現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ビリッケツなんかに、なりたくない!

2020-02-16 10:45:15 | 作品
「これ、運動会の招待状」
 朝ごはんのときに、おとうさんにわたした。
「どれどれ」
 おとうさんは、ウインナをはさんだパンをほおばりながら開いている。
「一年生は、五十メートル走と、鈴割りに、だるま運びか」
 招待状のはじには、ユウキの目標も書かれている。
「もしかして、『四とうになりたい』の『なり』がぬけてるんじゃないか?」
 招待状を見ながら、おとうさんがいった。
「えっ?」
 あわてて、招待状を見てみる
『四とうにたいから がんばるからみにきてください』
 急いで書いたので、うっかりぬかしてしまった。
「四とうって、五十メートル走のことかい?」
 おとうさんが、またパンに手を伸ばしながらいった。
「うん、そう。練習で五人で走って四等だったから」
 ユウキがそう答えると、
「ずいぶん遠慮した目標なんだなあ。どうせなら一等になりたいって、書けばいいのに」
って、おとうさんにいわれてしまった。
「そんなの無理だよ。一等の子なんて、ビューンって、このくらいのスピードで走るんだよ」
 ユウキは、手を左から右へ、サッと動かしながらいった。
「ふーん」
 どうやら、おとうさんをがっかりさせてしまったみたいだ。
「一等じゃなくて、四等って書くところが、ユウちゃんらしいところなんだから」
 台所で目玉焼きを作っていたおかあさんが、助け舟を出してくれた。

 去年、幼稚園の運動会で、年長さんのかけっこでユウキは四人で走っての四等。
 つまり、ビリッケツだった。
 その前の年の年中さんのときは、ビリから二番目だったからがっかりしていると、
「ユウちゃんは本当はもっと速いんだけど、コーナーで他の子に先をゆずっちゃったからだよ。しかたないんじゃない」
と、その時も、おかあさんがなぐさめてくれた。
 たしかに、運度会が行われた幼稚園の園庭は狭いので、まっすぐの所はちょっとしかない。だから、コーナーを何番でまわったかで、順位が決まってしまう。
 今年の運動会は、小学校の広い庭でおこなわれる。走るコースもきちんと分けられているし、五十メートル走はまっすぐだけだから、思いっきり走れる。
「おとうさんは、小学生のころ、運動会じゃ、いつも二等、いや一等の時だってあったんだぞ」
 おとうさんが、得意そうにいった。
「あらあら、おとうさんって、そんなに足が速かったかしら」
 たしかに、太っておなかが出ている今のおとうさんからは、とても想像できない。
「速かったって。もう少しで、リレーの選手にだってなれるところだったんだぞ」
 おとうさんが、むきになっていった。
「本当? 天国のおかあさんにちかって、そう言える?」
 おかあさんがそういうと、
「……」
 おとうさんは、急に顔を赤くしてだまってしまった。
 「天国のおかあさん」というのは、おとうさんのおかあさんのことだ。
 おとうさんが小学生の時に死んじゃったから、もちろんユウキは知らない。
 おとうさんは 小さい時から、
「天国のおかあさんにちかって、本当か?」
って、いわれると、絶対に嘘がつけないのだそうだ。
 おかあさんは、それを世田谷のおばさん(おとうさんのおねえさんだ)から聞いて、おとうさんの言うことが怪しい時にはいつも使っている。だから、おとうさんが一等になったことがあるというのは、どうも怪しいようだ。

「よーい」
 ドン。
 スタートのピストルが鳴った時、ドキンとしてしまった。思わず手足がこわばって、スタートで遅れてしまった。
 他の四人はいいスタートをきっている。ユウキは、あわてて後を追いかけ始めた。
 走りながら、前の人たちをキョロキョロとながめた。
 この前ビリッケツだった林くんも、今日は前を走っている。
 林くんとの差はまだ1メートルぐらい。
 でも、林くんはけんめいに走っている。とても追いつけそうにない。
(もうだめだ)
と、思ったら、足に力が入らずにフニャフニャとしてしまった。
 ユウキは、わざと手足をチャランポランにしながら、ゆっくりとゴールインした。
 ゴールでは、林くんとの差は3メートルぐらいに広がっていた。断然のビリッケツだ。
「北野くーん。もっとまじめに走りなさい。ビリだって、ぜんぜんかまわないんだから、ちゃんと走らなきゃだめよ」
 スタート地点で、担任の谷山先生がどなっている。
 『ビリ』って言葉に、ユウキは思わず顔を赤くしてしまった。

 ユウキは、とぼとぼと到着順に並んだ列の方に向かった。
「ユウちゃん、一緒、一緒」
 五等の列から、声をかけてきた子がいた。なかよしのリョウちゃんだ。小さいころから太っていて、幼稚園の 時もかけっこはいつもビリだったから、もう平気なのかもしれない。
 ユウキは、
(今日は、本気で走らなかったんだから、ビリッケツでもいいんだぞ)
って、顔をして、列のうしろに並んだ。
 こうしてみると、リョウちゃんだけではなく、五等の列にいる子たちは、いかにも足が遅そうだ。ユウキは居心地悪そうに、列の一番うしろに腰をおろしていた。
 と、その時、前の方から 笑い声がおこった。
 コースでは、次の組が走り出していた。五人のうち、一人だけがすごく遅れている。
 シュンくんだ。手と足の動きがバラバラで、ギクシャクギクシャク、まるで操り人形のように走っている。
「シュンくんって、ほんとに遅いなあ。」
 リョウちゃんが 大きな声でいった。自分より遅い子を見て、すごく嬉しかったみたいだ。細い目がますます 細くなって、鉛筆で描いた線みたいになっている。
「うん。シュンくんとなら、歩いても 勝っちゃうよな」
 他の子もいった。
(あーあ。シュンくんと同じ組だったらなあ。絶対に、ビリッケツなんかに ならないのに)
 ユウキもそう思いながら、ゆっくりと走ってくるシュンくんをながめていた。
 と、その時、急にとんでもないことを思い出した。年中さんの運動会で、ユウキがビリから二番だった時、ビリッケツは シュンくんだったのだ。そうすると、今まで運動会で勝てた相手は、シュンくん一人だけってことになる。
シュンくんとは、幼稚園の年中さんの時から、ずっと一緒のクラスだった。
おかあさんの話だと、一才になるかならないかの時に、公園の砂場で会ったのが最初だっていう。もちろん、
ユウキはそんなことは覚えていない。
 でも、気がついたら、いつもユウキのそばにいた。
 シュンくんの誕生日は、三月三十日。お誕生会は一番最後だった。それに、未熟児で産まれたとかで、体がすごく小さかった。今でも、背の順はクラスで一番前だ。そのうえガリガリにやせている。きっと体重は、二十キロもないかもしれない。
 シュンくんは、体が小さいだけでなく、運動がからきしだめだった。サッカーをやれば、ボールの上にのって しりもちをついてしまう。野球では空振りばっかりだ。小学生になったのに、自転車の補助輪が取れていない。とにかく、運動はなんでもクラスで一番へたくそなのだ。
 シュンくんの名字は亀岡だ。だから、クラスの男の子たちは、シュンくんのことをかげでは「ドンガメ」って 呼んでいる。
 みんなが、次々にゴールインしてきた。
 でも、シュンくんはまだだ。みんなからは、10メートル以上も引き離されていた。相変わらず、手と足の動きがバラバラで、ギクシャクギクシャク走っている。
「亀岡くん、がんばって」
 谷山先生が、声援を送っている。
 それに 応えるように、ようやくドンガメ、じゃなかった、シュンくんが ゴールインした。
 でも、シュンくんは、平気な顔をしている。ビリッケツになることなんか、もう慣れっこになっているのかもしれない。
「ユウちゃんもかあ」
 そういいながら、シュンくんは ユウキのうしろへ並んだ。
(あーあ)
 ユウキは思わずため息をついた。シュンくんと同じだと思うと、ビリッケツになったのが、ますますゆううつになってしまった。
「それじゃあ、これで徒競走の練習を終わります」
 先生が、みんなに向かっていった。

 次の朝、思いがけないことが起こった。
「昨日のダルマ運びの練習で、中川くんがころんだでしょ。その時に、足をねんざしてしまったの。さいわい、中川くんのけがはひどくありませんでした。でも、大事をとって、運動会は見学ということになったのよ。そのため、五十メートル走で、中川くんがいた第四組は 四人だけになってしまったのね」
 五十メートル走は、ひと組あたりほとんど五人で、六人の組もあった。
「四人じゃ少ないので、第四組の人たちを、他の組へ分けることにしました」
 最後に、谷山先生がそうみんなに説明した。
「……。岡本くんは二組、亀岡くんは三組、……」
(えっ、シュンくんが 同じ組に!)
 ユウキがそう思った時、
「超ラッキー!」
と、いきなり叫んだ子がいた。同じ三組の林くんだ。
「林くん、静かにしなさい」
 先生にしかられて、林くんがペロリと舌を出したので、みんなは大笑いした。
 でも、本当はユウキも林くんと同じ気持ちだった。
(ドンガメの シュンくんと一緒なら、もう絶対大丈夫だ)
六人で走っての五等と、五人で走っての五等。同じ五等でも、ぜんぜん違う。だって、ビリッケツじゃないんだから。
 ユウキは、シュンくんの席の方に振り返った。
(あれっ?)
 どういう訳か、シュンくんの姿も見えない。
「そうそう。亀岡くんも、今日はお休みです」
 先生が、シュンくんの席の方を見ながらいった。
(まずいぞ。絶対にまずいぞ。シュンくんも 運動会をお休みしたら、またぼくが五十メートル走でビリッケツになってしまう)
 ユウキが心配していると、
「でも、亀岡くんは軽い風邪なので、運動会には出られるそうです。だから、五十メートル走は さっきの組み合わせでやります」
 先生が、そう付け加えてくれた。
(ああ、よかった)
 ユウキは、ホッとしていた。

 その週の木曜日、秋分の日で、学校はお休みだった。
 ルルルルー、ルルルルー、……。
 朝ごはんの時、電話がかかってきた。すぐにおかあさんが出てしばらく話していたが、途中でユウキに向かっていった。
「ユウちゃん、シュンくんのママからよ」
 おかあさんは、ユウキに子機を差し出した
「えっ?」
 電話に出てみると、
「シュンが、どうしても運動会に出たくないって、言ってるのよ」
って、シュンくんのママがいった。
「どうして?」
「五十メートル走の時、みんなに笑われたくないんですって」
ビリッケツには慣れっこでも、笑われるのは やっぱり嫌だったらしい。
「……」
「それで、ユウちゃん。悪いんだけど、誰も笑わないから大丈夫だって、シュンに言ってもらえないかしら」
 シュンくんのママは、涙声になっている。
「でも、ぼくが言っても、……」
「ええ、本当に悪いんだけど。ほら、あの時も、ユウちゃんのおかげで、……」
シュンくんのママがいったあの時っていうのは、幼稚園に入ってすぐのことだ。
 そのころシュンくんは、幼稚園でなかなか友だちができなかった。何をやるのもとろいから、みんなに馬鹿に されてしまったんだ、
 シュンくんは、とうとう幼稚園を休むようになってしまった。
 その時、ユウキはおかあさんと一緒に、毎朝、シュンくんの家まで迎えにいってあげた。
 それでも、初めはなかなかうまくいかなかった。
 どうしても、
「幼稚園なんか、行きたくない」
って、シュンくんが言いはったのだ。
 でも、しばらくして、ユウキと一緒だったら幼稚園に行かれるようになった。そして、それからは、だんだん 平気になったようだ。
 だから、シュンくんのママは、今回もユウキに説得して欲しいようだ。
 でも、ユウキは、シュンくんのママの話を聞きながら、ぜんぜん違うことを考えていた。
(シュンくんが運動会に来ないと困るぞ。絶対に困るぞ。シュンくんが来ないと、ぼくが五十メートル走で、ビリッケツになっちゃうじゃないか)
 ユウキは自分のために、シュンくんを説得しにいくことにした。

 一人っ子のシュンくんの部屋は、二階にある南向きの広い部屋だ。ベッドの反対側には、ピアノまで置いてある。シュンくんは、スポーツはだめだけれど、音楽は得意だった。特に、ピアノは小さいころから わざわざ電車で通って、有名な先生に習っている。
 ユウキが部屋に入っていくと、シュンくんはベッドで布団を頭までかぶっていた。
「おっす」
 あいさつしたが、返事がない。
「シュンくん。ユウキだよ」
 何回か声をかけたら、ようやく顔を出した。布団から首だけ伸ばして、本当にカメみたいだ。
「シュンくん、五十メートル走なんか、平気だよ。みんな、笑ったりしないよ」
 ユウキがそう言うと、
「笑うよ、笑う」
 シュンくんは、顔をしかめながら言った。
「笑わないったら」
 ユウキは、布団を ひっぱって言った。
「笑うったら、笑う」
 でも、シュンくんは、強情に言いはっている。
「じゃあ、笑われないようにしたら、いいじゃん」
 とうとうユウキが 言った。
「えっ、どうやって?」
 シュンくんの小さな目が、キロッと光った。
「えーっと、みんなが笑うのは、シュンくんがビリッケツだからじゃないんだよ。走るかっこうがおかしいからなんだ」
 ユウキは、けんめいに考えながら話していた。
「ふーん」
 どうやら、シュンくんは 興味を持ったようだ。
「だから、ちゃんとしたかっこうで走れば、大丈夫だよ。たとえビリッケツでも、みんなは笑わないよ」
 ユウキは、自信満々に断言した。
「うん、でも、どうしたら、ちゃんと走れるようになるの?」
 そのとき、シュンくんがたずねてきた。
「うーん」
 そう聞かれると、ユウキにもいいアイデアがなかった。

 とうとうシュンくんを説得するのをあきらめて、ユウキは家へ戻っていった。
「やあ、ユウちゃん」
 公園のそばで、リョウちゃんに出会った。
 と、その時、ユウキの頭の中に、ピカッとひらめいたものがあった。
「そうだ!」
 ユウキは、シュンくんの家に引き返そうと走り出していた。
「おーい、どうしたの?」
 うしろでは、リョウちゃんが不思議そうな顔をして見送っていた。
 ユウキは、またシュンくんの部屋に戻ってきた。シュンくんは、相変わらずカメのように布団から チョコンと顔を出している。
「シュンくん、リョウちゃんのおねえさんって、知ってる?」
 ユウキは、シュンくんに向かって言った。
「うん、ユミカさん」
 どうやら知っているみたいだ
「そう、そのユミカさんに、五十メートル走を特訓してもらおうよ」
 ユウキは、シュンくんに提案した。
 ユミカさんというのは、リョウちゃんの中学生のおねえさんだ。デブのリョウちゃんとは、ぜんぜん似てなくって、スラッと背が高い。中学では、陸上部の短距離の選手だそうだ。
「特訓すれば、みんなのように、ちゃんと走れるようになるかな?」
 シュンくんが、ユウキにたずねた。
「そうだよ。特訓すれば、絶対に大丈夫だよ」
 ユウキは、念を押すように言った。
「そうかなあ?」
 なかなか信用しない。
「走るかっこうさえおかしくなければ、ビリッケツでも、ぜんぜんはずかしくないよ」
 そう言いながら、ユウキは なんだかへんなきもちだった。
(天国のおばあちゃんにちかって、ビリッケツがはずかしくないって、言えるか?)
 そんな声が、どこからかきこえてくるようなきがする。
 でも、とうとうシュンくんはベッドからでてきて、さっそくリョウちゃんの家へ行くことになった。
(本当はうそをついています。シュンくんに 運動会を休んでほしくないのは、シュンくんのためではありません。自分が、ビリッケツになりたくないからです)
 ユウキは心の中で、天国のおばあちゃんにそっと告白した。

「ふーん」
 ユウキの話を聞き終わると、ユミカさんは一つ大きなため息をついた。
 ユミカさんの部屋には、ユウキとシュンくんだけでなく、リョウちゃんも一緒に来ていた。二人だけでなく、リョウちゃんも特訓を受けることになったからだ。やっぱりビリッケツになるのは、少しは気にしていたみたいだ。
 リョウちゃんとユウキの目標は、四等になること。そしてシュンくんは、ビリでもいいから、みんなに笑われないようにきちんと走れることが目標だった。
 もちろんユミカさんは、いつも運動会で大活躍していただろう。そんなユミカさんには、三人の小さな小さな願いが、まだ信じられないようだ。
 ユミカさんは、目がぱっちりしていてアイドルみたいな顔なんだけど、髪を男の子のように短くしていて、少しこわそうに見える。
 三人は緊張しながら、ユミカさんの返事を待っていた。
「よーし。いいよ。引き受けた。でも、あたしの特訓は、厳しいよ。それでもいい?」
 とうとう、ユミカさんがOKしてくれた。
「お願いしまーす」
 三人が声をそろえていうと、ユミカさんはやっとニコッとしてくれた。浅黒く引き締まった顔に、真っ白な歯 だけがピカッと光っている。

 ユミカさんは、さっそく三人を近所の公園へ連れていった。いつも、みんながサッカーや野球をやっている所だ。もっとも、ユウキたちは、運動が苦手なのであまり参加していなかったけれど。
 公園は、いつもと違ってガランとしていた。休日なので、みんなどこかに出かけているのかもしれない。
 オレンジ色のジャージに着替えたユミカさんは、足がスラッと長くてとてもかっこいい。中学の陸上部のユニフォームのようだ。
 ユミカさんは、胸にストップウォッチをぶらさげていた。これで、三人のタイムを測るのだろう。なんだか、自分までが陸上選手になったようで、ドキドキしてきた。
「じゃあ、これから、五十メートル走の特訓を開始します。みんな、自分のタイムがどのくらいか、知ってる?」
 ユミカさんは、三人を前に並べていった。
 みんな、いっせいに首を横にブンブン振った。一年生はまだタイムなんか測ってもらってないから、もちろん ぜんぜんわからない。
「じゃあ、最初に測ってみようか。 五十メートルのスタートとゴールを決めるから、みんなは準備体操をやって
て」
 おねえさんは、足で スタートラインを引くと、
「1、2、3、……」
と、数えながら、大またに歩き出した。

「ほら、チンタラやってるんじゃない」
 ゴールラインを引いて戻ってきたユミカさんが、大声でどなった。ユウキたちが、元気なくバラバラに準備体操をしていたからだ。
「もっと、しっかりやらないと、後で体が痛くなっちゃうぞ」
 ユミカさんにそういわれても、準備体操なんてちゃんとやったことがないから みんなうまくできない。
「ほんとに しょうがないねえ。これじゃ、準備体操から教えなきゃなんないじゃない」
 ユミカさんは、あきれたような声を出していた。
「ほら、しっかり曲げて」
「いてててて」
 ユミカさんにぐいぐい体を曲げられて、シュンくんが悲鳴あげている。ユウキとリョウちゃんは、あわててしっかりと準備体操を始めた。
「はい、スタートラインに並んで」
 やっとの思いで、準備体操が終わると、ユミカさんは三人をスタートラインに並ばせた。リョウちゃん、ユウキ、シュンくんの順だ。
「まあ、そろいもそろって、いかにも、かけっこが遅そうねえ」
 フクフクと太ったリョウちゃん。ガリガリのユウキ。それに、幼稚園の子のように小さいシュンくんだ。
「じゃあ、スタートの体勢をして。うーん、そうじゃない」
 ユミカさんが、みんなの手や足をあちこち引っ張って、五十メートル走の特訓が始まった。運動会まであと三日。はたしてぼくたちの目標は達成できるだろうか。

 翌日の金曜日に、運動会の予行練習が行われた。
(「よーい」で、体重を前にかけて、ドンで勢いよく出る。あとはまっすぐ前を見て、腕を大きく振って走る)
 昨日、ユミカさんに教わった『かけっこが速くなる秘密』だ。
「よーい」
 バーン。
 ユウキは、うまくスタートがきれた。隣のシュンくんも、なかなかいいようだ。
 ユミカさんにいわれたように、他の子のことは気にせずに、前だけを見て一所懸命に走った。
 ゴールイン。
(やったあ。四等かな?)
 驚いたことには、シュンくんもビリッケツだったとはいえ、あまりみんなに遅れずにゴールインしていた。一番ひどかったシュンくんが、最も特訓の効果があったのかもしれない。
(やっぱり、特訓して良かったな)
と、思った。
 ところが、ゴール係の六年のおにいさんに連れていかれたのは、いつもの「5」の旗のうしろだった。四等は、林くん。また、少しだけ負けてしまったようだ。
「ユウちゃん」
 五等の列の一番前から、リョウちゃんが笑顔でVサインを送っている。いつもと同じ五等でも、のんきなリョウちゃんは満足しているようだ。
 隣の六等の列のシュンくんも、ニコニコしている。あまり遅れずに走れたし、フォームもずっとましになって いたので、今日は誰も笑う人はいなかった。
(うーん、今日も帰ったら、ユミカさんに特訓してもらわなくっちゃ)
 ユウキは、一人だけ浮かない顔でそう思っていた。

 運動会の朝がきた。すごくいいお天気で、絶好の運動会日和だった。
 今日は、体操着で登校だ。教室には入らずに、校庭にクラスごとに集まった。
「おはよう」
「おーすっ」
 声をかけあいながら、ユウキもクラスのみんなの中に入っていった。
(いた!)
 その中にシュンくんの姿を見つけて、ユウキはホッとしていた。
 昨日のユミカさんの最後の「特訓」が終わった時、シュンくんがポツリとこういったからだ。
「やっぱり、ぼくは、ビリッケツなのかなあ」
(えっ?)
 それまでは、みんなにあまり遅れないだけでも、シュンくんは満足していると思っていた。
 でも、やっぱりシュンくんも、ビリッケツになるのは嫌だったのだ。
 たしかに「特訓」で何回走っても、シュンくんはリョウちゃんにもユウキにもかなわなかった。このままでは、ビリッケツは確実なように思われた。
 と、いうことは、ユウキは、自動的にビリッケツを逃れることになる。
(もしかして、シュンくんは明日休むかもしれない)
 ユウキは、それがすごく心配だったのだ。

 いよいよプログラムの十番目、一年生の五十メートル走が始まった。
 まず、第一組の リョウちゃんが、スタートラインに立った。
 バーン。
 五人のランナーが、いっせいにスタートした。
 ユウキは、心配で伸びあがるようにして、リョウちゃんが走るのを見ていた。
 スタートで少し出遅れたリョウちゃんは、それでもけんめいに前を追っかけている。特訓のおかげか、前後に 腕を大きく振ってなかなかいいフォームだ。
 両隣のコースの子たちと、ほとんど一緒にゴールイン。
(やっぱり五等か?)
 いや、六年生のおねえさんに、連れていかれた場所は、四等の旗の所だった。
(目標達成!)
「やったあ。リョウタ、いいぞお」
 観客席のユミカさんが、飛び上がって大声で叫んだ。リョウちゃんも、嬉しそうにそちらへ向かって手を振っている。
(よしっ。いいぞ、いいぞ)
 控えの列の中で、ユウキも小さくガッツポーズをした。

「次は第三組です」
 ユウキたちはいっせいに立ち上がると、スタートラインに並んだ。
「シュンくん、ユウちゃん、がんばれ」
 ユミカさんの大きな声が聞こえた。ぼくたちは、そちらの方に向かって手を振った。
「1コース、……。2コース、林くん」
「はい」
 林くんは右手を上げると、いつものように必死な顔つきで、ゴールをにらんでいる。
「……。5コース、亀岡くん」
 シュンくんは張り切り過ぎたせいか、返事もしないですぐに「よーい」の体勢をしてしまった。
「亀岡くん、まだよ」
 スターターの 谷山先生が、あわてて注意した。
 観客席から、小さな笑い声が聞こえてくる。
「6コース、北野くん」
「はい」
 ユウキは、最後に右手を上げて返事をした。
 でも、まだ頭の中は、いろいろなことを考えてぐらぐらしている。
 一緒に特訓したシュンくんには、がんばって欲しい。
 でも、自分がビリッケツになるのは、やっぱり絶対に嫌だ。
もちろん、林くんもけんめいにがんばるだろう。
 そうなると、いったいビリッケツになるのは、……?

「よーい」
 体重をぐっと前にかける。
 バーン。
 ユウキは、そしてシュンくんも林くんも、力いっぱい走り出した。
 スタートでは、ほぼ横一線だった。ユミカさんの特訓の成果か、ユウキもシュンくんもスタートがうまくなっている。
 でも、自力に勝る他の三人は次第にリードを広げていく。
 問題は、残りの三人だ。
 林くんが、ややリードした。
(くそお!)
ユウキが、巻き返して並びかける。
「うううっ」
 隣のコースのシュンくんが、うなり声をあげた。
 チラッと横を見ると、必死な顔をして追い上げてくる。
 ユウキも、けんめいにスピードをあげた。林くんも、少し離れた2コースでがんばっている。
 三人がまたほとんど並んだ所が、ゴールだった。
 順位の旗を持った六年生たちが、いっせいに駆け寄ってくる。
 はたして、ユウキは何着だったのか?
 そして、ビリッケツだったのは、……。


ビリッケツになんか、なりたくない!
平野 厚
平野 厚

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