とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

キリスト教の始祖は、イエスではない(2)

2017-05-01 21:55:44 | 哲学・学術・教育
牙を研げ 佐藤優 P40

キリスト教はイエス・キリストがつくった宗教ではなくて、イエス・キリストと会ったこともないパウロという人がつくった宗教です。


同前P61

 キリスト教はもともとユダヤ教を母体に生まれています。イエス自身は、自分のことをキリスト教徒とは思っていない。イエスは自分をユダヤ教の改革者だと思っていた。
 イエスが「まむしのやからよ」などと悪口をたくさん言っているパリサイ派(新共同訳聖書ではファリサイ)という人達がいます。第三者的、客観的に見ると、イエスはパリサイ派です。パリサイ派は職人が多かったですが、イエスは大工です。それから彼の言説、立法観もパリサイと共有の認識をしています。国家との緊張関係もパリサイ派に特有なものです。
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反省文と擬似的な罪の自白

2017-05-01 21:50:52 | 労働
牙を研げ 佐藤優 P35

 「うまくやれ」という指示があったときに、何かミスをすることは考えられます。そうすると、組織は、「君のどこに問題があるか、自分の胸に聞いてみろ」といって、まず反省文を書かせるのはよく見られる光景です。反省文を何回か書かされているうちに、具体的な問題点が見えてきて、何度も反省文を書かされて推考しているうちに、どんどんいい反省文になってくる。気づいてみると、みずからの罪を自白することになってしまっていて、処分対象になるというのがだいたいのパターンです。だから、反省文は書かないほうがいい(笑)。


ほんこれ。
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迅速な作戦遂行と奇襲とn次カオス

2017-05-01 21:28:42 | 哲学・社会
ユヴァル・ノア・ハラリは、「ランダムで雑多だが、全体である種の傾向と法則性を見出す」体系のことをカオス系と呼んだ。

その体系は1次カオス系とn次カオス系に分かれる。
1次カオス系は、単純な気象予報や、あるいは保険の料率算定でどれくらいにすればいいのかという予測に使用される。
n次カオス系は、そうした予測が更に結果に影響を与えてしまうという複次カオスである。
株価や戦争予測、あるいは囲碁、将棋、チェスなどのゲーム、麻雀、あるいは対戦相手のいるカードゲーム、ギャンブル漫画「カイジ」などでの限定ジャンケンなどがそれだ。

特に相手がいる場合はn次カオスになりやすく、交渉や、あるいは軍事作戦がそれに当たる。

牙を研げ 佐藤優 P31

 この『作戦要務令』には、独断専行以外にも、皆さんが仕事をしていくうえで役に立ちそうなことが書かれています。もう少し読んでみます。

──敵の意表に出ずるは、機を制し勝を得るの要道なり。故に旺盛なる企図心と追随を許さざる創意と神速なる機動とを以て機に臨み常に主導の位置に立ち全軍相戒めて巌に我が軍の企図を秘匿し困難なる地形及び天候をも克服し疾風迅雷敵をして之に対応するの策なからしむること緊要なり。(「綱領」第九)

佐藤 とにかく意表を突く。意表を突かれた企画、行動だと、相手のほうは想定をしていないのでまずいと思い、その瞬間にバランスを失う。そのバランスを失ったときの人間というのは弱くなるから、そこにつけ込めという発想です。


佐藤氏のこの説明は若干弱いと思うので、捕捉を行う。

チェスや将棋のように、相手の腹の読み合いが発生したならば、相手の想定しない、相手の企図を崩す作戦を時によっては慣行せねばならないということになる。
単に崩す、というだけではなく、相手の勝てる方程式を崩し、自分の勝てる方程式を崩さないということが必要なのである。

その奇襲を行う際にはタイミングが最も必要なファクターだ。
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NHK「サムスン好調やで」→からの→レコチャイ「品質不良問題あるやで」のコンボ

2017-05-01 20:41:06 | 哲学・社会

韓国サムスン電子 業績回復基調が鮮明に
4月27日 20時08分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170427/k10010963581000.html

韓国のサムスン電子の先月まで3か月間の決算は、半導体事業が好調だったことなどから営業利益が48%増え、去年、スマートフォンのバッテリーから火が出る不具合で落ち込んだ業績は回復基調が鮮明となっています。

韓国のサムスン電子が、27日発表したことし1月から先月までの第1四半期の決算によりますと、本業のもうけを示す営業利益は、スマートフォン向けの半導体事業が好調だったことなどから、9兆9000億ウォン(およそ9700億円)と、去年の同じ時期より48%増えました。

サムスン電子の業績は、去年、スマートフォンのバッテリーから火が出る不具合が相次ぎ、世界でおよそ300万台を回収するリコールを行ったため、一時、大幅な減益となりました。

しかし、去年10月以降は持ち直しており、ことしに入り業績の回復基調が鮮明となっています。

サムスン電子は、今月から韓国やアメリカで販売を開始した新型のスマートフォン、「ギャラクシーS8」の売れ行きが好調なことなどから、第2四半期も業績の改善は続くとしています。


↓四日後


サムスンこん身の最新スマホ、赤い画面・接続不良に続きなお問題発覚
2017年5月1日 12時0分
http://sp.recordchina.co.jp/newsinfo.php?id=176843&ph=0

2017年4月30日、韓国・マネートゥデイによると、韓国のサムスン電子が威信を懸けてリリースしたスマートフォンのフラッグシップモデル「ギャラクシーS8」に品質不良問題が相次いでいる。
発売直後から一部製品で表示画面が赤っぽくなる「レッドスクリーン」現象が問題になり、27日にソフトウエア更新で対応したばかりのギャラクシーS8シリーズだが、今度は一部でマイクロSDカードを正しく認識しないという問題が発生している。
特定ブランドのマイクロSDカードだけにこのような問題が発生していることから、ギャラクシーS8に新たに採用した機能・部品に、従来製品との互換性の問題があるのではないかと指摘されている。実際にギャラクシーS8に新たに採用された「消費電流改善機能」によって韓国・東遠T&Iが製造した無線LAN(Wi−Fi)ルーターとの間で無線接続エラーを起こす事例があり、サムスン電子は27日のソフトウエア更新で「レッドスクリーン」問題とともに対応した。
電子業界の関係者は「製造業で不良率ゼロは不可能な上、電子産業の特性上、新製品の初期流通品では不良率が高くならざるを得ない」とし、「(発火・爆発問題が起きた)ギャラクシーノート7(の販売)中止以来、初めて出したギャラクシーS8の品質に対する消費者の関心が高まり、以前は大きな問題にならず製品交換で済んでいた問題にまで(消費者の関心が)膨らんでいるようだ」と話した。
また、移動通信マーケティングの関係者は「ギャラクシーS8の品質について利用者の問い合わせが増えたのは事実」とし、「サムスン電子が(品質問題の)議論にいかに適切かつ迅速に対応するかによって、序盤の売れ行きにさらに勢いがつくこともあり、ブレーキがかかることもある」と述べた。
この報道に対し、韓国のネットユーザーからは「ちゃんとテストをしてから販売してないの?」「なぜお金を払って買った製品の品質テストまで客がしなきゃいけないのか」「以前のモデルより使えない」「サムスン電子の技術力の限界なのかも」「サムスンは(発火問題が起こった)バッテリーに気を取られて、他の部分をおろそかにしている」など、厳しい意見が多く寄せられた。
また、「初期不良の洗い出しに参加された皆様、ありがとうございます。不良が落ち着いてから買おうっと」「新製品は販売直後に買ってはならないということだな」などの声もあった。

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日本人の「死生観」 << への捕捉

2017-05-01 20:38:25 | 海外・国内政治情報等

日本人の「死生観」
2017年04月26日16:06
http://j.people.com.cn/n3/2017/0426/c94473-9208028.html

日本のある宗教についての調査では、「来世」について、日本人の29.5%が「信じる」、40%が「信じたい」と答え、信じると答えた人は若者のほうが多かった。その他、54%が「魂を信じる」と答え、「生きている人は、何らかの形で亡くなった人の世界とつながっている」ことを信じている人も全体の64.9%を占めた。第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」は、このような日本の文化を背景に制作され、公開と同時に社会の話題をさらい、当時最も人気の映画となった。(文:万景路。中文導報掲載)

「おくりびと」では、プロのチェロ奏者だった主人公の小林大悟がある日突然失業し、旅行代理店の求人だと思い込んで受けた面接に合格した結果、「おくりびと」になる。最初のうちは心理的に抵抗があったものの少しずつその仕事に慣れていく。しかし、家族に反対されるなどの挫折を味わい、頭を悩ます。最終的には、数多くの納棺をこなし、この仕事が神聖なものであることを悟り、一人前の納棺師となる。「おくりびと」は、「『死』というのは、遠い新しい場所に通じる扉にすぎない」という信念を伝えている。

これらを考えると、日本人は「生死」に直面しても、落着きと冷静さを保っており、ポジティブでユーモアある感情さえ現れることがわかる。このような特徴を聞くと、日本人にとっての「生死」とはなんなのか知りたくなってくる。

日本には「死生観」という言葉があり、死を通した生の見方を強調する日本人独特の宗教観を示している。親戚や家族が亡くなっても、日本人は声を張り上げて泣き叫ぶことはほとんどなく、涙を流す姿さえあまり見ない。葬式に参列している人は、現実を受け入れるほかないという表情で、動じず、落ち着いていることが多い。その理由を分析してみると、まず、日本は資源が乏しく、災害が多いという自然環境であるため、昔から日本人は人生とは、はかないものであることを悟り、死ぬと清らかで、万物を超越した存在になるという意識が少しずつ形成されてきたことが考えられる。また、いい人も悪い人も、死ねば潔白で、みんな「仏」になれるという意識が形成されてきた。日本人が「死んだらみんな仏様」と考えているのはこれが原因ではないだろうか。次に、小説家の村上春樹は「ノルウェイの森」で「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」ことを何度も強調している。これは、日本の仏教の「人の死は、一つの扉から来世の扉へ足を踏み入れるだけのこと」という観念とマッチしている。そして、このような考えは、日本の古今の文学作品の中でたびたび登場する幽玄(ゆうげん)やもののあはれという理念、叙述手法ともマッチしている。文学作品の生死に関する描述も日本人の死生観にある程度影響を与えていると言えそうだ。三つ目に、古代の日本の武士は、「夏の花の如く艶やかに生き、秋の枯葉の如く穏かに終りを迎えよ」という武士道精神を貫いた。つまり、「命を惜しむことは恥」と考えられていたのだ。その他、日本の武士道の精神は桜の花と相通じる部分がある。日本には、桜は咲いてから散るまでが七日間に過ぎないという意味の「花七日」という言葉がある。咲きながら散っていく桜の花は、はかない命のようで、美しく生き、清く死ぬという武士道の精神とマッチしている。これも、日本人の死生観にある程度影響を与えているのではないだろうか。このように、自然、仏教、文学、武士道などの特徴が相互に作用して、冷静に死を受け止める日本人独特の「死生観」が形成された。

日本の墓地が住宅街付近にあり、ひいては仏壇を置いて死者と家で共存しようとする現実を見ると、日本人の意識の中で、生と死の距離がいかに近いかが一目で分かる。死は命の一部で、尊厳を持って生き、尊厳を持って死に、死んでからも新たな旅に出るというのが、ほとんどが霊魂不滅を信じている日本人の一般的な考え方だといえる。


ということで不足している部分を取り上げる。

日本人とは、連綿と続いて行く歴史のストーリーのほんのチョイ役であることを自認している。
どんなに驕り高ぶって、権力の頂点につこうとも、それは長大な歴史の川の流れから見れば、寿命の短い一抹の夢にすぎない。
そんな民族感情がどうして形成されたのかと言うと、平家物語のストーリーが、そのストーリー自体を知っていても知らなくても、日本人の根底に流れているからである。

平家物語では次のように語る。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。 」

そんな栄光を誇っても、それは一瞬の夢にすぎないんだよ、ということで、中国にも、その認識は現(うつつ)か幻(まぼろし)かという論点においては、「邯鄲の枕」があったとは思うが、日本のはそれよりももっと情念的な色が濃く出ている。

あるいは、社会という舞台を支配し、支配されるという主観的観念しか持たぬ登場人物の集合、という中国型の社会認識とは異なり、人間含め、生物や社会、土地や風土、気候を含め、それは対等な立ち位置であり、霊的な円卓を囲む、舞台の登場人物の一つと認識している日本人の思考は、人間が持つべき主観性が欠落し、外部からの観点での総体を見ようとする。

そこにあるのは「仕方無い」という諦めの意味であるかもしれないが、しかしメインストリームの思考の鋳型としては、紡ぎ紡がれる連綿とした長大のストーリーの一部に過ぎないということを認識しているためだ。

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