「最高裁事務総局」が日本を支配する!!!という現実を直視せよ。
(山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』)より
『最高裁の罠』問題追求の過程で明らかになった重大な事実がある。
それは、「最高裁事務総局」が最高裁、高裁、地裁という司法組織全体の司令塔であり、黒幕(司法権力の総本山)であるという事実である。
「最高裁事務総局」は、裁判官などの「人事権」を掌握しており、裁判官たちは、「最高裁事務総局」の支配下にある。
言い換えれば、「最高裁事務総局」が日本を支配しているということである。
ー「小沢裁判」と「最高裁スキャンダル」再考(11)
10月25日、「ホテル・ニューオータニ」の大宴会場「鶴の間」で、4200人以上の客を迎えて、小沢新党『国民の生活が第一』の結党大会が開かれた。
「4200人」という人数が、どういう政治的意味を持つかは、僕には分からないが、おそらく分かる人には分かるだろう。
それ故に、この小沢新党『国民の生活が第一』の結党大会の盛況を、一般国民の眼から、逸らす必要があったのだろう。
同じ日の午後三時、石原慎太郎が都知事辞職と新党結成の記者会見を行い、その後、マスコミは、これ幸いと、「石原新党」一色の報道に終始することによって、小沢新党『国民の生活が第一』の結党大会の盛況ぶりを無視・黙殺ことが出来たというわけだ。
しかし、「石原新党」報道や「第三局」報道も、いつまでもは続かない。
「小沢隠し」「小沢抜き」の政界再編や第三局の話など、テレビ局や新聞社に雇われた御用評論家や御用コメンテーターたちの与太話に過ぎない。
つまり、政界再編、第三局・・・にとって「石原新党」や「日本維新の会」など、「ニセの問題」にすぎないからだ。
政界で、民主党でも自民党でもない「第三局」が成功するかどうかは、小沢新党『国民の生活が第一』の動向にかかわっているからだ。
小沢一郎の「お」の字も出さない「第三局話」を聞いていて、笑いが止まらない。
日本国民は、みんな知っているだろう。
何故、彼ら御用政治評論家や御用政治ジャーナリストが、「小沢一郎」について沈黙するのか。
テレビや大手新聞・・・などマスコミは、「小沢事件」「小沢裁判」報道を通じて一貫して、「検察の暴走」や「最高裁事務総局の暴走」という、戦後日本の政治システムにかかわる国家的根本問題に消極的であった。
「小沢事件」「小沢裁判」報道を通じて一貫して、「小沢裁判」が次々と暴露してきた国家の根本問題を隠蔽し、且つ無視・黙殺して、検察や最高裁の「リーク」をそのままに垂れ流し、単なる小沢一郎の個人犯罪に矮小化、歪曲化してきた。
裏どりも取材もせずに、リーク情報を垂れ流すだけのマスコミの蛮行と体質のツケが、読売新聞の「iPS細胞ニセ手術誤報事件」や朝日新聞の「佐々木俊尚『陰謀論書評』削除事件」、週刊朝日の「ハシシタ特集連載中止事件」、古くはTBSの「石川秘書ホテル捏造映像放映事件」・・・などの珍事件をもたらしたと言っていい。
自業自得である。テレビや新聞が無視・黙殺したとしても、今、書店では、「小沢事件」「小沢裁判」に触発されたと思われる日米問題、検察問題・・・に関連する本が並び、ベストセラーとなっている。
テレビや新聞が、検察スキャンダルや最高裁スキャンダル報道から逃げ、むしろそれらを隠蔽、無視、黙殺しようとするのは、何故か。
言うまでもなく、新聞やテレビ・・・などのマスコミ権力も、「小沢一郎デッチアゲ事件」「小沢一郎抹殺事件」の共犯だからである。
つまり、マスコミは、検察スキャンダルや最高裁スキャンダルというような、それこそマスコミが先頭に立って追求すべき問題を隠蔽、無視、黙殺することによって、
江藤淳が『閉ざされた言語空間』で先鞭をつけ、有馬哲夫らが追撃してきた「戦後日米関係におけるマスコミの役割」、換言すれば、
マスコミこそ、米国のポスト植民地主義的な日本支配の「手先」であったという現実を、みずから暴露しているようなものだろう。
(続く)
(山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』)より
『最高裁の罠』問題追求の過程で明らかになった重大な事実がある。
それは、「最高裁事務総局」が最高裁、高裁、地裁という司法組織全体の司令塔であり、黒幕(司法権力の総本山)であるという事実である。
「最高裁事務総局」は、裁判官などの「人事権」を掌握しており、裁判官たちは、「最高裁事務総局」の支配下にある。
言い換えれば、「最高裁事務総局」が日本を支配しているということである。
ー「小沢裁判」と「最高裁スキャンダル」再考(11)
10月25日、「ホテル・ニューオータニ」の大宴会場「鶴の間」で、4200人以上の客を迎えて、小沢新党『国民の生活が第一』の結党大会が開かれた。
「4200人」という人数が、どういう政治的意味を持つかは、僕には分からないが、おそらく分かる人には分かるだろう。
それ故に、この小沢新党『国民の生活が第一』の結党大会の盛況を、一般国民の眼から、逸らす必要があったのだろう。
同じ日の午後三時、石原慎太郎が都知事辞職と新党結成の記者会見を行い、その後、マスコミは、これ幸いと、「石原新党」一色の報道に終始することによって、小沢新党『国民の生活が第一』の結党大会の盛況ぶりを無視・黙殺ことが出来たというわけだ。
しかし、「石原新党」報道や「第三局」報道も、いつまでもは続かない。
「小沢隠し」「小沢抜き」の政界再編や第三局の話など、テレビ局や新聞社に雇われた御用評論家や御用コメンテーターたちの与太話に過ぎない。
つまり、政界再編、第三局・・・にとって「石原新党」や「日本維新の会」など、「ニセの問題」にすぎないからだ。
政界で、民主党でも自民党でもない「第三局」が成功するかどうかは、小沢新党『国民の生活が第一』の動向にかかわっているからだ。
小沢一郎の「お」の字も出さない「第三局話」を聞いていて、笑いが止まらない。
日本国民は、みんな知っているだろう。
何故、彼ら御用政治評論家や御用政治ジャーナリストが、「小沢一郎」について沈黙するのか。
テレビや大手新聞・・・などマスコミは、「小沢事件」「小沢裁判」報道を通じて一貫して、「検察の暴走」や「最高裁事務総局の暴走」という、戦後日本の政治システムにかかわる国家的根本問題に消極的であった。
「小沢事件」「小沢裁判」報道を通じて一貫して、「小沢裁判」が次々と暴露してきた国家の根本問題を隠蔽し、且つ無視・黙殺して、検察や最高裁の「リーク」をそのままに垂れ流し、単なる小沢一郎の個人犯罪に矮小化、歪曲化してきた。
裏どりも取材もせずに、リーク情報を垂れ流すだけのマスコミの蛮行と体質のツケが、読売新聞の「iPS細胞ニセ手術誤報事件」や朝日新聞の「佐々木俊尚『陰謀論書評』削除事件」、週刊朝日の「ハシシタ特集連載中止事件」、古くはTBSの「石川秘書ホテル捏造映像放映事件」・・・などの珍事件をもたらしたと言っていい。
自業自得である。テレビや新聞が無視・黙殺したとしても、今、書店では、「小沢事件」「小沢裁判」に触発されたと思われる日米問題、検察問題・・・に関連する本が並び、ベストセラーとなっている。
テレビや新聞が、検察スキャンダルや最高裁スキャンダル報道から逃げ、むしろそれらを隠蔽、無視、黙殺しようとするのは、何故か。
言うまでもなく、新聞やテレビ・・・などのマスコミ権力も、「小沢一郎デッチアゲ事件」「小沢一郎抹殺事件」の共犯だからである。
つまり、マスコミは、検察スキャンダルや最高裁スキャンダルというような、それこそマスコミが先頭に立って追求すべき問題を隠蔽、無視、黙殺することによって、
江藤淳が『閉ざされた言語空間』で先鞭をつけ、有馬哲夫らが追撃してきた「戦後日米関係におけるマスコミの役割」、換言すれば、
マスコミこそ、米国のポスト植民地主義的な日本支配の「手先」であったという現実を、みずから暴露しているようなものだろう。
(続く)
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