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通夜の席で「おめでとうございます!」

2012年03月16日 23時42分45秒 | Weblog
通夜の席で「おめでとうございます!」・・・(飯山一郎)より

「吉本隆明。大往生だ。めでたい! 笑って冥福を祈ろう。合掌。」と書いたら、

「死んだ人に、『めでたい』 とは何だ! 失礼にもホドがある!」

とお叱りをいただいた。

言い訳がわりに、下に20年前の文章を載せる。
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豪快で優しいタヌキジジイ・・・K老人の大往生

 「局面が苦しいときは、あえてユッタリとかまえるんだぞ。

ニコニコと笑っていられれば一人前の勝負師だ。」

と、将棋に勝つ秘訣はウデよりもハッタリにあることを私に教えてくれ

たのはK老人だ。

 警察の関係者には読んでほしくないのだが、賭け将棋の面白さと

儲けるコツを伝授してくれたこともあった。

 「金があって弱い奴からはむしり取れ!」と、K老人の金に対する

執念は見上げたものだった。

 「最初の2~3局は安い賭け金にして適当に負けろ。敵の繰り出す

ハメ手にわざとひっかかって、敵が慢心するような負け方をするんだ」

 こういうのを本当のタヌキ・ジジイというのだろう。

 「負けたら派手に口惜しがるんだ。そして、賭け金を10倍ぐらいに

ハネ上げるんだ」…こうなると、タヌキというよりはキツネだ。

 「そして、大したことないなぁ、などと敵を馬鹿にするようなことを言い

ながらセセら笑うんだ。そうして相手を充分に口惜しがらせて、一晩に

10万円はムシり取ってやるんだ」…と鼻の穴をピクピクさせる表情は、

もはやキツネではない。ハイエナだ。

 このハイエナ老人も、将棋盤から一歩はなれると交通遺児に百万円

をポーンと寄付する心の優しい豪快な老人だった。だからというわけで

もないが、私はK老人が好きだった。尊敬もしていた。

 10日ほど前、このK老人が亡くなった。

 死んだ場所が将棋クラブだったから、家族は老人の「死に目=臨終」

に会えなかった。

 “将棋指しは親の死に目に会えない”という格言を、少々変則的な形

だが、K老人は子供や孫たちに身をもって示したわけだ。

 死に際は、とーとーとして例の将棋人生論をブッていたというし、大勢

の仲間に囲まれて息を引き取ったというから、K老人の死は“大往生”

と言えるだろう。

 通夜の席で聞いた

「おめでとうございます!」

 K老人の死を聞いて、私は悲しみにくれて通夜の席に駆け参じた。

享年(死んだ歳)が89歳だと聞いて、私は悲しみが和らぐのを覚えた。

「いいだろう。充分に生きたのだから」と思ったのだ。

 その矢先! 悲しみにくれる通夜の席に、

「このたびは、おめでとうございます!」

と元気のいい声が聞こえてきた。

 無礼な! と思うよりも、オヤッ?! と度胆を抜かれるようなリンと

した言いかたに、通夜の席の誰もがア然としていた。

もっと驚いたのは、K老人の老妻の物言いだった。

 「お祝いのお言葉、ありがたく頂戴いたします。心から祝ってやって

ください。」

 …これはいったい、どーゆーことなんだ?!

と、ほとんどの人は目を丸くしていた。

 ふと老妻の顔を見ると、キッパリと悟ったような、むしろ神々しい表情

だった。

 ここで、誤解のないようにコメントしておきたい。

 “お祝い”の言葉を述べた人も、もちろん老妻も、K老人の死を喜んで

いるわけでは決してない。むしろ愛別離苦の悲しみにくれているのだ。

 それでは、「おめでとうございます!」という祝いの言葉は、いったい、

何を意味するのか?

 それは、こういうことだ。

 誰にも迷惑をかけずに、89年という長い人生を自由奔放に生き、

「世話の焼ける“寝たきり老人”」にもならず、大好きだった将棋盤の前

でポックリと往ったK老人の“死にざま”は、お見事!

と言っていい。

 しかも死の前日、K老人は老妻に感慨をこめてポツリと、

「まったく面白い人生じゃった。これもすべてお前のお蔭だ。礼を言い

たい。」

とまで言い放っていたというのだ。

 だから、こういう死にかたをした、そして見事な生を生きてきたK老人

の死は、むしろ祝福の対象であると。

これは、なかなか複雑な考え方である。

 長い人生をまっとうした人の死を「祝う」という日本人の独特な考え方

は、いまでは少なくなってしまったが、一部では今だに厳然として残って

いる。

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