我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「My favorite songs(16)」

2017年08月21日 | 日記

このところ、

「己の正体とは、いったい何ぞや」

そんな思いが、
頭の中で渦巻いている。


「己の正体」とは、

どのような家系の、
どのような父母の下で
生まれ育ったかと言った、

所謂(いわゆる)、
個人の出自(しゅつじ)とは
全く、無関係ではないが、

六十六年を生きて尚、
己という人間がどうも
解せないのである。

その一つに、
人様への己の言動に屡々(しばしば)、
どう言う訳か、心が向かう先と、
必ずしも一致しない、
表現があり、

言動が結果として、
望むべき結末を迎えていないことが
多々あるからである。


その見事なまでの
意思伝達能力の欠如や

相手に不信や不快、嫌気を招く因は
如何にして生まれるのか?

さて、己の正体とは、
一体、何なのか?

ただただ、首を傾(かし)げる
ばかりである。



この世に生まれ出ると、
先ずは家庭、そして学び舎と
並行して教育を受ける。

その後は社会で揉まれながら、
次第に責任ある個人としての
人格を形成していく。


 人には、
「本性」と「理性」がある。

難しいことは解らないが、
例えば、「本性」とは
動物的な感性で、

「理性」とは
人間的な知的な感性だとする。

己という人間の中に二つの
性(しょう)が存在し、

起こすべき言動の際に
何かの拍子に何かの力が働くと、
どちらかの性に傾き、

二つのバランスを失った時に、
望まぬ結末を迎える羽目に・・


己が己を顧みる時、
「満更、悪いたちでもなかろう」
 とは、勝手な思い込み。

極論だが、
差し障(さわ)りなく、
望むべき結末を迎えられるのは、

あえて無言を通した時だけ。

万(よろず)の人と接する時に、
己の正体が解(げ)せぬ者に
人様の機微も解るはずもなく、

万人どころか一人として
意思の疎通何ぞ、叶おう訳がない。



多分、我、思うに最長で
あと15年でくたばる。

あと15年、
本性と理性の均衡も取れぬまま、
ついには己の正体も見つけられずに、
くたばることになる。

そう、六十六年を生きて尚、
己という人間が
さっぱり解せないのである。


今日の「My favorite songs」

数あるローラ・ニーロの名曲の中でも、
素直に心に染みる曲。

「この曲を美しいと覚える
感性があるのだから、あと15年も
今のままでいいよ」

と誰かが言った 


「 Billy's Blues」
ビリーのブルース

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする