牙を研げ 佐藤優 P72
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さて、我々にとって重要なのは、一八世紀以降、つまり啓蒙主義移行の近代プロテスタンティズムです。
ここでおきているのは神の場所の転換です。コペルニクス、ガリレオ以降、地球が世界の中心であるという考え、ましてや地球が平面で上と下があるという旧来的な世界観は維持できなくなりました。日本から見て上というのは、ブラジルから見たら下です。日本から見て下というのは、ブラジルから見て上だから、上にいる神というのは意味がない。そのために神の場の転換が起きる。この問題に取り組んだがのシュライエルマッハーという神学者です。
これまで古代中世のの形而上学と結びついて、「上」にあると表象されてきた神が、心の中にいるという転換をシュライエルマッハーはおこないます。こうして、宇宙像と神の場を転換することに成功した。そこから神的なるものの価値の、人間的な価値への転換が容易になったわけです。
例えば人権思想もこの文脈で語ることができます。どういうことか。自然法は中世、古代においてもあります。ところが、自然は、不正で不平等で病気が蔓延しています。なぜかというと、地上と天上の関係はネガとポジののようなものだからです。原罪がある世界においてはすべてが逆になる。この世の中がすべて悪くなっているということは、天上がすばらしいところということの反映です。ところが、コペルニクス以降、天と地という秩序はないから、天が地におりてきて、天の秩序を地上で実現することができるという考え方になる。ですから、人権の思想の根幹にはこういう神権があるのです。
そうすると、人間の心の作用ということと神様が一緒になってしまう。自分の考えることこそが絶対といって、自己絶対化の道を歩んでいく。だから、近代的なプロテスタンティズムを理論化したシュライエルマッハーは、同時にロマン主義の母でもあり、ナショナリズムの母でもあります。
さらに、地上に価値観をおろしてきたことによって科学技術の発展に対する制約がなくなります。啓蒙主義というものが原則として認められる。啓蒙主義というのは、真っ暗いところにろうそくが一本ある。そうすると少し明るい。日本にすればもう少し明るくなるということで、本数をふやしていくほど明るくなる。このように知識がふえてくる。これがエンライトメント(enlightenment:啓蒙思想)です。
その結果、何が起きたか。一九世紀の終わりにおいて、人類は将来の社会をすごく楽観していた。地上に楽園をつくることは可能である、一部に社会問題、労働問題があるけれども、これを克服してすべての人が豊かに暮らすことができるし、疫病からも解放される化学肥料が見つかったので我々は近未来に飢えからも解放される、人類にはばら色の未来があるはずである。そして、我々の文明は未開のアジアやアフリカにも及んで世界全体が幸せになるはずで、天国を地上に実現できるはずだと、こういう考え方が主流になってきました。ナポレオン戦争を最後に戦争の数もだんだん減ってきたということも関係しています。
ところが一九一四年に第一次世界大戦が勃発して、それが全部崩れてしまう。大量虐殺と大量破壊がくりひろげられ、科学技術の知恵が毒ガス、潜水艦、戦闘機のために使われて、到底人類の幸せに結びつきそうもない。
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