我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「弱り目に 祟り目]

2017年09月20日 | 日記

夏の初めに、
二軒先の新築現場から
上等の長尺ものの廃材を
頂戴した親父は、
あるものを創ると決めた。

有難いことである、
親父の意識が
ある方向に向かうと、

身体は異を唱えず、
意識に連れて
同じ先へと向かってくれる。



年を追うごとに熱くなる
夏のさ中にもありながら、

身体は文句一つ言わず、
親父の意識に
健気(けなげ)に応え、

家の通りに面したスペースに、
頭の中にあった幾つかのアイデアを
形にすることができた。


有難いことである、
アイデアを形にできるのは、
心と身体があってこそ
であり、

アイデアが枯れぬ間は、
ひたすらに頑張って頂きたいと
願うばかりである。



普段は
「甲斐性無し!」だの
「役立たず!」などと、

鬼の如き面をした嫁から
罵(ののし)られ
蔑(さげす)みを頂くだけの
憐れな親父でも、

一旦、その気になれば
「水を得た魚」の如く、
その勢いを止めるのでさえ
容易くない。


ところで、世に
「鬼の霍乱(かくらん)」
なる言葉がある。

「攪乱」とは、
日射病・熱中症のこと。

「鬼」とは前述の
「春日の鬼嫁」のことではなく、
「健康な者」のことであり、

「鬼の霍乱」とは、
至って健康な者が
突然、病に倒れる

ことを言う。


さて、今日の日記の「鬼」とは、
この日記の主である。

今夏の熱いさ中には、熱中症何ぞ
意にも介さなかった親父が
あろうことか、

唯今、九月に入って二度目の
病の床にある・・・


日曜日の夜のこと、風呂上がりの
バスタオルを持つ手が不覚にも、

右の目を思い切り突いて、
眼球を大きく傷つけて仕舞った。

瞬間、痛みよりも唖然、
呆然自失。

タオルで顔を拭く最中に
目を開けるとは・・・


これは意識と身体が
同じ方向にない現象であり、

生まれてこの方、
何度も繰り返してきた一つの動作で
関連して働く身体の部署が
その役目を怠っている。
ということか?

自分でも信じれれない。
「とんだヘマをしてしまった」と
無念でならぬが、
てめえの身体がやったこと、
誰も恨めない。


季節の変わり目の
長びいた風邪のお次は、

この先、こんな思いも寄らぬことが
待ち受けるのではと、

弱り目に祟(たた)り目の、
「鬼の目にも涙」ならぬ、
「鬼の目に眼帯」の今日である。


画像は、

永い患いの風邪をひく前の
八月末に完成したスターダスト前の
ランプのついたボード。

季節の移り目の病と
不覚の怪我を重ねた
唯今の心境、

アイデアの尽きるまでの暫くは
幾久しく健やかでありたいと
願う心に 明かりを灯す秋の夜

 

あとがき

 今日の通院で、
「痛みが和らいだら、
少しは眼を動かした方がいいですよ」
の先生の言葉を受けての

片目の日記と、相なりました。

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コメント (2)
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