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コート・ダジュールの拠点ニースとその周辺は歴史と美の宝庫。<ミュージアムNo.1>【日曜フォトの旅】

2013年04月29日 09時24分12秒 | Weblog

コート・ダジュールの拠点ニースとその周辺は歴史と美の宝庫。<ミュージアムNo.1>【日曜フォトの旅】

(晴れのち曇り、時々パリ)より

 
今週の『コート・ダジュール』は、少し歴史に触れてみよう。


先ず前提として、19世紀後半までこの辺りは『サヴォア公国』であった、と言う事を忘れてはならない。

アルプスの北の麓フランス側と、南の麓イタリア側と、現在のスイスを挟んで『サヴォア家』(イタリア語ではサヴォイア、英語ではサヴォイ)という対抗家が長らく支配していた。

このサヴォア家はフランス系の貴族で、初期は『伯爵」でありフランス語を喋っていた。

フランスの王権に属さず独立を保ち、首都はアヌシーだったり、シャンベリーだったり、ジュネーヴだったりしたが、ルネッサンス期以降はイタリア側にウエートが移って行き、ブレッシアやトリーノが拠点となって行った。


その『サヴォア家』はその内「大公領(Principauté)」から、サルデーニャ王家を繋がって『王国(Royaume=Kingdam)』と格式が上昇して行く。

そのサルデーニャ王でもあった「サヴォア家」の『ヴィットール・エマヌエーレ2世』が、190余の群小国家の集合体であった「イタリア」を統一し、『イタリア王国』が誕生したのは、1861年の事である。

勿論、サヴォア家によるイタリア統一に反対するオーストリアに援助された勢力との戦いが続くのだが、時のフランスの皇帝『ナポレオン3世』はサヴォア家を支持する。

フランスがサヴォア側に就いた事によってサヴォア家に依るイタリア統一が成功し、そのフランスの援助の代償に、サヴォア家は『領地サヴォア』の、アルプスの北側をフランスに割譲した。

従って、現在『サヴォア』と言えばフランスの地方名であり、今でもスイス国旗と同じ赤地に白十字が紋章である。



     
     サヴォア地方の紋章



そこで、ニースの旧市街はまるでイタリアそっくり。

特に、海岸沿いに近い「ジェノヴァ」の影響が色濃く残っている。


ニースの旧市街の入り口に当たる広場が『サラヤ広場』という。


     
     「サラヤ広場」

ここは、毎日花市が立ち週に三日朝市も立つので、ニースに旅行されると必ず立ち寄る場所の一つである。


そこから、奥に入り「城山公園」の斜面の足元に平行する細い通りを進むと、左側にあるのが『ラスカリス宮』である。



     
     まるでジェノーヴァの旧市街そっくりの「ニース旧市街」の通り



旧市街に複数残るかっての貴族の館の中で、ひと際重要なものがこの『パレ・ラスカリス』。

17世紀のサヴォア公『シャルル・エマニュエル2世』が「これこそ在ニース貴顕の最たる見本である」と言わしめた、地方貴族の名宮殿である。

主は、現在の仏伊国境のイタリア側の街『ヴェンテミッリア』の領主であった「ラスカリス・ヴェンテミッリア家」。


玄関は数段の階段になっている。


     
    玄関からやや上がって、更にパティオに通じている階段があるのが見える



上がると狭いパティオ。

回廊のフレスコが、丸っきりジェノーヴァ。



     
     パティオ周囲の回廊



2階は幾つかのサロンになっている。



     
     サロンの一つ



     
     サロンの天井



     
     窓の向こう側は、お向かいの建物に手が届きそう



窓から外を見ると正面の建物の窓と握手出来そうな位に近い。


     
    お向かいの建物の窓



更にチャペルもある。



     
     「ラスカリス家」のチャペル


     
     チャペルの天井 



更に上の階に登る。

どの階段も、どの階の回廊も同じパターンのフレスコで飾られている。



     
     上階への階段



すると、3階は数々の様々な「古楽器」のコレクションが飾られている。

これは一見に値する素晴らしさである。


先ず、最初に目を引いたのが非常に「薄い」クラブサン。

正面から見ると、小型の縦型クラブサンに見える。


     
     縦型クラブサン



所が、真横からみたら、あらビックリ!

その薄さと言ったら信じられない程だった。



     
     真横からみた縦型クラブサン



この角度では、一体何だかわからない。

やや斜めから見てみよう。



     
     斜めからの姿



これでは、共鳴させる「胴体」は無い。

一体どんな音色なんだろう。

実際の演奏の為と言うより、館のサロンを飾る装飾的要素の方が強く、木工技術の粋を見せつける作品なのだと思った。


更に、横型の小型クラブサン。

前面には、「暴力より、より優しさを産み出す」という標語が書かれている


     
     縦型の小型クラブサン



更には、二重鍵盤のクラブサンも。


       
     二重鍵盤のクラブサン



そして、現代のピアノの原型である「ピアノ・フォルテ」。

クラブサンは、弦を引っ掻いて音を出す「弦楽器」であり、引っ掻く為に弦が狂い易く、一曲演奏する度に弦を調律し直す必要が有り、音色も小さかった。


鋼鉄の技術が発展し、共鳴用の胴体を鉄で固める事が出来る様になる。

その為、弦を強力に張る事が出来て、それをハンマーで叩く「打楽器」が登場した。

音色が大きく強く出せる様になり、『ピアノ・フォルテ』と呼ばれた。



     
     「プレイエル」製の19世紀のピアノ



弦楽器(リュート)と言えば、アポロンの時代から人間の音曲に取って、欠かせない楽器であった。

この館には、珍しい古リュートが数多く展示されていた。



     
     大小さまざまなリュート


胸ポケットに納まりそうな程小さなリュートまである。

現在のヴァイオリンの形が定まるまで、あちこちで様々な形のヴァイオリンが使われていたのだろう。



     
     非常に複雑な胴を持つ「ヴァイオリン」と思しきリュート



そして、リュートと言えば原型は「竪琴」である。

かの太陽の神にして、学問と音楽の神「アポロン」が肌身離さず持ってい竪琴。


     
     竪琴各種



更には『横琴?』杜でも言う様なリュートも有る。

この種の楽器も、中世「吟遊詩人」いらい、ヨーロッパ各地に未だに民族楽器として、色々な形のものが存在している。



     
     「横琴」



古より、楽器と言うものは専門の職人の技術が特殊技術として高く評価されて来た。

勿論、「音色を奏でる道具」としての技術もさておき、寄木細工や更には「螺鈿」や『象眼」などの技術を駆使して、宝飾品の如き素晴らしいものも作り出されて来た。


目立たない「胴体の側面」に、素晴らしい象牙を象眼した「ギター」のご先祖も有った。

一体「何弦ギター」と言えば良いのか不明の、面白い弦の張り方である。



     
     胴体側面と周囲の細工が素晴らしいギター




更には、リュートと言えば極めつけが「ハープ」であろう。


素晴らしいハープが何本か、並んでいる。

どれも、細工が素晴らしい。



     
     ハープ各種


     
     ハープのディテール「18世紀の花模様」が愛らしい



更には、管楽器も。

ステッキに擬した管楽器もある。



     
     木管楽器各種



勿論これだけでは無い。

金管楽器も沢山展示されている。


この館は、内部装飾が北西イタリアバロックの影響を直接受けている、典型的ニースの貴族の館の最良のものであり、更に展示物も素晴らしい。

これだけの素晴らしいミュージアムが、入場無料!

日に一回の「ガイド付きツアー」のみ、5ユーロという安さ。

ニース市立博物館であります。



     
     玄関脇の外壁に取り付けられている銘版



何しろ両手を拡げれば、両側の建物に触れる事が出来そうな程狭い、典型的旧市街の宮殿なので、「正面全景」など写真に撮れる筈も無いのが、残念である。

これは、ジェノーヴァのケースも同じである。


せめて、なるべく近くから「斜めに」撮ってみた。



     
     『ラスカリス宮』


通り自体が曲線となって居り、その通りに沿って建設されているこの宮殿は、正面外壁が曲線を描いて居り、それ自体が「バロック」建築の典型だと言って差し支えない。


皆様も、ニースにお越しの節はお見逃しなきよう、是非訪れて下さいまし。

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