先日、2003年に亡くなられた
歌手であり、ピアニストでもある
ミュージシャンのライブ映像を
観る聴く間もなく、
その素晴らしい歌唱力と表現力に
圧倒され、自然の成り行きで
落涙するほどの感銘を頂いたが、
この機に、御年68になっても
未だに、泣き虫にとって、
「音楽とは、何だろうか」
と、ふと思い、
数字にまつわる、あることにこじつけ、
「4989」を書くことにした。
今日は縁起が悪い数字の
代表とされる、
「9」と「4」が
二つ並ぶ、9月4日。
そんな日を単に
「朝晩、随分と過ごし易くなった」
と、ただ喜んでいる小生にとっての
「縁起」とは。
例えば、人と人との繋がりが、
表向きには察っせられない
偶然とも思えない物事の起こりや、
不思議な繋がりの機微を感じた時、
そこには「意義深いものがある」と、
「縁起・縁」、あるいは「運」として、
その存在を信じているが、
、
悪い意味での「縁起」は、
あまり信じるほうではない。
「9」と「4」の
縁起が悪い理由として、
9は「苦」、4は「死」と、
音が重なるところにある。
車両のナンバープレートには、
通常発行されない「欠番」があり、
その理由として、
下2桁が「42」が「死に」
「49」が「死苦」「始終苦(しじゅうく)」
「轢(し・ひ)く」を連想させ
縁起が悪いとされるために
発行されないのだと言う。
同じく、ホテルも同様に
「9」と「4」は、
客室番号から敬遠される傾向にある。
ところが、
中国では古(いにしえ)より
「9」を「久遠」などを連想させる
縁起の良い数字として好まれており、
現在の中国においても「9」は、
恋愛、結婚、友情等における
場面において好まれ、
特に女性の間で人気がある。
ところで、
我が家の暮らしを数字で表すと、
縁起の悪い「9」と「4」に、
もう一つ「8」が加わり
「4989」となる。
ところが、この「8」が加わるお陰で、
貧しきながらも豊かな暮らしを
させて頂いている。
漢字の「八」の字は、上に比べて、
下の方が隙間が広くなっていて、
つまり、「末広がり」。
「末広がり」とは、
未来的に展望が明るいことを
差す意味。
生まれてこの方の、自分自身の
人生の「運」について想う時、
「音楽を愛する心の運」に
恵まれていたことを
夙(つと)にありがたく想う。
思えば、この運に気付いた子供の頃よりも、
更に齢を重ねるごとに、
有難いことに、音楽を味わう嗜好は
より深く、より広く、
まさしく末広がりに広がっていく。
夏の暑さも和らぎ、
秋の匂いさえ感じとれる今日が、
たとえ縁起の悪い9月4日でも、
たとえ暮らしが「4989」でも、
折角いただいた有難い運を活かして、
精一杯、音楽を楽しんでたいと願う。
今日の曲は、彼女と小生とを
まるで出会うべくして出会いさせ、
彼女の稀なる才能を
強烈に感じさせたのは、
「音楽を愛する心の運」の力。
そして、小生にとって「音楽」とは、
「幾つになっても、
自分の心に浮かんだことに
正直になれること」
「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」
「自由であることってどんな気持ちか、
私に知ることができたら」
ニーナ・シモン
当時、43歳の
モントルー・ジャズフェスティバルのステージにて。
訳詞は、あとで。
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