とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

「勝てなくてもいいが負けてはいけない」とは何か

2017-05-01 22:44:07 | 文章・日本語・言葉
「勝てなくてもいいが負けてはいけない」とは何か。
この二律背反、矛盾しそうな言葉を丁寧に読み解いて行こう。

私なりに租借すると次のようになる。

この言葉が使われる文脈上では、大抵戦争の結果や予測をして指すことが多いが次のように使われる。
・戦争で勝利と敗北が決定すると、勝者は徹底的に蹂躙し、敗者は徹底的に蹂躙される。
・勝敗決すると、ゲームは進行を続けることはできず、ゲームは終わる。
・この決定的な勝敗をつけず、勝ちという決定を得なくてもいいから、そのゲームの決着を敗北という形をとって終わらせるな、という見方である。
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キリスト教と科学の相関、啓蒙思想と、その直観から来る楽園創生、及びその結果の裏切り

2017-05-01 22:16:38 | 哲学・学術・教育
牙を研げ 佐藤優 P72

 さて、我々にとって重要なのは、一八世紀以降、つまり啓蒙主義移行の近代プロテスタンティズムです。
 ここでおきているのは神の場所の転換です。コペルニクス、ガリレオ以降、地球が世界の中心であるという考え、ましてや地球が平面で上と下があるという旧来的な世界観は維持できなくなりました。日本から見て上というのは、ブラジルから見たら下です。日本から見て下というのは、ブラジルから見て上だから、上にいる神というのは意味がない。そのために神の場の転換が起きる。この問題に取り組んだがのシュライエルマッハーという神学者です。
 これまで古代中世のの形而上学と結びついて、「上」にあると表象されてきた神が、心の中にいるという転換をシュライエルマッハーはおこないます。こうして、宇宙像と神の場を転換することに成功した。そこから神的なるものの価値の、人間的な価値への転換が容易になったわけです。
 例えば人権思想もこの文脈で語ることができます。どういうことか。自然法は中世、古代においてもあります。ところが、自然は、不正で不平等で病気が蔓延しています。なぜかというと、地上と天上の関係はネガとポジののようなものだからです。原罪がある世界においてはすべてが逆になる。この世の中がすべて悪くなっているということは、天上がすばらしいところということの反映です。ところが、コペルニクス以降、天と地という秩序はないから、天が地におりてきて、天の秩序を地上で実現することができるという考え方になる。ですから、人権の思想の根幹にはこういう神権があるのです。
 そうすると、人間の心の作用ということと神様が一緒になってしまう。自分の考えることこそが絶対といって、自己絶対化の道を歩んでいく。だから、近代的なプロテスタンティズムを理論化したシュライエルマッハーは、同時にロマン主義の母でもあり、ナショナリズムの母でもあります。
 さらに、地上に価値観をおろしてきたことによって科学技術の発展に対する制約がなくなります。啓蒙主義というものが原則として認められる。啓蒙主義というのは、真っ暗いところにろうそくが一本ある。そうすると少し明るい。日本にすればもう少し明るくなるということで、本数をふやしていくほど明るくなる。このように知識がふえてくる。これがエンライトメント(enlightenment:啓蒙思想)です。
 その結果、何が起きたか。一九世紀の終わりにおいて、人類は将来の社会をすごく楽観していた。地上に楽園をつくることは可能である、一部に社会問題、労働問題があるけれども、これを克服してすべての人が豊かに暮らすことができるし、疫病からも解放される化学肥料が見つかったので我々は近未来に飢えからも解放される、人類にはばら色の未来があるはずである。そして、我々の文明は未開のアジアやアフリカにも及んで世界全体が幸せになるはずで、天国を地上に実現できるはずだと、こういう考え方が主流になってきました。ナポレオン戦争を最後に戦争の数もだんだん減ってきたということも関係しています。
 
 ところが一九一四年に第一次世界大戦が勃発して、それが全部崩れてしまう。大量虐殺と大量破壊がくりひろげられ、科学技術の知恵が毒ガス、潜水艦、戦闘機のために使われて、到底人類の幸せに結びつきそうもない。

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十字軍遠征は、対イスラムではなく、対コンスタンチノープル正教会の制圧に重心をおく

2017-05-01 22:11:30 | 哲学・学術・教育
牙を研げ 佐藤優 P59

 一神教が非寛容になっていくのは、大航海時代以降、帝国主義の流れが出てきてからです。特定の文明を拡大していこうというなかにおいて、キリスト教と文明が同一視されたことによって起きてくる現象です。だから、むしろ帝国主義の文脈のなかで考えたほうがいい。時代も、規模も異なるけれども、じつは十字軍もその文脈で見るとわかりやすい。十字軍の基本的な目的は財宝をとりに行くことでした。実際、イスラムよりも正教会のほうが財産を持っていたので、十字軍は、イスラムと戦うよりも、むしろコンスタンチノープルとの戦いにウエイトをおいていたのです。
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いわゆる「毒親」の存在

2017-05-01 22:08:17 | 文章・日本語・言葉

毒親 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%92%E8%A6%AA

毒親(どくおや、英:toxic parents)とは、過干渉やネグレクトなどによる児童虐待によって、一種の毒のような影響を子供に与える親のこと。

元々は、アメリカの精神医学者、スーザン・フォワードが著した『毒になる親(原題:Toxic Parents)』[4]から生まれた俗語である[要出典]。この本は、原著が1989年にハードカバーで出版され、日本では1999年にハードカバー版が毎日新聞社から[5]、2001年に文庫版が講談社より出版された[6]。本国では2002年にペーパーバック版が出版されている[7]。

子供に悪影響を与える母親については、母原病など、以前から語られることはしばしばあった。母と娘に限って述べたものとしては、信田さよ子が書いた『母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き』などが比較的初期に当たる。作家や芸能人など、名の知られた女性たちが経験談を本や公共の場で語ったことで、反響を呼んだ[8][9][10][11]。

母による同性間ならではの娘への束縛や虐待(分身としての過度な私物化やコントロール、夫婦間の不満や愚痴のはけ口としての利用など)を受けるも、娘は「母性」神話によって母親を悪者に出来ず、又は気付かずに苦しみ自身の人生を生きられなくなるとされる。支配型の毒母の場合、娘の世話を熱心にみることから、周囲からは愛情深い母親の行為として見られたり、母親の愛を得んがために、その期待に沿って猛進するため、社会的には成功する場合もあり、そのため周囲に苦しみを理解されない娘の苦悩はより深い[12]。母を負担に感じる娘の場合、摂食障害や鬱といった精神的症状が表れる事例が多いといわれている[13]。

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キリスト教プロテスタント カルバン派(長老派) の出生主義と、それに相対する反出生主義

2017-05-01 22:02:01 | 哲学・学術・教育
牙を研げ 佐藤優 P41

 結論から言うと、プロテスタンティズム、なかんずくカルバン派は、人は生まれる前から、救われる人は選ばれていて、天国のノートに名前が載っていると考える。同時に、生まれる前から、滅びに至る人も天国のノートに記されている。しかし、そのことを我々は知ることはできない。
 現実の生活においてさまざまな試練がある。しかし、自分は選ばれている人間んだという確信を持っているから、どんな試練も乗り切ることができ、最終的には「ああ、これでよかったんだ」という人生を歩むことができると考える。いわば刷り込みです。
 だから、プロテスタントの人たちは、苦しみながら最期を迎えたとしても、ふりかえって自分の人生はよかったと思って死ぬ。そういう刷り込みがあるから、特に逆境に津おい。どんな逆境にあっても、それは神の試練であって、救われることが前提になっている。教会に行くことも、自分が教会に来させられていると考える。



反出生主義 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E5%87%BA%E7%94%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9

ショーペンハウアーは、人生は嫌なことの方が多いと主張し、最も合理的な立場は子供をこの世界に生みださないことだと主張する。子供は、親・出生地・時代を選べない点から、ノルウェーの哲学者Peter Wessel Zapffeは、子供が同意なしに世界に生み出されることにも留意している。

親になって子供を育てることは、幸福をもたらすとは限らない。子供の立場から見ても、子供は親を選べない点から、児童心理を知らなかったり、子供を奴隷扱いするなど育児に不適格な親(いわゆる「毒親」)のもとに生まれたら、必然的に子供は不幸になる。

子供を持つ親は、子供のいない家庭と比較して統計的に有意に幸福のレベルが低く、生活満足度、結婚満足度、および精神的健康状態が悪いことをヨーロッパやアメリカの多くの学者が報告し、いくつかの証拠を発見している[1]。
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