「もう一つの日本は可能だ 内橋克人 光文社」
(HARMONIX・コトダマ発信)より
瀕死の状態に突き進んできた日本は今溺れて折り返せない所まで来ているけれども
それでも本気になりさえすれば立ち直るチャンスをつくることができると言う
グローバリズムに浸透した中曽根・小泉が
裸に剥いたニホンをオオカミの群れに追い込んだことに対する検証をしながら
今後どうすれば立ち直れるかを紐解いている
多国籍企業・国際金融組織とそれをバックアップするアメリカや国際組織の
法で支えた屁理屈と暴力によって世界の半分以上を餓えに追い込み南北の格差を推し進め
アジア中東を餌食にする姿を浮き彫りにすると同時に
そこから這い上がるニホンの姿を描き出している
その中でイスラム世界が主張する「労働の対価以外の報酬を受けてはならない」
「希薄な私有財産権等の反権利主義」
イスラムの銀行は利息の概念を禁じている
その銀行が20ヶ国に広まっているので
新自由主義のグローバリーゼーションにとっては脅威となり
その心を狭く閉ざした故の恐怖や野望が全面的な内政干渉に走らせる
曰く、神の法を退ける民営化であり財産権の確率であり民間企業の自由化である
この恐怖と野望が911やイラク戦争えと突き動かす原因となったのだろう
「市場に任しておけばすべてを解決してくれる」と言うブッシュの言葉は
そのグローバリーゼーションが建前でその市場を力尽くでコントロールすることを
本音として隠している
暴力による強制的な新自由主義(ネオリベラリズム)の開き直りである
イスラムの神への依存概念を壊して貨幣に依存させるには
財産権の確率・蓄財の自由・格差による甘い蜜を保証させて見せる必要がある
そのためには神の法を改め新たな金融的な法の環境整備を目指す必要がある
冷戦の時代には社会主義に対抗するために渋々年金や医療などの
福祉や社会保障に譲歩してきたけれども対抗馬を無くした90年代には
社会福祉制度を蹴散らかして民間保険制度に挿げ替え
マネー資本主義のやりたい放題となった
新自由主義の価値観が作り出す社会環境をスーザン・ジョージが評して曰く
・公共サービスを破壊させる
・小規模農業をはじめ小規模の生産や流通を破壊に追い込む
・既存の民主的な福祉に関する法律を破壊する
・弱く不利な国々を更に追い詰める
・文化を破壊し文明的価値観で世界中を一色に塗りつぶす
・自然環境を荒廃させる
・労働に対する対価を低下させて管理権と操作権を集中的に優遇する
・市民を配下に置く政府を確立し依存性と搾取を高める
更に生産と消費を南と北に分ける身勝手な暮らしの結果として
地域を無視した貿易行為を無制限に行うことによって
資源を一極的に集中させてしまい世界を狭くすることになる
又ヴィヴィアンヌフォレステル曰く
「人間は搾取の対象ですらなくなり排除すべきものとなった」
生きる行為である職がなければ自立もなく
楽しむべき出合いを自主的に選択して発見する楽しみを奪われてしまえば
個々の自律も尊厳も破壊されてしまう
本質的な経済は人間の暮らしに対する手段であるべきで
経済が人間に依存して支配してしまうと創造が途絶えてしまう
しかしこのことを深読みすれば別の発見もある
こうした当たり前の真理を無視したり率先して吹聴する視野の狭い名ばかりの有識者が
悲惨な結果を見せてくれることで一般市民は真理を事実として具体的に学ぶことができ
パラドックスが隠されていることに初めて気付ける
最後の第4章の60ページほどで肝心なこれからの可能性に付いて述べている
かつて言われてきた「衣食住」を改めて「食・エネルギー・ケアの自給」を目指す
「自らをよりよく育てる」
「社会のよりよい方向めざして努力を重ねる」
この2つを統合することで次の社会を模索する
又、資源小国日本から資源大国日本へ変身する
産業廃棄物から新たな資源を再生させる
足し算の技術と引き算の技術を駆使して無駄を排除する
又、地域を重視する循環型の社会をつくる
「医師は患者の中にいてこその医師です」という
地域に根ざした生産と消費を中心に据えて(貿易を最小限する?)などなど
「働く喜び・作り喜び・使う喜び・を分かち合おう」とシェアーリングを呼び掛ける
生産者と消費者が分け合うのだという
どこにも負けない製品・技術・人への優しさの三位一体の醸し出す風格が
強みだという
ここでも少しおかしいと思わざるを得ないのはシェアーを唱えながら
負けないとか強みとか競う争う姿勢を持ち出している矛盾である
結局は本音と建前を駆使して誤魔化しているにすぎないと思えてくる
最後に一言いわせてもらうならば
この本は内橋さんの正義を詰め込んだものだと言えるとおもうけれども
しかし彼の内に潜む自己顕示欲もにじみ出ていると感じた
例えば「我を語らず」を唱えているにもかかわらず
うんざりするほど「私は~」「私が~」を連発している
きっと本人は気付いてもいないのだろうけれども
内橋さんに内在しているのだろう本音と建前が見え隠れしている
又、競争が悪だと言っているわけではないと釈明しているけれども
だとすると規制緩和や構造改革によって
民の集いをナメラカにするべき政府機能を排除しようとする行為に
異議を唱えている姿勢と矛盾してしまうだろう
ここで本質的な納得を得ていないままの迷いの状態を感じて
自己弁護しているように見えてしまう
(HARMONIX・コトダマ発信)より
瀕死の状態に突き進んできた日本は今溺れて折り返せない所まで来ているけれども
それでも本気になりさえすれば立ち直るチャンスをつくることができると言う
グローバリズムに浸透した中曽根・小泉が
裸に剥いたニホンをオオカミの群れに追い込んだことに対する検証をしながら
今後どうすれば立ち直れるかを紐解いている
多国籍企業・国際金融組織とそれをバックアップするアメリカや国際組織の
法で支えた屁理屈と暴力によって世界の半分以上を餓えに追い込み南北の格差を推し進め
アジア中東を餌食にする姿を浮き彫りにすると同時に
そこから這い上がるニホンの姿を描き出している
その中でイスラム世界が主張する「労働の対価以外の報酬を受けてはならない」
「希薄な私有財産権等の反権利主義」
イスラムの銀行は利息の概念を禁じている
その銀行が20ヶ国に広まっているので
新自由主義のグローバリーゼーションにとっては脅威となり
その心を狭く閉ざした故の恐怖や野望が全面的な内政干渉に走らせる
曰く、神の法を退ける民営化であり財産権の確率であり民間企業の自由化である
この恐怖と野望が911やイラク戦争えと突き動かす原因となったのだろう
「市場に任しておけばすべてを解決してくれる」と言うブッシュの言葉は
そのグローバリーゼーションが建前でその市場を力尽くでコントロールすることを
本音として隠している
暴力による強制的な新自由主義(ネオリベラリズム)の開き直りである
イスラムの神への依存概念を壊して貨幣に依存させるには
財産権の確率・蓄財の自由・格差による甘い蜜を保証させて見せる必要がある
そのためには神の法を改め新たな金融的な法の環境整備を目指す必要がある
冷戦の時代には社会主義に対抗するために渋々年金や医療などの
福祉や社会保障に譲歩してきたけれども対抗馬を無くした90年代には
社会福祉制度を蹴散らかして民間保険制度に挿げ替え
マネー資本主義のやりたい放題となった
新自由主義の価値観が作り出す社会環境をスーザン・ジョージが評して曰く
・公共サービスを破壊させる
・小規模農業をはじめ小規模の生産や流通を破壊に追い込む
・既存の民主的な福祉に関する法律を破壊する
・弱く不利な国々を更に追い詰める
・文化を破壊し文明的価値観で世界中を一色に塗りつぶす
・自然環境を荒廃させる
・労働に対する対価を低下させて管理権と操作権を集中的に優遇する
・市民を配下に置く政府を確立し依存性と搾取を高める
更に生産と消費を南と北に分ける身勝手な暮らしの結果として
地域を無視した貿易行為を無制限に行うことによって
資源を一極的に集中させてしまい世界を狭くすることになる
又ヴィヴィアンヌフォレステル曰く
「人間は搾取の対象ですらなくなり排除すべきものとなった」
生きる行為である職がなければ自立もなく
楽しむべき出合いを自主的に選択して発見する楽しみを奪われてしまえば
個々の自律も尊厳も破壊されてしまう
本質的な経済は人間の暮らしに対する手段であるべきで
経済が人間に依存して支配してしまうと創造が途絶えてしまう
しかしこのことを深読みすれば別の発見もある
こうした当たり前の真理を無視したり率先して吹聴する視野の狭い名ばかりの有識者が
悲惨な結果を見せてくれることで一般市民は真理を事実として具体的に学ぶことができ
パラドックスが隠されていることに初めて気付ける
最後の第4章の60ページほどで肝心なこれからの可能性に付いて述べている
かつて言われてきた「衣食住」を改めて「食・エネルギー・ケアの自給」を目指す
「自らをよりよく育てる」
「社会のよりよい方向めざして努力を重ねる」
この2つを統合することで次の社会を模索する
又、資源小国日本から資源大国日本へ変身する
産業廃棄物から新たな資源を再生させる
足し算の技術と引き算の技術を駆使して無駄を排除する
又、地域を重視する循環型の社会をつくる
「医師は患者の中にいてこその医師です」という
地域に根ざした生産と消費を中心に据えて(貿易を最小限する?)などなど
「働く喜び・作り喜び・使う喜び・を分かち合おう」とシェアーリングを呼び掛ける
生産者と消費者が分け合うのだという
どこにも負けない製品・技術・人への優しさの三位一体の醸し出す風格が
強みだという
ここでも少しおかしいと思わざるを得ないのはシェアーを唱えながら
負けないとか強みとか競う争う姿勢を持ち出している矛盾である
結局は本音と建前を駆使して誤魔化しているにすぎないと思えてくる
最後に一言いわせてもらうならば
この本は内橋さんの正義を詰め込んだものだと言えるとおもうけれども
しかし彼の内に潜む自己顕示欲もにじみ出ていると感じた
例えば「我を語らず」を唱えているにもかかわらず
うんざりするほど「私は~」「私が~」を連発している
きっと本人は気付いてもいないのだろうけれども
内橋さんに内在しているのだろう本音と建前が見え隠れしている
又、競争が悪だと言っているわけではないと釈明しているけれども
だとすると規制緩和や構造改革によって
民の集いをナメラカにするべき政府機能を排除しようとする行為に
異議を唱えている姿勢と矛盾してしまうだろう
ここで本質的な納得を得ていないままの迷いの状態を感じて
自己弁護しているように見えてしまう
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