【”ウイグル問題”と”メディア”】
— ピーチ太郎2nd (@PeachTjapan2) July 6, 2020
小松靖「ウイグル問題は我々メディアも非常に扱い難い問題。【中国当局のチェックも入りますし】我々報道機関でウイグル自治区のニュースを扱うのはこれまで【タブー】とされてきた。去年、共産党の内部告発の文書が出て、NYTが報じて我々が報じやすい素地が出来た」 pic.twitter.com/JAAi0e6Ojl
ポイント:
1.ウイグル問題は日本メディアが非常に扱い難い問題であった。
2.日本の報道機関がウイグル自治区のニュースを扱うのはこれまでタブーだった。
3.日本の報道においては中国当局のチェックが入る。
4.他所での報道があったために日本の報道でも報道しやすくなった。
5.中国内部の権力闘争が故に、現在主派閥を担っているサイドとは敵対するサイドから、権力闘争での相手方の弱体化を図る手段としてリークがなされたという観測。
展開:
1.
さて、メディアのプライドと言うものは一体どこへ行ったのかと言う話である。
基本的にメディアと言うものは後追い報道を嫌う。一級のスクープがあれば、ダブルトリプルで裏を取った後にそれを報じるのみだ(これを利用して、メドヴェージェフのメッセージが北海道新聞に掲載されたりする=地方紙が先に報じると日本の主要メディアはこれを後追い報道をする姿勢を控えるため、メドヴェージェフの論説は日本に対して全国展開しない)。
速報こそが報道のアイデンティティであり、レゾンデートルであったはずではあるが、しかしそれは既に失われている。メディアも官僚主義になったのだろう。
世界でも似たような現象もあるが、しかしこれは似て非なるものである。
例えば、Wikileaksに何かのリークが乗る。
それをガーディアンが報道する。それをニューヨークタイムズが「ガーディアンの報じたところによれば・・・」とやる。
リークは情報の約定を破るのと同時に、新聞社は破ってはならない情報のルールの線だ。
よって取材記者たちは、情報の約定を守りつつ、スクープを手に入れようとする。
ガーディアンはそのルールを犯したかもしれないが、ニューヨーク・タイムズは犯していない。
それでは中国の内政は? 中国の内政はどうだろうか。
そこに守るべき約定はあるのか? 軍事機密や国政機密ならまだしも、人権弾圧は報じていけない理由はあるのだろうか? その不正は報道が自分のアイデンティティとレゾンデートル、そして自らが自負する正義に照らし合わせて報道すべきものであると考えるが違うのだろうか?
2.
私が個人的に勝手に推測するに、小松靖アナがコメントしている様子は「本来はメディアが報道したくともそれができない背景があった」と言うことが伺える。
ポイントは上記に示した通り、
・中国の検閲がある。
・他報道機関が報道したため、中国側の検閲をすり抜けて後追いと言う形で報じられる。
と言うものであった。
それでは報道機関がある意義とは一体何なのか。
私はここのブログで、報道の意義を次のように作業仮説上において規定している。
「報道とは、広く情報を展開せしむることによってなされる大衆社会の防衛である」。
これがあるから、巨大機関の報道機関とは、正義があり、強い権力を持つことができるのだ。
政府の犬になるためではない。それは中国政府とても同じことである。
そしてそれが実行できない報道機関と言うものは報道機関ではない。
3.
今回報じることができたのは、メディアのすっぱ抜きではなく、小松靖アナの言うには「権力闘争」の上でリークされたものが出てきたということになる。
つまり「メディアが取材に動いていない」(あるいは動いたが、動いたこと自体が問題になるため、権力闘争の上でのリークとなったと言う体を取った)。
それが無ければ、ウィグル問題は表に出てこなかった。中国の権力闘争が無ければ、中国内政における人権問題は外に出ないのである。
メディアはその役割を果たしているか。
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