「N先生がお話があるとのことで、夕方5時に病室でお待ちください。」
ある日、OS病院の看護師さんにそう言われました。
N先生はもうずうっと以前から母の主治医をしてくださっている消化器内科のドクターです。
・・・・・・ドクターのお話ですか・・・。ふと浮かぶ熱血T先生・・・・。
いつごらからかははっきりしないのですが、だいぶ前から両親は二人とも定期的に通院していました。
父は割合しっかりしていますので、当初はSセンターへ自分ひとりで通院していましたが
母はいつからか車イス生活になっていましたので、父が介護タクシーに同乗して付き添っていました。
そのうち付き添いがしんどくなった父は、私にも付き添いを求め、
母の2週間ごとの通院には、私も付き添うことになっていました。
父は私が行くようになってからも、うちにいても心配だからと
いくら止めてもなかなか付き添いをやめませんでした。
行っても診察室には入らず、待合ロビーで待っているだけなのですが、順番を待っている間、
母が不安がらないように精神的に付き添いがいると思っていたようです。
自分も何度か入退院を繰り返してからはさすがにやめて、私が長女を連れて行き、
”おじいちゃんの相手をしながら留守番”させるようになってからは
ようやく付き添わなくなりましたが・・・長年同行していたのは確かです。
そして、父自身もいつからか一人では心もとなくなり
私は父の概ね3週間ごとの通院にも付き添うようになっていました。
たぶん父の方は4月の、胸水による4週間入院の後からだと思います。
だって・・・その4月の人事異動で熱血T先生が主治医になったそうで
それ以前の確かM先生には私はお会いしたことがなかったものですから・・・
・・・M先生の方がよかったかどうかは・・・知らないのでなんともいえないけど。
あああ、イヤイヤイヤ、T先生が悪いとは言ってませんよ!!!
ただ・・・ものすごツカレル先生だったので・・・ついM先生は大人しかったのかも・・・とか・・・
まあ、要するに・・・・
私は両親のいずれの主治医とも接していたのでありますが・・・
ここまで違うか!! というくらいキャラが違っているのです。
簡単にわかりやすく言うと・・・・
熱血T先生は話が極端に長い。クールなN先生は話がものすごく短い。
足して2で割れや・・・。
と、言うくらい。年のころは同じくらい、たぶん35歳から40歳までだろうと思います。
おそらくT先生のほうが少しばかりお若いかな?
そのN先生からのお話があるというので私は、
昼間は、外出許可も出ている母を車イスに乗せ、病院近隣をくるりと一回りしたり、
また病院前のコンビニで母の好きな黒糖蒸しパンを買って食べさせたりして、
時間を潰していました。
そしてようやく午後5時。
やって来たN先生は「ちょっとあちらで話しましょう。」とおっしゃり、さっと面談室へ促がされます。
口数の少ない先生であることは先刻承知でありますが、何しろ肝性脳症で認知症です。
詳しい病気の状況や今後の対応、退院後の生活まで事細かに話があるんやろなあと思い、
T先生の長い長いお話を思い出して私はそれなりに覚悟をしておりました。
面談室に入ってN先生は
「もう、状態は良くなられているのですがねえ・・・ご主人も入院中らしいですね。」
「はあ、まあ・・・。」
「あの・・・申し訳ないんですがここは救急病院ですから、
急性期を過ぎられたら退院していただくか転院していただくかなんですよ。」
それについては、先に打診があり、私たちは近所のかかりつけの先生とも話し合って
取り合えず近くのIC病院がいわゆる「老人病院」なので
当面はそこに入ったらいいのでは・・・と話していました。ですので
「IC病院が近いのでそこはどうかと考えているんですが・・・。」
というと、N先生、ぱあっとした顔で
「あ、知ってます。そうですね。あそこがいいですね。では紹介状を書いておきます。
他に心当たりがあればまた書きますのでゆうてくださいね。では、そういうことでいきましょうか。」
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
あれ、終わり?
N先生はイスに腰を下ろす間も惜しみ、白衣のすそを翻して風のように去っていかれました。
イヤ、終わり??? 説明も何もなし?????? マジで??????
<実録!クールダンディN先生!>
お~~~~~~~~~~~~い・・・・・・・・・・
ある日、OS病院の看護師さんにそう言われました。
N先生はもうずうっと以前から母の主治医をしてくださっている消化器内科のドクターです。
・・・・・・ドクターのお話ですか・・・。ふと浮かぶ熱血T先生・・・・。
いつごらからかははっきりしないのですが、だいぶ前から両親は二人とも定期的に通院していました。
父は割合しっかりしていますので、当初はSセンターへ自分ひとりで通院していましたが
母はいつからか車イス生活になっていましたので、父が介護タクシーに同乗して付き添っていました。
そのうち付き添いがしんどくなった父は、私にも付き添いを求め、
母の2週間ごとの通院には、私も付き添うことになっていました。
父は私が行くようになってからも、うちにいても心配だからと
いくら止めてもなかなか付き添いをやめませんでした。
行っても診察室には入らず、待合ロビーで待っているだけなのですが、順番を待っている間、
母が不安がらないように精神的に付き添いがいると思っていたようです。
自分も何度か入退院を繰り返してからはさすがにやめて、私が長女を連れて行き、
”おじいちゃんの相手をしながら留守番”させるようになってからは
ようやく付き添わなくなりましたが・・・長年同行していたのは確かです。
そして、父自身もいつからか一人では心もとなくなり
私は父の概ね3週間ごとの通院にも付き添うようになっていました。
たぶん父の方は4月の、胸水による4週間入院の後からだと思います。
だって・・・その4月の人事異動で熱血T先生が主治医になったそうで
それ以前の確かM先生には私はお会いしたことがなかったものですから・・・
・・・M先生の方がよかったかどうかは・・・知らないのでなんともいえないけど。
あああ、イヤイヤイヤ、T先生が悪いとは言ってませんよ!!!
ただ・・・ものすごツカレル先生だったので・・・ついM先生は大人しかったのかも・・・とか・・・
まあ、要するに・・・・
私は両親のいずれの主治医とも接していたのでありますが・・・
ここまで違うか!! というくらいキャラが違っているのです。
簡単にわかりやすく言うと・・・・
熱血T先生は話が極端に長い。クールなN先生は話がものすごく短い。
足して2で割れや・・・。
と、言うくらい。年のころは同じくらい、たぶん35歳から40歳までだろうと思います。
おそらくT先生のほうが少しばかりお若いかな?
そのN先生からのお話があるというので私は、
昼間は、外出許可も出ている母を車イスに乗せ、病院近隣をくるりと一回りしたり、
また病院前のコンビニで母の好きな黒糖蒸しパンを買って食べさせたりして、
時間を潰していました。
そしてようやく午後5時。
やって来たN先生は「ちょっとあちらで話しましょう。」とおっしゃり、さっと面談室へ促がされます。
口数の少ない先生であることは先刻承知でありますが、何しろ肝性脳症で認知症です。
詳しい病気の状況や今後の対応、退院後の生活まで事細かに話があるんやろなあと思い、
T先生の長い長いお話を思い出して私はそれなりに覚悟をしておりました。
面談室に入ってN先生は
「もう、状態は良くなられているのですがねえ・・・ご主人も入院中らしいですね。」
「はあ、まあ・・・。」
「あの・・・申し訳ないんですがここは救急病院ですから、
急性期を過ぎられたら退院していただくか転院していただくかなんですよ。」
それについては、先に打診があり、私たちは近所のかかりつけの先生とも話し合って
取り合えず近くのIC病院がいわゆる「老人病院」なので
当面はそこに入ったらいいのでは・・・と話していました。ですので
「IC病院が近いのでそこはどうかと考えているんですが・・・。」
というと、N先生、ぱあっとした顔で
「あ、知ってます。そうですね。あそこがいいですね。では紹介状を書いておきます。
他に心当たりがあればまた書きますのでゆうてくださいね。では、そういうことでいきましょうか。」
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
あれ、終わり?
N先生はイスに腰を下ろす間も惜しみ、白衣のすそを翻して風のように去っていかれました。
イヤ、終わり??? 説明も何もなし?????? マジで??????
<実録!クールダンディN先生!>
お~~~~~~~~~~~~い・・・・・・・・・・