とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

サリー・アン問題の違和感(私の個人的感想)

2023-09-03 01:38:41 | 雑感


と言うことで、自閉症の子供はこれに正答することができない。
(自分視点での理解しかできないため。他者視点に立って「どうだろう」と考えることができない)。

私も幼少時にはどう回答しただろうか、と想定してやってみたが、どうにも正解にも不正解にも辿り着かない形になった。

もし私の幼少期にこのテストをされた場合、どうなっていただろうか。
私の回答は、「どこも探さない」である。それはどうしてか。

そもそもが、この世の人間は嘘をつきまくるし、それに騙された人間はバカにされる。
無意味にキモいダサいと言われ、内発する落胆の心情をも理解することができない。
それがこの世の中の絶対的正義だ。

この場合、サリーが帰ってきた時に、自分の持ち物が別のところに隠されていると言うのはザラである。かつ、それをどこだろうどこだろうと探していると、その間抜けな様を影で笑っている子供たちがいる。一番ショックなのは、自分がそこそこ信頼していた子もそのグループに入っていることだ。

よって、そういう無様な様態は晒さない。どこも探さない。自分の持ち物は隠されて当たり前、盗難にあって当たり前なのだ。
もしうっかり自分がそういう事態、つまり自分の所持品が無くなったことを確認してしまったなら、確認していない振りをし、あるいは確認することは無しに他のことに興味が引かれたと言う様子を周囲に見せ、他に行く。
この場合、周囲の大人、つまり先生や親は当てにならない。
よってこの正解は「どこも探さない」である。
これはサリーがそういう立場にあった場合の行動がそれになる。

一方、サリーがその子供の集団内においてそこそこの地位がある場合は普通にカゴを見て、その後周囲に事情を聞いて探し、発見後はその犯人をハブるかボコす。
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