おはようございます。
自分(一人称)が住んでいるのが平城京のど真ん中と言うことで始めたのが平城京巡りシリーズ、いろいろと知れば知るほど深くはまっていくミステリーな都と言った感じですが、そのシリーズもこのところお送りすることができていませんでした。今回は久しぶりのその平城京シリーズ、右京をお送りしてみようと、あ、あの人が↓↓↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/a6/eca1de30c272671cedc3468baa0e7d0c.jpg)
出てきたけど何かお取込み中みたいですね~。そう言えば映画『相棒』ではチェスの棋譜がマラソンコースになぞらえるシーンがありましたが、今回お送りする右京がどんな所だったのかを照らし合わせてみると↓↓↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/be/fcbe4c38c927888b21a7852ea92c210c.png)
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地図の赤枠の所が写真の赤枠の所・・・写真の方は上の方が北側・・・となります。地図の上では左側になるのですが、定義から言うと朱雀大路を境に平城宮から南を見て右側になるから右京、しかしよく見てみるとその一番端っこにある西四坊大路に当たる部分はほとんどが山になっているのが分かると思います。この辺りが現在ではどのような風景になっているのか、行ってみることとしましょう。
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まずは写真1枚目、2枚目にあるのは大和郡山城の北側の県道7号線、この道が位置的には九条大路に当たります、しかし県道は途中で曲がってしまうので西四坊大路との交点まではたどり着けない。途中で右へと曲がる道へと入って位置を照らし合わせるようにして進んで行くと、写真3枚目、4枚目にある西四坊大路×九条大路の碑が立つ所へとたどり着く。場所は郡山中学校がある辺り、しかしここは平地からは結構高い所に当たり、平城京模型ではもう山ばかりで道の確認もできません。とりあえずできるだけ真っ直ぐ位置を見失わないように北へと進んで行く、周辺は高台の住宅地で道はまるで迷路のよう、そんな中を右へ左へクネクネと地図を見ながら進んで行って次の交点となる西四坊×八条の碑を見つける。ここも住宅地のど真ん中、家が入り組んだように並ぶ北の方には道がなく進めないので、ここは東へ近鉄九条駅へと向かう道があるのでそちらへと進んで行く、八条大路とはちょっとだけズレている所なのだが、西三坊×八条の交点、これも住宅地のほとんど目立たない場所に碑が立っていた。この碑はまだ新しいものみたいで大和郡山市内ではよく見かけるものだが多分奈良市に入ってからは見ることはできないだろう、あとは手元の地図を頼りに巡って行くしか方法はないみたいだ。
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この先も道がはっきりとしない住宅地、七条、六条と言う地名が目立つ所、写真上3枚は近鉄橿原線の西側にある大池から薬師寺の塔を見たもの、西塔は姿を見せているものの東塔はまだ箱に覆われている。よく見ると金堂の向こう側には東大寺大仏殿の屋根も見えている、東大寺と薬師寺のコラボレーションはなかなかな感じだが、この辺りは高台だからよく見えるのだろう。奈良は高いビルが建てられないから割と低い場所からでも大仏殿や興福寺の五重塔を見ることができる、もしかしたら奈良時代は平城京にそんなに高い建物などなかっただろうから、現在よりももっとはっきりとした姿を見せていたのかも知れないし、それが奈良に住む人々の心の支えになっていたのかも知れない。しかしこの辺りも住宅地が縦に横に斜めにと言った感じで入り組んでいて、碁盤の目のように道が通っていた痕跡はまるで感じられない、写真4枚目からの住宅地の風景は模型では山の手前になるまだかろうじて住居があった辺りだが、この辺りにあるはずの六条大路、五條大路は全く確認できない。写真下6枚目、5枚目はかろうじて四条大路にかする道、下4枚目、3枚目の道は西二坊大路に当たる道となっている、ちょうどすぐ横を近鉄橿原線が通っている、電車がやって来たので写真を撮っておこう。
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ここに並べた写真も普通のつまらない住宅地の写真ばっかりですが、上1枚目、2枚目は二条大路、平城宮の朱雀門の前を通っている道は西に2キロも行かないうちにこのような風景の中へと入ってくる。次の3枚目、4枚目は西三坊大路、本当にこれと言った何かがあるとは到底言えないような普通の住宅地を進んで行くと西大寺地区へと入って行く。ここは文字通り西大寺と言う大寺院があった所、往時は町を大きく囲むようにあった寺院も今は町中の住宅地に埋もれるような小さなお寺となっている、寺院と言うよりは鉄道ファンにはお馴染みの駅がある所と言った方が話が早いでしょう。その西大寺の北側を通っていたのが一条北大路、随分前に一条大路を巡ったことがあったのですが、その道は正しくは一条南大路、西大寺の北側には都がちょっとだけはみ出ていてそこを通っていたのが一条北大路、写真下2枚にある道がその大路に当たるようになってます。ちなみに一番下の写真の左側にあるネットの奥にチラッと見えているのは伏見中学校の校舎、ロンドンオリンピック、ボクシング金メダリストの村田諒太の出身校であります。ああ~、長くなっちゃったなあ、平城京巡りはまだまだやります、またお付き合いいただければありがたいことです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち
自分(一人称)が住んでいるのが平城京のど真ん中と言うことで始めたのが平城京巡りシリーズ、いろいろと知れば知るほど深くはまっていくミステリーな都と言った感じですが、そのシリーズもこのところお送りすることができていませんでした。今回は久しぶりのその平城京シリーズ、右京をお送りしてみようと、あ、あの人が↓↓↓
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出てきたけど何かお取込み中みたいですね~。そう言えば映画『相棒』ではチェスの棋譜がマラソンコースになぞらえるシーンがありましたが、今回お送りする右京がどんな所だったのかを照らし合わせてみると↓↓↓
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地図の赤枠の所が写真の赤枠の所・・・写真の方は上の方が北側・・・となります。地図の上では左側になるのですが、定義から言うと朱雀大路を境に平城宮から南を見て右側になるから右京、しかしよく見てみるとその一番端っこにある西四坊大路に当たる部分はほとんどが山になっているのが分かると思います。この辺りが現在ではどのような風景になっているのか、行ってみることとしましょう。
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まずは写真1枚目、2枚目にあるのは大和郡山城の北側の県道7号線、この道が位置的には九条大路に当たります、しかし県道は途中で曲がってしまうので西四坊大路との交点まではたどり着けない。途中で右へと曲がる道へと入って位置を照らし合わせるようにして進んで行くと、写真3枚目、4枚目にある西四坊大路×九条大路の碑が立つ所へとたどり着く。場所は郡山中学校がある辺り、しかしここは平地からは結構高い所に当たり、平城京模型ではもう山ばかりで道の確認もできません。とりあえずできるだけ真っ直ぐ位置を見失わないように北へと進んで行く、周辺は高台の住宅地で道はまるで迷路のよう、そんな中を右へ左へクネクネと地図を見ながら進んで行って次の交点となる西四坊×八条の碑を見つける。ここも住宅地のど真ん中、家が入り組んだように並ぶ北の方には道がなく進めないので、ここは東へ近鉄九条駅へと向かう道があるのでそちらへと進んで行く、八条大路とはちょっとだけズレている所なのだが、西三坊×八条の交点、これも住宅地のほとんど目立たない場所に碑が立っていた。この碑はまだ新しいものみたいで大和郡山市内ではよく見かけるものだが多分奈良市に入ってからは見ることはできないだろう、あとは手元の地図を頼りに巡って行くしか方法はないみたいだ。
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この先も道がはっきりとしない住宅地、七条、六条と言う地名が目立つ所、写真上3枚は近鉄橿原線の西側にある大池から薬師寺の塔を見たもの、西塔は姿を見せているものの東塔はまだ箱に覆われている。よく見ると金堂の向こう側には東大寺大仏殿の屋根も見えている、東大寺と薬師寺のコラボレーションはなかなかな感じだが、この辺りは高台だからよく見えるのだろう。奈良は高いビルが建てられないから割と低い場所からでも大仏殿や興福寺の五重塔を見ることができる、もしかしたら奈良時代は平城京にそんなに高い建物などなかっただろうから、現在よりももっとはっきりとした姿を見せていたのかも知れないし、それが奈良に住む人々の心の支えになっていたのかも知れない。しかしこの辺りも住宅地が縦に横に斜めにと言った感じで入り組んでいて、碁盤の目のように道が通っていた痕跡はまるで感じられない、写真4枚目からの住宅地の風景は模型では山の手前になるまだかろうじて住居があった辺りだが、この辺りにあるはずの六条大路、五條大路は全く確認できない。写真下6枚目、5枚目はかろうじて四条大路にかする道、下4枚目、3枚目の道は西二坊大路に当たる道となっている、ちょうどすぐ横を近鉄橿原線が通っている、電車がやって来たので写真を撮っておこう。
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ここに並べた写真も普通のつまらない住宅地の写真ばっかりですが、上1枚目、2枚目は二条大路、平城宮の朱雀門の前を通っている道は西に2キロも行かないうちにこのような風景の中へと入ってくる。次の3枚目、4枚目は西三坊大路、本当にこれと言った何かがあるとは到底言えないような普通の住宅地を進んで行くと西大寺地区へと入って行く。ここは文字通り西大寺と言う大寺院があった所、往時は町を大きく囲むようにあった寺院も今は町中の住宅地に埋もれるような小さなお寺となっている、寺院と言うよりは鉄道ファンにはお馴染みの駅がある所と言った方が話が早いでしょう。その西大寺の北側を通っていたのが一条北大路、随分前に一条大路を巡ったことがあったのですが、その道は正しくは一条南大路、西大寺の北側には都がちょっとだけはみ出ていてそこを通っていたのが一条北大路、写真下2枚にある道がその大路に当たるようになってます。ちなみに一番下の写真の左側にあるネットの奥にチラッと見えているのは伏見中学校の校舎、ロンドンオリンピック、ボクシング金メダリストの村田諒太の出身校であります。ああ~、長くなっちゃったなあ、平城京巡りはまだまだやります、またお付き合いいただければありがたいことです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち