現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

キッカーズ

2021-02-18 14:17:31 | 作品

 浩一のけったミドルシュートは、けんめいにふせごうとするゴールキーパーの高田の指先をかすめて、水飲み場のタイルにあたった。
「ゴオオル、イン」
 絶妙のパスを出してくれた村井が、大声で叫ぶ。
「やったあ」
 浩一は両手を大きく広げて校舎のそばまで走っていくと、ひざまずいて大きく十字をきった。
 といっても、浩一はクリスチャンでもなんでもない。たんに、外国人選手がゴールを決めた後でやるポーズをまねただけだ。
「3対2で逆転だな」
 かけよってきた村井が、浩一にハイタッチしながらいった。村井は百七十センチもある長身なので、浩一の方はかなり伸び上がらなければならない。
「いくぞお」
 高田のゴールキックで、すぐに試合が再開された。みんなは、公式のサッカーボールよりひとまわりもふたまわりも小さいゴムボールを追っかけていく。
 この「サッカー」には、センターサークルなんてしゃれたものはない。だいいち二つの「ゴール」が、お互いにまっすぐ向かい合ってさえいないのだ。ひとつは、高田が守っている水飲み場。もうひとつは、校庭のはじにある高鉄棒だった。
「パス、パス」
 それでも、六人対六人で行われているミニサッカーは、けっこう盛り上がっていた。

 放課後になると、U中学の校庭は、いろいろなクラブの生徒たちでごったがえしている。
 野球、バレーボール、バスケットボール、陸上競技、……。
 さまざまなユニフォームの生徒たちが、いりまじって練習している。 
 都心にある他の中学と同様、U中学の校庭は非常に狭かった。なにしろ、五十メートル走のタイムを取るのに、校庭を斜めに使うくらいなのだ。
 しかも、地面は土ではなくアスコン(アスファルト・コンクリート)だった。そこに、バレーボールのコートやバスケットボールのコートなどが、いろいろな色の線で描かれている。
(なぜ、バレーボールやバスケットボールを校庭でやるかって?)
 それは、体育館もすでにいっぱいだったからだ。剣道部、柔道部、体操部、卓球部など、どうしても室内でやらなければならないクラブで精一杯だった。
 U中学では、クラブ活動は、週二回までと決められていた。これは、もちろん生徒を勉強に集中させようという、先生たちの考えでもある。
 でも、それ以上のクラブ活動をやるのは、校庭や体育館が狭くて物理的にも無理だったのだ。
 当然、大きな場所を必要とするサッカーやテニスなどのクラブはない。
 だから、浩一のようなサッカーファンは、ゴムボールを使って、校庭のはじにある狭いスペースでやるしかなかった。メンバーは、浩一のクラスを中心とした十二、三名の一年生だった。

「やばい」
 田代が大声で叫んだ。田代の放ったシュートは大きくカーブがかかって外れると、校庭のはずれへと飛んでいく。
(まずい)
 浩一は、思わず目をつぶった。ボールの先に、野球部のライトがいたからだ。しかも、ちょうどフライを取ろうとしている。
「あぶない」
 誰かが叫んだ。
 しかし、ボールはライトの頭に、まるでねらったかのように当たってしまった。
「いてーっ」
 サッカーボールに気を取られたせいか、野球のボールまでがライトの腕に当たった。
「このやろう」
 ライトはグラブを投げ捨てて、こちらへ走ってくる。二年の山下だ。けんかっぱやいので有名だった。
「誰だ、今、けったのは」
 答えなくても、立ちつくしたままの田代を見ればすぐにわかる。山下は、いきなり田代に飛びかかった。
「すみません。すみません」
 必死にあやまる田代を、山下はかまわずボカスカなぐりつける。浩一たちは、あわてて二人を引き離そうとした。
 しかし、山下は、浩一たちにもなぐりかかってきた。他の野球部の人たちも、こちらへ走ってくる。とんだ大騒ぎになってしまった。

「あーあ、ついてねえなあ」
 その日の帰りに、村井がみんなにぼやいた。
「そうだな。ぶつかったのが、山下じゃなければ、なんでもなかったのになあ」
 高田も首をふっている。
 あれから、浩一たちは野球部の連中と乱闘寸前になったけれど、先生たちが間に入ってなんとかおさまった。
 でも、そのせいで、学校としての問題に発展してしまったのだ。
山下になぐられた田代は鼻血を出して、口の中も切ってしまった。田代は医務室で簡単な手当てを受けてから、養護の先生に付き添われて病院にむかった。
殴った当事者の山下は、先生たちに説教された後、処分が決まるまで自宅で謹慎となった。当事者だけでなく、浩一たちサッカー仲間と野球部の連中もさんざんしぼられた。特に、正規の部活ではない浩一たちは、サッカーをやっていたこと自体が注意の対象になってしまった。
「山下は停学かなあ」
 高田がそういうと、
「そりゃ、そうに決まっている。だって、田代に怪我させたんだぜ」
 村井が口をとがらせていった。
「うーん、どうもそれだけでは済まないような気がする」
 浩一は、浮かない表情で二人にいった。

 翌朝、浩一が登校すると、げた箱わきの掲示板の前で、高田と村井が待っていた。
「藤田、見てみろよ」
 掲示板には、昨日まではなかった大きなはり紙がある。
『       告
 放課後に、校庭でサッカーをしている生徒がいるが、クラブ活動の邪魔になるので、今後は禁止する。
なお、昼休みのサッカーは、ゴムボールの使用を条件に認めるが、水飲み場や校舎にぶつけないように十分注意すること』
「ちくしょう、これじゃあ、サッカーなんか、ぜんぜんできねえじゃないか」
 掲示板の下の壁を靴先でけっとばしながら、村井がどなった。気の短い村井は、もうカッカとしている。
「藤田、どうする?」
 対象的に、高田はいつもどおりののんびりした声で、浩一にたずねた。高田はふっくらした体と顔に、象のような優しい目をしている。性格も外見に似ておっとりしていた。
 どうするといわれても、浩一にもすぐには良いアイデアがうかばなかった。昨日のトラブルから、ある程度はこうなることは予測していた。
 でも、学校側が、ここまで素早く対応してくるとは思っていなかった。
 結局、昼休みには、誰もサッカーをやろうとしなかった。

 その日の放課後、浩一は、担任の青井先生に、職員室へ呼びだされた。
「先生、こんちは」
 職員室に顔を出した時、先生は机に向かって本を読んでいた。
「おー、藤田か。ちょっとよそへ行こう」
 先生は、すぐに本を閉じて立ち上がった。
チラリと見えた本の表紙には、「生徒指導の要点」と書かれていた。
 先生は、浩一を面談室へ連れていった。部屋に入ると、浩一にいすをすすめて自分も腰を下ろした。
 先生は上着のポケットから煙草を取り出したが、目の前に浩一がいるのを思い出したかのようにあわててまたしまった。
「何でおまえを呼んだか、わかってるな」
 先生は、浩一の顔は見ずにうつむいたまま話し出した
「はい」
 浩一は、先生をにらみつけるようにしながら答えた。それにひきかえ、先生の方は相変わらず浩一と目を合わせないようにしている。
「昨日の、……」
 先生は、ようやく昨日開かれた臨時職員会議について浩一に話し出した。
 山下になぐられた田代は、今日、学校を休んでいた。鼻血だけでなく、口の中を三針も縫う怪我をしている。
 一方的に暴力をふるった山下の処分をめぐって、昨日臨時職員会議が開かれたことは、浩一も知っていた。
 その結果は、意外にも担任と野球部の顧問から厳重に注意するだけで、山下は停学処分にならないようだった。
 むしろ、クラブ活動でもないのにサッカーをやっていた、田代や浩一たちの方が問題になったとのことだ。
 青井先生は、山下を停学にしないことと引き換えに、サッカーの全面禁止を阻止したことを、自分の手柄のようにさかんに強調していた。
 先生は、最後に、みんなを説得してこれ以上トラブルを起こさないように、浩一に頼んだ。
「先生、なんでみんなに直接話さないんですか」
 浩一は、不機嫌な声でいった。
「ああ。でも、おまえから話してくれた方がいいと思ってな。おまえが、グループのリーダーなんだろ」
「そんなことありませんよ」
「いや、そうだって話だぞ」
 浩一は、ちらっとクラスのおしゃべりな女の子たちの顔を頭にうかべた。
「それに、おまえのいうことなら、村井や高田もよく聞くからな」
 先生は、気弱な笑みをうかべていた。

 高田や村井たちは、教室で浩一の帰りを待っていた。
「サッカーのことだろ。青先はなんていってた?」
 村井は、早くもけんかごしだ。浩一は、いつものように自分の机の上に腰かけると、足をブラブラさせながら、青井先生の話をみんなに伝えた。
「ちくしょう。山下を停学にしないかわりに、サッカーの全面禁止を防いだだと。ぜんぜんわかってねえな。あんな制限をされたんじゃ、もうサッカーをやれやしないじゃないか」
 あんのじょう、村井はすぐにカッカとしている。
浩一は、
(ここに青井先生がいたら面白いのになあ)
と、思った。
「そうだなあ」
 のんびり屋の高田も、いかにも残念でたまらなそうに首を振っていた。
「どうせ同じことだよ」
 浩一は、冷静に答えた。
「どういう意味さ」
 高田が、浩一の言葉にびっくりしたように聞いた。
「どっちにしろ、もう学校じゃサッカーはできないんだよ。だって、考えてもみろよ。たとえ先生たちが許可したって、部活の上級生たちが、ひどいいやがらせをするに決まってるじゃないか」
 浩一はきっぱりとそういうと、みんなの顔を見まわした。 
「じゃあ、どうするんだよ」
 村井が、今度は浩一につっかかるようにいった。
 しかし、浩一にも、これからどうしたらいいか、いいアイデアはなかった。

 このトラブルをきっかけとして、浩一は、放課後だけでなく、昼休みのサッカーもやめた。村井や高田たちも浩一にならって、サッカーをやらなくなった。
 あきらめの悪い何人かは、いぜんとして昼休みにボールをけっていた。
 でも、水飲み場や高鉄棒が使えなくなったので、ゴールは地面にチョークで書いている。人数も少ないし迫力もなく、はなはだ盛り上がらないサッカーになっていた。集まる人数も尻すぼみになり、やがて誰もやらなくなってしまった。実質的にサッカーをやらせなくしようという学校側のもくろみは、まんまと成功したわけだ。
 放課後にサッカーをやらなくなってから、浩一たちは高田の家にある柔道場に集まるようになっていた。
 高田道場は実家の地下室にあるので、夏はひんやりと涼しいし、冬は暖房なしでもけっこう暖かい。練習は、師範である高田の父親が勤めから帰ってくる六時以降なので、今までも、雨の日などには、浩一たちのかっこうのたまり場になっていた。
 三十畳ほどの畳の上に台を出して卓球をしたり、付属の小さなジムで、バーベルやボートこぎなどの筋力トレーニングをやったりして遊んでいる。
 集まるメンバーは、浩一、村井、高田、田代の皆勤組を中心に、常時七、八名はいた。みんな、学校帰りにコンビニで食べ物や飲み物を買い込んでからやってきた。サッカーをやらなくなっても、みんなはけっこう楽しそうだった。
 でも、浩一だけは、サッカーをあきらめたわけではなかった。

「テン、セブン、マッチポイント」
 高田が、指でカウントを示しながらいった。浩一は下山と組んで、村井、吉野のペアと対戦していた。
「よしっ」
 浩一が、カットサーブをクロスに送った。村井が、つっつきで慎重に返す。それを、下山がゆるくつなぐ。吉野がドライブで打ち込んできたが、浩一は、すかさず村井と吉野の間を、きれいなスマッシュでぬいた。
「ゲームセット。よし交替」
 高田が、大声でいった。
「ひと休みしないか」
 浩一は、ラケットをうちわがわりにしながら答えた。
「だめだめ。藤田がやんないなら他のペアに代われよ」
 高田は、ラケットをよこせというように、浩一に向かって手を出した。
「いや、ちょっと話があるんだよ」
 浩一は、ボールとラケットを卓球台の上に置いた。
「話ってなんだよ」
 高田は、ボールとラケットを持ちながらいった。
他のメンバーも、浩一を見つめている。
「サッカーのことなんだけど」
 浩一は、みんなに向かって話し出した。
「また、上級生とトラブルを起こそうってのか」
 村井が、せっかちに話に割り込んだ。
「いや、違うよ」
「じゃあ、なんだよ」
「あせるなよ。今、じっくり話すから」
 そういうと、浩一はみんなを見まわした。
「おれが考えているのは、自分たちの正式なクラブを作ろうってんだよ」
「えーっ。中学のか」
 高田がきいた。
「いや、そうじゃない。自主的なのを作りたいんだ」
「どうしてさ。学校で作ってもらえばいいじゃないか」
 下山が口をはさんだ。下山は小柄でおとなしい生徒だ。先生や学校に対して、どちらかというと従順な感じだった。
「そいつは無理だよ。考えてもみろよ。今あるクラブだけでも手いっぱいなんだぜ」
 浩一がそういうと、高田がすぐにうなずいた。
「そりゃあ、そうだな。ラッシュアワーみたいに、ギューギュー詰めだもんな」
「それに学校のクラブじゃ、やれ顧問だ、規則だのって、制限ばかり多くてつまんないよ。もちろん上級生たちも入ってくるだろうし」
 浩一がそういうと、
「ちぇっ、そうか」
 村井がはき捨てるようにいった。村井は封建的なクラブの上下関係にいやけがさして、バスケット部をひと月で辞めていた。
「どうせ、教えてくれそうな先生もいないしな」
 下山も口をはさんだ。
「それじゃあ、学校には内緒でやるのか」
 村井は、面白くなってきたとばかりにいきおいこんでいた。
「いや、学校には、クラブを作ることを正式に申し込む」
 浩一が答えた。
「なんだよ。さっきは、学校じゃ無理だっていったくせに」
 村井は、すぐに口をとがらせる。
「いや、無理だとわかっていても、申し込んだ方がいいんだ。学校がだめだっていってから、じゃあ自主的にやりますっていえばいいんだよ。はじめから俺たちだけでやると、いろいろ後でうるさいからな」
 浩一は、そこでみんなの顔を見ながらニヤリと笑った。
あの日以来、浩一はいかにスムーズに自分たちのクラブを作るかを、ずっと考え続けていたのだ。根っからのサッカー好きの浩一は、決してあきらめていたわけではなかった。
「そうだな。部員の募集もやりにくいし」
 村井も賛成した。
「いや、おおっぴらに部員を集めるのは考えもんだぞ。上級生の反発をくっちまう。口コミでこっそりとメンバーは集めよう」
「そうかもな。藤田、おまえってけっこう頭が働くな」
 高田が、感心していった。
「成績は良くないのにな」
「うるせえ」
 浩一は、チャチャを入れた村井の頭を軽くこづいた。
「でも、練習する場所はあるのか?」
 吉野が、初めて話に加わった。吉野は、浩一のグループでは例外的に成績の良い生徒で、考え方がつねに現実的だった。
「うん。それがいい所があるんだ」
 浩一は、日曜日に見たグラウンドについて、みんなに説明をはじめた。

 その日、浩一は、祖父の十三回忌に出席するために、両親と一緒に埼玉県の熊谷市へ出かけたのだった。
 浩一たちを乗せた電車は、荒川の鉄橋を渡っていた。意外に水量の少ない川の両側の河原には、野球やサッカーのグラウンドが何面も続いている。日曜日とあって、どこのグラウンドでも、大勢の人々がスポーツを楽しんでいた。開け放した電車の窓から、遠く歓声が聞こえてくる。
「いい所だなあ」
 浩一は、隣にすわっていたとうさんに話しかけた。
「そうだな。今日は日曜日だからいっぱいだな」
 とうさんも、振り返って外を見た。
「いつもは空いてるのかなあ」
「平日はガラガラだって、新聞に出てたな」
「へーっ。A区はいいな。こんなにたくさんグラウンドがあって」
「いいや、このグラウンドは、うちの区の所有のはずだよ」
「本当?」
 浩一は、驚いてとうさんを見た。
「そうだよ。離れてるから、平日は利用者が少ないんだろうな」
 電車が鉄橋を渡り終わった。浩一は、まだグラウンドの方を振り返って見ていた。

 翌日から、浩一たちは他のサッカー仲間を、口コミで勧誘しはじめた。上級生たちを刺激しないように、運動部に入っていない者ばかりだ。
「えっ、荒川? 遠いなあ」
 初めは、グラウンドが学校から離れていることで、チームに入るのをしぶる者も多かった。
 でも、浩一たちの下見の結果、自転車でなら十五分ぐらいで行けることがわかった。そうすると、参加してみようという者が増えてきた。
最終的には、前に校庭でサッカーをやっていたメンバーの、ほとんど全員が加わることになった。全部で十三人。なんとか1チーム分の人数が確保できた。
 さっそく浩一は、職員室に青井先生をたずねた。
「なんだ、藤田、なんの用だ?」
 青井先生は、いつもの気弱な笑みを浮かべていた。
「はい、実はサッカー部を、……」
 浩一は、学校にサッカー部を作ってもらうことと、顧問を青井先生にお願いしたいこと(これは村井発案の嫌がらせだ)を話した。
 あんのじょう、青井先生は表情を曇らせた。
 しかし、その場ではだめだとはいわずに、職員会議にはかると浩一にいった。きっと、自分の責任を逃れたかったからだろう。
 一週間後、サッカー部新設は、予想どおりに、もう部活をするスペースがいっぱいだという理由で、学校側からは認められなかった。こうして、浩一のねらいどおりに、自主的なクラブとしてサッカーチームはスタートすることになったのだった。

「キッカーズ、ファイトッ」
「オー」
「ファイトッ」
「ファイト」
 昨日までの雨ででき上がった水たまりを避けながら、浩一たちがランニングをしている。
 彼らが荒川のグラウンドで週三回練習するようになってから、早くも二週間がたっていた。
 チームはできたものの、みんなはバラバラのウェアを着ていた。トレーニングウェアの者、学校のジャージ姿の者など、さまざまだった。そんな中で、浩一だけは、小学校の時に入っていた少年サッカーチームのユニフォームを着ていた。
 みんなのシューズも、ほとんどがスニーカーだった。ちゃんとしたサッカー用のスパイクをはいているのは、浩一以外には数人いるだけだった。
 ボールも各自の物を持ち寄ってきたので、サイズも模様もまちまちだった。
 しかし、とにもかくにも、チームはスタートしたのだった。
 チームの名前も、Uキッカーズと決まっている。Uというのは、彼らが通っている中学の名前だ。メンバーの中には、学校の部活じゃないから、Uを使うのはまずいんじゃないかという意見もあった。
 でも、住んでいる地域の地名でもあるし、他にいいのが思いつかなかったのでそのままになっている。
 浩一たちが借りられたグラウンドは、縦約百メートル、横はおよそ八十メートルと、かなり大きかった。ほぼ正規のサッカーグラウンドのサイズがある。十人ちょっとのキッカーズが練習していると、広すぎてガランとして感じられるくらいだ。
 グラウンドの両端には、ネットが少し破けているとはいえ、ちゃんとサッカーゴールもある。ゴールのうしろは、丈の高い草むらになっているので、そちらにボールが飛んでもすぐに止まってくれそうだ。シュートが高く外れても、遠くまで取りに行く必要がなくて好都合だった。
 土は砂と赤土が半々で、所々に枯れかかった芝の名残りがあった。グラウンドの下見に来た時に、浩一は土をひとつかみつかんでみた。土はすぐにボロボロとくずれ、風に吹かれて落ちた。水はけはなかなか良さそうだった。
 つまり、ここは、おんぼろのUキッカーズには、もったいないぐらいのグラウンドなのだ。しいて難をいえば、すぐそばを川が流れていることぐらいだった。
 浩一と一緒に下見に来た村井は、川に向かって石を投げながらこういっていた。
「藤田ぁ。ここでやったら、ボールが川に流されて、なくなるんじゃねえかあ」
 たしかに、川よりの所で大きくミスキックしたら、そのままドブンと水に落ちてしまうだろう。特に風の強い日は要注意だ。
「まあ、ミニゲームをやるときは、土手寄りでやろうや」
 浩一は、川のそばを歩きながら答えた。

 その日の練習の帰りに、村井が独りごとのようにいった。
「あーあ、試合がやりてえな」
「そうだな」
 すぐに、何人かが、同感とばかりに答えた。
「藤田、そろそろ試合をやらないか」
 村井は、他のメンバーの賛成に力を得て、浩一の隣に自転車を寄せてきた。
「うん。この前もいったけど、一学期の間は基本練習をしてさ。夏休みにどこかで合宿やってから、試合にした方がいいと思うんだけど」
「でも、パスとランニングだけじゃつまんねえよ」
「ミニゲームもやってるだろ」
「だけど、ここんとこ集まりが悪くて、面白くないんだよ」
 人数が少なくなったのは確かだ。当初は十三人いたのに、少しずつ減っていって今日などは十人をきっている。ゲームばかりやっていた校庭のサッカーと違って、地味な練習が多かったせいかもしれない。ここらで、みんなのやる気を引き出すのも必要なことだろう。
「よし、じゃあ、試合を組んでみるよ」
 けっきょく浩一は、試合をやることをみんなに承知した。

 その晩、浩一は、つい三か月前の小学校時代に属していたFサッカークラブの、進藤コーチに電話をした。Fサッカークラブは、Jリーグの下部組織で大きなクラブだった。
「やあやあ、藤田くん、しばらくだねえ。元気にやってる」
 ひさしぶりに聞くコーチの声は、相変わらず元気いっぱいだった。
「ごぶさたしてます」
「サッカーは続けてるかな?」
「ええ、でも中学にサッカー部がないもんですから」
「そうだったねえ」
 浩一は、そのサッカークラブの中学生チームである、Fジュニア・ユースには入らなかった。中学になると学校も忙しいし、ハードな練習を要求されるジュニア・ユースを続けながらだと、勉強はかなりおろそかになりそうだった。浩一は、そこまでサッカーにかけるほど、自分に才能があると思えなかった。
「それで、今度、友だちとクラブを作ったんです」
「そう、そりゃよかったねえ」
 コーチも、自分のことのように喜んでくれていた。
「ただ試合をやりたいんですけど、相手が見つからなくて」
「そうか。それで電話してきたんだね。だけど、うちのチームのスケジュールもけっこう詰まってるんだよね」
「いえ、二軍でけっこうなんです」
「でも、君たちは中学生のチームなんだろ」
「一年生だけで、まったくの素人集団ですから」
「そうか、それならなんとかなるかもね」
 Fクラブには、一軍の下に、練習試合用にメンバー構成してある二軍が、四チームもあった。各チームのメンバーは、一軍の補欠をしているような上手な者から、まったくの初心者まで、さまざまなレベルの子が混ざっている。

「えーっ、小学生とやるのか」
 浩一の報告を聞いて、田代が不服そうにいった。
「小学生といっても、キャリアは、おれたちよりずっと豊富だよ」
 浩一は、みんなにFサッカークラブの様子を説明した。
「でも、二軍なんだろ」
 下山までが、物足りなさそうにいう。
「そりゃ、そうだけど」
「藤田はレギュラーだったのか?」
 吉野が、浩一にたずねた。
「うん、一応ね。でも、一軍のメンバーも、しょっちゅうかわっていたからな。今度の相手の中にも、一軍経験者が入っているはずだよ」
「まあ、初戦だからな。ここで大勝して、波に乗るってのもいいじゃないか」
 試合と聞いただけで、村井はすっかりはりきっている。
「そうだな。十点以上とろうぜ」
 田代も気を取り直していった。ようやく他のメンバーも乗り気になってきたようだ。
「その意気だ」
 浩一もみんなに合わせて、そう答えた。

 浩一は他のメンバーに合わせて、あえて楽勝説を否定しようとはしなかった。
 しかし、実際には、勝つのはかなりむずかしいと思っていた。小学生とはいえ、本格的にコーチされている彼らのテクニックは、Uキッカーズの比ではない。だから、対戦相手を、一軍でなく、わざわざ二軍にしてもらったのだ。みんなには、プライドを傷つけないように、一軍はスケジュールがいっぱいだったからといってある。
 Uキッカーズでまともな選手といえば、百七十センチ近くの長身を誇る村井とゴールキーパーの高田、そして浩一だけだ。
 村井は、テクニックはないけれど、なにせこの長身だ。ヘディングでなら好勝負ができる。小学生のキーパーは、上のシュートに弱いので、空中戦は特に効果的だった。
 高田の良い点は、球をこわがらないことだ。太っているので動きは少し鈍いが、体をはってゴールを守ってくれるだろう。
正直いって、それ以外のメンバーは、まだあまり期待できない。いろいろな種類のキックをしたり、ヘディングをしたりするのも、まだまともにできない状態なのだ。
 でも、浩一は、なんとしてもこの試合に勝ちたかった。そうしないと、ただでさえメンバーの減っているUキッカーズは、このままつぶれてしまうかもしれない。
 ゲームが決まってから、浩一は一人で作戦を考え続けていた。
今の他のメンバーのレベルでは、まともにパスをつないでいっては、途中で必ずボロが出てしまう。それなら、浩一がドリブルで相手ゴール近くまで持ち込み、村井のヘディングで勝負した方がいい。そして、高田を中心にして、全員でなんとか守りぬく。作戦はこれしかないように思えた。

試合の予定を決めた効果はすぐに現れた。そのことを村井たちがみんなに知らせると、再び練習に参加する者が増え始めたのだ。
「藤田ーっ、試合やるんだって?」
 学校でも、わざわざ浩一の教室まで確かめに来る者もいた。浩一が試合の予定を教えると、みんなはいちように目を輝かせている。いかにみんなが、試合を待ち望んでいたかがわかる。浩一は、試合を申し込んで本当に良かったと思った。
 その週の終わりの練習には、もとの十三名全員が顔をそろえた。これで、なんとか試合のメンバーは集められそうだった。
 浩一たちUキッカーズは、一週間後の試合に備えて、しだいに練習に熱が入っていった。
「それ、それ、ボール、ボール」
「パスだ。こっちによこせ」
 練習の仕上げのミニゲームも、いつになく活気があった。いつもよりも、みんなが声を出している。今までは見られなかったような激しいタックルをする者も出てきた。攻撃でも、ボールにくらいついてなんとかゴールしようという気迫が伝わってくる。
チームの士気も、全体のプレーのレベルも、だんだん上がってきているようだ。浩一は、試合という目標が、みんなのやる気を出させるのにいかに大切かを感じていた。

 試合は、土曜日の午後にFクラブのホームグラウンドで行われた。
 浩一を除くUキッカーズのメンバーは、芝がきれいに刈り込まれたFクラブのグラウンドを見て、すっかり驚かされてしまった。試合前のウォーミングアップの時も、広いグラウンドなのに、みんなはつい一か所にかたまってしまう。だんだん雰囲気にのまれてしまったようで、ふだんの練習のときのような元気が出ていなかった。
「グラウンドは大丈夫だよ。かえってやりやすいんだから」
 浩一は、みんなをはげますように声をかけた。
「そうかなあ。なんだか勝手が違うんだけど」
 ふだんは人一倍元気な村井までが、なんだかおどおどしているように見える。
「ほら、うちのグラウンドはでこぼこしてるだろ。ここの方がたいらだから、パスはまっすぐに通るから」
 浩一はそういいながら、実際にきれいなショートパスを村井に送った。
 ところが、村井はその簡単なパスをトラップミスして、うしろにそらしてしまった。きれいな緑のグラウンドの上を、ボールはコロコロところがっていく。それを、村井がけんめいに追いかけていった。
 こうしたFクラブに対するみんなのコンプレックスは、試合前に整列した時にピークになった。ようやくスパイクだけは全員が買いそろえたものの、Uキッカーズのユニフォームは、いぜんとして何ひとつ統一がとれていない。サッカーらしいのは浩一だけで、テニスウェアあり、バスケットのユニフォームありで、まるで運動会のクラブ対抗リレーでも始めるようだ。
 一方、Fクラブチームは、お揃いのグリーンのシャツに白のパンツ。上部組織のJリーグのチームと同じユニフォームで、ビシッときまっていた。

 ピーッ。
進藤コーチのホイッスルとともに、ゲームは始まった。
 浩一は、短いパスを村井に出してリターンをもらうと、ゆっくりとドリブルを始めた。試合の時にいつも味わう、しびれるような緊張感が体にはしった。
 他のメンバーは、初めての試合の緊張で、顔も体もこわばらせている。浩一は相手のタックルをかわすと、すぐに思い切ったロングシュートを放った。
 ボールは大きく左へそれていく。
(枠をはずれったてかまやしない)
 浩一はそう思っていた。みんなの緊張をほぐすために、わざとロングシュートをけったのだった。
「ナイスシュー」
 遠くから、ゴールキーパーの高田の声が聞こえた。きっと彼には、浩一のねらいがわかったに違いない。
「よーし、やってやるぞ」
 自陣に戻りながら、村井が彼らしいファイト満々の声で叫んでいた。
「がんばろうぜ」
「気合入れていこう」
 吉野や下山からも声が出始めた。立ち上がりのみんなの緊張が少しほぐれてきたらしい。
 先取点を取ったのは、Fクラブだった。
 前半の立ち上がりすぐに、巧みなショートパスを、何本も続けて通されてしまったのだ。こういった攻撃に慣れていないキッカーズのバックス陣は完全に振り回されている。あっという間にゴール前をガラ空きにされて、最後はサイドキックで簡単に決められてしまった。
 キッカーズのメンバーは、浩一が何度大声で注意しても、ボールに気を取られて一か所に固まってしまう。そのため、空いたスペースに、楽々とパスを通されるのだ。
 劣勢を挽回しようと、浩一はいよいよ例のドリブル戦法に出た。
 相手を突き倒すかのように、反則すれすれで強引に突進していった。一人、二人。次々と相手のマークをはずしていく。
 うまくゴールの左側にまわり込んだ。ねらいをすまして、中央で待つ村井へセンタリング。
 村井は、相手のキーパーとせるようにジャンプした。
 ボールは、村井の頭には当たらなかったが、キーパーも取りそこねて前にこぼしてしまった。
 走り寄った浩一が、すかさず押し込んでゴールイン。
 1対1。
 浩一のドリブル戦法が、さっそくうまくいった。
 同点になって元気づいたキッカーズは、その後も必死に相手にくいさがった。圧倒的にボールは支配されたものの、追加点は一点しか許さなかった。
 前半を終了して1対2。思いがけず善戦していた。浩一は、自分の考えたドリブル戦法に、一段と自信を深めていた。
 後半に入ると、キッカーズのメンバーに疲れがみえはじめてきた。スタミナがないせいもあるが、むだな動きが多いのでよけいに疲れるようだ。浩一は、特に疲れのひどいメンバーを控えと入れ替えた。
 Fクラブは、しだいにディフェンスを、浩一一人に集中してきた。おそらくハーフタイムに、コーチから指示されたのだろう。
 浩一のドリブルは、何重にも敷かれた相手の組織的なディフェンスに、引っかかるようになっていった。
「藤田、パス」
 下山が叫んだ。
 相手ゴールまで、三十メートル。まだ、シュートには遠すぎるし、ゴール前で待つ村井へのパスのコースも相手に消されていた。下山は、完全にフリーになっている。
 浩一は、一瞬、下山へパスを出してリターンをもらおうかと思った。
 しかし、次の瞬間、浩一は、二人がかりの相手ディフェンスを、強引にフェイントでかわそうとしていた。
 一人はなんとかかわしたものの、二人目に鮮やかなスライディングタックルを決められて、ボールを取られてしまった。バランスを崩した浩一は、前のめりに転倒した。
「チェッ」
 倒れた浩一のそばをかけていく下山の、舌打ちが聞こえてきた。

 結局、ゲームはUキッカーズの惨敗に終わった。
 1対6。
 後半は一点も取れなかった。
 浩一は、とうとう最後まで、味方にあまりパスを出さずに、強引なドリブル戦法を繰り返してしまっていた。

 このみじめな敗戦以来、Uキッカーズの練習への参加者は、前よりもさらに少なくなってしまった。
 浩一、村井、高田、吉野、それに田代のたった五人。今まで、皆勤だった下山までがこなくなっていた。これでは、ミニゲームもできやしない。
「ちぇっ、みんなげんきんだなあ」
 村井は、つまらなそうにゴールへシュートをたたきこみながらいった。
「やっぱり小学生に負けたのは、ショックだったんだなあ」
 高田は、そういいながらゴールの中のボールを拾い上げた。
「それに、こないだのゲームは、藤田の個人プレーが多すぎたんじゃないか。みんな、信頼してくれなかったから、面白くなかったんだよ」
 吉野が、ズバリといった。
「すまん」
 浩一は、素直にあやまった。パスを出さなかった時の、下山の残念そうな顔がチラッと浮かんだ。
「ちぇっ、吉野よぉ。藤田のせいばっかにすんなよ」
 村井が、つっかかるようにいった。
「本当のことをいっただけだよ」
 吉野は、あくまで冷静だ。
「何をっ。他の奴らが下手だからじゃないか。あれは藤田の作戦なんだよ」
 そう村井がいうと、田代も小さな声でいった。
「でも、やっぱり、ちょっとつまらなかったな」
「すまん。おれ、勝ちにこだわっちゃって。第一戦だから、勝ってはずみをつけたかったんだ」
 浩一は、あの日の作戦について、みんなに説明してあやまった。
「まあ、もうやっちまったんだからしかたがないよ」
 高田が、とりなすようにいってくれた。

 次の練習日にグラウンドに来たのは、浩一、村井、田代の三人だけだった。
「あーあ、ひでえなあ。吉野の野郎は、もう来ないと思ってたけどなあ。まさか、高田のブー公まで来ねえとはなあ」
 村井は悔しそうだった。
 高田の欠席は、浩一にも強いショックを与えていた。いつも控え目だが、ここぞという時に頼りになる高田。いなくなってみると、その存在がますます大きく感じられる。
「チームはつぶれちゃうのかなあ」
 田代もポツリといった。たしかに このままの状態では、Uキッカーズは解散するしかないかもしれなかった。
 それでも、三人は準備体操をしてから、ランニングを始めた。
「キッカーズ、ファイト」
「オー」
「ファイト」
「オー」
 元気のないこと、はなはだしい。ただでさえキッカーズには大きすぎるグラウンドが、ますます広々と見えてくる。浩一は走りながら、未練がましく何度も土手の方を振り返っていた。
 でも、土手の上には誰も姿を見せなかった。

 その後も、浩一たちは練習を続けていた。
三人での三角パス。交代にゴールキーパーをしてのシュート練習。
 でも、三人だけの練習は、ぜんぜん盛り上がらなかった。だんだん声も出なくなって、ただ黙々と決められた練習をこなすだけだった。
(ああ、このままキッカーズはなくなってしまうのかなあ)
 浩一の心の中にも、しだいに絶望感がわいてきていた。

練習が始まって、一時間がたった。
 と、そのとき、
「おーい」
 誰かが呼ぶ声がする。
 振り返ると、土手の上から高田が手を振っていた。
「何だ、この野郎、遅刻だぞ」
 村井がうれしさを隠して、わざとぶっきらぼうにどなった。
「待ってたぞお」
 田代もうれしそうだ。
 その時、高田のうしろから、吉野や他のメンバーが五人も現れた。その中には下山も入っている。
 彼らは、土手をかけおりて、グラウンドへ入ってきた。
「どうしたんだよ?」
 浩一は、先頭にやってきた高田にたずねた。
「みんなを待ってるだけじゃあ、ジリ貧だろ。それで、今日、来る前に、吉野と一緒に、みんなの家へ寄ってさ。昨日の藤田の話をしたんだよ」
 高田は、少し照れているようだった。
「別に、おれたちも、この間の藤田のプレーが頭にきただけで、練習に来なかったわけじゃないんだ。小学生よりへたな自分が嫌になっちゃってさ」
 下山が、みんなを代表するようにいった。
「まだ、一か月も練習してないんだから、あせることはないよ」
 高田が、もう一度いった。
「ちぇっ、このやろう。かっこつけやがって」
 村井が、高田の肩を強くこづいた。
 吉野は、何もいわずにスパイクにはきかえている。
(また、キッカーズを復活させられる)
 そう思うと、浩一はうれしくてそれ以上何もいえなかった。そして、今日は使っていなかった残りのボールをバッグから出した。
「いくぞ」
浩一は、スパイクをはいた吉野に向かって、ゆるいショートパスを出した。

    

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