まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.420 天理、昔住んでいた町

2016-03-10 11:09:12 | まち
おはようございます。





自分(一人称)は20代半ばまで天理市に住んでいました。場所は天理市の一番北に当たる、北へ数分行くと奈良市、西へ数秒行くと大和郡山市と言う、いわば天理市の一番端っこに位置する所でした。いわゆる昔からの村意識の強く近所は農家で同じ苗字の家が何軒もあった所、多分そういう家は元をたどれば同じ起源にたどり着くのでしょう、自分(一人称)は新参者だったので同じ苗字の家はなく、何となく肩身が狭い思いをしていた気がします。












ズラリと並べた写真はここでも何度か紹介したこともあります、自分(一人称)が小学校への通学や天理の市街地に出る時に使っていた道です。写真は全部つい最近撮ったものばかりですけど、どれも自分(一人称)が住んでいた頃からほとんど変わっていません。その頃はもちろんこの道が上ツ道であり伊勢神宮へのお詣りに使われていたとは知る由もなし、毎日何気ない気持ちで小学校へと通っていた普通の道でした。子供の頃は小学校までの歩く距離が長く感じたなあ、今では別に苦にも何とも感じない距離なんですが。どこへ行くにも使うのは自転車、でもその頃は天理の市街地までは距離が遠く感じて、どことなく心して行かなければならないと言う気持ちでした。その意識がなくなったのは中学に入った辺りから、校区が広がるとともに自分の世界も比例して広くなっていくものなんですね。






自宅の最寄り駅はJR桜井線の帯解駅か写真1枚目、2枚目にある櫟本駅、ここでは以前万葉まほろば線各駅巡りで取り上げたことがある駅です。バスは国道169号線に奈良~天理間で10分に1本の割で走っていたので奈良へ行くのも天理に行くにも便利な所でした。この路線は『ローカル路線バス乗継の旅』でも使われていた、その時は近鉄奈良駅で21時以降にもバスが運行されているのを見て太川リーダーが「奈良交通凄いねえ」と感心していた。確かにバスもJRも近鉄も夜遅くまで走っていたので左程不便さは・・・と言っても大阪で働いている時はやはり帰る時間は気にしなければならなかったので、少々不便さは感じていたのかも知れない。
奈良まではバスでは30分近くかかるがJRでは10分足らず、本数も1時間に2本あり地方のローカル線にしては恵まれていた所。JR櫟本駅は近くに添上高校があり、朝のラッシュ時は高校生でホームがあふれかえるくらい、前にテレビ番組でこの駅を利用する高校生から変質者の被害があったと言うのを取り上げられていたことがある、そんな変質者が現れるような町でもなかったと思うし、むしろ自分(一人称)からすると長時間駅に大勢でたむろしている高校生の方が煩わしい気分だったが、時代は変わってしまったと言うことなのかも。








写真は天理本通りの風景、天理駅前から東へ向かって一直線、天理教本部まで続く長いアーケードの商店街は今でも結構賑わっています、まあその半分が黒い法被を来た人たちなのですが。天理に住んでいた時はこの商店街が遊び場な感じ、欲しい本があったらいつも買いに行っていた書店が写真3枚目にある書店、でも昔とは名前が変わってしまっている。こうやって改めて本通りの写真を見ていると、店舗の外装は変わっていても、その店はほとんど昔とは変わっていない気がする。ただ天理ラーメンとか天理カレーとかとってつけたような名前で天理を売り込むのはちょっと・・・てな感じもしますなあ、もと地元民としては。
しかしそんな中でガラリと変わってしまったのが天理駅前にあった『いそかわ』という店、大きなビルの1階2階が店舗で、四方全部に入口があって、小ぶりなフードコートやレコード屋とかいろいろな店があって、ここに来ればなんでもあると言う世界だった。天理市民会館に川島なお美がコンサートに来たことがあって、その時の切符はここのレコード屋さんで買ったんだった、もう33年前の話だ。夏の甲子園で天理高校が初優勝した時は電気屋の前に大型テレビがあって、年末まで毎日決勝戦の試合のビデオを放送していた、あの頃は純粋に天理は強いと言う今では考えられないようなイメージが・・・。





天理は言わずと知れた世界的宗教都市です、先にも書いた通り、町中には黒い法被を着た人たちでいっぱい。天理に住んでいた時には左程そうは思わなかったのですが、奈良市に住んでからはやはりその町並には異様さを感じてしまうようになってしまいました。自分(一人称)は宗教と言うのがどうも苦手で、一種の畏れを感じてしまうんですよねえ。しかし今回は昔を振り返ると言う意味で、あえて天理教本部の写真を貼り付けてみました。本通りのアーケードを抜けると左手側に見えてくる大きな本部の建物、やっぱり背筋がゾクゾクしてくる。その正面前から伸びる道の先には写真2枚目にある大きな黒門、本部に向かい合って建つのは朱色を基調とした天理教信者の寄宿舎となる詰所、この建物は天理市街地の町中至る所に建っている。14時になると流れる笙の音のミュージック、見るからにチャラそうな少年までもが脱帽して本部に一礼していました。自分(一人称)はやっぱりこの雰囲気は苦手だ、いや~な大人になってしまったと言うことでしょうか・・・今回は是にて終了としておきます。     まちみち

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