おはようございます。
いきなりの写真の連貼り、鞆の浦の風景です、なぜ鞆の浦?・・・って今回は瀬戸内の風景の写真をこの先ズラッと並べていってみようと思います。いわば広島東洋カープ優勝記念とでも言ったところでしょうか、まあこんな写真で記念っておこがましいんですけど。自分(一人称)は広島県は何度も行ったことはあるのですが、大概が尾道、しまなみ海道、竹原など県で言えば東部になる所、相棒といっしょに広島市には行ったことはなく一番近くで行ったことあるのは呉市まで。小学校の修学旅行や鉄道旅行で広島には行ったことはありますが、それももう25年以上前のこと、これまで何度も行こうと思って予定を立てたことはあるのですが、未だに実現には至らずの状態が続いています。
25年ぶりの優勝のシーンはテレビで見ていました、4回の連続ホームランは見ていて爽快でしたねえ、近鉄(Bu)10.19の吹石、真喜志の連続ホームランを思い出してしまいました、まあこの時は優勝できなかったんですが。東京ドームで相手が巨人と言うのは広島が初優勝した昭和50年と同じ(球場は後楽園球場)と言うことで、その辺りは因縁めいたものもあったのでしょう。ただ緒方監督って地味やなあ、胴上げされるまで監督がどこにいるのか分からなかった。選手時代は前田、江藤、金本の影に隠れた存在と言う感じだったのがいきなりホームランを30本以上打って強打者としてブレイクしたけど、野球の方よりは中條かな子を世間から奪って行った奴と言う話題の方が大きかったような気がするような・・・。
前にも書きましたが広島(C)で印象に残っているのが津田恒美投手、自分(一人称)が甲子園に天理の試合を見に行った時に相手の南陽工で投げていたのがこの投手、プロに入ってからは「炎のストッパー」の異名で抑え投手として大活躍しました。現役最後の登板では抑えに失敗、その日は体調不良でプロに入って初めてユニホームのままで帰宅、その翌日病院にて脳腫瘍との診断、その後は闘病生活、奥さんが勧める食事療法が周囲になかなか受け入れられずもそれが功を奏して一時は良化、しかし再び悪化して・・・との一連の流れは何かの本で読んだことがありました。確かドラマにもなりましたね、岸谷五郎主演で、奥さんが石田ひかり、親友の森脇浩司(元オリックス監督)役が石黒賢・・・とここまでならドラマとしてなかなかな感じなのだが、北別府=寺脇康文(これが笑ってしまうほどそっくりだった)、達川=ダンカン、清川=西村和彦、山崎=小沢仁志(怖そうな顔の人、『スクールウォーズ』の水原役)、阿南=佐藤B作、安仁屋=宇崎竜童、池谷=小木茂光・・・となるとどことなくウケを狙ったような配役と言うような感じも。まあ岸谷、寺脇、石田ひかりはこのドラマの前に地球ゴージャスで舞台をやってたからそのイメージがあったのもあるが、そもそも岸谷五郎が津田氏の役をやると言う辺りからしてもう無理があったような気もしました。
前田智徳も印象に残っている選手の一人、同時期には江藤、金本、野村、緒方と強打者が揃っていたのに何で優勝できないんだと思った。前田と言えばそのメンバーとはどこか一線を画した、いわば孤高の存在と言った感じ、怖そうな顔で『NUMBER』の表示に出て来た時は、独自の打撃理論を語っていた。その言葉通りの成績を残していて球界を代表する強打者として君臨するはずだったのが、その後度重なる不運、好調な時に限って怪我がつきまとい、1年を満足に働くことができないシーズンが続いた。成績を見ると打撃部門は無冠だったんだよなあ、も打撃部門は無冠だったがあれは普段の行いの悪さが災いしたからのもの、でもあれだけ独自の打撃持論を持ちながら、それを実践していたのに無冠だったと言うのはあまりにも残念すぎる、度重なる怪我があまりにも恨めしいと言ったところでしょう。怪我さえなければ2000本安打ももっと早く達成していたかも知れないし、もしかしたら3000本安打も行けていたのかも知れない。
広島と言うと世界ではたった二つしかない、しかも最初の地となる歴史の暗い出来事となった所、71年の月日を経て、初めてアメリカの現職大統領が訪れたことによって、その歴史にひとつ新たな転換となる時となりました。今回の広島東洋カープのリーグ優勝はその歴史の転換に花を添えることとなったことでしょう。『HIROSHIMA』と言うと多分日本の都道府県にあって、東京に次いで世界にその名を発信できる地だと思う、だからこそ次のオリンピックは広島でやってほしかったなあ。今回のリオデジャネイロオリンピックでは難民にも競技の参加の道が開かれた画期的な大会となったが、日本において平和の意味を再確認するには、首相や都知事がアホみたいに浮かれる東京よりは、日本が全世界の歴史の唯一の汚点を抱える重みを前面に押し出してでも広島にすべきだったんでは・・・って今更言っても仕方ないけどね。まあこれから4年間浮かれるだけ浮かれて、東京オリンピックを迎えてやってください、自分(一人称)はちょっと冷めた目でその様子を眺めることとしておきます。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。 まちみち
いきなりの写真の連貼り、鞆の浦の風景です、なぜ鞆の浦?・・・って今回は瀬戸内の風景の写真をこの先ズラッと並べていってみようと思います。いわば広島東洋カープ優勝記念とでも言ったところでしょうか、まあこんな写真で記念っておこがましいんですけど。自分(一人称)は広島県は何度も行ったことはあるのですが、大概が尾道、しまなみ海道、竹原など県で言えば東部になる所、相棒といっしょに広島市には行ったことはなく一番近くで行ったことあるのは呉市まで。小学校の修学旅行や鉄道旅行で広島には行ったことはありますが、それももう25年以上前のこと、これまで何度も行こうと思って予定を立てたことはあるのですが、未だに実現には至らずの状態が続いています。
25年ぶりの優勝のシーンはテレビで見ていました、4回の連続ホームランは見ていて爽快でしたねえ、近鉄(Bu)10.19の吹石、真喜志の連続ホームランを思い出してしまいました、まあこの時は優勝できなかったんですが。東京ドームで相手が巨人と言うのは広島が初優勝した昭和50年と同じ(球場は後楽園球場)と言うことで、その辺りは因縁めいたものもあったのでしょう。ただ緒方監督って地味やなあ、胴上げされるまで監督がどこにいるのか分からなかった。選手時代は前田、江藤、金本の影に隠れた存在と言う感じだったのがいきなりホームランを30本以上打って強打者としてブレイクしたけど、野球の方よりは中條かな子を世間から奪って行った奴と言う話題の方が大きかったような気がするような・・・。
前にも書きましたが広島(C)で印象に残っているのが津田恒美投手、自分(一人称)が甲子園に天理の試合を見に行った時に相手の南陽工で投げていたのがこの投手、プロに入ってからは「炎のストッパー」の異名で抑え投手として大活躍しました。現役最後の登板では抑えに失敗、その日は体調不良でプロに入って初めてユニホームのままで帰宅、その翌日病院にて脳腫瘍との診断、その後は闘病生活、奥さんが勧める食事療法が周囲になかなか受け入れられずもそれが功を奏して一時は良化、しかし再び悪化して・・・との一連の流れは何かの本で読んだことがありました。確かドラマにもなりましたね、岸谷五郎主演で、奥さんが石田ひかり、親友の森脇浩司(元オリックス監督)役が石黒賢・・・とここまでならドラマとしてなかなかな感じなのだが、北別府=寺脇康文(これが笑ってしまうほどそっくりだった)、達川=ダンカン、清川=西村和彦、山崎=小沢仁志(怖そうな顔の人、『スクールウォーズ』の水原役)、阿南=佐藤B作、安仁屋=宇崎竜童、池谷=小木茂光・・・となるとどことなくウケを狙ったような配役と言うような感じも。まあ岸谷、寺脇、石田ひかりはこのドラマの前に地球ゴージャスで舞台をやってたからそのイメージがあったのもあるが、そもそも岸谷五郎が津田氏の役をやると言う辺りからしてもう無理があったような気もしました。
前田智徳も印象に残っている選手の一人、同時期には江藤、金本、野村、緒方と強打者が揃っていたのに何で優勝できないんだと思った。前田と言えばそのメンバーとはどこか一線を画した、いわば孤高の存在と言った感じ、怖そうな顔で『NUMBER』の表示に出て来た時は、独自の打撃理論を語っていた。その言葉通りの成績を残していて球界を代表する強打者として君臨するはずだったのが、その後度重なる不運、好調な時に限って怪我がつきまとい、1年を満足に働くことができないシーズンが続いた。成績を見ると打撃部門は無冠だったんだよなあ、も打撃部門は無冠だったがあれは普段の行いの悪さが災いしたからのもの、でもあれだけ独自の打撃持論を持ちながら、それを実践していたのに無冠だったと言うのはあまりにも残念すぎる、度重なる怪我があまりにも恨めしいと言ったところでしょう。怪我さえなければ2000本安打ももっと早く達成していたかも知れないし、もしかしたら3000本安打も行けていたのかも知れない。
広島と言うと世界ではたった二つしかない、しかも最初の地となる歴史の暗い出来事となった所、71年の月日を経て、初めてアメリカの現職大統領が訪れたことによって、その歴史にひとつ新たな転換となる時となりました。今回の広島東洋カープのリーグ優勝はその歴史の転換に花を添えることとなったことでしょう。『HIROSHIMA』と言うと多分日本の都道府県にあって、東京に次いで世界にその名を発信できる地だと思う、だからこそ次のオリンピックは広島でやってほしかったなあ。今回のリオデジャネイロオリンピックでは難民にも競技の参加の道が開かれた画期的な大会となったが、日本において平和の意味を再確認するには、首相や都知事がアホみたいに浮かれる東京よりは、日本が全世界の歴史の唯一の汚点を抱える重みを前面に押し出してでも広島にすべきだったんでは・・・って今更言っても仕方ないけどね。まあこれから4年間浮かれるだけ浮かれて、東京オリンピックを迎えてやってください、自分(一人称)はちょっと冷めた目でその様子を眺めることとしておきます。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。 まちみち
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