私はこういう性格なので、よく自分自身はどういうことを考えているのであるか、あるいは世界はどのようなものであって、それは言語化するとどのようなものであるのか、と言うような内的な心理的没入をよくする。
労働とは何か、と言うことを考えた場合、それは人間社会が集合した時に指示職制と現場職制がそれぞれそのまま上と下の社会階層になり、そしてそれが固着した時、現場職制が行う実働を「より」労働と呼称することとなったようにも思う。
ただ、トップが労働をしていない訳ではなく、それぞれの役割に定められた実働をした場合に労働と言って良さそうだ。
さて、この労働はやる気があればあるだけ良いと言うのは誰にでも分かるが、このやる気はどこからやってくるのだろう?
個人の心理からの内発? 外部環境(報酬・地位・名誉)が整っていたら出る?
社会を観察するに、そういう感じではあると思うのだが、私自身を考えてみると、私自身はそれらを肯定しつつも、別の行動原理が働いていることが分かった。
それは「心酔」である。
誰かの意思や、企業理念に惚れた時に、それに対して自分が力を発揮しようと思うのである。
これが誰よりも強い。
一方これの悪い面もあって、もし仮に、その個人や企業がだらしなく、あるいは理念として共感できなかったり、下衆なことをやっていたのであれば、とことんやる気を失って、パワーダウンし、ひどい時にはゼロになり、あるいはマイナス、即ちこの企業はここが悪いと言う指摘をする。
労働とは何か、と言うことを考えた場合、それは人間社会が集合した時に指示職制と現場職制がそれぞれそのまま上と下の社会階層になり、そしてそれが固着した時、現場職制が行う実働を「より」労働と呼称することとなったようにも思う。
ただ、トップが労働をしていない訳ではなく、それぞれの役割に定められた実働をした場合に労働と言って良さそうだ。
さて、この労働はやる気があればあるだけ良いと言うのは誰にでも分かるが、このやる気はどこからやってくるのだろう?
個人の心理からの内発? 外部環境(報酬・地位・名誉)が整っていたら出る?
社会を観察するに、そういう感じではあると思うのだが、私自身を考えてみると、私自身はそれらを肯定しつつも、別の行動原理が働いていることが分かった。
それは「心酔」である。
誰かの意思や、企業理念に惚れた時に、それに対して自分が力を発揮しようと思うのである。
これが誰よりも強い。
一方これの悪い面もあって、もし仮に、その個人や企業がだらしなく、あるいは理念として共感できなかったり、下衆なことをやっていたのであれば、とことんやる気を失って、パワーダウンし、ひどい時にはゼロになり、あるいはマイナス、即ちこの企業はここが悪いと言う指摘をする。
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