現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

連作短編集について

2017-08-30 20:25:05 | 考察
 児童文学の世界では、1980年代ぐらいから、連作短編集という形態が盛んにおこなわれるようになりました。
 児童文学研究者の佐藤宗子は、「現代児童文学をふり返る」(「日中児童文学シンポジウム報告書」所収、大阪国際児童文学館、1991年2月28日、この論文全体に関してはその記事を参照してください)において、次のように述べています。
「八〇年代には短編連作の方法が意識的に選ばれるようになったのではないか。八五年の泉啓子「風の音を聞かせてよ」や、八六年の三木卓「元気のさかだち」などは、一遍と一遍の間を、いわば「空所」として効果的に用いているように思われる。きれめなく「筋」をことばで語っていくのとは違った方法であり、読書の思いがそこでたゆたい、ときに惑い、その受けとめ方も多様になる。」
 また、そこには読者の受容力の問題もあるように思います。
 年々読書力が低下するにつれて、長編の「筋」を追っていく能力が子どもたちに欠けてきているように思います。
 「長編」として出版される本も、年を追うにつれてページ数が少なくなり、また活字も大きく、各ページの余白が大きくなっています。
 文字がぎっしり詰まった大長編は、読む前から敬遠されるようになっています(エンターテインメントではハリー・ポッター・シリーズのような例外はありますが)。
 しかし、連作短編とはいえ、一つ一つの短編は独立した作品であるわけで、短編としてきちんと単独で成立していなければならないと思います。
 私の創作の経験においても、長編は長編としての構想がありますし、短編は短編としての書き方があります。
 連作短編だからといってその中間の書き方があるわけでなく、一つ一つはそれだけできちんと短編として読者と勝負できるものを書くわけです。
 もちろん、連作短編全体としての構想はありますが、それはまた別の評価をくだすべきでしょう。
 このブログの「作品論」は「書評」ではないので、これからも個々の短編を独立して評価していきます。
 ただし、連作短編集の場合は、必要に応じて短編集全体に対する記事を書く場合もあります。
 これは、論文集に関してもまったく同様で、個々の論文に対して「参考文献」として記事を書いています。
 また、時には、短編集ないしは論文集において、すべての短編なり論文をこのブログで取り上げない場合もあります(たぶんその方が多いと思います)。
 これからも、自分の興味ないしは問題意識で取り上げる短編ないし論文は限定していきます。
 これは、コモンリーダーと呼ばれる普通の読者の方たちも同様だと思われます。
 なにしろ、我々に与えられている時間は有限なのですから、関心のあることに集中せざるを得ません。
 
 
「現代児童文学」をふりかえる (日本児童文化史叢書)
クリエーター情報なし
久山社
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