妻籠宿~妻籠宿寺下
後500mで妻籠宿の入口になる、もう少しと歩き出す。
妻籠宿の案内板から歩くと、妻籠宿~の雰囲気にウキウキとしてくる。
10分弱歩くと妻籠宿名所のひとつ「鯉岩」の由来を案内板。
明治24年膿尾大地震で形が変わってしまったそうで案内板のみ。
その先はもう妻籠宿、高札場があり、午後4時妻籠宿の町並に入る。
妻籠宿は日本で最初に江戸時代末期の宿場町の復元と保存を行った所。
昭和51年には国の重要伝説的建造物群保在地区国選定されてい。
今も出梁造りに竪繁格子、卯建のある格子が続く江戸時代さながらの宿場町の姿を見る事が出来る。
この妻籠宿は約1kなのだがここを通り抜けるのに1時間をかけてしまった。
先ず、横浜のご夫婦に出会う(やはり彼らは速い)軒先で到着のビールで乾杯をしておられた。
出会いを喜び先へ宿場町を進む、観光客の多い事。
郵便局、ここで手持ちのはがきにスタンプを押させて頂く。
すると、局長さんこれから泊まる宿の奥さんのご主人だった。
もちろんスタンプを押すだけでは終らない
先へ進まなければ陽が暮れてしまうとこころの中では焦るのだが
やっと郵便局をでると、妻籠宿観光案内所素通りは出来ない
そこへあの横浜のご夫婦、中山道のこれからをあれこれと話す。
私の財布の中もそろそろ旅の終わりを告げ始めてきた。
地図を点検すると,次回を考えて恵那大井までと思っていた。
ご夫婦も同じ事を考えていたらしい、彼らは鈍行で帰宅の良し調べた時間表を写させて頂く。
彼らとお別れしていよいよ妻籠宿の終わりに近づくと入口の看板?
ナルホド江戸ヘ向かう人にとっては入口です、そう言えば芦田宿を出たとき松並木も両方に入口があった。
妻籠宿の町並みが終る頃とうとう17時になってしまいました。
ここまで来て又バッテリー切れ、そろそろ暗くなり始めました。
急いで歩いていると、オーストラリアとニュージランドからのツアー客が縁台に座り盛り上がっていた。
今からバスで温泉に行くとのこと、妻籠宿寺下に泊まる事を告げると自分たちも泊まっている。
もう直ぐだよ後30分位かな30分歩くのは良いけど暗くなる
大きな駐車場で寺下方面への入口で、思案したあげく電話をする事にする。
昼間に出たおじいちゃんの声、今直ぐ来てくれるとの事ありがたい。
翌日解った事、このおじいちゃんなんと90才でした。
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