現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

J.D.サリンジャー「ヴァリオーニ兄弟」角川文庫版「倒錯の森」所収

2021-02-01 17:35:41 | 作品論

 1943年、サリンジャーが24歳の時に、「サタデー・イブニング・ポスト」に掲載された短編です。
 1920年代のシカゴの退廃した雰囲気(アル・カポネがギャングの帝王として君臨した禁酒法時代)を背景にして、ポピュラー音楽業界(ジャズ、歌謡曲、リズムなど)に彗星のごとく現れたヴァリオーニ兄弟(兄が作曲家(ピアノの名手)で、弟が作詞家(大学の教師で作家としての優れた才能を持っています))の栄光と悲劇を、17年後に彼らを良く知る女性(弟の大学での教え子で恋人)の目を通して描いています。
 現代の読者にとっては、芸術至上主義(しかも、作家(詩人、小説家)を、流行曲の作詞家よりも、比べ物にならないほど価値があるとしています)が鼻につくかもしれませんが、一度でも作品を書いた経験のある人間にとっては、非常に甘美な魅力を持った作品です。
 兄の成功のために一時的に自分の夢を留保して協力する弟。
 派手でギャンブル好きで自分の成功のために弟を手放さない兄。
 兄がギャンブルをめぐってギャングともめたためにおくられた殺し屋に、兄と間違えられて殺された弟。
 17年後、すっかり落ちぶれて住むところもなくなったが、弟の遺稿の長編小説(すでに完成されていたが清書(タイピング)されていません)をタイプして世に出そうとしている兄。
 そんな兄を許して援助する弟の恋人と恩師。
 ベタなストーリーなのですが、20代前半とは思えないサリンジャーの才筆(冒頭のコラムの利用による簡潔で要を得た状況説明、場面転換のうまさ、しゃれた会話、それらしいヒット曲の題名など)が、凡百な作品になることを救っています。

 

 

 

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沢木耕太郎「三人の三塁手」敗れざる者たち所収

2021-02-01 16:23:35 | 参考文献

 昭和33年に、プロ野球の巨人軍に集った、三人の三塁手の運命について描いています。

 一人は、もちろん長嶋茂雄。

 私より年上の世代にとっては、プロ野球のスーパースターというよりは、神様のような存在です。

 しかも、それは、その後に現れたスポーツ界や芸能界のスーパースターたちとは比べることができないほどの絶対神だったのです。

 私の父も、長嶋の熱狂的なファンで、高校教師の仕事をサボって、後楽園での長嶋の引退試合を見に行ったほどでした(消化試合の平日のデイゲームが超満員になりました)。

 私の高校時代の友人も同じく長嶋の熱狂的なファンで、同じ試合を見に行っています。

 私(ということは友人も)と父とは37歳違いなのですが、これだけ歳の違った男性ファンを等しく熱狂させたスーパースターは、他には考えられません。

 後の二人は、くしくも長嶋と同い年で、一人は長嶋の控えに甘んじて数年で引退し、もう一人は長嶋に追われて二塁手にコンバートされ、やがては他チームへと流れて行きました。

 引退後の二人の人生は対照的でした。

 一人は、現役時代の過去を忘れて実生活で成功します(プロ野球選手としては欠点であった、彼の優しさとか気遣いとかが、会社員としてはプラスに働きました)。

 もう一人は、現役時代を引きずったまま、水商売の世界を漂流します。

 作者の最大の特長である、取材対象への深い愛着が、この作品でも生きています。

 長嶋はもちろん、その他の二人にも、成功者と敗北者のへだてなく、深い共感(それは、同情というのではなく、もっと対象と同一化したものです)が読後にも残り、読み味をよくしています。

 

 

 

 

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