現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

柏原兵三「定期訪問者」柏原兵三作品集1所収

2017-08-10 16:49:37 | 参考文献
 作者自身(若干脚色してありますが)と思われる主人公の家を、隔週日曜日の夕方に訪れる親戚の五十代半ばの男性について書かれています(その男性は、間の週は別の親戚を訪ねています)。
 幸福そうな家庭を築いている主人公と対比することにより、初老の独身(今風の言い方をすればバツイチですが)男性の孤独な暮らしを際立たせることに成功しています。
 この作品の発表された1970年当時では、このような境遇の中年男性は中流層では珍しかったようで、本人は全く生活力のない人間なのですが、まわりで寄ってたかって結婚や就職などの面倒を見ようとします。
 けっきょく、結婚も仕事もうまくいかないのですが、養老院(現代で言えば老人ホームのような施設です)に居場所を見つけられます。
 現代ではそれでも十分にラッキーだと思われるのに、主人公は男性の面倒を見きれなかったことに罪悪感を感じています。
 非婚率や離婚率が高くなった現代では、このような状況の男性(女性も)は少しも珍しくなく、私自身の体験でもクラス会などに参加すると三人に一人ぐらいはいます(独身の方がそういった場に出席しやすいという理由もあると思われますが)。
 今の若い世代では、その比率はさらに高くなることでしょう。
 そのため、まわりの人たちも昔のようには面倒を見てくれませんが、彼ら(今風に言えばおひとり様)のための環境は整備されているかもしれません、
 柏原の作品は、フィクション化はされていますが、かなりの部分が実体験に基づいていると思われます。
 そのため、この作品もそうですが、自分の血のつながった人たちをここまであからさまに書いて問題ないのかと心配になります。
 少なくとも、私自身はそういったことをする自信がないので、私小説は書けません。

柏原兵三作品集〈第1巻〉 (1973年)
クリエーター情報なし
潮出版社
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三木卓「イトウくん」

2017-08-10 16:46:46 | 作品論
 小学二年生のイトウ・ヨシオくんを主人公にした連作短編集です。
 ひとつひとつの短編はあまりはっきりした形を持っていないので、全体の印象を述べます。
 児童文学研究者の宮川健郎は「声をもとめて」(その記事を参照してください)という論文の中で、この作品を落語のような語り口と評していますが、確かに2010年のこの作品が発行されていた時にはこの老詩人は75歳になっていましたが、「K」の記事に書いように、若々しい文章と語りは魅力的です。
 ただ、孫の世代よりも年下の現在の子どもたちの姿をとらえるのは、さすがに苦しくなっているようです。
 コンビニや野球選手などに同時代性を出そうとしていますが、肝心の子ども像、家庭観が古めかしく感じられます。
 特に、三木の年齢を考えると無理はないのですが、男らしさとか女らしさ、あるいは男女の役割の固定化などジェンダー観の古さは否めません。
 無理に現代の子どもを主人公にするのではなく、三木が子どもだったころのことを書いたり(「K」の時のようなすばらしい記憶力を発揮してほしいものです)、老人になった三木の目で眺めた現代を書く方が魅力的な作品になるのではないでしょうか。

イトウくん (福音館創作童話シリーズ)
クリエーター情報なし
福音館書店
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グードルン・パウゼヴァング「九月の晴れた日に」そこに僕らは居合わせた所収

2017-08-10 16:44:43 | 作品論
 かつて共産主義者だった年取った音楽の先生が、ゲシュタポ(秘密国家警察)に逮捕されて拷問を受け、体だけでなく精神も破壊されてしまった話です。
 それまで、音楽の素晴らしさを教えてくれた先生が、戻ってからは事なかれ主義の無気力な教師になってしまいます。
 教え子の女生徒の記憶として書かれていますが、残念ながら思い出話にとどまっていて、今の若い世代に手渡すための工夫はほとんどなされていません。
 先生の戦後の様子も不明なので、やや尻切れトンボに終わっています。

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶
クリエーター情報なし
みすず書房
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間中ケイ子「猫町五十四番地」

2017-08-10 16:42:29 | 作品論
 2008年の日本児童文学者協会賞を受賞した少年詩集です。
 ここでいう少年は、老年、壮年、青年、幼年と同様にたんに年齢区分をあらわすもので、特に男の子を対象にしたものではありません。
 66編からなるこの詩集は、以下のように三部構成になっています。
1.猫小路
2.十五夜
3.一番星
「猫小路」は、すべて飼い猫を観察したところから生まれた作品のようです。
「十五夜」は、元旦から大晦日まで、歳時記風に並べてあります。
「一番星」は、その他の詩ですが、これらもすべて季節とかかわりがあります。
 全体としては、副題にあるように「詩の歳時記」としてまとめられたもののようです。
 この中で一番すぐれているのはやはり「猫小路」で、短詩と俳句を組み合わせたアイデアが素晴らしいと思いました。
 その他の部分も含めて優れた詩集だとは思いますが、疑問もあります。
 これが「少年詩集」なのだろうかという疑念を、どうしても拭い去ることができませんでした。
 この詩の背後から浮かびあがってくるのは、今現在の間中の視線であって、子どもの視点はまったくありません。
 また、年少の読者に対する配慮も決定的に欠けているように思えました。
 どうも、あとがきを書いている皿海達哉などの同人(学芸大出身者を中心とした児童文学同人誌「牛」)をはじめとした「大人の読者」に向けて書かれたようにしか思えません。
 そういった詩集が、「児童文学者協会賞」を受賞するのは、この賞が仲間内(協会員の大人の児童文学者たち)に向けたものであり、そこでは子どもの存在はすっかり忘れ去られているようです。

猫町五十四番地―間中ケイ子詩集 (子ども詩のポケット)
クリエーター情報なし
てらいんく
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