次期駐日大使に任命された
キャロライン・ケネディ氏が、
「ワシントン大行進」を記念した
集会の演説の中で、
鴨 長明の名著「方丈記」の一説を引用した。
この記事をwebのニュースで知ったのは
先週のこと。
「おっ!」私は直ぐに
「方丈記」に反応した。
若かりし頃、
「酒」と「音楽」と「映画」に現(うつつ)を抜かし、
(いまだに、抜かしっ放しなのだが ・ ・ ・)
「文学」に幾らばかりの関心はあれども、
終(つい)ぞ目を向けることのなかったこの私が、
「方丈記」を読んだのは、
恥を晒すようだがつい最近のこと。
昨年11月、家族で京都旅行に出かけた際、
嵐山の天龍寺に
「方丈」と書かれた額を見つけた。
この額、同じく昨年の夏、
博多のお寺を巡った時に
聖福寺で、同じ「方丈」の額を見つけ、
「方丈」と言う言葉に関心を持った。
これが「方丈記」へ繋がる
契機となった次第。
この「方丈記」、実は私、「本」で読まず、
「webの書籍」で拝読した。
「素晴らしい!」
一気に読み終えた流れるような文体は
時代を感じさせなることもなく、
極めて理解し易い著作であった。
漢字とかな、
この時代に、この文脈に
「唖然」とした。
「こんな風に書けたら!」
「方丈記」が
「徒然草」、「枕草子」と並ぶ、
「日本三大随筆」と呼ばれる所以(ゆえん)である。
長明がこの本を書き終えたのが
六十(むそじ)なら、私もむそじ。
作者と同じ六十で
この本と接し得たのは「幸運」だったが、
はたして、若かりし頃に
この本と出会ったとして、
これほどの感銘をその時に、
受けることが出来ただろうか
答えは「 N O ! 」である。
因みにキャロライン氏は
「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
の一説を引用し、
「両親たちの夢を私たちがかなえる番だ」
と訴えたそうです。
画像は、昨年11月29日に撮った
私を「方丈記」へ導くこととなった写真です。
大事に保管していた甲斐がありましたが、
残念ながら、
聖福寺で撮った写真は見つかりませんでした。
因みに「方丈」とは、約四畳半の広さだそうです。
鴨長明はこの大きさの庵で暮らし、そこで書いたものが
「方丈記」と言うわけです。
今しがた
仕事で遅くなったスージィーから、
「駅まで迎えに来て」と
電話がありました。
外は雨、まさか
「NO!!」と言えません。
それでは、
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