まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1126 京都八幡木津自転車道(後編、幕末の戦の跡地)

2019-05-10 09:38:53 | みち
おはようございます。











正月2日に大津、京都方面に走った記録、大津では京阪電車の写真を撮ってから京都へと戻って来ました、京都市内を東から西へと駆け抜けて嵐山へ、帰路は自転車道を走ることにしました。前回は阪急電車のガードをくぐった所で止まって電車の写真を撮りました、まあ年の初めから撮り鉄三昧と言ったところですが恥ずかしげもなくここではそのへったくそな写真を披露させてもらいました。さて、走りの方は自転車道を更に南へ、今度はJR東海道本線、東海道新幹線の下をくぐります、あっ、ちょうど新幹線が通り過ぎて行った、京都駅を出てちょうどこの辺りから加速するところだろうか。さて、自分(一人称)の走りの方もそろそろ奈良に向けて加速させて行くことにしましょう、日は西の空の低い所で輝いていて冬の真っ最中と言うのに暖かい光を照らしつけてくれる、しかし夕暮れはもう近い頃、ここまで来たらもう奈良まで走ろうと考えているので明るいうちにできるだけ先まで進んでおきたいところです。















自転車道は緩く蛇行した桂川に沿って伸びている、名神高速の下を過ぎると一旦小さな橋を渡って下鳥羽の町の外れへと差し掛かる、この辺りから進行方向が南西方へと直射日光が真正面から差し込んでくるので眩しくて仕方ない、でもこの暖かさはありがたい、ここは調子に乗って進んで行きたいところ。東の山の上には写真にもあるように伏見桃山城が見えている、戦国時代の政治の中心となっていた所だがもちろんいま建っているのは復元されたもの、場所も山の上ではなかったらしい。そんな戦国時代には華やかさを極めた場所であった伏見だが、幕末は大きな戦の場所となった所、快調に自転車道を進んでいると進行方向左手側に市道が沿ってくる、この道が千本通、京都市内中心部の羅城門から南へと伸びている道については随分前にここでもお送りしたことがありました、いわば京の都と大阪を結ぶ幹線であったのでしょう。その道の途中にある寺院の片隅に小さく「鳥羽伏見の戦跡」の碑が立っている、幕末の武士の時代だ終わろうとしていた頃、京の中心部は火の海となり幕府軍と新政府軍の戦いはこの場で展開することになった、多分この辺りで新政府軍に錦の御旗が揚がり、幕府軍は絶望に陥ってしまったのだろう。大河ドラマなどでもよく見るシーンがこの場所で起こっていたわけだが、考えてみればその戦があったのがほんの150年ほど前のこと、自分(一人称)が生まれた頃からだと100年も経っていない時の出来事だった、歴史の大きな転換期となった出来事がほんの2世代前の時代にあったと言うことに違和感があるのは、今があまりにも平和過ぎるからなのか・・・。
















そんな生臭い戦の舞台となった場所を快調に呑気に走っているわけですが、日はいよいよ低く傾いてきて直射日光は容赦なく真正面から差し込んでくる、鳥羽伏見の戦いも冬の真っ最中だったから、往時の戦に駆り出された人たちもこれから沈んでいこうとする夕陽を、今の自分(一人称)と同じように見ていたのかも知れない。自転車道は右手側に桂川、左手側は千本通に沿うように進んで、途中には河岸の低い場所を走ったりしながらこの道の中継点となる八幡へと向かっている、淀界隈を走っていると民家が建ち並ぶ向こうの方に京都競馬場が見えてくる、この時は今年は久しぶりに行ってみようかな、と考えていたがその計画はついこの間の天皇賞で実現した、一時期の人気は衰えたかも知れないがさすがGIとなると人もいっぱいだった、今度はもっとのんびりと見ることができる時に行ってみたいと・・・まあそんなにお金に余裕があるわけではないので今度はいつになることやら。桂川の向こうにはこれも歴史の転換点となった戦の舞台となった天王山、左手側には男山が見えてきていよいよ八幡へと差し掛かってくる、ここは桂川と宇治川が合流して淀川と名前を変えて大阪へと流れて行く、その三川合流地点にかかっているのが御幸橋、自転車道は大きくカーブしてこの橋へとたどり着く。真正面にある男山の山裾ではお日様がサヨナラを言う準備をしている、この先暗くなると自転車道はあまり走りたくないので府道を走ることに決めた、後は残照を頼りに奈良を目指すだけ。さあ、2019年の走りが始まりました、今年はどんな風景と出会えるかな・・・などと考えながらの帰路となりました、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち