現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

関英雄「日本幼年童話小史」日本児童文学1989年6月号所収

2016-10-22 07:33:28 | 参考文献
 関自身が最後に断っているように、ほとんどの紙数を戦前の歴史に費やしたために、戦後についてはほとんど触れられていませんが、現代の幼年文学を考えるうえでいくつかの示唆を含んでいました。
 幼年童話が童話から読者対象の年齢を考慮して分化したことは明らかですが、その主要な媒体が雑誌であったことが、その性格を規定してしまったようです。
 少年雑誌、少女雑誌、幼年雑誌という順番で生み出されていった童話雑誌文化は、当時の男尊女卑の風潮を反映しています。
 少年雑誌が男の子向けの作品が多かったことから、少女雑誌がそこから分化しました。
 このように性別に雑誌が構成されると、おのずから読者対象の年齢が上がってしまい、そこから幼年雑誌(男女の区別はない)が生まれました。
 これは、戦後のマンガ雑誌でも同様でしょう。
 ジャンプなどの少年雑誌や別冊マーガレットなどの少女雑誌の読者年齢が上がることによって、コロコロコミックスのような年少の読者向けの雑誌が誕生しました。
 つまり、幼年童話の対象は、まだ性差が大きくない幼少期(幼児、低学年、子どもによっては中学年も含まれるでしょう)だったのです。
 次に、雑誌という形態であったために短編が中心になりました。
 年長向けの雑誌では連載という形態で長編の発表も可能でしたが、年少の読者には次の月まで前の号の記憶をとどめるのが難しかったのでしょう。
 また、識字教育との関連で、使われる漢字も読者たちが学校で習う画数の少ないやさしい漢字に限定されていきます(この風潮は、現在の児童書の出版においても踏襲されていて、編集者から「漢字をかなにひらく」ことが常に要求されます)。
 その一方で、当時の子どもたちがエンターテインメントとして愛読していた講談本(「猿飛佐助」、「真田十勇士」など)は難しい漢字も使われていましたが、総ルビで印刷されていた(これは子どものためというよりは、漢字を知らない大人向けの配慮だったでしょう)ので年少の読者にも読むことができました。
 どちらが字を覚えるのに有効であるかは議論のあるところですが、学校教育の影響力の方が出版社には強かったのでしょう。
 このやさしい漢字を使った短編志向の幼年童話伝統は、1957年に出版された本格長編幼年文学であるいぬいとみこの「ながいながいペンギンの話」で打破されます(ただし漢字制限はされています)が、現在ちまたにあふれている安直な幼年童話(児童文学とは呼びたくありません)群は、おそらく先祖返りしているのでしょう。

日本児童文学 2013年 08月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店

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