作者自身(若干脚色してありますが)と思われる主人公の家を、隔週日曜日の夕方に訪れる親戚の五十代半ばの男性について書かれています(その男性は、間の週は別の親戚を訪ねています)。
幸福そうな家庭を築いている主人公と対比することにより、初老の独身(今風の言い方をすればバツイチですが)男性の孤独な暮らしを際立たせることに成功しています。
この作品の発表された1970年当時では、このような境遇の中年男性は中流層では珍しかったようで、本人は全く生活力のない人間なのですが、まわりで寄ってたかって結婚や就職などの面倒を見ようとします。
けっきょく、結婚も仕事もうまくいかないのですが、養老院(現代で言えば老人ホームのような施設です)に居場所を見つけられます。
現代ではそれでも十分にラッキーだと思われるのに、主人公は男性の面倒を見きれなかったことに罪悪感を感じています。
非婚率や離婚率が高くなった現代では、このような状況の男性(女性も)は少しも珍しくなく、私自身の体験でもクラス会などに参加すると三人に一人ぐらいはいます(独身の方がそういった場に出席しやすいという理由もあると思われますが)。
今の若い世代では、その比率はさらに高くなることでしょう。
そのため、まわりの人たちも昔のようには面倒を見てくれませんが、彼ら(今風に言えばおひとり様)のための環境は整備されているかもしれません、
柏原の作品は、フィクション化はされていますが、かなりの部分が実体験に基づいていると思われます。
そのため、この作品もそうですが、自分の血のつながった人たちをここまであからさまに書いて問題ないのかと心配になります。
少なくとも、私自身はそういったことをする自信がないので、私小説は書けません。
幸福そうな家庭を築いている主人公と対比することにより、初老の独身(今風の言い方をすればバツイチですが)男性の孤独な暮らしを際立たせることに成功しています。
この作品の発表された1970年当時では、このような境遇の中年男性は中流層では珍しかったようで、本人は全く生活力のない人間なのですが、まわりで寄ってたかって結婚や就職などの面倒を見ようとします。
けっきょく、結婚も仕事もうまくいかないのですが、養老院(現代で言えば老人ホームのような施設です)に居場所を見つけられます。
現代ではそれでも十分にラッキーだと思われるのに、主人公は男性の面倒を見きれなかったことに罪悪感を感じています。
非婚率や離婚率が高くなった現代では、このような状況の男性(女性も)は少しも珍しくなく、私自身の体験でもクラス会などに参加すると三人に一人ぐらいはいます(独身の方がそういった場に出席しやすいという理由もあると思われますが)。
今の若い世代では、その比率はさらに高くなることでしょう。
そのため、まわりの人たちも昔のようには面倒を見てくれませんが、彼ら(今風に言えばおひとり様)のための環境は整備されているかもしれません、
柏原の作品は、フィクション化はされていますが、かなりの部分が実体験に基づいていると思われます。
そのため、この作品もそうですが、自分の血のつながった人たちをここまであからさまに書いて問題ないのかと心配になります。
少なくとも、私自身はそういったことをする自信がないので、私小説は書けません。
柏原兵三作品集〈第1巻〉 (1973年) | |
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潮出版社 |