昨日、伝票作成上、50歳代男性の
下の名前を確認することになった。
「名前は『孝治』です。考は親孝行の『孝』で、
治は政治の『治』です」。
彼のご両親が孝治という名前を
どんな 想いで付けたのかは知らないけれど、
もし、「孝は親孝行の『孝』です」
を傍で聞いていたらどんな反応だったろうか?
仮に私が、その人の立場で答えるなら、
「孝は“親不孝行”の『孝』です」と答える。
同じ意味で相手に伝わるなら
こちらの方が断然面白い。
親は子供の命名に想いを込める。
私の名前は両祖父の名前の
頭のそれぞれの一文字を取ったもの。
「両祖父への感謝」からだろうか?
カトゥヤの両親は、自分達の名前の
それぞれの頭の一文字を付けた。
マナも同じく、両親は自分達の名前の
最初の文字の「音」を「マナ(愛)」にした。
共に、生まれた子供が「二人の愛の印」
である意味・想いが込められている。
そのマナも今日が最初の誕生日。
両親の想いが伝わり、愛に育まれ、
愛(マナ)らしい子に育って欲しい。
マナのすぐ近くで日々、育つ?
現在のスカイツリー
「光」輝く「幸」せ者のロバートより、
想いを込めて。