2004年に日本児童文学学会の四十周年を記念して出版された本の中の論文です。
著者は、児童文学理論とは「児童文学とは何か」という問いかけを含んだ文章としています。
そして、1980年に柄谷行人は「児童の発見」(その記事を参照してください)において、現代児童文学者の児童観を批判したことをきっかけにそのことが熱心に議論されたとしています。
その過程において、「現代児童文学」の出発を支えた「童話伝統批判」で見いだされた「児童ないし、児童文学とは何か」が見直しを余儀なくされました。
そして、児童と大人、児童文学と一般文学の境界が合間になった1980年代以降は、「児童文学」とは、単純に「大人が書いて」「子どもが読む」という定義しかできないとしています。
その前提で考えると、作者が読者の方へ回り込むための「語りの構造」、子ども読者として想定した「読者論」、「大人の書き手」と「子どもの読者」を結びつける「媒介者論」がもっと議論されなければならないと将来の方向が提示されています。
以上の著者の議論には、論理の飛躍があるように思えます。
児童と大人の境界があいまいになっているのなら、むしろ児童文学の読者は子どもに限定されるのではなく、大人も含めて考えなければならないのではないでしょうか。
そうすると、中高校生の男子を中心にして大人や女性も含めた広範な読者を獲得しているライトノベルや、年齢を問わない女性のためのL文学(女性作家が、女性を主人公にして、女性読者のために書く文学)、子どもも含めた広範な読者層に向けたエンターテインメントなどへの検討がもっと必要になってくると思われます。
著者が言うところの「大人が書いて」「子どもが読む」という定義は、現代ではもっと限定された幼年文学(現在では小学三年生ぐらいまでが対象)においてのみ成立しているのではないでしょうか。
児童文学研究の現代史―日本児童文学学会の四十年 | |
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