1967年(昭和42年)3月に朝日新聞に掲載され、短編集「丘の明り」に収録された掌編です。
作者の家庭小説の中では、最もシンプルな構成で書かれているので、エッセイと言ってもいいくらいです。
食卓での家族(彼(作者)、細君、和子(姉)、明夫(中学三年生の兄)、良二(小学校五年生の弟)の様子(十二か月を旧称で唱える、明夫が良二の卵の黄身だけをすってしまう、など)と、それに関連して思い出された家族のエピソード(良二の冷え腹、明夫が良二の尻をボレーシュートのように蹴る、それに関連した良二の寝言、明夫の膝の骨折、良二の四十雀取り、良二がしかけに使う富有柿を明夫が食べてしまうなど)。
その中で、家族像(明夫が良二をかまって、和子は良二を助け、細君はみんなの調和をはかり、彼はそれを種に原稿を書く)も見えてきます。
このスタイルは、作品によって人称や個々の人物の呼称が変わっても、基本的には変わりません。
そして、唯一呼称が細君で統一されている作者の妻が、一見民主的家父長制とでも呼ぶべきこの家族の、不変の中心として存在し続けています(まるで、空気か、引力のように目には見えませんが)。
1968年(昭和43年)2月号の「群像」に掲載されて、短編集「小えびの群れ」に収録された短編です。
作者の家庭小説の構成、書き方、さらには家族のあり方まで分かって、非常に興味深い作品です。
以下の五つのエピソードから構成されています。
1.「グリム童話 こわがることをおぼえようと旅に出た男の話」の紹介と、それをめぐる家族(私(父親、作者)、細君(母親)、姉(いちばん上の女の子、大学生)、兄(上の男の子、高校一年生)、弟(下の男の子、小学六年生))の会話。
2.「グリム童話 こわがることをおぼえようと旅に出た男の話」の紹介の続き。
3.童話と関連して思い出した家族のエピソード(物置に石炭を取りに行く時に、兄が怖い顔をして弟を脅すこと(書斎に姉を呼んで聞いた解説付き)と、居間で父親と姉兄弟でやる組み体操(細君は見ているだけ)
4.「グリム童話 こわがることをおぼえようと旅に出た男の話」の紹介の続き
5.姉兄弟の星空観察(細君も途中から加わった)と翌朝書斎に姉を呼んで聞いた解説
以上から、統一エピソード(この作品の場合は、「グリム童話 こわがることをおぼえようと旅に出た男の話」)と、それから想起される家庭でのエピソードを巧みに織り込んでいって、上質の家庭小説に仕上げていっています。
また、作者の家や家族の関係も、この作品から窺い知ることができます。
作者の家は、家族が憩う場であるとともに、作者の仕事場でもあります(一軒家なので可能なのかも知れませんが)。
作者が書斎(仕事場)にいる時は、家族の誰もが邪魔をしない(星空観察に作者は誘われません)、逆に家族に取材(?)する時は、それを居間には持ち込まずに、書斎に呼んで話を聞いています。
こういう暗黙のルールが、家の中での家庭と仕事の両立を成り立たせているのでしょう。
と言って、作者が、家庭内で孤立しているわけではありません。
3の組体操には、作者も参加して父親としての役割り(それは喜びでもあったでしょう)を果たしています。
細君は、そんな時は見ているだけの脇役に回っていますが、父親が参加しない(できない)星空観察には参加して母親の役割り(これも喜びでもあったでしょう)を果たしています。
こうした夫婦間の暗黙の役割り分担が、「夕べの雲」や「絵合わせ」のような家庭小説の名作に結実していったのでしょう。
「文学界」2001年6月号に掲載されて、文学界新人賞を受賞した作者のデビュー作です。
母親が家出をして、代わりに父親の若い愛人がアパートに出入りするようになった夏休みを、小学生の少女の視線で描いています。
一見、悲惨に思える状況を、淡々と、あたかも楽しい思い出だったかのように主人公が思うのは、彼女がその愛人と同じ年ごろになって、そのころを回想するかたちで書いているからでしょう。
ある程度の年齢になった主人公の人生に対する諦念が、そのころの少女像に強く反映されていて、生きた登場人物として描けていません。
彼女と弟に対する作者の愛情が一切感じられないのが、同じ年ごろの子どもたちを描く児童文学の書き手とは決定的に違います。
昭和三十年の大阪の河口で、大衆食堂を営む夫婦の一人息子(小学校二年生)と、橋のたもとに留るようになった廓船(一家の家でもあり、母親が売春をする場所でもあります)の姉弟(学校には通っていませんが、四年生と二年生ぐらい)とのつかの間の出会いと別れを描いています。
作者は、1977年に発表されたこの作品で、太宰治賞を受賞してデビューを果たします。
少年たちの交流に、戦争で命拾いしてきた大人たちの生や死をからませて、生きていくことの意味を考えさせられます。
この小説自体も、非常に巧み(あざといとさえ言えますが)に書かれた優れた小説ですが、それ以上に1981年に公開された小栗康平監督の映画の原作としての方が有名でしょう。
キネマ旬報の第一位を初めとしていろいろな映画賞を総なめにした映画では、子役たちのごく自然な演技を、大衆食堂を営む夫婦を演じた田村高廣と藤田弓子を初めとした芸達者ぞろいの俳優陣が支えて、モノクロの映像の中に昭和30年の大阪を鮮やかに再現していました。
特に、客を迎えいれた廓船の闇の中に浮かんだ加賀まりこの顔の妖艶な美しさと、去っていく廓船を主人公の少年が川岸や橋を走りながらいつまでも追いかけていたラストシーンは、今でも鮮やかに記憶に残っています。
泥の河 | |
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当時の12人の若手を選んで取材して、人物紀行にまとめた、作者のデビュー作(単行本になったのは1973年出版ですが、その前に月刊「エコノミスト」に連載された25才の時の作品です)に収録された作品です。
書き手はむろん、対象者もまだ無名(エッセイの連載でデビューし、北海道にあの「動物王国」を作りはじめた頃)なので、生身の人間のぶつかり合いがあって、非常に爽快な一編になっています。
その後の畑正憲のムツゴロウとしての活躍はご存知の通りですが、作者の方も急速に売れっ子になります。
その後、いったん挫折して、あの「深夜特急」の放浪の旅に出ました。
帰国後は、「テロルの決算」(その記事を参照してください)のようなよりスケールの大きなノンフィクションを書いて、不動の地位を築き上げます。
しかし、個人的には、この作品のような無名時代の体当たりで対象にぶつかっていた頃の作品の方に愛着があります。
2014年のカンヌ国際映画祭で、グランプリのパルムドールを受賞したイタリア映画です。
トスカーナ地方を舞台にして、一家で養蜂を営む家族の姿を、長女の中学生ぐらいと思われる少女の目を通して描いています。
彼女は典型的な長女キャラで、横暴でわがままな父親、優柔不断な母親、気ままな妹たち(小学生ぐらいが一人と、幼稚園ぐらいが二人)などに囲まれて、実質的に一家を支えています。
彼女は、一度はこうした家族たちから離れることを夢見て、もっと広い世界への憧れを持ちますが、最後には家族のもとへ戻ってきます。
彼女の名前ジェルソミーナからは、ジュリエット・マシーナが演じたフェリーニの「道」の主人公を連想してしまいます。
軽度の知的障害者だった彼女に対して、長女は感受性豊かで聡明な少女ですが、どちらも無垢な魂の持ち主であることは共通しているかもしれません。
1973年公開のアメリカ映画です。
監督がジョージ・ロイ・ヒル、主演がポール・ニューマンとロバート・レッドフォードと言えば、「明日に向かって撃て」(その記事を参照してください)のゴールデン・トリオですが、この映画でも再結集して、アカデミー賞では作品賞や監督賞などの7部門を受賞した傑作コメディが出来上がりました。
ギャングの大親分を相手に、詐欺師たちが胸のすくようなトリックを成功させて、観客を大満足させる腕前はさすがです。
複雑な伏線が幾重にも張られて、それが一気に解けるラストは痛快です。
1969年の「明日に向かって撃て」では、どちらかというとポール・ニューマンの方が中心だったのですが、この映画では、ロバート・レッドフォードは対等ないしはより主役を演ずる存在に成長しています。
康平は小学五年生。中学二年生の姉の秀香がいる。
その秀香が、最近不登校になっていた。クラスの雰囲気になじめなくて、学校へ行きたくなくなってしまったのだ。
秀香は中学生になってから、部活でバレーボール部に入っていた。一年のころはけっこう熱心に部活の練習をやっていた。
でも、先輩との関係がうまくいかなくなって、二年になってから部活を辞めてしまった。それも、不登校になった原因の一つかもしれない。
秀香は不登校といっても、自分の部屋に引きこもっているわけではない。外出こそできないが、家の中では自由に行動していた。居間でテレビを見たり、スマホをいじったりしている。
家族とは普通に話をするし、友だちともLINEでやりとりしているので、完全に孤独になっているわけでもない。
初めは、秀香は、学校に行ったり行かなかったりといった具合だった。それが、今ではぜんぜん行かなくなってしまった。
おかあさんは、学校や教育委員会に行って、秀香の不登校のことを相談していた。
「私の育て方が間違っていたのかしら?」
おかあさんは、さかんにおとうさんに愚痴をこぼしている。
康平の家では、おとうさんだけではなく、おかあさんもフルタイムで働いている。康平は、低学年のころは、学校が終わると学童クラブへ行っていた。秀香も、小学生の時は同じ学童クラブにいた。
もっと小さい時は、二人とも保育園に預けられていた。
おかあさんは、二人が小さい時に、自分が家にいて育てなかったことを、今になって悔やんでいるのだ。
最近は、秀香とおかあさんは、学校に行くか行かないかで、毎日のようにけんかをしている。
そして、いつも最後には、おかあさんが泣き出して、秀香が自分の部屋へ逃げ込む。これは最近の決まりの行動だった。ある日、いつものけんかの後で、秀香が自分の部屋ではなく風呂場にこもってしまった。
「大丈夫?」
あまり出てこないので、おかあさんが心配して風呂場をのぞいた。
「どうしたの?」
秀香が、風呂場に倒れている。
「キャーッ!」
おかあさんは大声で叫んだ。浴槽の中が血だらけになっていた。秀香が、発作的に風呂場で手首を切ったのだ。カッターナイフで左手首を切っていた。
秀香は、ぐったりとして目を閉じている。
「しっかりしてえ!」
あわてておかあさんが、秀香の腕をタオルで縛って止血をした。タオルはすぐに真っ赤になった。
「康平、救急車!」
おかあさんが叫んだ。
「はい」
康平が急いで119に電話をした。
「119です。どうしました?」
「大変です。けが人が…。すぐに、すぐに来てください」
康平は、あわてて救急車を呼んだ。
かつては手首自傷症候群として重大視されていたリストカットが、現代では「リスカ」として、気晴らし食いやセックスやダイエットやピアスとおなじくらい普通の若者(特に女性)の普通の振る舞いになってしまっている。
「リスカ」には軽い「解離」が起こっている場合が多く、血を見て初めてハッとして、生の実感を持つようだ。
それだけ、現代の若い女性たちにとっては、生きる希望が見いだせない状況なのだろう。
彼女たちは、リストカットは死にたいからするのではなく、生きたいからするのだ。
現実が生きづらくて解離した状態から、リストカットで血を見てまた現実に復帰する事を繰り返しているのである。
従来から、結婚して主婦になるということは、男性への<従属>に向けて彼女たちの<主体化>を要求されることだった。
その場合に、女性たちには、子どもを産み育てる<再生産する身体>と、夫専属の娼婦のような<性的身体>の二重の役割が求められていた。
そして、そこから離脱するためには、<生産する身体>としての労働者になるしかなかった。
しかし、職場においても、女性としての役割しか求められていなかった。
現代においても、夫のドメスティック・バイオレンスや職場などでのセクシャル・ハラスメントの問題は解決していない。
特に、1990年代のバブル崩壊以降は、格差社会化が進行し、特に若い女性たちは、非正規労働、貧困、風俗などによる性的搾取、非婚化などによって、ますます生きづらくなっている。
そして、本来は社会のひずみのせいであるのに、あたかも自己責任であるかのように問われて、彼女たちは益々内部で引き裂かれている。
そんな状況では、血を見ることによって自分の「生」を確認する「リスカ」は、ますます増加することだろう。
幸い傷が浅かったので、秀香は入院もしないで、すぐに家に帰ってきた。
でも、左手首には白い包帯がまかれている。
おかあさんによると、医者からリストカットは癖になりやすいといわれたらしい。傷が深かったり、発見が遅かったりすると致命傷になるかもしれないので、おかあさんはびくびくしている。
両親は、しばらく秀香の不登校を、黙って見守ることにした。
康平には、秀香に何もしてあげることができない。
リストカット以来、秀香は部屋に引きこもったまま出てこなくなってしまった。
(部屋で何をしているのだろう?)
ある日、康平は思い切って秀香の部屋にいってみた。
トントン。
ドアをノックした。
「誰?」
「ぼく」
「鍵がかかっていないから、入っていいわよ」
意外にも、秀香はあっさりと部屋の中に入れてくれた。
秀香は、もう左手首に包帯を巻いていなかった。
「ほら」
康平は、秀香に左手首の傷を見せられた。白い細い線になっていた。
「もうこんな馬鹿なことやらないから、心配しないで」
秀香は、笑いながらいっていた。
耕平は、それを聞いて少しだけ安心した。
1989年に出版されたいわゆる「ボブ・グリーン」物のうちの一冊です。
このころ、作者は日本で非常に人気があったので、彼がすでに出版している本だけでなく、新聞に発表されたコラムそのものを訳して、雑誌などに載せることがありました。
この本もそんな一冊で、訳者は出典を明確にしていませんが、シカゴ・トリビューン紙に発表されたコラムから選んで訳し、「週間プレイボーイ」誌に連載されたコラムのうち、1987年から1988年にかけて発表された45本のようです。
作者自身が選択に関わっていないこともあり、内容は玉石混交(なにしろ、毎日のようにコラムを書いているので、すべてが傑作とはいきません)で、どうやら日本人に受けそうなコラムを選んだようです。
そういった意味で、内容について評価しづらいのですが、ひとつ気になったのは、作者が彼のコラムの持つ影響力を意識して、それを使って個人や事柄に影響を及ぼすようなコラムが増えてきたことです。
こうなると、対象の人たちは、一記者に対するのではなく、有名人「ボブ・グリーン」に対するようになってしまいます。そうすると、コラムの内容の信憑性や中立性に疑義が湧いてきます。
椎名誠や沢木耕太郎に関する記事でも書きましたが、ここにもいわゆる有名人の無残があるようです。
三人に共通するのは、若くして成功し有名になり、それゆえに有名人であることに毒されて、書くものの内容が堕落していったことです。
三人とも大好きな作家だっただけに、残念な気持ちでいっぱいです。
2018年のカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したイタリア映画です。
イタリアの閉ざされた山間のたばこ農場を背景に、搾取、差別、貧困など、多くの問題を描きつつ、そこに住む最下層の青年ラザロの無垢な魂を描いています。
洪水で閉ざされた村人たちに小作人制度が廃止されたことを知らせずに、搾取を続ける公爵夫人と農場の管理人。
その村人たちに差別されこき使われているラザロ(軽度の知的障害があると思われます)。
幾層にも連なる差別の構造の中で、誰も恨まずに黙々と働きつづけるラザロの無垢な魂が描かれます。
この搾取構造は、公爵夫人の息子の狂言誘拐事件をきっかけにして警察に摘発されて、村人たちは解放されます。
ここまでは、実際に1980年代にイタリアであった事件をモデルにしているそうです。
そこから、時代は現代になります。
解放された村人たちは幸福になったわけではなく、社会の最下層で強盗や詐欺をして生活しています。
一方、農場に取り残されたラザロは、その時に崖から転落するのですが、そこからタイムスリップして現代に現れます。
どうやら、彼はいったん死んで、生き返って聖人になったようです(年を取らない、寒さを感じない、食べ物が必要でない、排泄もしない、教会で演奏されていた音楽が彼について来るなどの不思議なことが次々に起こります)。
しかし、ラストでは、彼を理解しない一般大衆に狂言銀行強盗と誤解されて袋だたきにあいます。
この後半のファンタジーの部分は多分に宗教的なのですが、日本人の私には理解できないこと(狼との関わり、教会との関係など)部分が多かったです。
社会の暗部を舞台に、知的障害者の無垢な魂を描いたイタリア映画というと、ネオレアリスモの代表作であるフェリーニの「道」を思い出しますが、あの映画では主人公のジェルミソーナの無垢な魂が狂暴な大男ザンパノの魂を救ったのに対して、この映画ではラザロの無垢な魂は誰も救えず、それだけ現代の絶望は深いのかもしれません。
しかし、それにしても、ラザロを演じた新人アドリアーノ・タルディオーロの姿(特に瞳)は、まさに純粋無垢そのもので、彼がいなければこの映画は成立しなかったでしょう。
1976年に出版された「ジョニー・デッドライン」という作者の最初の本から、作者自身が約50編を選んで翻訳されて、1989年に出版された本です。
新聞にコラムを書きはじめた二十代(初めて任されたのは23才!)から三十代の初めにかけてのコラムなので、作者自身も認めているように稚拙な部分もありますが、街に飛び出して自分自身でコラムのネタを探し出して書くという彼のスタイルが良く表れています。
後年の円熟味はないけれども、その分、変な保守性がなくて、その視線は対象に対してニュートラルに注がれています。
日本語の題名は妙に気取ったものですが、いつも締め切りに追われて、コラムのネタを探し回っている(彼自身認めているように、時にはかなり作為的です)作者を、原題の「ジョニー・デッドライン」は良く現しています。