ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

KISSY①~岸田智史さん

2010年07月11日 20時19分59秒 | 気になるヒトビト
・・・でもまず私自身のお話から。

私の小中学生の頃は、フォークソングの全盛期でありました。
よしだたくろうさんとか、かぐや姫、井上揚水さん、チェリッシュ、猫、泉谷しげるさん、
・・・
フォークが日本中を席巻したこの時代、猫も杓子もギターを手にしたものです。
ちゃちゃめも御多分に漏れず、アコギ(アコースティックギターの略。
生ギター、フォークギターのことです)を手にしていました。

もともと幼少のみぎり、ヴァイオリンなどという優雅なものを母に強制的にやらされたおかげで
・・・ヴァイオリンはすぐに挫折しましたが、小学校上がる前に楽譜も読めたし楽器にも抵抗は一切なし。
で、小学校の5年生のとき、ちい兄が留守の間にギターをこっそりさわっていました。
ちい兄はなぜかそのころガットギター(クラシックギターですな、クロード・チアリさんみたいな)を持っていたのです。
そしてそのころジュリーのファンだった私は、毎月月刊明星なる雑誌を買っていたのですが、
その月刊明星にはいつも付録で歌本がついておりました。
そしてそこに時々ギター入門講座みたいなのが載っていました。
よしだたくろうさんや井上揚水さんの歌を弾きやすいよう簡略化してあって、
私はそれを我流で練習してなんとか弾けるようになったのです。

高校のときには自分用のアコギを買い(ちゃんと小遣いをためて、です)前にもましてよく弾くようになりました。

で、そのころ出会ったのが、岸田智史さんの歌でした。

それまではさほど興味はなかったのですが、たまたま岸田さんのレコードを録音したテープを知人からもらい、
にわかファンになった私は、ついで他のレコードも買ったり友人に録音してもらったりして
さらにそのギター演奏用の楽譜集を買いました。
それまでの雑誌の付録は、ずっと入門編程度のもの。
が、ここで買ったものは既にいくらか弾ける人用だったので
載っているとおり弾けば、レコードとほぼ同じ演奏ができるというものでした。
・・・はい、はまりました。
だって、レコードのプロの演奏と同じかそれに近いメロディーが弾けるのですもん!!!

まあ、ギターの話はおいといて、そのうち岸田さんのにわかファンはしっかり定着したファンになりました。

でもって、岸田智史さんの紹介を少々。

今は岸田敏志さんですが、本名は稲田英彦さんとおっしゃいます。
1953年岡山生まれで、ご両親・兄弟・親戚一同教員ばかりの家庭に育ち、
京都教育大学を卒業、体育の教員免許をお持ちです。

デビューのきっかけがちょっとユニークというか超ラッキーなんです。
実は岸田さん自身は別に歌手を目指していたわけではなく、
家訓(?)に従って教師になるつもりでいらっしゃいました。ですから、教育大に進学されました。
その大学在学中、東京のいとこさんとこへ遊びに行って、自作の歌を歌ったのを録音されたことがあったのですが、
シンガーソングライターを目指していたいとこさんはその上から自分の自作曲を歌ったものを録音し、
レコード会社のCBS-SONYに、あくまでご自身を売り込むために送ったのだそうです。
ところが、そのテープをかけてみると、その人の歌の終わった後に、消しそこないの岸田さんの歌声が残っていたのだとか。
それをたまたま有名な酒井政利さん(山口百恵さんなどを手がけた名プロデューサー)が
聞いて「この歌は誰が歌ってるんだ?!」となり・・・
その結果、歌手・岸田智史が生まれたのだそうです。

岸田智史さんのヒット曲といえば「きみの朝」(デビュー曲ではない)ですが、

実はこの歌は「愛と喝采と」というTBSのドラマの挿入歌で
そしてこの番組の主演が何を隠そう岸田さんご本人でした。
このドラマ、特に「きみの朝」のヒットで全国区になった岸田さんですが、
実はこのとき、あの「3年B組 金八先生」の金八役をやらないかと言う話があったそうなのです。
でも当時岸田さんは多忙を極めていたので、武田さんにお鉢が回ったそうですが、世の中、わからないものですね・・・。
今でこそ武田鉄也さんのハマリ役ですが、もしかしたら岸田さんがやってたのかも・・・。
ちなみに岸田さんはその後番組の「1年B組新八先生」で主役の新八先生を演じています。
ご本人は体育教師ですが、ここの役では英語の先生でしたね。
その主題歌の「重いつばさ」は詩人の川崎洋さんの作詞で、これもヒット曲のひとつです。


平成12年に芸名を岸田敏志に改められましたが、
2000年を機に、注目を集めようとしてのことだったそうですが、
「智史」とは別人と思われることしばしばだそうで・・・。
1991年の15周年以来、俳優業が中心で歌手活動は実質休業されていましたが、
2003年に病気のお母様が、もう一度歌う姿が見たいとおっしゃったので
歌手活動の再開を決心されたのだそうです。
残念ながらその姿を見る直前にお母様は亡くなられたそうですが・・・。

では、次回は岸田敏志さんとして、最近の活動について・・・。
コメント (2)
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