パラサイトである」と
全部ひとくくりにして非難する風潮には同意しかねます。と、個人的意見。
・・・が、この「おそ松さん」はマジで「早く就職しろ!」と言われる類の人々。
世間に背を向けいつまでもパラサイトしていたい怠け者たち。
でも、実際彼らは本心では「いつかはちゃんと就職して自立しなくちゃな」と
・・・まあ、ほんのちょっとではありますが思ってもいるのです。
そういう意味では完全なニートではありません。
つまりは、就職しなくちゃな、でももう少し待って、のモラトリアム人間。
それがオープニングの「一生全力モラトリアム」なわけです。
うーん・・・全力・・・なのかしらねえ。
でも確かに、彼らは正社員にはなれなくても、時々アルバイトで一生懸命働いて
誰かの為に結構な額のお金を稼ぐ時もあったし、
トド松はわりとフツーにバイトしてたりするし、
半分はポーズだけどチョロ松は就職情報誌を愛読してたりするし、
・・・イヤ、就活のフリをしているだけかも知れませんけど。
さて、いきなり現実の話。
ヒトはみんな結局「一生全力モラトリアム」なのかも知れません。
イヤでも問題は向こうからやってくる。
わかりやすい例を挙げると入学しかり受験しかり卒業しかり
それからおそ松さんたちのように就活しかり
誰かと恋愛すれば結婚するかどうか考えたり準備したりしなくちゃならないし
子どもが出来たら育てないといけないしより稼がなくちゃならないし
家を買うならローンや人生設定を考えなくてはならないし
子どもの成長にしたがって子どもの進路や自立を考えたり親の介護に直面したり
自分自身も年をとれば老後や終活を考えたり・・・
現実に乗っかかってくる問題はいつかは直面して解決しなければならない。
そのどれにも唯一絶対解はなく、だからどうしていいか最適解を求めて毎度悩みまくりますよね。
そして直面するまでにあれこれ考えて悩み倒しても
とうとう直面した時は全然違う行動をとって予想外のところに着地したりする。
結局直面するまで解決の糸口は見つからず結論もでません。結局思い通りにならない方が多いし。
その日が目の前に来るまでじたばたしつつついつい先延ばしに・・・
夏休みの宿題はさっさと済ませた方がいいのは頭ではわかっていても
ついつい先延ばしにして、結局8月末に追い詰められる。カツオくんか。
早く片付けるか、その時に備えてメドをつけておくべきだということはわかってはいるけれど
もしかしたら何もしなくても勝手に解決されることもあるかも知れないなんてキセキ?を待って
ついつい先延ばしにしてしまうのも人情でしょう。
一生全力モラトリアム。重い荷物を背負ってもがくしかない。
まあ、たまには・・・一杯やってちょっと荷物を下ろしましょう。
おそ松さんでも見て。
の続きというわけでは実はなくて。
タイトルの「一生全力モラトリアム」は一期オープニングの
「はなまるぴっぴはよいこだけ」と言う歌の一節です。
モラトリアムとは簡単に言えば猶予期間のこと。
何となく言葉は聞いたことがありましたがはっきりと意味を知ったのは
海堂尊先生のエッセーを読んだ時でした。
文庫本「ジェネラルルージュの伝説」に収録されている海堂先生の
自伝的エッセーの冒頭部分に記述があるのですが
要約すると、小説を10冊書けたら初めて作家を名乗ろうと、
それまでは「物書き」と自称しようと考えていた、と。
そしてその「物書き」時代を作家としてのモラトリアム時代と認識したと。
そこで初めてちゃんと意味を調べてモラトリアムという言葉を理解しました。
前口上はここまで。
「おそ松さん」は全員がニートの設定。
ニートとは「働く気がなく実際働いていない人」のこと。
引きこもっているかどうかは別として、とにかく働かないヒトビト。
世間的に、一般的には非難されるポジションでしょう。
でも実際ニートと言われるヒトビトが単純に甘ったれているとは限りません。
家庭の事情があって現実的に働くことができないのでニートにならざるを得ない人、
若い頃に才能を生かして一生分稼いだので働くことをやめた人(これはある種天才)、
そして障害があって働く気力を持つことができない人・・・
いろいろな事情があっていわゆるニートになってしまった人々も現実にはたくさんいるのです。
それを「甘ったれている」とか「依存している」「パラサイトである」と
全部ひとくくりにして非難する風潮には同意しかねます。と、個人的意見。
・・・が、この「おそ松さん」はマジで「早く就職しろ!」と言われる類の人々。
世間に背を向けいつまでもパラサイトしていたい怠け者たち。
でも、実際彼らは本心では「いつかはちゃんと就職して自立しなくちゃな」と
・・・まあ、ほんのちょっとではありますが思ってもいるのです。
そういう意味では完全なニートではありません。
つまりは、就職しなくちゃな、でももう少し待って、のモラトリアム人間。
それがオープニングの「一生全力モラトリアム」なわけです。
うーん・・・全力・・・なのかしらねえ。
でも確かに、彼らは正社員にはなれなくても、時々アルバイトで一生懸命働いて
誰かの為に結構な額のお金を稼ぐ時もあったし、
トド松はわりとフツーにバイトしてたりするし、
半分はポーズだけどチョロ松は就職情報誌を愛読してたりするし、
・・・イヤ、就活のフリをしているだけかも知れませんけど。
さて、いきなり現実の話。
ヒトはみんな結局「一生全力モラトリアム」なのかも知れません。
イヤでも問題は向こうからやってくる。
わかりやすい例を挙げると入学しかり受験しかり卒業しかり
それからおそ松さんたちのように就活しかり
誰かと恋愛すれば結婚するかどうか考えたり準備したりしなくちゃならないし
子どもが出来たら育てないといけないしより稼がなくちゃならないし
家を買うならローンや人生設定を考えなくてはならないし
子どもの成長にしたがって子どもの進路や自立を考えたり親の介護に直面したり
自分自身も年をとれば老後や終活を考えたり・・・
現実に乗っかかってくる問題はいつかは直面して解決しなければならない。
そのどれにも唯一絶対解はなく、だからどうしていいか最適解を求めて毎度悩みまくりますよね。
そして直面するまでにあれこれ考えて悩み倒しても
とうとう直面した時は全然違う行動をとって予想外のところに着地したりする。
結局直面するまで解決の糸口は見つからず結論もでません。結局思い通りにならない方が多いし。
その日が目の前に来るまでじたばたしつつついつい先延ばしに・・・
夏休みの宿題はさっさと済ませた方がいいのは頭ではわかっていても
ついつい先延ばしにして、結局8月末に追い詰められる。カツオくんか。
早く片付けるか、その時に備えてメドをつけておくべきだということはわかってはいるけれど
もしかしたら何もしなくても勝手に解決されることもあるかも知れないなんてキセキ?を待って
ついつい先延ばしにしてしまうのも人情でしょう。
一生全力モラトリアム。重い荷物を背負ってもがくしかない。
まあ、たまには・・・一杯やってちょっと荷物を下ろしましょう。
おそ松さんでも見て。